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新選組のレシピ  作者: 市宮早記
二品目 追憶と夢の影
6/29

 ――夢を見た。子どもの頃、父親と母親と三人で遊園地へ行った夢。

 父親は土日休みのない仕事であるため、こうして一緒に外へ遊びに出掛けた記憶はあまりない。

 いろいろなアトラクションを回った末、花は両親とお化け屋敷に入った。

 お化け屋敷の中は薄暗く、あちこちから不気味な音や悲鳴が聞こえてきて、足がすくむほど怖い。

「もうやだ、歩けない!」

 泣いて駄々を捏ねると、父親はお化け屋敷を出るまで花を背負って歩いてくれた。父親の歩みはゆっくりで、しかし確かに前に進んでいく。

 その間、花はずっと時が過ぎるのを待っていた。目を閉じて、耳を塞いで……恐ろしいものが消えてなくなるのを、ただじっと、待っていた。



目が覚めたのは、まだ夜も明けていない暗い時分だった。寝起きのぼんやりとした頭のまま、ゆっくりと身体を起こす。

小さな格子窓が一つだけある、狭い部屋。一瞬ここはどこかと考えて――思い出した。

そうだ。自分は恐らく江戸時代だと思われる時代にタイムスリップしたのだった。

今頃、現代ではどうなっているだろう。こちらにいる時間が、そのまま現代での経過時間なのだとすれば、桔梗ではもうすぐ夜のディナータイムが始まる頃だ。働き始めてから今まで、遅刻もしたことがなかったので、連絡もなしに欠勤したことを、きっとみんな不審に思っているだろう。

お母さんも、返信がないのを心配してるかな……。

部屋の隅に置かれたコートを引き寄せると、ポケットからスマートフォンを取り出した。液晶には昨日と変わらず圏外の表示がある。花はため息をつくと、充電を無駄にしないよう電源を落とした。

それから傍らに置かれたストラップを手に取り、両手で握り締める。

「――お願いします! 私を元いたところに帰してください!」

目を閉じて、勢いよく頭を下げる。しかしどれだけ待っても、何かが起きる様子はない。

……やっぱり駄目か。仕方なく、目を開けて頭を上げる。

とはいえ、このストラップはタイムスリップと関係があるのだと思う。何が引き金になるのか分からないが、持ち歩いていればいずれ現代に帰れるかもしれない。

花は昨夜藤堂に貰った袴の紐にストラップを括り付けると、着替えをしようと着ていた服を脱いだ。

そこでふと、昨日風呂に入っていないことを思い出す。寝汗も少しかいていて、正直このまま着替えるのは気持ちが悪い。

しかし今からすぐに朝ご飯を作りにいかなければ、沖田に指定された時間に間に合わないかもしれない。ひとまずは我慢だ。

今が何時なのか正確には分からないが、大体いつも朝の五時頃に目が覚める。習慣通り目が覚めたのであれば、朝ご飯の時間まであと一時間ほどしかない。

身支度を終えるとすぐに部屋を出た。隊士たちはみんなまだ寝ているのか、屋敷の中はしんと静まり返っている。現代では一人で家にいても、車の走る音や、冷蔵庫の運転音などが聞こえていたから、こんなに静かなのは久しぶりだ。

物音一つ聞こえない静けさに、まるで世界に一人きりになったような気がしてくる。――それもあながち間違いではないのかもしれないが。

花は唇を引き締め、台所へと歩き出した。


 だし作りと炊飯を始めると、甕に溜めていた水がなくなってしまったため、汲みに行こうと井戸へ向かった。

しかし井戸の中に桶を落としてみたものの、上手く水が入らない。昨日はちゃんと汲めたはずなのだが。

首を傾げながら井戸を覗き込む。そこへ突然、背後から声がして肩を叩かれた。

「そこのお主、何をやっている」

「きゃああ!?」

驚いて足を滑らせ、乗り出していた身体が真っ逆さまに井戸へ落ちそうになる。

「お、おい!」

――し、死ぬ!?

