二
「……お前、そん格好何?」
昼九つになり壬生寺を訪れると、先に待っていた佐々木に珍獣でも見るような顔をされた。
「変装に決まってるじゃないですか」
花は答えて、自分の格好を見下ろした。
着物はいつも着ているものだが、身体つきで女だとばれてしまわないよう、包帯人間ばりにさらしを全身に巻きつけてある。顔も化粧で眉を太く男らしくした上で、煤を付けて汚した。
自分で言うのもなんだが、どこからどう見ても女には見えないと思う。
「佐々木さんこそ何です? そのやる気のない変装は」
不良風を目指したのか、髪型と格好を少し汚くしているが、正直なところいつもとあまり変わらない。佐々木は割に整った顔をしていて、一見育ちが良さそうに見えるせいもあると思う。
「これくらいが普通や! お前が変やねん!」
「変装なんですから、変で当然じゃないですか」
「変装の変はその変とちゃうねん、あほが!」
佐々木が顔をひきつらせて怒鳴る。花は反対ににっこりと笑った。
「まあでも、女には見えないでしょう? 約束ですから連れていってくださいね」
「……俺、お前の隣歩きたないんやけど。恥ずかしいわ……」
「失礼ですね。せっかく頑張ったのに」
確かに少し厨二病をこじらせたような格好ではあるが、一番大切な『女に見えない』をクリアしているのだから、そんなに嫌がらなくてもいいだろう。
佐々木は仕方なさそうにため息をつき、自分の懐に手を伸ばした。
「これお前にやるさかい、一応持っとき」
そう言って差し出されたのは懐刀だった。花はぎょっとして後ずさる。
「い、いいですよ。斬り合いになったりはしないんでしょう?」
「ないとは思うけど、念のためや。お前刀も差してへんさかい、そんままやと格好つかへんし。ええから持っとき」
佐々木は花の手を取り、無理やり懐刀を握らせた。
佐々木が腰に差している刀の半分もない長さだが、花の手にはひどく重く感じた。
「ほな行くで」
「……はい」
渋々懐刀を持ったまま歩き出す。――大丈夫。持っていても、使わなければいい話だ。
自分に言い聞かせて、顔を上げる。そのとき、前方に見覚えのあるうしろ姿を見つけた。
「あ……芹沢さん?」
声をかけると、男が振り返る。彼は芹沢ではなく、勘定方取締りの平間だった。背格好と髪型がそっくりなので、見間違えてしまったようだ。
「す、すみません。何でもありません」
「誰だ、お前は。汚いなりをしているが、浪士組の者か?」
平間は訝しげな目を花に向ける。
「え、えっと、その……」
「いや、ちゃいます! 以前ちょっとお会いしたことあっただけなんで、気にせんといてください。――ほな!」
うつむきがちに早口で捲くし立てて、佐々木が花を引っ張っていく。ちらりとうしろを振り返ると、平間は不審そうに花たちを見ていたが、追いかけてはこなかった。
「――あほ! 何のために変装した思うてんねん!」
平間の姿が見えなくなるなり、佐々木が振り向いて怒鳴った。
「すみません、つい……。芹沢さん、お梅さんが太兵衛さんに暴力振るわれてるの知ってて、気にしてるみたいでしたし……」
「はあ、芹沢局長が?」
花は頷いて、以前八木邸で芹沢と会ったことを話した。
「あん人はなあ……。俺もそない悪い人やない思うねんけど、いろいろやり方が乱暴すぎなんと、酒飲みすぎなところが残念やんな」
佐々木は壬生浪士組が結成されてから、比較的早い段階で入隊しているため、芹沢とも関わる機会が多かったらしい。
「芹沢局長て後先考えてへんっちゅうか……豪胆や言うやつもおるけど、どっちかて言うと俺には自棄に見えんねん。何に対しても執着せえへん感じやし」
西高瀬川に沿った道を歩きながら、佐々木が話す。花は佐々木の話をどう受け止めたらいいのか分からず、「そうですか」とだけ返して景色に目を向けた。
この時代の壬生村とその周辺は田舎で、建物はほとんどなく、田畑がどこまでも広がっている。よく育った瑞々しい稲が風に吹かれて揺れているのを眺めながら、花は小さくため息をついた。
