二
「わっ!?」
不意に暖かくて硬い『何か』にぶつかる。そしてそのまま、その『何か』を下敷きに倒れ込んだ。
「いったあ……」
顔を歪めながら目を開けると、まぶしい光が飛び込んできた。車のヘッドライトかと思ったが、明るさに目が慣れてきたところで違うと気づいた。
車も道路もない。花はなぜか明るい太陽の光が降り注ぐ庭の縁側にいた。
「……へ?」
混乱してきょろきょろと辺りを見回す。
広いもののあまり整えられていない様子の庭に、木造らしき趣のある日本家屋……。全くもって見覚えのない場所だ。
一向に状況を掴めず首を傾げていると、身体の下からくぐもった声が聞こえてくる。
「誰か知らんけど、はよどいてくれません?」
苦し……と続いた声に視線を落とすと、着物を着た男がうつ伏せになって倒れていた。
あろうことか、自分は男の背中の上にどっかりと座りこんでいたのだ。
「す、すみません! 怪我はありませんか?」
男の上から飛び退き、彼が身体を起こすのを手伝う。
「大丈夫やけど……」
男は顔を上げると怪訝そうな顔で花を見た。なんとなく、花も男を見つめる。
歳は二十代後半くらいだろうか。古風なことに着物を着ている。しかし、落ち着いた彼の雰囲気に着物姿はよく似合っていた。うしろで一つに纏めた髪も男にしては長いと思うが、特に違和感もなくしっくりと馴染んでいる。
「――って、そんなこと考えてる場合じゃなかった!」
突然頭を抱えて立ち上がった花に、男が驚いたように肩を揺らす。男の目は明らかに不審者を見るような目つきに変わっていたが、花はそれどころではない。
何が何だか分からないこの状況下で、ある一つの重大な事実に気づいたのだ。それは今が日のすっかり昇った時間であること――つまりは自分が出勤時間に遅刻しているということだ。
仁王像かとつっこみたくなるほど怖い顔で怒る料理長の顔を思い出し、花は青ざめた。
「あの、本当にすみませんでした。このお詫びはいつか必ずいたしますので」
「え、ちょい待ち――」
男の呼び止める声が聞こえたが、それどころではない花は庭に下りて走り出した。
料理人の下っ端は先輩たちが出勤する前に、下ごしらえなどを全て済ませておかなければならない。遅刻など言語道断だ。
少しすると、運よく出口らしき立派な門が見えてくる。しかし、一歩外に足を踏み出した花は、目を見開いて立ち止まった。
「何……これ……」
門を出た先に続いていたのは、見慣れたコンクリートの道ではなく砂利道で、目の前には青々とした田畑が広がっていた。
こめかみから汗が伝い落ちる。全身が熱く、汗ばんでいた。
――どうして?
今は一月で、まだ寒い季節なはずだ。それなのになぜ、照りつける日差しはこんなにも強く、暑いのだろう。
まさか車にぶつかりそうになったあの瞬間から、季節が変わるほど時間がたっていて、自分はその間の記憶をなくしてしまったのだろうか。
慌ててポケットからスマートフォンを取り出す。二〇××年一月十四日――日付は変わっていない。ついでに圏外であることにも気が付いた。
一体何が起きているのだろう。蒸した空気のせいか、息苦しくてめまいがする。
一度リュックを下ろすと、着ていたコートを脱いでカットソーの袖を捲った。少しだけ呼吸が楽になった気がして、大きく深呼吸する。
とにかく、桔梗を目指そう。三上さんか料理長か……この際、迫田さんでもいい。桔梗へ行って知り合いに会うことができれば、何か分かるだろう。
花は強く両手を握り締めて歩き出した。
黙々と歩いていると、やがて遠くに町並みらしきものが見えてくる。花は思わずほっと息を吐いた。町に着きさえすれば、道は大体分かるし何とかなるだろう。
少し元気になって、早足で歩き始める。
しかし、しばらくしてたどり着いた町は、花の期待をあっさりと打ち砕いた。
舗装されていない道、木造ばかりの建物。行きかう人はみな着物を着ていて、さらには腰に刀を差している人までいる。
あの刀、本物じゃないよね……?
