四
町に着くと、欲しいものは店か棒手振りと呼ばれる人から買うよう山崎に言われた。棒手振りとは天秤棒の両端にざるや木桶などを取り付け、その中に入れた品物を売る人を指すらしい。
どうやらこの時代には、スーパーマーケットのようにいろいろな品物が手に入る店はないようで、野菜なら八百屋、魚なら魚屋というように専門店が並んでいる。
花はまず野菜から選ぶことにして、八百屋で新生姜やなすなどを買った。それから湯葉屋を見つけて湯葉を買い、最後に魚を選びに向かう。
「山崎さん、魚はこの店で買います」
棒手振りや魚屋をいくつか見て回ってから、一番新鮮な魚を売っていた店で足を止めた。
「ええっと、まず鮎を二十五匹ください。次に、鱧を十三匹。それから――」
「ちょお待て、神崎」
注文の途中でなぜか山崎に止められた。首を傾げて振り向くと、山崎は頭が痛そうに額を押さえている。
「俺を一文無しにする気か? こんくらいで勘弁してくれ」
「えっ、すみません。私そんなにお金使ってました?」
「お前まさか、自分で買い物したことないんか?」
「まあ、その……」
へへ、と笑って誤魔化す。買い物をしたことはもちろんあるが、この時代ではないのでなんとも言えなかった。
「買い物もせんとここまで生きてきたやなんて、お前もしかしてええとこの娘なんか? 着とるもんも妙やけど、安物やなさそうやし」
山崎は改めて、頭の先からつま先までじっくり花を見ながら聞く。
「いえいえ、私は一般庶民ですよ」
「そうか……?」
言いながら首を傾げる山崎の目は疑いに満ちている。花は店主から魚を受け取ると、逃げるように歩き出した。
買ってきた食材を手に屯所へ戻ると、まずは下ごしらえをしておいただしを作り始める。ちなみに竃の火はどうおこせばいいのか分からなかったため、山崎に代わりにおこしてもらった。
火力の調節は難しく、最初はかなり手間取ったものの、山崎に教わり練習するうちに少しずつコツが掴めてきた。
「ほんで、結局何作るか決めたんか?」
だし作りを終えた頃合いで、山崎が問いかける。
「もちろんです」
花はリュックの中からメモ帳とボールペンを取り出して、考えたメニューを記した。
先付
海老と夏野菜の水晶寄せ、鰻の砧巻き、茄子のお浸し、湯葉田楽
お椀
清汁仕立て 牡丹鱈
焼き物
鮎の塩焼き
煮物
子かぶの宝蒸し
ご飯
新生姜の炊き込みご飯
本当は凌ぎやお造り、八寸なども用意したかったが、どう頑張っても時間と材料が足りない。
買ってきた野菜は品種改良された現代のものと違って味にくせがあり、念入りに下ごしらえする必要があったし、何より台所は勝手が全く分からない。正直なところ、この品数を二十五人分作るのも苦労しそうだ。
しかし、やるしかない。料理人だと認めてもらえなければ、どんな目に遭わされるか分かったものではないのだから。
気合いを入れると、まずは水晶寄せと砧巻き、お浸しから取りかかった。
水晶寄せとは食材を入れただし汁にゼラチンを加え、冷やして固める料理だ。見た目が美しく涼やかなため、初夏から晩夏にかけて、よく桔梗でも作っていた。
「段ボールの中にゼラチンがあってよかった……」
プレゼントしてくれた先輩たちに心の中で感謝しながら、だし汁の中に水でふやかしておいたゼラチンを入れていく。
「……よし、あとは粗熱を取って、食材と混ぜて冷蔵庫で冷やせば完璧――」
鍋を火から上げて、その姿勢のままふと固まる。――冷蔵庫?