西陣山名町にある菱屋の前に着くと、花と佐々木はひとまず物陰から店の様子をうかがってみることにした。
しかしそこに思いがけない人の姿を見つけて、花は目を見開く。
「どうして秀二郎さんがここに……?」
秀二郎は何やら太兵衛ともめている様子だ。いつもはなかなか人と視線を合わせようともしないのに、必死で太兵衛に向き合っている。
「――せやから、お梅にはあてから言うて返させて、明日にはそちらはんに届けますさかい」
「い、いえ。だ、大事なもんやさかい、直接返してもらいたいんどす。俺が行きますさかい、お梅はんのいはる場所教えてください……」
粘る秀二郎に、太兵衛は深いため息をついた。
「あんたはん、ええ加減にしてくれまへんか? こない真昼間に押しかけて、店の邪魔やて分からんのどすか」
語気を強めた太兵衛に、秀二郎がたじろぐ。そのまま太兵衛に押し切られてしまうかと思ったが――。
「こ、こっちかて返してもらわれへんで、迷惑しとるんどす。はよ教えてください」
ぐっとこぶしを握り締めて、負けじと太兵衛を睨んだ。状況はいまいち掴めないが、花は秀二郎の勇気に拍手を送りたい気分だった。
「――もう相手しとられへんわ」
太兵衛は吐き捨てるように言って、店の奥へ去ろうとする。花は隣の佐々木に目配せした。
「佐々木さん」
「ああ、行くで。めいっぱいガラ悪うせえや」
「任せてください!」
頷いて、二人で店に乗り込む。菱屋はかなり儲かっているのか、店内は大勢の従業員と品物で溢れていた。
「おい! 菱屋太兵衛はおるか!?」
佐々木がいつもより声を低くして怒鳴る。そのうしろで花も精一杯ガンを飛ばした。
「な、なんやお前ら。どこのもんや?」
太兵衛は花と佐々木を見て、目を白黒させた。気弱そうな秀二郎と違って花たちは怖いのか、先ほどより声に威勢がない。
「お前に話があんねん、ちょっと面貸せや」
「お、おい! 放せ……っ!」
うろたえる太兵衛の肩を抱いて、佐々木は店の隅へと引っ張っていく。そのあいだ花は、二人の傍へ従業員たちを近づけないよう睨みをきかせていた。
「あ……」
呆然として立ち尽くしていた秀二郎が、不意に花の顔を見てはっとしたような顔をした。花が黙っているよう目配せすると、小さく頷く。
「おら、これが念書や。名前書け」
話を終えたらしい佐々木が、太兵衛に紙を渡す。太兵衛は顔を青くして筆を取った。
「――よし、これでええやろ。お梅は俺らが引き取るさかい、二度と手出しするなよ」
満足げな顔で言って、佐々木が振り返る。
「ほな行くで」
「はい、さ――」
名前を呼びかけて、ここは本名を出さない方がいいだろうと思い直した。
「親分!」
花が言った瞬間、佐々木が勢いよく吹き出す。それから誤魔化すように数回咳をして、
「あほ、笑かすな!」
と小声で花を叱った。――親分はやりすぎだったか。兄貴くらいにしておけばよかったかもしれない。
そんなことを考えながら、花は足音を立てて店を出ていく佐々木のあとを追った。
「いやあ、意外にすんなりうまくいきましたね!」
「まあ俺がうまいこと脅したおかげやな」
得意げに佐々木が言う。今日ばかりは花も「よっ、日本一!」とおだてておいた。
梅のことは長い間、しこりのように胸に引っかかっていたが、ようやく解決しそうで気分がいい。
「あの、待ってください!」
二人で意気揚々と歩いていると、あとから秀二郎が走って追いかけてきた。
「秀二郎さん! さっきは黙っててくれてありがとうございました」
「……やっぱり神埼はんやったんどすか」
秀二郎がほっと息を吐く。それからうかがうように佐々木を見た。
「ど、どうも、お久しぶりどす。佐々木はん」
「どうも。さっき太兵衛に言い返しとるとこ見ましたよ。やるやないですか!」
佐々木が上機嫌で秀二郎の背を叩く。秀二郎は数歩よろめいて、曖昧な笑みを浮かべた。