心の中でそう思いながらも、花の両手は小さく震えていた。じわじわと、潮が満ちるように不安が募る。
ここはどこなのだろう。周囲の建物に備わっている犬矢来や虫籠窓といったものは、京町家の特徴だ。しかし花の知る京都の町並みとは明らかに様相が異なる。
車や電柱、コンクリートでできた建物といった、現代的なものが何一つないのだ。まるで――過去にタイムスリップでもしたみたいに。
「……まさか」
タイムスリップなんて、物語の中にしか存在しないものだ。そんなもの、ありえない。花は切り替えるように首を振った。
これは……そう、きっと大掛かりなドッキリか何かなのだ。桔梗にたどり着いたら、きっと先輩たちが引っかかったと笑いながら自分を出迎えるのだろう。
矛盾や疑問には全て蓋をして、無理やりそう自分に言い聞かせると、花は見慣れない町の中を歩き出した。
「なんや、あのけったいな格好」
ふと聞こえた声に立ち止まる。辺りを見渡して、そこでようやく周囲から自分が好奇の目で見られていることに気づいた。
花はボーダーのカットソーにジーンズ、スニーカーというごくごく普通の格好をしている。しかし着物を着た人間ばかりのこの町では、明らかに浮いて見えた。
ひそひそとこちらを見ながら話す人々の視線が痛い。
だが、好奇の目も喋り声も、人混みの中で発せられた誰かの一声でぴたりと止んだ。
「見ろ、ミブロが来るで!」
何事かと声のした方に目を向ける。少し間を置いて、数人がこちらに向かって歩いて来るような、力強い足音が聞こえてきた。
さあっと波が引くように、周囲にいた人たちが道を開ける。
しかし花は立ち尽くしたまま、その場を動くことができなかった。
大小を腰に差し、袖にだんだら模様の入った浅葱色の羽織りを羽織った男たち。歴史に詳しくない花も、時代劇や大河ドラマで見てその姿を知っていた。
「新選組……?」
思わずぽつりと呟いて、すぐに自分でその考えを打ち消した。彼らが新選組だとすれば、ここは江戸時代だということになる。まさか、そんなことがあるはずない。
考えていると、新選組の格好をした男たちの先頭に立つ青年と目が合った。
気づけば周囲の人たちはみな道の脇に避けていて、花だけが彼らの進路を遮っていたのだ。慌てて他の人にならって、自分も脇に避けようとする。
「待ちなさい」
ところがそれよりも速く、青年が刀の切っ先をぴたりと花の喉笛に当てた。反射的に、息をのんで固まる。……いつの間に抜いたのだろう。
「そこから一歩でも動くと、命はありませんよ」
青年の言葉に、そっと視線だけ動かして刀を見る。花は自分の頭から、血の気の引く音が聞こえた気がした。この刀は、本物だ。
仕事柄、四六時中刃物を扱っているため、鈍く光るその刃が偽物でないことを、花は瞬時に理解した。おそるおそる、青年を見上げる。
青年は中性的な美しい顔立ちをしていたが、対してその表情は冷たい。まるで、人を殺すのに躊躇などしないと言っているかのようだ。
ぞくりと背筋に悪寒が走る。
「やめなよ、総司。女子相手にそこまでする必要ないでしょ」
花が固まったまま動けないでいると、黒目がちの大きな目が印象的な、背の低い青年がこちらに近づいてきた。
「不審な人に、男も女もありませんよ」
「それは確かにそうだけど……。害意はなさそうだし、それに丸腰の女の子に刀向けるなんて外聞が悪いよ」
「…………分かりました」
総司と呼ばれた青年が、渋々といった風に刀を下ろす。しかし、下ろした刀を鞘に納めることはなく、警戒した目は花を睨んだままだ。
その様子を仕方なさそうに見た後、背の低い青年は人懐こそうな笑みを浮かべて花に向き直った。
