二
「……おい、神崎」
広間に入り、料理を目にするなり土方は眉を寄せた。
「この丸い塊と、その上のどろどろしたもんは何だ」
広間の隅に控えていた花を振り向いて尋ねる。
「餡かけ豆腐ハンバーグです」
「ああ? 何だそれは」
「まあ、強いて言えば私の故郷の郷土料理のようなものです」
自分でも嘘か本当か分からないような適当な返事をすると、土方は若干首を傾げつつも納得したように席についた。土方より少し早く広間に来ていた沖田は、二人の会話を聞いて楽しそうに花を振り向く。
「神崎さんの故郷は着るものだけじゃなくて、食べるものまで珍妙なんですね。さぞかし珍妙な故郷なんだろうなあ」
「……お口に合わないようでしたら、無理に食べていただかなくても結構ですけど」
「いいえ、いただきますよ。意外とおいしいですからね。珍妙な料理人の作った珍妙な料理」
「こら、総司。珍妙珍妙と女子に向かって繰り返すものではないよ」
むっとして言い返そうとしたところで、近藤が沖田を窘めた。ざまあみろと内心思っていると、近藤が花を振り向く。
「すまなかったね、神崎くん。しかし総司も悪気があったわけではないと思うんだ。許してやってくれるか?」
……沖田のどこをどう見たら、悪気がないように見えるのだろう。正直問いただしたい気持ちでいっぱいだったが、ここは大人になろうと自分を抑え、なんとか頷いた。
しかし顔を上げた先では、沖田が近藤に見えないようにべえ、と舌を出している。小学生か。
目の前では近藤が、いかに沖田が心優しい子か熱弁しているが、花は笑顔を保つのに必死で話の内容は全く耳に入っていなかった。
「……近藤さん、隊士たちが待ってる」
関わりたくなかったのか、見て見ぬ振りを続けていた土方が、しばらくして痺れを切らした様子で近藤に囁いた。
「ん? ああ、すまなかった」
見ると隊士たちはいつの間にか全員集まっていたようで、みな何事かとこちらをうかがっている。
近藤は立ち上がり、花を手招きした。花が隣に立つと、隊士たちを見回して口を開く。
「えー、諸君。こちらが昨夜から賄いを作ってくれている、神崎花くんだ。これから前川邸の食事は彼女が作ることになった」
広間に集まった二十人ほどの隊士の視線が、自分に集中する。花は急に緊張して、ごくりと生唾をのんだ。
「か、神崎花です。どうぞよろしくお願いしま――」
「あれ、花ちゃん!?」
最後まで言い終える前に、隊士たちの中から声が上がる。
「本当だ! 山崎と恋仲の花ちゃんじゃねえか!」
……濃い仲? 小田舎?
首を傾げながら声のした方を見ると、昨日屯所の門近くで会った二人組がいた。
「確かお二人は……永田さんと、原助さん!」
「思い出した! って顔輝かせてるとこ悪いけど、違う!」
「惜しい! 何か色々ぐちゃぐちゃになってる!」
二人は拳で畳を叩いて叫んだ。
「俺が永倉で、こっちが原田な」
永倉が自身と原田を交互に指さして訂正する。その隣で原田は、うっとりと両手を組んで目を輝かせた。
「でも俺、花ちゃんになら何て呼ばれても嬉しいぜ……!」
「あっ、左之! てめー、自分はちょっとあだ名みたいになってたからって……俺はお前の名前と混ぜられんのだけは勘弁だぜ!」
「おい、お前ら! ふざけるなら飯食ったあとにしろ!」
土方の怒号が響き、二人は首をすくめて口を閉じた。
「ったく、あの女好き共。はしゃぎやがって……」
土方は小声で悪態をついてから花に向き直り、しっしと手で追い払う仕草をした。
「お前はもう下がっていいぞ」
「はい」
花も永倉と原田を若干暑苦しいなと思っていたところだったため、大人しく土方の言葉に従った。
広間を出るまでの間「待って、花ちゃん!」だの「冷たい! でもそんなところもいい!」だのといった声が聞こえたが、聞こえないふりをして障子を閉めた。
**********
味噌汁を一口飲んで、山崎は小さく息を吐く。