「俺は何もしてまへんよ……。それよりお梅はんのこと、どないしたんどすか?」
「詳しいことはちょっと言えないんですけど、太兵衛さんからお梅さんを解放できたんです」
花が言うと、秀二郎は心底安堵したように顔をほころばせた。
「そうどすか……よかった。実はここ数日、お梅はんが八木邸に来はらんで。どうしても心配なって、それで今日菱屋に行ったんどす」
秀二郎は太兵衛に会って、梅に貸したものがあるから返してもらうために会わせてほしいと嘘をついたのだそうだ。
「せやけどそこまでしても会わせてくれへんて、お梅はんに何かあったんやろか……」
ぽつりと呟くように、佐々木が言う。とたんに秀二郎の表情が曇った。
「――あの、俺もお梅はんとこ一緒に行ってもええどすか?」
少し迷うように目を伏せたのち、秀二郎が尋ねる。特に断る理由もないため花と佐々木は了承して、一緒に太兵衛の妾宅へと歩き出した。
そこへ前方から五、六人の男たちが現れる。金持ちそうな、身なりの綺麗な町人だ。
「わっ!?」
そんな男たちの一人にすれ違いざま肩をぶつけられて、花はバランスを崩して転んだ。
「邪魔だ、小僧!」
汚いものでも見るような目で花を見下ろし、男は言った。謝りもせず去っていく男を睨みつつ、花は砂を払って立ち上がった。
「何あれ、感じ悪いなあ……!」
「糸問屋の大和屋庄兵衛や。あん人評判悪いて聞いとったけど、ほんま根性曲がってんねやな」
「ああ――あの人が」
佐々木の言葉に、以前大坂で凛から聞いた話を思い出す。あんな性格では、凛が嫌うのも当然だ。
――どうか罰が当たって、庄兵衛の頭に鳥の糞でも落ちますように。
心の中で祈ることで、花は苛立つ気持ちをおさめた。
「そ、そないこと言われても困ります!」
妾宅近くまで来ると、悲鳴のような声が聞こえてきた。何事かと走って向かうと、玄関先に末松が立っていて、男二人と押し問答になっているようだった。
「芹沢局長と佐伯はんや」
末松の前に立つ男の顔を見て、佐々木が目を瞬く。
こっそり様子をうかがってみると、二人は梅を妾宅から連れ出そうとしているようだった。秀二郎と同様、八木邸に来なくなった梅を心配して来たのだろうか。
「どうします? 念書を書かせた件、浪士組にばれるとまずいんですよね」
「せやなあ、土方副長にまだ動くなて言われとったわけやし……」
難しい顔で佐々木が腕を組む。そのとき芹沢が懐から何かを取りだした。黒くて細い――扇子だろうか。
それを見たとたん、佐々木は顔をしかめて舌打ちする。
「こんままやと暴力沙汰んなるわ。――しゃあない、行くで」
佐々木が芹沢たちのもとへ走る。花と秀二郎も慌ててそのあとを追った。
「芹沢局長!」
「佐々木と……神崎か?」
芹沢は花たちの変装した姿に怪訝そうな顔をする。
「俺らさっき菱屋の旦那と話つけて、お梅はんのこと引き取りに来たんです」
佐々木はかいつまんでこれまでのいきさつを話した。念書の件は伏せておいたが、芹沢はそのあたりを深く追及することはしなかった。
「そういうことなので、お梅さんを渡してもらえますか?」
「……まあ、旦那はんの許可があるんやったら」
末松は花に頷いて、家の中に入る。しばらくすると、梅が現れた。
以前は着物に隠れていないところはほとんど怪我していなかったが、今は顔や首にもたくさんの傷や痣ができている。これを見せたくなかったため、太兵衛は梅を人に会わせようとしなかったのだろう。
改めて、太兵衛に対する怒りがふつふつと湧いてくる。一発くらい殴っておけばよかったかもしれない。
「はよ荷物まとめて、こないなとこ出て行きまひょ」
佐々木も立腹している様子で、棘のある声で梅を促す。けれど梅はその場を動かず、両手を握り締めてうつむいた。
「お梅さん? 大丈夫ですか……?」
どこか具合が悪いのだろうかと、花は梅の腕に手を伸ばした。
梅はそんな花の手を払いのけて、顔を上げる。
「――余計なことせんとってください」
「え……?」
