小話 11(第二次蒟蒻廃棄宣言)
時系列でいうと、
「焼き肉冷凍ファーム、営業中」と「蒟蒻を廃棄する話ではない話」の間です。
あと、小話10 は別で短編登録しています。←ジャンルの選択の都合上。小話10よりも前の話なので、小話10は読んでなくても問題なく読めます。
愛想が無いとよく言われます。
高慢ちきだともよく言われます。
殿下の許嫁であるわたくし。
王族に嫁ぐ将来が約束された貴族令嬢であるわたくし。
人よりも強く、気高く、美しくあらねばならないのだと教えられます。平気で嘘をつき、他人を蹴落としてでも自分をよく見せようとする女達。周りの女どもを相手にする必要はないのだと、周りの人間全てに愛想を振りまかずともよいのだと教えられます。相手よりも優位に立ち、その差を知らしめるために微笑んで見せればよいのだと、お婆様と皇后様はおっしゃるのです。
ある日のこと、学園の渡り廊下にて。
「避けてくださらない? 貴女が邪魔で通れませんわ」
とある令嬢に、いちゃもんをつけられました。
対面交通が困難だとおっしゃるのです。たしかに令嬢はお胸もお尻もボンボンとしてグラマラスなご様子。けれど、渡り廊下にはしっかりと横幅がございます。
自分はたった一人で廊下の左側通行中。お相手の令嬢はご友人六名と、付属品の男子生徒三名、総勢十名。
逆でしょうに。
貴女方が避ければよい、と心の中で呟くのです。
「何かおっしゃったらいかが?」
焦りは禁物。
しっかりと間を取ります。
「ごめんあそばせ」
ニッコリ、優美に微笑んで、通り過ぎようとしましたのに、令嬢に右肩を掴まれてしまいました。
「お待ちなさいな。人を小馬鹿にしているのでしょう?」
ちゃんと謝りましたのに。ではどうしろとおっしゃるのかしら。
と、ブゥーン……ブンブン……。何やら虫の羽音が聞こえます。空中に一匹の蚊を発見。と、正面の令嬢の左側頭部に止まるのです。
スパァーーーンッ!!
手の平を見ます。小さな墨汚れのようなものが付着しています。やったぁ♪ 蚊、ゲット致しました!……っあ。……しかも、手の平を見たときにニンマリしてしまいました。
「なっ、なっ、なっ……無礼者っ!」
スパァーーーンッ!!
左の頬が一気に熱を持つのを感じます。
「そこで何をしておる?」
聞き覚えのある声がします。
振り向かずとも、わたくしには声の主が誰であるか分かります。
「殿下……、聞いてくださいませ! そちらのご令嬢が、貴方様の許嫁の方が、何の理由もないのにわたくしを打ったのですわ! このような暴力的な方、貴方様の許嫁には相応しくありませんわ!」
フグ刺しは無い……そうですよね。白く透き通った高級料理。初代内閣総理大臣も愛したであろう、ザ・下関の名物料理、その名もフグ刺し……。きっとお歴々の総理の皆様で食べ尽くしてしまわれたのですね。あぁ、左の頬が熱い。
「ほぅ、こちらの令嬢が申していることは事実か? 許嫁どの」
わたくしはニッコリ、優美に微笑んで答えます。
「えぇ。」
そう、もうフグ刺しは無い……。ダメ元で唐戸市場に問い合わせようかしら。下関に空港は……無ければ空輸は諦めて、船舶輸送と致しましょう。
「許嫁殿、お前との婚約を破棄する」
先月も耳にしたであろう言葉が聞こえてきます。
「また蒟蒻を廃棄なさるのですか?」
「婚約破棄だ、許嫁殿」
あぁ、婚約破棄。先月もそう言われ、すぐに撤回されたのでしたわ。
分かりました、と言ってしまうのは容易いこと。今すぐにでも受け入れてしまいたい。
されど、わたくしは誇り高き貴族令嬢。
美しく、毅然とした態度であらねばなりません。
「何故にございましょう? 訳を聞かせていただけませんこと?」