「こんにちは。俺は京都守護職御預かり壬生浪士組副長助勤の藤堂平助。で、こっちは同じく副長助勤の 沖田総司。きみ、珍妙な着物を着てるけど、どこから来たの? 名前は?」
「あ……私は、神崎花です」
藤堂の笑みに、いくらか平静を取り戻した花は、なんとか声を発した。
「桔梗っていう料亭で、料理人をしています……」
小さな声でそう続けて、うつむく。今、藤堂は確かに京都と言ったが、花の住んでいた京都とここは違う。本物の刀を持ち歩く人なんて、現代にはいない。
もしかして、自分は本当にタイムスリップしてしまったのだろうか。
信じられない気持ちはまだある。だがその一方で、タイムスリップしたのだとすると、全て説明がつくとも思った。
「桔梗ね……。聞いたことないですけど、本当にあるんですか? そんな店」
沖田が冷ややかな声で尋ねる。
「あります」
「へえ? それじゃあ連れていってくださいよ」
「それは……無理です」
「なぜですか?」
「――私、迷子になったみたいで、どこにお店があるか分からないんです」
嘘は言っていない。広義には今の状況も迷子と言えるだろう。顔を上げ、まっすぐに沖田を見る。
沖田はそんな花に対して、にっこりという音が聞こえてきそうなほど、いい笑顔で笑った。
「それじゃあ話になりませんね。とりあえず、屯所まで同行していただきましょう」
花は思わず後ずさるが、
「ちなみに逃げた場合は敵と認めて斬りますから、覚悟して逃げてくださいね?」
という言葉で思いとどまった。彼に背を向けたら、その瞬間に殺される。本能がそう自分に告げていた。
「山野さん、家木さん、お願いします」
「わっ、ちょっと、離してください!」
花は沖田に命じられた隊士たちによって、捕らえられてしまった。両腕を掴まれ、ずるずると引きずられながら、どこかへと連れていかれる。
新選組について決して詳しいわけではないが、先ほどの沖田の様子からして悪い予感しかしない。
「や、やだっ! 誰か助けて!」
めいっぱい声を張り上げて助けを求める。
だが周りの人々は、よほど関わりたくないのか、みな一様に聞こえないふりを決めこんでいた。
しばらくして着いたのは、町から数キロほど離れた農村地帯にある大きな屋敷だった。どこか、見覚えがある気がする。
花は嫌な予感がしつつも、隊士たちに追い立てられるようにして門をくぐった。そこで目にした光景に、思わずため息をつく。
屋敷は最初に花が落ちてきた場所だった。
「何この振り出しに戻った感じ……」
半べそをかいていると、屋敷の中から足音が聞こえ、誰かがやってくる。
「何や騒がしいですけど、どないしまし――あ」
「あなた!」
玄関に現れたのは、ここで花が最初に会った男だった。
「あれ? 山崎さんお知り合いですか?」
「いえ、ちが――」
「そ、そう、知り合いなんです! もうすっごく仲良し! ですよね!?」
山崎と呼ばれた男が答える前に、矢継ぎ早に言う。ここで不審な人間でないと証言してもらえれば、逃がしてもらえるかもしれない。花は話を合わせてくれと必死に目で訴えた。
しかし山崎はそんな花には目もくれず、迷いなくきっぱりと答える。
「いえ、さっき屯所で見かけた不審者です」
ひどい。これが血の通った人間のすることか。
「へえ、屯所にも忍び込んでたんですね。これはますます怪しいなあ」
容赦ない山崎の一言で、花の疑いはより深くなった。不敵な笑みを浮かべる沖田は、最早どこか楽しそうだ。
決して、忍び込んでいたわけではない。そう言いたいが、ではどうしてここにいたのかと問われれば、どのみち答えられない。花は喉元まで出かかった言葉をぐっとのみ込んだ。