思いもよらなかった反応に、花たちはあっけにとられた。
「ここ出たら、もう太兵衛に殴られたりせんですむんですよ? せやのに何で……」
うろたえながらも言った佐々木を、梅はきつく睨む。
「うちはそないなこと、頼んだ覚えありまへん。うちのことなんか構わんと、放っといてください」
自分の腕を掴んで、震える声で言う。その姿はどこか怯えているようにも見えた。
「……お前は今の生活に満足しているのか?」
不意に、芹沢が尋ねる。
「このまま一生黙って耐えているだけの人生で、本当にいいのか?」
静かな問いかけに、梅の頬がかっと赤くなった。
「そんなん――ええわけないに決まっとるやないどすか!」
叫んだ瞬間、梅の目から涙が溢れる。
「痛いのは嫌や! 罵られて、言い返せへんのも嫌! 幸せそうにしとる人のこと妬んで、自分の周りのもん全部憎んで、呪って……そない毎日嫌や! うちかてできるもんやったら、誰かのこと大切に想うて、同じように大切に想われて生きたい……っ!」
梅は唇を噛んで、顔を伏せた。
「――せやけど、うちには無理や。十の頃に親に売られて、店でもいびられとって……太兵衛はんに妾にしてもろうて、やっと抜け出せた思うたのに、こない目に遭うて」
梅の足下に、ぱたぱたと雨のように雫が落ちる。
「うちはもう、何かに期待して裏切られるのは嫌や……」
「お梅さん……」
かける言葉が見つからなくて、花はただ立ち尽くして梅を見つめた。
自分とは生きてきた世界があまりにも違っていて、梅の苦しみなどとても想像がつかない。何と言って慰めても、嘘くさく、梅の心には響かない気がした。
静まり返ったなか、梅の嗚咽する声だけが聞こえる。
「……お梅はん。やっぱりここを出まひょ」
それまでずっと黙っていた秀二郎が、梅の前に進み出た。梅がゆっくりと顔を上げる。
「俺、お梅はんがこれから自分の力で生きられるよう、手助けします。お梅はんが苦しかったんは、決められた箱の中でしか生きられへんくて、そやのにそん中で虐げられて生きてきたからやと思うんどす」
一言一言噛み締めるように言って、秀二郎が梅に手を差し出す。
「まだ、諦めんでください。誰かに頼らんでも生きられるようになったら、きっとお梅はんも幸せを掴めるはずどす」
梅は秀二郎の手をじっと見つめた。
きっとこの手を取ることは、梅にとってとても勇気のいることなのだ。
梅は自分の手をぎゅっと握りしめて、何度も迷うように指先を動かして――やがて、一歩足を踏み出すと、ためらいがちに秀二郎の手を取った。
*
「――ほな、お梅はん奪還成功を祝して!」
佐々木がお茶の入った湯呑みを掲げ、花も同じように湯呑みを持ち上げる。
「乾杯!」
ゴツッと重い音を立てて湯呑みをぶつけると、佐々木は訝しげな顔をした。
「なんや? 『かんぱい』て」
「え、言わないですか? お祝いの席でお酒をのむときとか」
自分は二十歳になったばかりなので経験はないが、よく大人たちが飲み会などでビールジョッキ片手に言っているのを見た。
佐々木は「聞いたことないな」と首を傾げる。
「まあええわ。それよりほんまに、うまくいってよかったな」
「そうですね」
佐々木の言葉に満面の笑顔で頷く。
梅を太兵衛の妾宅から連れ出したあと、花と佐々木は壬生寺裏の水茶屋で祝杯をあげていた。ちなみに変装はすでにやめて、二人ともいつもの格好に戻っている。
梅は初め佐々木の恋人であるあぐりの家に預ける予定だったが、秀二郎の勧めでひとまず八木邸に滞在してもらうことにした。芹沢が自分が強引に連れてきたことにすると言ってくれたため、花たちのしたことが土方にばれることもない。太兵衛が今後梅に何かしてこないとも限らないので、花としても屯所で預かることになって安心だと思った。
「そういえば、どうして芹沢さんが扇子みたいなものを出したとき、飛び出していったんですか?」
「ああ、あれは鉄扇やねん。芹沢はんがあれで人のこと殴って怪我させるとこ、よう見たことあったさかい」
