表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
荒次郎がいく  作者:
1/8

序章

令和2年8月、真夏の暑い日に、

盆休みを利用して俺達家族は、

神奈川県三浦市に有る

油壷マリンパークの駐車場にいる。


「曾じいちゃん、100歳の百寿祝い、水族館で良いの」


「儂は、油壷マリンパークへ行けと、言っただけで

 水族館に行きたいとは、言ってはおらんよ、荒次郎

 どうしても、お前と此処に、来たかったんじゃ」


と、車を降りると

100歳とは思えない、矍鑠かくしゃくとした歩きで

東側の森の中へ歩みを進め

とある石碑の前で立ち止まった。


「新井城跡・・・で、隣りに有る墓は

 儂らの先祖の墓で、お前の名前の由来だよ」


と、独り言の様な口調で語り始めた。


永正13年(1516年)8月、

伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ

三浦義同(道寸)・義意父子は

此処、新井城にて、3年間籠城するも落城。

義同は、腹を十字状に切腹して自害

子の義意(通称:荒次郎)は、家臣共々討ち死にし、

名族相模守護(?守護代)である、相模三浦氏一族は滅亡。

その際、湾一面の海が人の血に染り、油を流した様に成った事から

この辺りの地名が、油壷と云う様に成ったそうだ。


義意は武勇に優れた偉丈夫で、八十五人力の剛士の異名を持ち

背丈は7尺5寸(227センチ)

最期の合戦で、身に着けた鎧の鉄札の厚さが2分(6センチ)、

1丈2寸(364センチ)の、金砕棒を持って戦い、

敵の兜の頭上を打つと、粉々に成って胴に達し、

横に払うと、一振りで10人を、押し潰し、

500余名を、撃ち殺した後に、一旦城へ戻り

妻である、真里谷武田家の娘に

自分の嫡男を托して、落ち延びさせてから、城にて自害して果て、

非業の死を遂げた。


「その末裔が、儂達だよ。

 お前の名前も、立派な先祖から頂いたと云う訳さ。

 だから、冥土に行く前に、

 親族に先祖の歴史を、語って於きたかったのじゃよ。

 そして、義意が死んだのが21歳という若さで・・・」


「ちょ、ちょっと待ってよ、曾じいちゃん

 そんなに、若死にした人の名前を付ける何て酷いよ

 幾ら凄い人だから、と云って!」


「そうですよ、荒次郎の言う通り!

 貴方が息子や、

 亡くなった孫夫婦の、反対を押し切ってまで

 強引に付けたのよ、由緒正しい名前だからと・・・」


「お父さん。

 今の話、初めて聞きましたが、本当なんですか?

 孫の、名前の付け方と云い、先祖の事と云い・・・」


「今、ネットで検索したけど、

 曾じいちゃんが、言ってる事と、何か違うけど

 本当なの、此の人達が、先祖って?」

 

その場に居た、俺も含め、

曾ばあさんや、祖父母から批判を受け


「むむ、正確に、

 先祖の事を、伝えた置こうと思って、

 連れて来て批難されるとは、何が、駄目なんじゃ

 立派な先祖様じゃないか、

 歴史上の人物の、子孫なのじゃよ」


と、曾爺さんは、油紙に包まれた、物凄く古い一枚の

手紙らしき書状を、懐から出し

先程、疑問を、投げかけていた、祖父へ渡した。


其処には、真里亜武田家当主宛で、娘をお返しする旨

また、三浦氏の直系の嫡男を宜しく頼む、旨が記され

最後に

三浦陸奥守道寸花押

三浦弾正小弼義意花押

と記載されていた。

(古文書なので祖父が訳して呉れたが)