「とりあえず、こちらに来てください。あ、証人として山崎さんも来ていただけますか?」
「はい」
真面目な顔で山崎は頷き、花を引っ立てていく沖田のうしろをついてくる。
この人、絶対許さない。
勝手に裏切られた気でいる花は、歩きながら呪い殺さんばかりの目で山崎を睨んでいた。
花が連れていかれたのは、十畳ほどの客間だった。てっきり牢屋にでもぶち込まれるのだと思っていたので、少し安堵する。
山崎と沖田に挟まれ、座って待つこと五分ほど。玄関先で「副長たちを呼んでくる」と言って別れた藤堂が、二人の男を連れてきた。
二人とも歳は三十手前くらいに見える。一人は役者かと思うほど整った顔をしていて、もう一人は色白で優しげな顔立ちをしている。
二人は花の正面に座り、藤堂は沖田の隣にちょこんと座った。
「そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ。藤堂くんから話を聞きましたが、何も悪いことはしていないのです。すぐ家に帰れますよ」
まず初めに口を開いたのは、色白な男の方だった。人の良さそうな笑みを浮かべるその姿に、もしかするとそんなに身構える必要はないのかもしれないと気を緩める。
すると、もう一人の男が眉をひそめて口を開いた。
「しかし、山南さん。こいつ屯所にも忍び込んでたっていうじゃないですか」
「別に忍び込んでいたわけでは――」
「お前は黙ってろ! 俺は今、山南さんと話してんだよ!」
口を挟んだ花を、男は目を吊り上げて一喝する。その形相のあまりの恐ろしさに、花は震え上がった。
「す、すみませんでした」
「まあまあ土方くん、そんなに怒らないで。ほら、怖がってるじゃあないか」
「あんたは甘いんだよ。こういう小さい取り調べからきつくやんねえと、示しがつかねえだろ」
どうやら整った顔の男は土方、色白な男の方は山南という名前らしい。仏頂面を浮かべる土方に対し、山南は困ったように頭を掻いている。
「騒がしいが、どうかしたのか?」
そのとき、廊下から声が聞こえた。見ると、いかにも体育会系といった見た目のごつい男が部屋に入ってくるところだった。
「取り調べ中だが、わざわざあんたが出てこなくても……」
「まあいいだろう。ここ最近、報告書だ何だと机に向かう仕事ばかりだったんだ。気分転換に手伝わせてくれ」
土方に言って、男は花の前に座った。気さくな雰囲気の男だが、はたして彼が取り調べに加わることが自分にとって吉と出るか、凶と出るか……。
山南から、花が連れて来られたいきさつを聞いている様子を、うかがうように見つめる。
話を聞き終えると、男は大きな口でにかっと笑った。
「とりあえずは自己紹介といこうか。私は壬生浪士組の局長、近藤勇と申す者だ」
「みぶ、ろうしぐみ……?」
新選組ではないのか、と花は首を傾げた。
そういえば先ほど、藤堂も壬生浪士組と言っていたが、どういうことなのだろう。あの浅葱色にだんだら模様の羽織りは、確かに新選組のものなはずだ。それに、新選組の局長も近藤勇とかいう名前だった気がする。
「おや、知らないのか。京ではそこそこ名が知られてきたと思っていたのだが……」
「この女が無知なだけですよ。近藤先生」
棘のある言葉に少しむっとして、隣の沖田を見る。沖田はさっきまでの冷酷さや意地の悪さはどこへやら、まるで無邪気な子どものような顔で笑っていた。
「総司、あまり失礼なことを言ってはいかんぞ」
「はあい。すみません」
可愛らしく萎れてみせる沖田をじっと見つめる。
「……なんですか?」
花の視線に気づいて、沖田が顔を向けた。その表情は冷めきっていて、思わず頬をひきつらせる。
