その5 無名の花 (体験採集地:地方都市内の里山)
2005年夏に、創作仲間のサイトで行なわれた百物語企画に投稿し、同時に旧自サイト「よいこのためのアジト」で発表した「怪談十話」の第4話です。
旧自サイトで宣言したように、著作権を放棄します。改変、再使用はご自由に。
何と言う花だか正確には存じません。
その小さくて黄色い雑草を初めて見たのは、まだ小さい時です。地面を這っているとしか言いようのない茎についた小さな葉っぱは、ふっくらした葉肉を持っていましたが、マツバボタンやスベリヒユとは明らかに違う種類の草でございます。田舎の広い庭の片隅で、1メートル四方を完全に占領しているものの、その外には全く広がっておらず、小さくて黄色い花をつけた時は、きめ細かい点描のように、鮮やかな緑と眩しい黄色の対比を見せていました。
やがて花は散ると、最上端の葉だけが次の成長のタネとなって、そこから新芽が出始めました。その奇妙な繁殖方法は、一度見たら決して忘れる事が出来ません。
しかし、その雑草が特に私の記憶にしっかり残っているのには別の理由がございます。
その雑草は、ある年に突然生え、花を咲かせ、そうして最上端の葉だけを残して枯れたのですが、その繁殖の様子を見て、それまで
「綺麗な花だね、何かしら」
と言っていた祖母が、花の正体を悟ったのか、理由も云わずに、厳しい顔付きで新芽の出始めた葉を全部燃やしてしまったのです。これでは忘れたくても忘れられません。
この雑草に再び出会ったのは10年程のちの事でございます。
中学になって行動範囲が急に広がりますと、私は仲の良い友人と近くの県有林に良く出掛けました。そこは、平野の中にぽっかり浮かんでいる、洪積台地の島のようなもので、子供にとってはミニチュアの山のようなものでございます。溜め池まであり、中学生が遊ぶのには手頃な場所だったと言えるでしょう。現に、オリエンテーリングのパーマネントコースもその林の中に設定されておりました。
中学2年の夏か秋だったと思います。友人と溜め池の方に向って背の下草を踏み分けておりますと、変な匂いがして来ます。いわゆる腐臭という奴でございます。びくびくしながらあたりを見回すと、数メートル先の砂地の水辺に、すっかり腐乱した野良猫の死骸が打ち上げられておりました。
その場に釘付けになったまま、それでも何か喋らないともっと気持ちが悪くなりますので
「猫の死体だぜ」
「げ、気持ちわりー」
「何週間経ってるんだろ?」
「きっと病死だろうな」
と私たちは空元気を出して会話を続けました。しかし、限界もそこまでです。彼が
「逃げよう」
と云うなり、二人してすぐに元の方向に引き返しました。そうして、その後、半年ほど、近くに足を踏み入れる事はありませんでした。
翌年の早春、クラスの数人で、例の溜め池の畔にある公園に行く機会がございました。溜め池と申しましても結構広く、あの忌わしい場所から公園まで随分離れております。その時、ふと、あの場所はどうなっているだろうかと気になりました。いつまでも忌わしいままにしては落ち着かない、そんな気持ちだったと思います。それは、友人も同じでした。そこで、一緒にいる同級生を誘って、池の畔の探検に出掛けました。
例の場所に近付いて参りました。さすがに半年以上も前の死骸ですから、遠目から見る限りすっかり消えてしまっています。それを見て安心すると共に、友人と顔で合図して件の場所にそろりそろりと近付いて行きます。すると、どうでしょう。死骸があったと思われる所だけ、それまでの枯れ草が消えて土だけになっていて、しかもそこには、遠い記憶にある緑の雑草が、地を這うように覆っているのです。
いえ、このとき見た葉っぱだけで、それが件の雑草であるか確信を持てる筈がございません。しかし、遠い記憶から祖母のあの日の行動と表情が鮮やかに蘇るや、同じ雑草であるような感覚がしたのです。こうなっては、雑草の正体を確認しなければ落ち着きません。早速学校の図書館で調べ、かつ、かの場所を2週間おきぐらいに確認しに行きました。
花が咲き、そうして、先端の肉厚の葉から新芽が出るのを見届けて、全く同じ雑草だと確信したのでございます。もっとも、図鑑に全く同じ雑草は見あたりません。一番近い種類として
コモチマンネングサ(子持万年草)
と云う名前がありましたが、ちょっと違うのです。
でも、その時の私にとって、名前なぞ何の足しにもなりません。この花が腐乱した死体の跡に咲くという事実以上に、この雑草を語るものは無いからです。
時は移り、私は大人となって、ある年の冬、ある街に引っ越ししました。
借家を捜すうちに、比較的条件の良い空家を見つけました。つい最近まで借り手があり、その借り手が5年以上も住んでいたという事ですから、物件も悪い筈がありません。早速手続きをして、その家に移り住みました。
やがて春が訪れ、一斉に雑草が芽を吹出す季節がやって参りましたが、忙しさにかまけて、せっかくの庭…猫の額ながらも庭は庭です…をなかなか見る機会がございません。洗濯や洗濯物の取り入れすら、ずっと夜にやっていたのです。それでも、ようやく、ある日曜日に、洗濯ついでに庭をつくづくと見ました。
その時です。かの雑草らしきものを見つけたのは。しかも庭の一角を占領して。
日が経つに連れ、それが忌わしい草である事は明らかになりました。名前も無い、しかし腐乱した死骸を糧とする草。
不安になって、このあたりに野良犬や野良猫が出るか近所に聞き回りましたが、分からないの一言です。しかも、その口調の裏に、何かあると感じさせる否定の仕方です。更に聞き回ったあげく、だんだんと、より無気味な様子に気付きました。そう、確かに何かがその家で起こったのに、それを誰も口をつぐんで話してくれないような、そんな雰囲気なのです。
田舎で詮索は無用です。私は泣く泣く高い敷金を捨てて別の借家に移りました。
written 2005-8-4