「本当なんだね、お父さん。

 何で、今迄隠していたの

 隠さなくても、良い話だよね」


「ああ、別に隠さなくても、良い時代に成ったが・・・

 正確には、戦後、華族制度が無く成ってからだが

 相模三浦氏の、後裔を名乗る人達に憚ったんじゃっよ

 儂の先祖達がな。

 儂も、100歳に成り、何時、お迎えが来るか分からんし

 菩提寺から、先日連絡を貰って、

 お前達に良い機会だから、話そうと思ったんじゃ、

 此の儘、言わずに死のうと思っておったが、

 無性に言いたく成っただけじゃ、悪気は無いよ」


曾じいちゃんの、悪びれる素振り無い言い様に、

皆、呆れ返ったが、

城跡や墓などを、見学した後

本堂と倉庫を建て替えるので、

遺品を保管出来ないと連絡を呉れた、

菩提寺に向かい、先祖代々が預けていた、

三浦義意の、金棒や鎧・更に細々とした遺品を返却して貰い

自宅に着いた家族は、鎧櫃や木箱から先祖の形見を、

床の間に飾り終え、線香を挙げて供養し、

床の間の、横に有る仏壇に手を合わせた。


夕食を、囲みながら、

曾じいちゃんから、先祖の話や、伝承を聞き

俺自身の興味も有り、

ネットや、曾じいちゃんの書斎から歴史書・郷土史借り

相模三浦氏や三浦宗家並びに、近隣の歴史について、

夏季休暇という事も有り、

時間も忘れて集中し気でも触れたかの様に、

何日も、徹夜し調べ捲った。

幾ら若い俺でも、流石に体力と睡魔に勝てず

ネットサーフィンしながら、

机に突っ伏して寝てしまい・・・




    ****************************



永正9年(1512年)葉月(8月)


「む、無念じゃ、最早、敵の勢いを止められん。

 岡崎城を撤退して、

 一旦弟の守る、住吉城まで引くぞ」


「は、大殿を守り、住吉城じゃ、

 者共、搦め手より退く、急げ」


時を置かずして報告を聞いた、

息子で有り、現三浦家当主の三浦義意は、


「な、何、父上が岡崎城を、

 放棄して住吉城を目指しておると

 して、追手は」


「は、城を撤退した事が発覚し

 伊勢宗瑞の軍勢が、追撃を開始したとの事」


「やはりな、伊勢の動きが、怪しいと思い

 戦支度しておいて良かったわ。

 直ちに新井城の手勢を率いて、

 住吉城の手前で伊勢の軍勢を食い止める。

 時間との勝負ぞ~

 皆の者、付いてまいれ」


と、三浦義意は、

伊勢宗瑞の不穏な動きを、

忍びを使い事前に察知しており

先日から集結を命じていた

軍勢を率いて颯爽と馬に跨った。


「では、行って参る、大森越後守、城の守りは頼んだぞ

 三崎の水軍衆に繋ぎを取り、

 伊勢の水軍を牽制せよと伝えよ。」


「委細承知。

 殿、御武運を、お祈りしておりますぞ。

 本城は、我らにお任せを」


と、主従は、言葉を交わし、

三浦家存亡の戦いに向かった主君を見送った。



    ****************************



「殿、大殿(三浦道寸)の兵は、通り過ぎましたが

 お知らせせずとも、宜しいので?

 して、殿の言われる様に、敵は来るのでしょうか」

 