花が広間を出た後も永倉と原田ははしゃいでいたが、土方が二人にげんこつを落としたことでようやく落ち着いた。
いざ食事が始まると、みな一様に目の前の見たこともない料理に夢中になり――。
「うっめえ! 朝からこんな豪華な飯食ったの初めてだ!」
「この丸いの何で出来てんだ!?」
と、これはこれでまた大騒ぎだったが、土方はもうすっかり諦めた様子で料理を口に運んでいる。
そんな中山崎はというと、『山崎と恋仲の花ちゃん』のところを、この大騒ぎのお陰で誰にも突っ込まれずに済んだことに安堵していた。
神崎のやつも否定せんし。何考えとるんや、あいつ。
自分の言葉には耳を貸さないが、花の弁明ならばあの二人も恐らく聞くだろうに。今度花に二人の誤解を解くように言っておこう、と一人心に決める。
「山崎」
そのとき、ふと背後から声がかかった。振り返ると、食事を終えたらしい土方が立っている。
「食事が済んだら俺の部屋に来い」
それだけ言い残して、土方は返事も待たずに広間をあとにした。
相変わらずせっかちな人やな。苦笑しつつ、最後に一欠片残していたハンバーグを口に放り込む。
「……うま」
「うまいですよね、これ。どうやって作ったんだろうなあ」
独り言のつもりで呟くと、予想に反して返事が返ってきた。見ると隣に座っていた隊士が、にこにこと笑みを浮かべてこちらを向いている。
「お前は……相田龍之介やったか」
「わっ、すごい。俺のこと知ってるんですか」
山崎が言うと、相田は少し驚いた様子で目を丸くした。相田はつい数日前、浪士組が屯所として使っている前川邸の主人、前川荘司の口利きで壬生浪士組に入ったばかりの新米隊士だ。
「隊士の名前と顔くらい覚えとって当然やろ」
「そんなことないですよ。俺はまだ試用期間も終えてないですし。名前を覚えててくれたのは、山崎さんが初めてです」
壬生浪士組には入隊試験のようなものは設けられていない。その代わり、『仮同志』と呼ばれる試用期間があり、適正なしと判断されれば追い出される仕組みとなっているのだ。
この試用期間というのがなかなかの曲者で、日頃の勤務態度及び生活態度を見るのはもちろんのこと、真夜中に先輩隊士が適性を見るため、斬りかかってきたりということもある。
「仮同志の間に追い出される者は少なくないと聞きました。それなのに、名前を覚えてらっしゃるなんて物覚えがいいんですね」
「……俺はまだまだ下っ端やし何の権限もないさかい、媚びても入隊はできひんで」
山崎が言うと、相田は慌てたように身を乗り出した。
「お、俺はそんなつもりじゃ――」
「分かっとる。冗談やて」
小さく笑って立ち上がる。
「もう行くんですか?」
「ああ、先に失礼するわ。このあとは朝稽古やから、しっかり食うとけよ」
「はい!」
相田が元気よく頷くのを見て、山崎は広間を出ていった。
部屋を訪ねると、土方は文机に向かい、何やら書きものをしているようだった。
「……隊内の様子はどうだ」
こちらを振り返らないまま、土方が尋ねる。
山崎は数日前から土方直々の命令で、隊士たちの素行調査を行っていた。
本来であれば監察方の仕事だが、人手が足りておらず、加えて監察と知られている隊士より警戒されずに動けるため、山崎に声がかかったのだ。
このことは、浪士組の幹部でもまだ一部の人間しか知らない。
「特に変わったところはありません。ただ俸禄が貰えるようになってからは、組入りの志願者も増えましたし、今後は一層警戒が必要やと思います」
淡々と答える山崎に、土方はため息をついて振り返った。
「隊士が増えるのは結構だが、俸禄目当ての輩も多いし、そういうやつらに限って何かと問題を起こすからな。……もっとも、一番厄介な輩は別にいるんだが」
「……そうですね」
土方の言う『一番厄介な輩』というのは、尊王攘夷急進派の間者のことである。