「ああっ!」
気づいてしまった事実に、とっさに鍋から手を離して頭を抱えそうになった。
この時代錯誤――今いる時代としては正しいのかもしれないが――な台所のどこにも、冷蔵庫らしきものは見当たらない。
「何や、急に?」
「や、山崎さん……ここに、冷蔵庫ってないですか? あの、食材とかを冷やす機械なんですけど」
「……聞いたこともないな」
「ですよね……」
鍋をいったん置くと、腕を組んで考える。何か、冷蔵庫の代わりに食材を冷やせるもの……。
「――そうだ! それなら氷は!? 氷はありませんか!?」
「はあ? この暑い中、氷なんかあるわけないやろ」
そうだ。氷はそもそも冷凍庫で作るものなのだから、あるわけがなかった。
「うう、どうしたら……冷たい、寒いところ……北国? 富士山の頂上……? 無理無理、そんなとこ行ってる時間ない……」
台所の中を歩き回りながら、使える手はないかと必死で考えを巡らせる。しかし、いくら考えても何も思いつかない。
「もう駄目だ……」
ついにがくりと膝をつき、うなだれる。すると山崎が、ため息をついて顔を覗き込んできた。
「なんや、冷やしたいもんでもあるん?」
「は、はい。もしかして、何か方法があるんですか?」
顔を上げて、身を乗り出す。
「凍らせるんは無理やけど……井戸の水やったら冷たいし、浸けとったら少しは冷やせるんとちゃう?」
「井戸……」
そういえば、昭和の田舎が舞台のドラマで、井戸の中でスイカを冷やしているのを見たことがあった。
ゼラチンは二十度以下で固まる。――もしかすると、いけるかもしれない。
「あの、案内してもらえますか?」
山崎に井戸まで案内してもらうと、さっそく水温を確かめてみる。
冷蔵庫で冷やした水ほどではないものの、常温よりは冷たく感じた。この温度まで冷やすことができれば、間違いなくゼラチンは固まる。
花は急いで台所に戻り、タッパーの中にだし汁と食材を入れた。それからそのタッパーを水を張った桶に入れて、さらにその桶を井戸に浮かせる。こまめに水を張り替えれば、恐らく井戸水と同じ温度まで下げることができるだろう。
井戸は使い方が分からなかったので、山崎に聞いたのだが「飯は作れるくせに何で水が汲めんのや?」とまたしても訝しげな顔をされてしまった。いい加減、この反応にも慣れてきた。
「さて……次は鰻の砧巻きか」
台所に戻ると、すぐに次の品に取りかかる。
食材は、段ボールに入っていた缶詰の鰻の蒲焼きと大根を使うことにした。
砧巻きとは桂剥きにした野菜で食材を巻いた筒状の料理であり、鰻の蒲焼きと大根の他には調味料くらいしか使わずにすむ。少ない食材で品数を増やせるため、今の自分には助かる一品だ。
「あの……どうかしました?」
大根を桂剥きしていると、土間に腰掛けていた山崎が、隣に立ってじっと花の手元を見つめてきた。
桂剥きにされた大根は向こう側が透けて見えるほど薄く、さらに折れても切れることはない。絶妙な薄さを保ったまま、花は一定の速度で剥き続ける。
「いや、器用なもんやなて思うて」
……そんなに見つめられるとやりにくいのだが。
少し居心地悪く思いつつ、花は大根を剥いた。
お浸しは茄子にだしがしっかり染み込むよう隠し包丁を入れ、水晶寄せと砧巻きと一緒に井戸で冷やすことにする。
先付の三品を井戸で冷やしている間は、それぞれの料理の下ごしらえをしつつ炊き込みご飯を炊き、子かぶの宝蒸しを作り始めた。
宝蒸しは小ぶりのかぼちゃなどの中をくり抜き、器にして、その中に食材を詰めて蒸した料理を指す。段ボールに子かぶが大量に入っていたため、今回はそれを器として使うことにした。
しかし数えてみると、二十個と数が足りない。そのため残り五人分は、砧巻きに使った大根の余りで代用した。
「……何やそれ?」
花がフードプロセッサーを取り出すと、山崎は今日一番、不審そうな顔をした。
「食材を切り刻む機械ですよ」
段ボールの中にあった数種類の鶏肉を、全てフードプロセッサーに入れつつ答える。
そのあと、鶏肉をミンチにしてみせると「けったいなもんばっか持っとるな」と感心しているのだか貶しているのだか分からない感想をもらった。
できた鶏ミンチをつくねにして野菜と一緒に子かぶと大根の器の中に入れると、この時代の蒸し器だという蒸籠で蒸す。
それから、湯葉田楽、清汁、鮎の塩焼きを作っていき……。
「――できた!」
夜ご飯の時間だという『五つ』の鐘が鳴る直前に、全ての料理を作り終えた。
「大したもんやな。こないうまそうな料理、初めて見たわ」
山崎ができあがった料理を見て目を丸くする。