「雑兵の中に、敵の間者が、ウヨウヨおるわ。

 わざわざ敵に、教えてやる必要も無い。

 だから、父上には、知らせずとも良い。

 敵は、必ず、

 岡崎城より住吉城までの最短の道を、進んで来よるわ。

 此の場所に、敵より先に着く事が今回の勝負の、分かれ目よ

 何とか、間に合って良かったわ。

 音を、立てるなよ、伊勢の兵の先鋒が通り過ぎたら、

 矢を、2斉射した後、横殴りに突撃する。

 敵から死角になる小高い位置から駆け下るぞ、良いな

 ほら、敵が、着よったぞ、者共、勝負の時は今ぞ、

 敵将の首を取り、手柄を立てよ、突撃~」


三浦義意の奇襲の成功に依り

伊勢宗瑞・新九郎氏綱の軍勢は、撤退を余儀なくされ

相模三浦家は、滅亡の窮地を一時脱した。


その勢いを駆り、三浦義意は、御浦郡に孤立する事を恐れ

鎌倉の北に位置する玉縄砦(後の玉縄城)に、自軍を即座に入れ

砦程度でしか無かった玉縄を、

堅固な城郭する為に、強化改修に着手し、

住吉・玉縄の線を守り、

援軍である、主家の扇谷上杉家の来援を、待つのであった。



    ****************************



三浦道寸が、岡崎城より撤退し、住吉城付近で奇襲に成功し

辛くも、伊勢宗瑞・新九郎氏綱の軍を退けた、三浦義意は

砦程度で在った玉縄を、

2ヶ月程度で、堅牢な城郭へと一変させていたが

伊勢宗瑞は、早急に兵を立て直し、

今川の合力の得て、1万近くの大兵力で、

鎌倉郡へ再び進出し、玉縄・住吉両城を囲みながら、

扇谷上杉家の軍を迎える体制を整えていた。


「殿、上杉朝良(治部少輔)・朝興(養子)様の軍勢

 小机城を過ぎ、此方へ向かって、居られるとの事」


と、三浦道寸からの急使が、

玉縄城を囲む敵兵の目を盗み、

相模湾から、城の外堀と直結している、

柏尾川を船で遡り、知らせて来た。


「何とも、遅い援軍じゃ、

 父上が、何度も窮状を訴え、

 急使を使わされたに、

 治部少輔様、御屋形様、義兄上も

 何を、グズグズされて居ったか。

 直ぐにでも、来援が有れば、

 相模の国人衆を、味方に付け

 今頃は、小田原を、囲んで居ったろうに、

 完全に、機を逸しておるわ」


「しかし、殿、此れで、伊勢の奴らを

 3方から、攻め立てる事が出来ますぞ。

 しかも、我らの方が兵数が、大で、御座いますぞ。」


と、重臣の佐保田河内守


「それにしても、解せぬ。

 何故、この様に来援が、遅れたのか・・・」


急使より、三浦道寸からの書状が、義意に手渡され


「何と、父上も、剛毅な事を為さる。

 やはり、父上も、気に成されて居られるのか」


「大殿は、何と」


義意は、書状を家臣に渡す。


書状には、援軍の御礼と、今後の戦の為の、軍議を行い

娘婿の太田資康の安否を、確認しに行くと書かれていた。


‘やはり、噂は本当で有ったのか。

 扇谷上杉の勢力が、相模から駆逐されようと、している際に

 内輪揉めとは、情けない。

 だが、父上も、如何に重臣とは云え、

 少人数で、参られるとは、危険な事を為さる’