今この国は大きく、幕府と朝廷で手を組み国内外の問題に対処しようとする公武合体派と、朝廷を擁立し、武力で外国勢を打ち払おうとする尊王攘夷派の二派に分かれている。そんな中、ここ京では急進的な尊攘派の志士による、「天誅」や「斬奸」と称した暗殺が横行していた。暗殺の対象は、初めは安政の大獄や公武合体運動に関わった幕府要人などだったが、近頃は商人や百姓なども無差別に殺されている。
壬生浪士組はこの年の三月中頃から京都守護職御預かりとなり、そうした暗殺者の取締りも行っていた。
しかし隊士は浪人や農民、商人などの寄せ集めで、素性の調査などは十分に行えていない。正直なところ間者として潜り込むのは容易で、それ故に監視は重要な任務であった。
「引き続き頼んだ」
「承知しました」
頷くと、話は終わりだろうと腰を上げようとする。しかし、それをなぜか土方が「ちょっと待て」と止めた。
「どないしましたか?」
真剣な土方の顔を見て、何かあったのかと眉を寄せる。
「永倉が言ってたが、お前神崎と恋仲になったのか?」
「――そないなことには、断じてなってません」
不意をつかれて一瞬言葉を詰まらせた山崎を、土方はにやにやと見つめた。
全く、この人は……。鬼の副長と言って土方を恐れる隊士たちに、この姿を見せてやりたい。
「まあ、そう怒るな。これは仕事の話だ」
そう言った土方の声色は真面目なものに戻っていて、山崎も姿勢を正す。
「お前はあの女……神崎花を何者だと考える?」
「……何者とは?」
山崎の問いに、土方は渋い顔をして視線をそらした。
「俺にはどう考えてもあいつがただの料理人には見えねえ。いいとこの娘なんだろうってのは認めるにしても、色々と謎が多過ぎるだろう」
土方の言葉に、初めて花に会ったときのことを思い返す。
あのとき花は、ぶつかってきたのでも飛びかかってきたのでもなく、『降って』きたように感じた。自分がいたのは縁側で、降ってこられるような場所などなかったのだが。
あまりにも不思議で、花がいなくなったあと、自分は白昼夢でも見たのかと疑っていたのだが――彼女は再び、自分の前に現れた。
まずここらの人間とはちゃうんやろうけどな……。
言葉のなまりからして、江戸の方の出ではないかと思う。しかしまさかあの格好で、江戸から旅して来たわけではないだろう。不審過ぎて、確実に関所などで止められる。
とはいえ、あんな目立つ格好の女が京の町をうろついていたら、すぐに噂になっているはずだし、今まで花が京にいたとも考えにくい。
「山崎。隊士たちの素行調査に加えて、神崎のことも調べておいて貰いてえんだが」
頼めるかと問われ、山崎は一も二もなく頷いた。
素性はともかく、花がどういう性格かはすでに大体掴んでいる。疑うことを知らない、素直でとても騙しやすい人間だ。本人に気取られないよう動くのは、そう難しいことではないだろう。
「任せてください」
そう答えたところで、部屋の外からこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。顔を向けると同時に勢いよく障子が開き、沖田が軽やかに部屋に入ってくる。
「ひっじかったさーん! いますかあ?」
「……総司。そういうことは、障子を開ける前に言えって何回言ったら分かるんだ」
怒りを押し殺したような声で土方が言う。
「まあまあ、怒らないでくださいよ。そんな怖い顔ばかりしてたんじゃ、眉間のしわが取れなくなっちゃいますよ」
「誰のせいだと思ってんだ」
「ほらまた」
笑いながら自分の眉間を指先で叩いて見せる。そんな沖田に土方は、怒る気力をなくした様子でため息を吐いた。
「で、何の用なんだ?」
「土方さんを朝稽古に誘おうと思ったんですよ。ほら、最近部屋に籠もりっぱなしで、元から鬱々としてる雰囲気がさらに酷くなってるじゃないですか」
「……余計なお世話だ」
土方は仏頂面で吐き捨て、しっしと手を振る。
「俺は仕事があるんだ。山崎、そこの餓鬼連れて朝稽古に行ってこい」
「ええー、せっかくわざわざ迎えにきたのにぃ」
沖田は拗ねたように唇を尖らせていたが、山崎が「行きましょう」と促すと、渋々ながらも土方の部屋を出た。