それでは芹沢は、佐々木が現れなければ末松を殴って強引に梅を連れていくつもりだったのだろうか。
空気が抜けたように、みるみる気分が萎んでいく。
「……あの、どうして佐々木さんは浪士組にいるんですか? 人を斬ったりすることもあるのに、嫌じゃないんですか?」
「なんや急に?」
不思議そうにする佐々木に、花は以前沖田が人を斬るところを見たことを話した。
「そんなん言うたら俺らかて、お梅はんのこと御番所挟まんと強引に解決したやん。一緒のことや。沖田はんのことは何も責められへん」
あっけらかんと言った佐々木を、花は思わず凝視した。
「何言ってるんですか、全然違いますよ! 私たち、人を傷つけたりしてないじゃないですか!」
「大きさがちゃうだけで、やっとることは同じやろ。それに俺ら、太兵衛に無理やり自白させたろうとか考えたりもしたやん。あれ、お前かて太兵衛に傷一つつけんとできる思うとったわけとちゃうやろ?」
問われた瞬間、まるで頭を思い切り殴られたような気がした。
はっきり何をすると考えていたわけではなかったが、自分も太兵衛がそう簡単に自白すると思っていたわけではない。
――にも関わらず、花は自分が直接手を汚すことは微塵も考えていなかった。
「でも……やっぱり、一緒なんかじゃないですよ……」
人を傷つけることと、命を奪うことを同列に語ることはできないはずだ。
「いや、同じや」
佐々木はきっぱりと花の言葉を否定する。
「せやけど俺は、それでも正しいことしたて思うとる。こん世の中、誰かを傷つけな解決できひんことって、どないしてもある思うねん。またこないなことがあったら、俺はやっぱり同じことするし、場合によっては人も殺す。自分の手汚してでも、俺は自分の正しい思う道を貫きたいんや」
花はうつむいた。
「……私は、そんな風には言えないです」
もしも梅を助けるために太兵衛を拷問する必要があったとして、それを正しいことだと信じて実行することはきっと自分にはできなかった。
現代では人を傷つけたり殺したりすることは悪で、花は何の疑いもなくそれを信じて生きてきた。相手がどんな人間であったとしても、自分が残虐なことをするのには強い抵抗があった。
「なあ、お前の思う正しさって何なん。お前は自分の手さえ汚さんかったらそれでええんか? 虐げられとる人を助けんと、見て見ぬふりすることが正しさなん? お前は一点の曇りもない、真っ白な正しさ以外は認められへんの?」
そんなの――そんなこと、急に言われたって分からない。今まで生きてきて、本当の正しさが、正義が何かなんて、一度も考えたことがなかったのだから。
佐々木は小さく息を吐いて、お茶を一口飲んだ。
「……俺はな、大坂の錺職人の家の次男に生まれたんや」
呟くように言うと、静かに身の上を語り始める。
佐々木の家は裕福ではなく、浪士組に入る前は、このまま実家で兄の仕事を手伝うか、借金をして一から商売を始めてみるか、あてがあれば他家へ養子に出るか――そんな未来しかなかったという。
以前井上も話していたが、この時代は武家も商家もどんな家でも長子相続が原則で、次男以下は厄介者として扱われていたらしい。そのような身分ではもちろん、妻帯もできるわけがない。
「浪士組には不満もあるけど、なんだかんだ俺は入ってよかったて思うてんねん。前までは、俺はこんまま家族に迷惑だけかけて、肩身狭い思いして生きていかなあかんねやろなって思うとったけど、今は俺にも誰かのこと助けたりできるんやって、いろんな可能性見えてきて、急に目の前が開けたみたいで……嬉しいんや」
そう言うと佐々木は、「あと、あぐりとも夫婦になれるしな」と笑った。つられたように、花の顔にも笑みが浮かぶ。
「今度お前にも、あぐりのこと紹介したるわ」
「いいんですか?」
「ああ。ほんっまに別嬪やからな。目ん玉飛び出んよう気ぃつけや」
佐々木のこの惚気っぷりには、花も思わず声を出して笑った。