と、義意は、思いながら、

今着いたばかりの急使に対し


「疲れているであろうが、お主の働きが

 今後の三浦家の命運を分ける重要な鍵となる。

 この書状を、住吉城に居られる、

 叔父上に必ず渡して呉れ、頼んだぞ」


頭を下げ、部屋を、出て行った急使を見送り

義意は、家臣に対し軍令を発し、出陣の準備を始めた。


義意の読み通り、

伊勢の軍は、夜陰に紛れ玉縄城から、

少数の兵だけ残し、城を離れていた。


義意も、城に300のみ守備兵を残し、

残りの全軍1700を率いて、

大手門反対側の裏手より

清水曲輪の方へ出て、

一旦西側に進路を向け、

その後、大きく迂回して、南側に変針し、

見張りの敵兵の目を晦まし、

1700名もの兵が、

気が付かれず抜け出す事に成功した。


「ヒヤヒヤしましたが、

 何とか、城抜けに成功しましたな、殿」


「敵も、自分達が、寡兵を持って

 大軍と見せかける事に、腐心している最中に、

 雅か、我らが城抜けを、しておるなど思わぬよ

 甲冑が、擦れる音に、気が付かれるかと思ったが

 さすがは、大森越後守じゃ、

 大太鼓を、叩いて、兵に気勢を上げさせ

 今にも夜襲を仕掛けるぞと、

 注意を、大手門側に惹き付け依ったわ、

 見ろ、あの敵陣の狼狽え様を、

 我らに自分達の兵の移動が気付かれたと思われ、

 自陣の守備に撤しておるわ」


義意は、もう此処に、用は無いとばかりに、

現在の逗子市に有る、住吉城へと向かった。


「良し、敵は寝静まっておるぞ、者共、我に続け、

 朝駆けし、住吉城を囲んで居る敵を蹴散らせ

 叔父上の兵と、同士打ちは避けよ、

 合言葉を忘れるなよ、突撃~」


住吉城を囲む兵も、既に少数で、

住吉城の守備兵と、挟撃し難なく蹴散らし、

三浦道香(義教)の兵と、合流を果たした。


「殿、御無事で何より」


「叔父上も、壮健で安心しました。

 此の儘、兵を、小机城方面に進出させ

 伊勢の兵を、御屋形様の援軍と挟撃しましょう、

 して、父上は?」


「其れが、兄上は、未だに帰られては居らぬのだ。

 案じて、おるのだが・・・」


と、三浦義教


「え、父上は、帰って居られぬのですか、

 御屋形様の陣より」


「敵の急襲が早く、お帰りに成れぬ、やも知れぬ、

 雅かとは思うが、伊勢に、捕えられて・・・」


「叔父上、考えても、詮無き事、

 今は、一刻も早く、御屋形様と合流し、

 伊勢の兵の背後を付き、挟撃出来る好機です。

 さあ、急ぎ参りましょう」


と、義意は、住吉城の兵2000と合流し

守備兵を200残すと、3500の兵で急ぎ

今日、未明には、いくさに成るであろう、

決戦場に向け兵を急進させた。


「何、もう既に、御屋形様の軍が敗退しておると・・・」


と、義意は、絶句した。


遠くから、伊勢の兵の、勝ち鬨の声が、上がっている。


「どうやら伊勢の兵も、夜に行軍して、朝駆けし、

 お味方の軍を、破ったのか、侮れぬ・・・」


やはりと云うか、伊勢宗瑞・新九郎親子は、

恐るべし敵で有った。

もしやと思い、兵を急がせたが、間に合わなんだ。


「良し、敵が、勝利に酔い油断している

 今が絶好の勝機じゃ、

 皆の者、風の様に駆け、林の如く静寂に進み

 火の様に、激しく攻めるぞ、敵の背後を突く、急げ~」


と、隊列を組み直し、全軍で、勝利に酔いしれる

伊勢の兵の背後に奇襲を掛けた。


昨夜の強行軍と、朝からの扇谷上杉家主力との

一戦交えた伊勢の兵は油断しており、

また、体力も消耗していた。


背後に突然現れ、矢を散々に浴びた後

三浦軍の突撃に狼狽した。

85人力の剛士荒次郎の武勇を相模で知らぬ者は無く、

金砕棒を振り回し、鬼の形相で暴れまわる、荒次郎を見ると

我先にと逃げ出し、伊勢の兵は大敗を喫した。


伊勢宗瑞・新九郎親子も、命からがら逃げ出したが、

流石は、伊勢宗瑞率いる足軽集団は、

全崩壊すること無く

現在の藤沢市の大庭城辺りで

兵が纏まり始め、全軍で集結し直した。

そして、伊勢親子は大庭城へ入った。


一息ついた伊勢親子は、大きな決断に迫られていた。


「新九郎、今後の事、どう考えるか」


「は、中々に難しい仕儀に、成りましたな」


「其れよ、此処で兵を引けば、東相模の支配権は三浦へ戻る。

 主家の、扇谷上杉家を破った事で、

 三浦家も、これ以上の勢力拡大は、出来ぬであろうが・・・」


「しかし、兵は、疲れておりますし、

 今川の援兵も、駿河へ帰さないといけません。

 父上、相手は三浦義意ですぞ、

 何を、してくるやら、想像も尽きません。

 85人力の剛士荒次郎の異名持つ、

 猪武者かと、思っておりましたが

 我らに、何度も煮え湯を飲ませる戦上手、侮れません。

 父親の道寸を、相手しておる方が、何倍も楽で御座った。」


「1度の敗戦でもはらわたが、

 煮えくり返る思いをしたが

 2度、3度も、味わう事に成るとは情けない。