料理は花にとっても満足のいく出来だった。自信はあるが、たとえこれで料理人だと認めてもらえなかったとしても、後悔はない。
「ちゃんと完成させられたのは、山崎さんのおかげです」
「俺は何もしてへんよ」
「そんなことないです!」
台所の使い方を教えてくれただけでなく、見ているだけでは暇だからと、野菜を切ったり料理を盛り付けたり、山崎はたくさん手伝ってくれた。それに、料理を作ることに集中していたとはいえ、こんな状況で一人きりにされていたら、きっと心が折れてしまっていただろう。
山崎は押し付けられて仕方なく見張っていただけということは分かっているが、それでも助けられたことには変わりない。
「本当にいろいろありがとうございました」
深々と頭を下げてお礼を言う。屯所に忍び込んだと疑われたのは山崎のせいだと恨んでいた気持ちは、すっかりなくなっていた。
顔を上げると、山崎は小さく笑って膳を持つ。
「礼はええから、料理冷めてまう前にさっさ運んでまお」
「はいっ!」
花は山崎の言葉に元気よく頷き、膳を持って一緒に台所を出た。
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「うおおおお! 何だこれ!? うめえ!」
「こんなもん生まれて初めて食ったぜ! 誰だ今日の炊事当番!?」
作ったのが花だと知られれば公正な判断が出来ないだろうと、何も言わずいつも通り並べられた食事に、隊士たちは大騒ぎだった。
それもそのはず、壬生浪士組では隊士たちが交代で炊事を担当していたのだが、料理などしたことがない者がほとんどで、まずすぎて米以外何も食えないという日もざらにあった。それが突然、素人が作ったとは到底考えられないような料理が振舞われたのだ。隊士たちが動揺するのも何ら不思議ではなかった。
「いやあ、まさかこれほどの腕前とは。恐れ入りましたね」
膳の料理を全て食べ終えて、沖田は思わずそう口にした。本来は甘味以外あまり好まないのだが、花の作った料理は素直においしかった。
「……おい、総司。お前までんなこと言うのか」
隣に座っていた土方が、顔を引きつらせてこちらを見る。
「嫌だなあ、そんな顔して。妬いてるんですか?」
「だ、れ、が、妬いてるって?」
土方がさらに顔を引きつらせる。それを見て、沖田は声を上げて笑った。
任務中は冷酷な面があるが、本来沖田総司とはこうして冗談を言っては人を怒らせて楽しむような、茶目っ気のある性格をした青年であった。
「……彼女がなぜ屯所にいたのか、あの珍妙な格好が何なのか、気になることはたくさんあるが、山崎くんから聞いた報告含め、私は少なくとも不審な者ではないと思ったよ」
土方を挟んだ向こう側で、山南が箸を置いて言った。その言葉に、先ほど山崎から聞いた花の話を思い出す。
「料理は作れるのに、買い物をしたことがなければ、井戸も竈も使ったことがない、ねえ……」
「そうしたことは代わりにやってくれる使用人がいたのでは? 着物もあんな布地は見たことがないが、きっと特別に仕立てたものだろう。彼女はどこか裕福な商家か武家の娘なのではないかな」
「うーん……どうなんでしょう?」
自分は考えることは専門外だ。曖昧に答えつつ、意見を求めるように近藤を見た。
「そうだな、俺も彼女は不審な者ではないと思うぞ! こんなうまい飯が作れるんだ。料理人だという言葉は本当だったのだろうし、ということは彼女は嘘をついていない、正直者だということだ!」
「近藤先生がそう仰るなら、きっとそうですね」
「総司。てめえはもう少し自分の頭で考えろ」
苛立った様子で土方が口を挟む。
「これまで自分のいた場所がどこにあるのかだけ分からない、なんて都合のいい記憶のなくし方、あるわけねえだろ」
どうやら土方だけは、変わらず花を不審な者だと考えているようだ。まずいと思っているはずはないが、悔しかったのか膳のご飯も少し残している。
「じゃあどうします? 拷問でもして吐かせますか?」
首を傾げて沖田が聞くと、土方は言葉に詰まった様子で黙り込んだ。
現状、山南の予想が全くの外れだと言える証拠はない。そのため下手な真似はできないと考えているのだろう。
「……ひとまずは、保留が妥当か」
しばらく沈黙したあと、土方はため息をついて言った。
「あの女が何を企んでるかは知らねえが、それならこちらも最大限あいつを利用してやるまでだ。そんで何か少しでも不穏な気配を感じたら――そんときは、分かってるだろうな?」
声をひそめて、土方が問う。沖田は愛嬌たっぷりの笑顔で頷いた。
「はい、もちろん。『処理』は私の担当ですからね」