七話
ユレンが八歳になった夏。
いつも通り畑仕事をしているユレンだったが、その様子はどこかおかしい。
なにかを見つめるように視線を向けたり、急にボーッと空を見つめたりと、心ここにあらずといった様子であった。
一緒に仕事をしている老人達もそんなユレンを、どこか心配そうに見ていた。
「……ユレンくん、今日はもう帰ったほうが……いつもと様子が違うし、ユーリちゃんのとこにいた方がええんじゃないか?」
「いえいえ、そんな!仕事を放棄するなんて……俺にはできません!それに、俺が家にいたところで何もできませんし……」
老人たちの言葉にそう返しながらも仕事に身が入っていないユレン。老人たちはそんなユレンが気になって仕方がなかった。
なぜこんなにも、ユレンの様子がおかしいのか。というのも、今日の早朝からユーリの陣痛が始まったのだ。
それは運悪くユーリが外に出ているときで、ユーリの唸り声に二人が気づいたときには、ユーリ一人では立ち上がれない状況だった。すぐにレントはユーリを担ぎ家に入れ、一目散に村唯一の医者目指して走った。その際ユレンも、妊娠経験のある女性を村中から呼び回り、キレイな布やお湯を準備するなど出産に備えたのだった。
女性たちを呼び、忙しそうに動きまわる女性と苦しそうに汗を流すユーリを心配そうに見て待っていると、どこかで転んだのか汚れ汗だらけになったレントが医者を連れ、転がり込むように家に入ってきた。
しかし、レントを見た女性たちに『汗と土まみれだから出ていって!菌が入ったらどうするの!』と叫ばれ、なぜかユレンも家の中から追い出されてしまった。
ユレンはそのまま仕事に向かい、レントは体を清潔にし家でユーリの側にいることにしたのだった。
そんな朝だったため、ユレンの内心は緊張と不安でいっぱいだった。過去の出産のことを考えるだけで色んな心配が頭に浮かぶ。なにもできず、ただただ祈ることしかできない自分が悔しかった。回復魔法が使えれば話は違っていたが、生憎と適性があるかすらわからないため使えない。この村唯一の医者を信じる他なかった。
「……ん?誰か来てるぞ。おーい!どうしたー!」
そんな時、遠くから一人の女性が大きく手を振り、何か叫び走ってくるのをユレンたちは見つけた。
「なんじゃ、ありゃ?」
不思議そうな顔をしているユレンと老人たちは、近づいてきた女性を迎えようと集まる。女性は肩で息をし、タエタエになりながらも口を開く。
「ユ、ユレンくん、ユレンくん!今出産が、終わって、ユーリ、さんが――――」
女性の言葉を聞いた途端、ユレンは全て言い終わる前にはもう鍬を投げ捨てて、その場を駆け出していった。老人たちはすぐに見えなくなるユレンを見て、ポカンと口をあけるもユレンをすぐに笑顔を浮かべ送り出した。
――――――――
「―――はぁ、はぁ、はぁ」
一目散にユレンは走る。ユレンがいつも仕事をしている畑から家まではそこそこ距離があった。ユレンはいつもならばあっという間に終わる道のりが長く、まるでどこまでも続くように思えた。畑仕事をしているとはいえ、八歳児の体力はそれほど多くはない。走って五分もせずに息は上がり、速度も落ちてきた。
「もっと……速く……」
ユレンは自分でも気づかない内に体から魔力を引き出す。未だ少なく質も劣っているが絞り出すように。
「速く……走れぇぇぇ!!!!」
叫び、響く。自分を鼓舞しながら全力疾走を続けるユレン。早く安全を確認したい、その一心でユレンは走った。走り続けた。
そのとき、突然ユレンの体が風で包まれる。温かな夏風、柔らかな風。前に足を踏み出した次の瞬間、強い突風が起こったかのようにユレンの体が前に加速した。
「――――うわああっ!!!」
突然の突風によりユレンの足が地面から離れると、吹き飛ばされるように前へ体が飛んでいった。
「―――ぅぁぁぁアアアアアアアアア!!!!!」
景色は勢いよく回り、一瞬で流れていく。ごっそりと減った自分の魔力と速度に恐怖するが、自分が今どのように進んでいるのかさえユレンにはわからなかった。
「止まらな――――――」
止まることができずユレンは大きな音を立てて何かに激突した。体を覆っていた風は嘘のように止み、辺りにはかすかに微風が吹くのだった。
目が回り世界が歪む。ユレンはふらつきながら上体を起こすと、いつの間にか自宅に着いていることに気がついた。ユレンがぶつかったのは高く積み上げられた薪の山だったのか、地面はぶつかった拍子に撒き散らされたであろう薪で埋め尽くされていた。
「―――――なんだ!?何の音だ!」
ユレンがぶつかった音に反応したのか、わらわらと家の中から人が現れ、そこにはレントの姿もあった。ユレンは散らばった薪の中から飛び出し、人混みに突撃していく。身構えるレントであったが、飛び込んできたのがボロボロになったユレンであるのに気づくと驚きで目を瞬く。
「―――――父さん!母さんとお腹の赤ちゃんは!?」