 此の儘では、あの、化け物の若造のお陰で、

 伊勢家が築いてきた相模での地位を、失いかねぬ。

 引くに引けず、引かねば、体制を立て直せぬし、

 今は、味方して居るが、

 離反する国人衆も、出て来るで有ろうな、

 荒次郎の戦上手を、何度も御身で味わえば・・・」


其処へ、諜報に出していた、

最近説得し、召し抱えた、

忍びの風間小太郎が報告に現れた。


「おお、待って居ったぞ。

 如何で、あったか。」


「は、御本城様の、申されて居られた通り

 三浦の兵は、此方への追撃は、無いかと思われます。

 しかし、三浦義教は、少数の兵で住吉城へ帰城致し、

 重臣の佐保田河内守めは、

 玉縄城へ、200程の兵を率いて返って参りましたが、

 義意は、玉縄城へは、帰って居ら居らず、

 どうやら、小机・権現山城辺りから、

 茅ヶ崎城周辺に進出したとの、報が入っております。

 此れ以上の、東相模方面への

 進撃は無いかと思われますが、

 部下共の多数が、妙な話を、掴んで参りまして」


「何じゃ、妙な話とは」


「其れが、三浦道寸は、もう既に、この世に居らず、

 死んだと、複数の部下が申しておりまして・・・

 しかも、上杉朝良・朝興親子に成敗され、

 出陣前には、道寸の娘婿で有る

 大田資康も、何者かに暗殺され、

 次男が家督を、継いだとの情報が、入っております」


「な、何と、誠か。

 道寸も資康も、扇谷上杉家の重臣で

 しかも、道寸は養子に出たとは云え

 扇谷上杉家の一族では無いか。

 我らを油断させる、偽情報では、無いのか」


「確かな話と、思います。

 捕えた兵や、武将も申しておりますし

 扇谷上杉家へ潜入させておりました、

 密偵も、同様の事を、申しており、

 我らとの、戦の前日の夜は、

 その話で持ちきりだったとか、

 実際に、道寸が、成敗された所を、見た者まで居ります」


と、自信を持って風間小太郎が、答える。


「父上、此の話が本当で有れば、私に策が、御座いますが」


と、新九郎氏綱


「申して見よ」


「は、まず、風間殿の報告は、確かで有ると、私は思います。

 何故なら、今迄の義意で有れば、絶好の機会とばかりに

 追撃を掛けて来て、我らは、大庭城で兵を纏められず

 小田原城まで、追い落とされていたでしょう。

 其れをせず、武蔵南部へ、兵を進めたのは、

 主家に父を討たれ、敵に成った、扇谷上杉家への追撃か、

 若しくは、武蔵南部を勢力下に置いて橋頭保を築き、

 伊勢・扇谷上杉の両方と、長期に戦える態勢を、

 今の内に、築いて於こうとする、行動に見えます。

 で、策と、しましては、

 一昨年、義意は、真里谷武田氏寄り迎えた、

 正室を、亡くしております。

 其処で、父上の次女である、我が妹の青松姫を、

 義意に嫁がせ、

 一門衆として迎え、厚遇します」


「何、和睦では無く、一門に迎えよと申すか、ふむ

 成程、新九郎の考えは、良く判った、儂も賛成じゃ。

 目先の事だけ考えれば、

 扇谷上杉と結んで、義意を挟撃すれば良いが、

 もし、義意が、上総の真里谷武田の援軍を請い、

 安房の里見と、同盟し対抗して呉れば、

 扇谷上杉の様な同盟者では、心許ないし

 短期で、義意を滅ぼさねば、力を付けて来て

 新九郎の子の代に成れば、伊勢家も、危ないと考えたか」


「その通りで御座います、父上。

 義意を敵と考えるから、

 今後の展開が難しいと思いますが

 三浦家を一門衆として、組み入れる事が出来れば

 武蔵や下総を、手に入れる時期が早まりましょう。

 扇谷上杉や、その背後にいる、

 内紛続きの、山内上杉・古川公方と

 対峙した方が義意よりも、何倍も楽かと思います。

 更に、現在力を付けている上総の真里谷武田家と

 間接的に同盟に成りますので、下総でも優位に働くかと。

 そして、義意も、主家に父を討たれ、

 非常に不利な立場に、立たされている今だからこそ

 手を差し伸べてやれば、我らを、恩義に感じ

 此の策に、載って来る可能性も大きく、絶好の機会と思います。」


「良し、判った。

 早急に、義意に使者を立てよ」


「父上、その役儀、この新九郎にお任せ下さい

 必ずや成功させて見せます」


「な、何、新九郎が行くと申すか」


と、驚愕の父、宗瑞


「虎穴に入らずんば虎子を得ず、です。

 父上か、私が、行かねば、義意が信用しますまい。

 此処数年来の仇敵同士である両家の重要な交渉事

 しかも、敵の世継ぎ自ら少数の兵で現れれば

 義に厚い義意も滅多な事はしますまい。

 御心配には及びません」


と、絶対的な自信の氏綱


「では、呉々も良しなに頼むぞ、新九郎」


「では、早速に参りましょう、吉報をお待ち下さい」


と、意気揚々と部屋を出る新九郎氏綱


息子が部屋を出て行く姿を眺めながら


‘立派に育ちよって、儂も、もう年じゃ

 そろそろ、家督を正式にツガセル事を考えねばな’