そう思った瞬間着物の襟を引っ張られ、強引に引き戻された。一瞬喉が締まり、思わず咳き込んでしまう。

「……そんなに身を乗り出している自分が悪いのだぞ。男が女子のような叫び声を上げて、恥ずかしいとは思わんのか」

背後からぶっきらぼうに声をかけられ、花は眉をひそめて振り返った。

視線の先にいたのは、月代を剃った丁髷に、きつそうな顔立ちをした男だった。歳は二十代半ばといったところだろうか。

「なっ! お主は……女子か?」

 男は疑うように花の顔を見つめる。

「……どうしてまだちょっと疑い半分なんです」

「男のような頭をして、袴なんぞ履いているからだ。……ところでお主は、一体ここで何をしている」

「今日からここで料理人をすることになったので、井戸の水を汲みに」

「料理人?」

男は一瞬目を丸くしたあと、腹を抱えて笑いだした。

「ははははっ、料理人! 前川邸の食事はよほど酷かったのだな!」

 この男は浪士組の人間なのだろうか。じっと見ているうちに、ふと彼の息が酒臭いのに気づいた。

思わず眉間に皺を寄せる。

「――何だ、楽しそうだな佐伯」

そのとき、地を這うような低い声が響いた。……どこか、懐かしい声な気がした。

 ゆっくりと顔を向けると、木戸の傍に一人の男が立っている。背の高い、腰に刀を差した袴姿の男。

彼の顔を見た瞬間、頭が真っ白になった。

「……お父さん?」

呆然と言って、花は男の傍に歩み寄った。間近で見た男は、髪型が丁髷であることを除けば、父親と瓜二つの顔をしている。

「お父さん……! やっぱりお父さんもタイムスリップしてたの!?」

 男の腕を縋りつくように掴む。

 ああ、よかった。私はここに一人きりじゃなかったんだ……。

 男はじっと花を見下ろし、口を開いた。

「誰だ、お前は」

「……え?」

 言われた言葉の意味を理解するのに、少し時間がいった。

「な、何言って……」

 男の腕を掴んだ手に、強く力を込める。

「私だよ、お父さん! 覚えてないの?」

「お主、しつこいぞ! いい加減、芹沢先生から離れろ!」

佐伯と呼ばれた男が苛立ったように声を上げ、花に向かって拳を振り上げた。

 とっさに目を閉じて、頭を腕で庇う。しかし、しばらく待ってみても何の衝撃もなかった。

 おそるおそる、腕を下ろして目を開ける。

「山崎さん……」

花の隣には山崎が立っていて、振り上げた佐伯の腕を掴んでいた。

「……何の真似だ」

「足元ふらつかはったみたいやったんで、僭越ながらお支えしました」

 にこやかに笑って、山崎が答える。

「かなり飲まはったみたいですね。よかったら水をお汲みしますけど」

「……余計な世話だ。それよりさっさと手を離さんか」

「これは失礼しました」

 山崎が手を離すと、佐伯は顔をしかめて着物を直した。

「まったく、近藤はろくな者を組に入れぬな」

「やめろ、佐伯」

芹沢と呼ばれた男が言って、こちらに向き直る。目が合った花は、びくりと肩を震わせた。

「お前、名を何と言う」

「か、神崎花です……」

 答える花を芹沢は無表情でじっと見つめる。

「俺はそれほどまでに、お前の父親に似ていたのか?」

「……はい。とても、よく」

「そうか……」

 呟くように言うと、芹沢は何か考えるように視線を落とした。

 しかし結局何も言わないまま花に背を向ける。

「行くぞ、佐伯」

「は、はい」

 先に歩き出した芹沢を、慌てて佐伯が追いかける。

 そういえば、芹沢って壬生浪士組のもう一人の局長の名前だったな。

遠くなっていく背中を見つめたまま、ぼんやりと思う。

それならやっぱり、あの人はお父さんじゃなかったんだろう。……もしお父さんだったとしても、関係ないけど。

 だってあの人、私を見て「誰だ」って――。

「神崎」

 不意に名前を呼ばれ、はっと我に返る。顔を上げると、山崎が訝しげにこちらを見ていた。

「なあお前、さっき芹沢局長のこと――」

「あ、あはは! 山崎さん聞いてたんですね。恥ずかしいところ見られちゃったなあ」

 笑いながら、胸元を強く押さえる。

「さっきのは、その――あれですよ。学校でうっかり間違えて、先生のことお母さんって呼んじゃうみたいな」

 ……そう。あれはただの勘違いだ。