「ユ、ユレン!?今呼びに行かせたばかりなのに一体どうやって……いくらなんでも速すぎないか!?」
「そんなこと……今は、いいよ……それよりも」
ユレンは人を掻き分けて、家の中に入っていく。中を見渡すとそこには、慈母のごとく微笑んで何かを見つめるユーリと、大切そうに布で包まれ泣いている小さな赤子がいた。ユレンの姿を見たユーリは驚くのもつかの間、微笑み手招きをしユレンを呼び寄せる。
「母さん……!よかった……無事に終えたんだ!」
「もうユレン、いつになく慌てちゃって。……ほら見て、かわいいでしょ?女の子なの、私そっくりで美人になるわ」
ユーリは自慢するようにユレンへ赤子を見せつける。ユレンは苦笑するも、生まれたばかりの赤子は確かにユーリに似ていた。
「うん、かわいいよ。……それでこの子の名前は?」
ユレンは心臓を大きく鳴らしながら、ユーリの言葉を待った。まだ生まれたばかりの赤子の眠る姿は、儚く今にも死んでしまいそうなほど弱々しいかった。しかし、大きな泣き声によってそこにある確かな生命を感じることができた。
「―――この子の名前はナツ。夏の太陽のように、みんなを照らす満点の笑顔が似合う人になってほしいからナツ。どう?」
「ナツ、ナツか……いい名前だね。ナツ、お兄ちゃんだよわかるか?」
ユレンはナツに触ろうと手を伸ばすが、汚れた自分の手のひらに気づくと手を引っ込める。体を見ると土と怪我と青傷だらけでボロボロだったことにユレンは気づいた。外にいたレントたちも中に入ってくるがユレンの姿をみてぎょっと目を剥く。
「ユレン!お前、全身ボロボロじゃないか!?顔まで擦り傷だらけだし、服もこんなに……!!」
「ご、ごめん父さん……。早くここに来たくて走ってたんだけど……急に突風に押されたみたいに体が前に飛んで、勢いが強すぎて止まることもできなかった。それで最後は積んであった薪の山にぶつかって……」
ユレンがそう言うと、横にいた医者が驚いたように目を開きユレンを見つめる。
「そりゃたまげた!ユレンくん、それ多分移動系風魔法の加速だよ!八歳児で、しかも初級魔法を使えるなんて……初めて聞いたなぁ」
「初級魔法!?お前それいつ習ったんだ!」
「習ってなんていないよ!……ただ早く着きたい一心で走ってたらこうなってたんだよ」
少し興奮したように大きな声を上げ話す三人。しかしその声量のせいか、生まれたばかりの赤子がさらに大きく泣き出す。周りにいた女性たちはユレン達の方へ睨み付けるように視線を向け、ユーリはまなじりを上げ、口を開く。
「ちょっと三人とも!うるさくするなら出ていって、赤ちゃんがびっくりしたでしょ!」
「「「す、すみませんっ!!!」」」
ユーリと女性たちの鬼のような形相に、勢いよく尻尾を巻いて外に出る男三人。三人は追い出されると音を鳴らし閉められた扉を悲しげに見つめる。レントはため息をつきユレンにジロリと目を向ける。
「……とりあえず体を洗え。俺は薪を片付ける。先生、悪いんですがユレンの手当てをしてもらっていいですか?」
「はぁ……わかりました。ユレンくん、とりあえず、服ここで脱いじゃって」
「はい……」
ユレンは服を脱ぎ、自らの体を眺める。興奮していたせいか、今頃痛みが出始めユレンの顔は苦痛に歪む。しかし、無事に出産も終わり朝から続いていた不安はなくなるのだった。
――――――――
身体中を包帯で包んだユレンは今度こそナツを抱き大切そうに眺める。そこには初めて兄弟ができた喜び、ナツの体の暖かさによる驚きなど様々な思いがあった。
(暖かいしずっしりと重い……。この子は一人じゃなにもできない赤子で、守らなきゃいけない。……この世界に生まれてよかった、きっとこの世界ならこの子を守れる)
安心したように寝ているナツを見てユレンは微笑み、決して離れることがないように優しく抱きしめる。
「……俺、ナツを守れるように頑張るよ」
「あぁ、そうだな……俺も頑張らなきゃだな。お前だけには任せないさ、俺たち二人で守ろうユレン」
男二人はナツの姿を見て心に固く誓う。この世界に神がいるのならこの子に健やかな成長と、幸せを与えてほしいとユレンは祈った。ユレンはこの世界に来て、初めて心から神に祈ることができたのだった。そんな二人の姿を見てユーリは、少し不満げに口を尖らせた。
「あら、私を守る人はいないのね。悲しいわ」
泣く真似をするユーリに、二人は慌てて言葉を補う。そんな三人を見て周りにいた人たちも和むように笑う。
三人、いや四人にとって、今が人生の最高潮であった。新たなる家族の誕生。そして、心に誓った強い決意。ユレンの中に確かに強い意思が生まれる。
夏の日差しが絶えることなく地上を照らす。それは誰にでも、平等に。
昼がきて、太陽が万人を照らすこともあれば、夜がきて闇が万人を呑みこむのもすべての人に平等に起こり得ることであった。
これから起こる全ては、決まっていたことなのだ。