と、思い、息子の後ろ姿を見て微笑んでいた。



    ****************************



一方の三浦義意は、伊勢の兵を打ち破ると

叔父の三浦義教を主将、重臣の佐保田河内守を副将にして

兵400を付け


「叔父上、河内守は、鎌倉郡の境迄、

 伊勢の兵に追い打ちを掛け

 住・玉縄両城へお戻り下さり、守りを固めて下さい。

 そして、私の名で、

 鎌倉郡の国人衆に、味方する様に使者をお使い下さい。

 宜しく頼みましたぞ」


「承知しました。」


と、400の兵は伊勢の追撃に向かった。


3000強の兵を率いて、

 扇谷上杉家の軍に属し、戦に参加した、

橘樹たちばな郡・都築つづき郡・久良岐くらき

3郡(現在の横浜・川崎市)の国人衆の鎮撫へ向かった。


まず、兵を2手に分け、小机城の近くの、

座間氏の茅ヶ崎城と、諏訪氏の寺尾城を急襲し落城させると、

支城及び周辺を平定し、

兵を纏めると、時間を置かず、北へ進出。

小沢氏(小沢・枡形山城の城主)をも、

敗戦の混乱に乗じて降伏させ、

太田資康家臣で矢上城の中田氏に、帰順を勧める使者を送り

兵を、再び南下させた。


途中、中田加賀守藤義が帰順し、

矢上城からの、兵と合流し多摩川を渡り

奥沢城(世田谷区)へ進軍し陣を張った。


中田加賀守より、父、道寸の最後を詳細に知った義意は、涙したが

三浦家が、窮地に陥っている現状に、途方に暮れもしていた。


「治部少輔様・御屋形様が、娘婿である、

 我が殿の不審死を道寸様に詰問され、激怒されまして

 吉良成高様が、仲裁されましたが、

 資康も貴様も、

 道灌に連なる家の者と、一刀の元に、切られました」


「直ぐにでも義意様へ、報告せねばと、太田家重臣一同

 思っておりましたが、

 我らも、主君暗殺が、扇谷上杉家の仕業と知りましたので

 裏切りの嫌疑を掛けられ、監視されて居りました。

 そのおかげで、後陣に、配されておりましたので

 この度の戦の被害は、ほぼ有りません。

 確かな事は分かりませぬが

 道寸様の御遺体は、太田家の重臣にて、

 丁重にお預かりしております。

 他聞今頃は、江戸城へお運びしたのでは、

 と、思いますが、確かな事は・・・」


と、中田加賀守は、無念とばかりに、頭を下げた。


「で、家督を、継がれた御次男は、御無事か?」


「現在、太田 資高と名乗れておられます。

 元服したばかりですので、江戸城にて待機し

 こたびの戦は、

 重臣の桂殿を大将に・佐藤・日暮里両名が副将

 私も含め出陣しました」


「御礼が遅れ申し訳有りません。

 矢上城は、戦場に近く、

 伊勢の兵が殺到して参りましたら

 城を枕に討ち死にか、降伏か、

 不幸な二者選択をせねば成りませんでした。

 伊勢の兵が、義意様に蹴散らされたと聞いた時

 父を失われた義意様には申し訳有りませんが

 救われたと、天にも昇る気持ちで御座いました。

 この度の御恩一生を掛け報います、有難う御座いました」


「何の、お味方の窮地を救うのは当たり前では無いか」


と、義意が答えた。


その後、足利家の一門でも有る、吉良成高の蒔田御所と

江戸城の太田家へ、父の無念を訴え、扇谷上杉家の不義理を訴え、

お味方に加わる様にと、書状を作成し、急使を発した。


その後、時を置かずして、

吉良成高が、そして、太田家より佐藤五郎兵衛が、

父上の遺骸を持って来訪し、

敵と成った、扇谷上杉家に対抗する為、

同盟を結び、今後相互に助け合う事と成った。


吉良成高が蒔田御所と、

奥沢城を中心とする地域(世田谷区)を、治める事が決まり、

多摩川を境に、領土の境を取り決めた。


また、太田家は、中田加賀守の願いを聞き入れ、

以後、中田氏は三浦家の家臣となった。


今回の同盟に依り、三浦家は、

岡崎城の失陥に依り中相模を、失ったが

相模の二郡(鎌倉・御浦)と武蔵の三郡(橘樹・都築・久良岐)

を得た。


三浦義意は、早々に奥沢城近くの陣を引き払い

未だに落ち着かぬ、鎌倉郡を鎮圧する為に、兵を反転させた。


‘不味い事に成った。

 非常に不味い、今後如何にすべきか・・・’