どうやら沖田は、この近藤という男に対しては猫を被っているようだ。
「総司がすまなかったね。きみ――ああ、そうだ。まずはきみの名を聞いてもよいかな?」
近藤に尋ねられ、慌てて居住まいを正す。
「神崎花です。料理人をしています」
花が言った瞬間、土方が嘲るように笑った。
「はっ、料理人だあ? んな珍妙な格好した料理人がいるわけねえだろ。見え透いた嘘ついてんじゃねえよ」
「……チンピラかよ」
土方の態度に思わずうつむき、小声で呟く。
「平助、それはこの女の持ち物か?」
幸い聞こえなかった様子で、土方が藤堂に聞いた。藤堂の脇には、花から没収したリュックとコートがある。
「うん。何か入ってるみたいだけど、まだ中は調べてないよ」
言いながら、藤堂が土方にリュックを手渡す。
「……何だこりゃ?」
「リュックっていう、荷物を入れるためのものです。チャック……ええと、その茶色の革ひもをつまんで横に引っ張ったら開きます」
「はあ……? 着てるもんもそうだが、お前こんな妙な品どこで手に入れたんだ」
土方は顔をしかめてリュックの中身を調べ始める。その横で近藤も興味深そうに土方の手元を覗き込んだ。
「この布は何だ?」
「それは料理をするときに着る服です。そっちの細い布はネクタイって言って、首に巻いて使います」
「ふむ。ではこれは?」
「料理をするときに頭に被るものです。髪の毛とか入るといけないので」
調理服と帽子を持って尋ねた近藤に、丁寧に答える。しかし土方は苛立ったようにリュックを畳に叩きつけた。
「てめえはまだ料理人だって言い張るのか! いい加減、正直に吐きやがれ!」
「私、嘘なんて――」
「ああ? お前死にてえのか」
鋭い目つきですごまれ、ぐっと言葉をのむ。土方は花が料理人だと認める気が一切ないようだ。
花は土方に訴えるのを諦め、近藤に向き直ると身を乗り出した。
「本当なんです! 私、桔梗っていう料亭で働いていて……。ただ、事故に遭って頭を強く打ったみたいで、自分でもよく分からないんですけど、気がついたらここにいたんです」
「なるほど、不思議なこともあるものだなあ。ちなみにその桔梗とやらは京にあるのか? それなら調べれば分かるだろうが」
「その……それも、分からなくて」
「では、家の場所や身内の住まいは?」
「分かりません……」
「それは記憶が無いということですか?」
山南に尋ねられ、何と答えればいいのか分からずうつむく。
タイムスリップしたかもしれないなんて、言っても信じてもらえるとは思えない。この状況をどう説明すればいいのだろう。
黙り込んでいると、山南はそれを肯定と受け取ったらしく、花に同情の目を向けた。
「そうでしたか……それは大変でしたね」
「狐にでも化かされたのだろうか? 若い娘さんが、気の毒なことだ」
「おい、まさかこいつの言うことを信じる気か?」
理解できないという顔で土方が近藤と山南を見る。
「屯所に忍び込んでたくらいだ。どうせ素性にやましいところがあるから言いたくねえだけだろう」
「ち、違います!」
「ほら、本人も違うと言っているじゃないか」
「あんたはこいつが鶏の卵から生まれたっつったら、それも信じるのか!? ちったあ人を疑うことも覚えろ」
土方が眉間に皺を寄せて近藤に言う。近藤の方が立場的には偉いはずなのに、ひどい口のききようだ。
「しかし、屯所で何か悪事を働く気だったなら、わざわざこんな目立つ格好はしないんじゃないか?」
苦笑しつつ、山南が首を傾げてみせる。一理あると思ったのか、土方は苦い顔で押し黙った。
「そうだ、歳! それならこうしよう!」
突然、近藤が何か思いついた様子で膝を打つ。
「……嫌な予感がするのは俺だけか」