「いやあ、まさかこの歳になってもやっちゃうなんて。お騒がせしてすみません。あと、さっき殴られそうになってたところ、助けてくださってありがとうございました」

 捲し立てるように言って、深く頭を下げる。

 あれはただの勘違いで――くだらない、笑い話だ。私はお父さんのことなんて、もう少しも気にしてないんだから。

「……ええよ。それより、水汲みにきたん?」

 小さく息を吐いて、山崎が聞いた。

「あ……はい。でも桶の中に水が入らなくて」

「昨日教えた通りにやったんか? もう一回やったるさかい、よう見とき」

 山崎がこちらに背を向け、井戸に向き直る。花は少し離れた場所に立って、山崎が井戸から水を汲むのを見つめた。

「お前あんま力なさそうやし、水は一杯に汲むんやなくて半分くらいにしときや」

 水を汲み終えると山崎は、台所まで運ぶために花が用意していた桶に中身を移してくれる。花は軽く頭を下げて、差し出された桶を受け取った。

「ありがとうございます。……それじゃあ」

お礼を言うと、すぐさま山崎に背を向ける。

「ちょい待ち」

 呼び止められて、びくりと肩が跳ねた。振り返ると、山崎は少し困ったような笑みを浮かべる。

「そない顔せんでも、別に問い詰めたりせえへんから。……誰にでも、触れられたない話の一つや二つあるやろし」

 ――何それ。

 山崎の言葉に、頭の芯がかっと熱くなった。

「何の話ですか」

 自分には、聞かれて困ることなんて何もない。それなのに山崎の口ぶりは、それがさも事実であるかのようで、神経を逆なでした。

 思わず眉を寄せると、山崎は「いや」と首を横に振った。

「台所に食材そないなかったと思うけど、今朝はあるもんで我慢してな。うちは結構切り詰めて生活しとるさかい、毎日ゆうべみたいに金はかけられへんねん」

「……はい。分かりました」

「ほな、朝餉作り頑張って」

 こちらに背を向けて、山崎は水を汲み始める。気持ちのやり場がなくなり、花は唇を噛んで台所へと向かった。

 何なんだ、あの見透かしたような態度は。私のことなんて、何も知らないくせに。

 どうしてか無性に苛立って、悔しくて……涙が出そうだった。


台所に着くと、花は気持ちを切り替えて朝ご飯のおかず作りに取り掛かった。

山崎はあるもので我慢しろと言ったが、台所にはほとんど食材がないし、ついでに言うと時間もあまり残されていない。

しかし、『あるものだけで早くおいしいものを作る』ことに関しては、まかない作りを一年続けた結果、すっかり得意になっていた。

「食材不足上等! やってやる」

気合いを入れると、さっそく主菜になりそうなものを探し始める。すると台所にあった甕の中に、水に浸かった大量の豆腐を見つけた。これだけたくさんあるということは、豆腐はこの時代でも安価な食材なのだろうか。

肉や魚はないようだし、今朝の主菜はこれにしよう。

豆腐を取り出して綺麗な布で包むと、少し傾けたまな板の上に並べていく。全て並べ終えると、その上に重しとして別の分厚いまな板を乗せた。

豆腐はしばらくこのままにして、その間に副菜を作る。昆布とかつお節のだしがらを、昨夜から捨てずに取っておいたので、この二つは活用したい。

「昆布は佃煮にして、かつお節はおかかにしようかな……」

そうと決めるとさっそくだしがらの昆布を切り、醤油と砂糖、みりん、酢、酒、水で煮ていった。おかかはかつお節を細かく刻んでから、醤油と砂糖、みりん、酒で煮詰めて、水分が飛ぶと最後にごまを混ぜ合わせる。

手早く二品を完成させたところで、主菜作りに戻った。

土物野菜の入った麻袋からねぎと人参を数個取り出すと、それらを全て微塵切りにしてざっと火を通す。火を通した野菜は、先ほどからずっと重石をして水を切っていた豆腐と下味になる調味料と一緒に混ぜ合わせた。あとは形を整えて焼けば、肉なし豆腐ハンバーグの出来上がりだ。

豆腐ハンバーグを焼きながら、ハンバーグにかける餡と味噌汁を作り始める。

全て作り終えて盛り付けを済ませた頃には、すっかり日が昇り、どこからか鐘の鳴る音が聞こえてきた。注意を促すための捨て鐘が三回、そのあとに六回。沖田に指定されていた明け六つになったようだ。

 早く膳を運んでしまおう。

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