「……神崎さんのこと、何か言われたんですか?」
土方の部屋を出てしばらく歩いたあと、沖田が唐突に尋ねてきた。沖田がそんなことを聞いてくるとは思わなかったため少し驚いたが、それを表には出さず口を開く。
「いいえ、何も」
「……そうですか?」
沖田の声には少し疑いが混じっていた。しかし山崎は気づかないふりをして前を向く。
良くも悪くも、沖田はいつも正直だ。裏表がなく、己の冷酷な部分でさえも、隠すことなくさらけ出してしまう。相手を騙し、警戒させずに素性を探るような真似ができるたちではない。
自分とは正反対の人間で、彼のような人間は少し、眩しく感じる。……まあ、監察の仕事には不向きな性格だが。
「何笑ってるんですか?」
隣を歩きながら、沖田が不思議そうな顔をする。
「何でもありませんよ」
答えたところで、廊下の先に相田の姿を見つけた。勘定方の部屋から出てきたところのようで、こちらに気づくと笑顔で駆け寄ってくる。
「沖田先生に山崎さん。今から朝稽古ですか?」
「ああ。……お前は何の用やったん?」
「昨日平間先生に使いを頼まれたのですが、つり銭を返すのを忘れていて。ご不在でしたが」
金を入れているらしい小さな巾着袋を振って、相田が苦笑する。
平間重助は勘定方取締りで、隊内の金銭管理をしている男だ。
「平間先生やったら、たぶんまだ八木邸の方で休んではると思うで。今朝、芹沢先生と佐伯先生に会うたけど、飲んで帰ってきはったみたいやったから」
芹沢は飲みに出るとき、佐伯と平間ともう一人、副長助勤を任されている平山五郎という男を連れるのがお決まりだった。あの場に平間と平山はいなかったが、同行していたのは間違いないだろう。
そこまで考えて、ふと花のことを思い出した。
彼女はあのとき、芹沢と父親を見間違えていたようだった。自分の家がどこにあるのか分からないという花の言葉の真偽は定かではないが、芹沢に詰め寄っていたあの必死な様子からして、家族に会いたくても会えない状況下にあるということは嘘ではないように思う。
立ち去ろうとした花を呼び止めたときの、怯んだような目が脳裏に浮かぶ。
あれはちょっと、余計な一言やったな。
「そうだったんですね……。でしたら昼過ぎにまた訪ねてみます」
相田はにこりと笑って、巾着袋を懐に仕舞った。
「……ああ。ほな、朝稽古行くか」
相田に言って、歩き出そうとする。しかし沖田は立ち止まったまま、相田の顔をじっと見つめて首を傾げた。
「あなた誰でしたっけ? 最近組入りした方ですか?」
「あっ、はい! 先日より壬生浪士組の仮同志となりました、相田龍之介と申します」
慌てて相田が頭を下げる。
「相田さんですね。――そうだ、せっかくですし今から手合わせしましょうよ!」
ふと思いついたように、沖田が手を打って顔を輝かせた。しかし、対象的に相田の顔は青ざめる。
それもそのはず、沖田は壬生浪士組の中でも一、ニを争う剣客だ。加えて教え方も荒いため、大抵の隊士は手合わせを嫌がる。
「あ、あの沖田先生。俺、ちょっと厠に行ってから――」
「まあお待ちなさい」
そろそろと後ずさる相田の肩を、沖田はしっかりと抱いた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。初めての人には優しいですから、私」
沖田の言葉を聞いて、本当かと確かめるように相田がこちらを見る。山崎は黙って視線をそらした。
沖田の優しい手合わせなど、組入りしてこの方見たことがない。
「それではさっそく稽古場に行きましょう!」
「や、山崎さんっ! 助けてください!」
相田の悲痛な叫びが聞こえたが、山崎は心の中で合掌つつ、明後日の方向を見つめ続けた。
悪い、相田。俺も巻き添え食らいたないねん。
結局相田は、張り切る沖田になかば引きずられるようにして稽古場へと連れていかれ、山崎は少し距離を取りつつそのあとに続いた。