土方がぼそりと呟いたが、近藤は全く意に介していない様子で破顔した。
「神崎くんの料理を実際に食してみて、料理人かどうか確かめようじゃないか!」
「はああ!?」
「な、何を仰るんですか!」
近藤の提案に、土方と沖田が同時に声を上げた。
「近藤さん、怪しいって捕まえてきた人の飯を食べるって、それはさすがに危険なんじゃあ……」
藤堂も控えめながら反論する。沖田は同意するように大きく頷いた。
「そうですよ、毒でも入れられたらどうするんですか!」
「――毒?」
聞き捨てならない言葉に、花はきっと目を剥いた。
「私は料理人です! たとえ殺すって言われたって、絶対に料理に毒なんて入れません!」
勢いよく立ち上がると、仁王立ちで言い切る。
沖田は一瞬面食らったような顔をしたあと、「へえ」と呟いた。
「意気地なしかと思いきや、意外と骨がありそうじゃないですか。……ねえ土方さん、この人に何か作らせてみましょうよ」
「お前まで何言い出すんだ。こんな珍妙な女が料理人なわけねえだろ」
「まあそう頑なにならないで、一度くらい機会を与えてもいいでしょう? 減るものでもなし」
「総司の言う通りだ。食事を作ってもらうだけなら、こちらに不利益はない」
沖田と近藤の言葉に、土方は頭が痛そうにこめかみを押さえる。
「二人とも、言い出すと本当人の言うこと聞かねえんだから……」
「こうなったら二人のさせたいようにするのが一番早いよ。それに、私も彼女の作る料理に興味がある」
駄目押しのように山南が言う。土方は深いため息をつくと、眉根を寄せて口を開いた。
「ったく、仕方ねえな。――お前、神崎っつったな」
「は、はい」
「今晩の飯はお前が作れ。隊士たち全員の分だぞ、分かったな。あと、総司。お前こいつの監視についとけ」
「ええ、なんで私が!?」
心底面倒そうな顔で沖田が声を上げる。
土方は、「当たり前だろ。お前が拾ってきたんだから、お前が面倒見ろ」と素っ気なく返した。おそらく近藤の肩を持った沖田への、嫌がらせという面もあったのだろう。
「じゃ、あとは任せたからな」
勝気な笑みを浮かべて言うと、土方は近藤と山南と連れだって部屋を出ていった。
「……あっ、そういえば俺、山南さんに本返さないといけないんだったー」
一瞬の沈黙のあと、藤堂が恐ろしいほどの棒読みで言った。
「じゃあ、大変だろうけど頑張ってね、総司! 神崎さんも、夕餉楽しみにしてるから!」
早口でそうまくし立てると、逃げるように部屋を出ていく。
ちらりと山崎の方をうかがうと、ちょうど立ち上がろうと腰を上げたところだった。――しかし。
「では、私もこれで失礼」
不意に沖田が言って、すっくと立ち上がる。それを見た山崎は「えっ」と声を上げた。
「せやけど沖田はん、土方副長に頼まれた監視は――」
「ああああ!」
突如沖田が山崎の言葉を遮り、お腹を押さえて叫び出す。
「どうしましょう、突然差し込みが! ということで山崎さん、あとのことは頼みました!」
一息で言うと、沖田はとても腹痛の人とは思えぬスピードで走り去っていく。部屋には山崎と花の二人だけが残された。
どうやら沖田に仕事を押し付けられたらしい山崎は、眉間に皺を寄せて沖田の出ていった障子を見つめている。
「あのー……山崎さん?」
おそるおそる声をかける。山崎はため息をつくと、花のリュックとコートを持って立ち上がった。
「しゃあないな。台所まで案内したるさかい、ついてき」
「はい」
ほっとして、歩き出した山崎のあとを追う。
沖田のように二面性のある物騒な人間の隣で料理をするなど願い下げだったので、正直なところ監視が山崎に代わってよかった。