「今、訳を話したばかりなのだが。お前はこちらの令嬢に暴力的な行いをしたのであろう?」
「賄いを出したのですか?」
「朝にパック詰めした惣菜が少し余って、昼を跨ぐバイトの子にちょっとだけ……って私はスーパーの店員か?」
「パート勤務のおば様方に見つかっては大変でしょうに」
「そう、パートのおばさんの目は厳しくて、バイトの子達は肩身の狭い思いを……これはなんの話だ?」
「マルシェの話にございましょう?」
「何故にいつもマルシェ?!」
「お勤めではないのですか?」
「学生の身で勤めるも何も……いや、アルバイトは可能か? で、お前がこちらの令嬢に暴力を振るったかと聞いておる」
「ブルスケッタ?」
「はい、イタリア版トーストで。パンコーナーにてご用意しております。本日は熊本県産完熟トマトのトマトソースにチーズをトッピングし……で、先程、叩いたであろう、こちらの令嬢を」
「えぇ。蚊が止まっておいででしたので」
「なっ、言い訳は見苦しくってよ! わたくしを僻んだのでしょう? いつだって貴女はお一人ですもの。友に慕われ、信用され、皆から好かれるわたくしに嫉妬して、わたくしの邪魔をして、わたくしを打ったのですわ!」
目をそらさないのは基本中の基本だと、瞬きは最小限に控えるのだと。
されど、わたくしは目をそらし、視線を下げ、右手の平を見つめます。小さな墨汚れ。和紙に手の平を押し付けたなら、魚拓ならぬ蚊拓がとれるでしょうか?
「いかがした?」
殿下に手首を掴まれました。
殿下がわたくしの手の平を覗き見ます。
「ご令嬢、許嫁殿の言葉がきっと足りなかったのであろう。この通り、彼女の手が蚊を捕らえておる故、退いてもらえるか? 蚊に刺されれば、そなたの美しい顔も腫れるというもの。何もなく済んでよかった」
頬を桃色に染めた令嬢達と愉快な取り巻き達は舞台を降りました。
殿下は胸ポケットから白いハンカチーフを取り出し、わたくしの手の平を拭いてくださいます。
「手を洗えばハンカチーフを汚さずに済みますのに」
殿下の長い指は腕輪のように、わたくしの手首に巻き付いたまま。
「何をしておいでですの?」
「脈をとっておる」
「何故に?」
「脈が有るか、はかっておる」
「脈は勿論ありますでしょう?」
「……はぁ、脈が無い」
「殿下の仰る意味が分かりませんわ」
「気にせずともよい。お前の脈拍は一定速度故、きっと正常であろう」
「そうなのですか? それならばよいのですが。」
「あぁ、許嫁殿、お前は結局悪くなかったのだな。よって、婚約破棄の必要は無くなった。婚約破棄は白紙とする」
一瞬、時間が止まったように感じました。
視界が真っ白になり、すべての音が消えたのです。
蒟蒻廃棄……蒟蒻廃棄……婚約破棄!
はっとして殿下を見ると、二ヤついたような、人を見下すいつもの目でわたくしを見ておいでです。
いくら誇り高くあろうとも、わたくしとてイライラッとすることもあれば、あわあわっとすることもありますもので。
キッと睨むような視線を送ってしまいます。
それを見てか、殿下の目がすっと優しいものに変わりました。
掴んでいた手首をぐっと引っ張られ、わたくしは一歩前に踏み出してしまい、殿下がすぐ目の前に。掴まれた右手はそのままに、殿下は反対の手でわたくしの左頬をそっと撫でました。
「腫れぬとよいな」
わたくしの耳元の空気が震えます。
殿下は去り、舞台に残されたのはわたくし一人。右手首にはうっすらと赤く、指の跡。
「ちっ」
またもや婚約破棄の好機を逃したのでした。
こちらの読後に、小話1(砂糖漬け)をもう一度読んでほしいです。小話1で、殿下が笑う場面に繋がるかなぁと♪