馬上に揺られながら、

義意は、三浦家の生き残る術に頭を悩ませた。


領地が拡大したとは云え、御浦郡以外は

国人衆や民の信頼を得るには、時間が掛かる。


また、扇谷上杉の来襲に備え、

現在廃城に成っている、小机城の整備に、

茅ヶ崎・小沢・枡形山・寺尾城の強化

権現山城を整備し水軍の拠点に整備

保土ヶ谷に有る城も整備が必要。


扇谷上杉や伊勢が戦で打ち捨てた、

兵糧に武具を売り払い、銭に替えて

城の整備と民の民心を、

安定させなければ成らないが銭が足りぬ。


対外的にも、伊勢と扇谷上杉家の両面に敵を抱えている。


対策としては、

第一に、重臣を二人も殺した、上杉朝良・朝興から家臣の離反を誘う。

そして、元主家を滅ぼすか、

または、頭を下げさせ、元主家の元へ戻るか。


第二に、古川公方様と関東管領山内上杉家へ扇谷上杉家の不義を訴え

仲介の労を取って貰うか。


第三に、若しくは、今回の同盟した家々が其の侭、

山内上杉家の家臣にして貰うか。


第四は、義父上(真里亜武田家)に援軍を頼み、

上総・安房の里見共同盟し、

相模・武蔵・下総で共同で暴れ回り完全に独立勢力と成るか


‘ふむ、度の案も、一長一短が有るが、

 全てを、複合的に行うしかないか・・・

 伊勢の兵力回復も、背後にいる今川や

 扇谷上杉の同盟している甲斐の武田も気に成る

 何せ、時間が足らぬ’


と、考えていると


「と、殿、殿、使者が、こ、此方へ参って居ります」


「何を慌てて居る、どこぞの使者が、来て居ると云うのか」


「其れが、伊勢新九郎氏綱本人が、参って居ります」


「な、何~」


と、豪胆な義意も、流石に驚きを隠せなかった。


伊勢新九郎氏綱と三浦荒次郎義意は、永正2年(1505年)までは

同陣営で味方として何度も会って居り、

若かった2人は、将来の事を語り合い、馬が合っていた事も有り

近くの寺を借り、

単独で話し合い、すっかり、意気投合してしまった。


元来、三浦家は、名門の家柄とは云え、一度滅亡し

現在の、相模三浦家は傍流で、

父、道寸は、扇谷上杉家の一族にして重臣で有り、

相模では、絶大な影響力を持っては居るが、

所詮、地方一豪族でしかない。


一方、伊勢氏の宗家は室町幕府の要職であった

政所の長官である執事を代々世襲していた家柄で

氏綱の正室は鎌倉執権で有った北条家の末裔で

近いうちに、北条へ改性すると氏綱が言った。


また、伊勢家は領地経営の巧みさや、

民への接し方、足軽制の導入など

将来を見据えての政策も、義意は実に見事と思ったいた。


しかも、京の中央との繋がりも有り、

父、宗瑞や氏綱の能力の高さは、義意自身認めており

宗瑞の娘を正室に迎え、一門衆になるが、

飽く迄、同盟者として扱い、

臣従する必要は無いと氏綱は言って呉れた。


義に厚い氏綱と義意は、

互いに、窮地に陥った時でも終生裏切らず、義を重んじ、

侍から農民にいたるまで、全てに慈しみ人を大事にし、

驕らずへつらわず両家は、

相模守護(伊勢家)・守護代(三浦家)としての分限を守る。

父として宗瑞・氏綱とは兄として・義意は弟としての分限を守る。


この4か条を血判状にして、氏綱と義意、そして後日、宗瑞が署名した。


実質的には、玉縄城を伊勢家に渡し、鎌倉郡の全てと

橘樹たちばな郡・都築つづき郡の

山側の一部を伊勢家へ割譲したが、

三浦義意は、清々しい気持ちに成り、

今後の三浦家の発展は伊勢家と共にあると確信した。


古くからの家柄に胡坐をかき、

親兄弟で殺し合いばかりしている

足利や上杉の権力者に醜い者共と毛嫌いしていた

義意は


‘新しい時代が来る、良い時代に成りそうだ。

 そして、葉月(8月)に突然、頭の中で囁き始めた、

 もう一人の俺に感謝した。

 有難う、お前のお陰だ、と’


ブックマークへの登録や評価をして頂けると有難いです。

私の励みになり、文章も進んでいくと思います。

感想が有れば宜しくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