小話7(渦巻くモヤシ)
わたくしは気付いたのです。
殿下を厭ってはおらず、むしろ、殿下をお慕いしていると。
蝉の国から帰宅しても、頭の中には蝉の鳴き声が尚も響いております。
殿下から頬に口付けをされました。また、お互いの唇と唇も触れました。わたくしは気恥ずかしさはあっても、きっと心の底から嫌ではないのです。殿下に触れられることをきっと望んでいるのでしょう。だから、蝉は殿下の頬にとまってしまった……。触れられるだけではなく、自らも触れたいと望んでしまった……。
自室に戻ってからも、頭の中では蝉の鳴き声をBGMに、もやもやとした感情が渦巻いて、モヤシのひげ根が絡んで縺れて渦巻いていく様子が目に浮かぶのです。モヤシは長いと喉にかかってしまいますので、きちんと切ってやらねば苦しくなるばかりです。
頭の中のモヤシ達を引き連れて、わたくしは部屋を出ました。もやもやした感情のまま廊下を歩き、カクテキの扉……もとい、目的の扉の前まで来ました。
「お兄様、いらっしゃいます?」
お兄様の部屋をノックすると、すぐに返事はありました。
「どうぞ」
「お邪魔しますわ、お兄様」
兄は読書中だったようで、わたくしが部屋へ入ると栞を本に挟み、机に本を置いてくださいました。
「ごめんなさい。読書を中断させてしまって」
「いいよ別に。たいした本読んでねぇーし。それ、官能小説」
「……殿方は誰にでも、舌平目を抱くものなのでしょうか?」
「はぁ? 舌平目を抱く……舌平目……舌平目……あぁ、下心?」
頷いて返事をします。
「はい、言ってみ? したごころ」
「したごころ」
お兄様はくしゃくしゃっとわたくしの頭を撫でました。
「良くできました。んで、男が下心抱くかどうか? よっぽど変な相手じゃなけりゃ、抱くんじゃね? 」
わたくしは殿下の許嫁。その関係性であるから、殿方が異性に対して抱くような感情の矛先として、わたくしという存在がちょうどよいのでしょうか? それとも、殿下もわたくしを想ってくださるお気持ちがおありなのでしょうか? はぁ、心がどんどん重たくなります。お餅が一つ、お餅が二つ、お餅が三つ。お餅が四つ、お餅五つ、お餅が六つ、お餅が……。バタンッ、ごろごろごろ。お餅が一つ、お餅が二つ、お餅が三つ。お餅が四つ、お餅が……
「おぉーい、妹。帰って来ーい」
お兄様が私を呼ぶ声がして、顔をあげるとお兄様がおりました。チュッと、瞼にキスをなさいます。続けて頬にも。
「これは下……心ではなく、妹への、家族への親愛の印でございましょう?」
「ハッハッ、勿論」
そう言ってお兄様は笑いながらわたくしの髪を一筋掬い、髪にも口付けなさいます。
「妹君は何やらお困りかな? お兄様が聞いてやろう」
「お兄様は……わたくしの口にも口付けしたいと思われます?」
「さすがに、妹相手に口は無いな」
唇と唇が触れることの意味は何でしょう?
「有り難うございました。もう部屋に戻りますわ」
「あいつと、殿下と何かあった?」
ニッコリ笑顔で返します。
「いえ、何も。お兄様の外面が完璧なのは存じておりますけれど、ご本の取り扱いにも、お気をつけくださいませ」
「そうなー。お互いなぁー」
丁寧にお辞儀をして、お兄様の部屋を出ました。
接吻の意味は? 殿下のお気持ちは? もやもやは残るものの、モヤシに足を取られることなく、無事、自室にたどり着きました。
接吻の意味は?
殿下のお気持ちは?
お兄様との会話でなんとなく分かったのは殿下がわたくしを異性と認識して接してくださっていること。
それは、どの女性に対してでも等しくなのか、わたくしにだけなのか?
まな板の上にモヤシを広げ、トントントントン包丁で叩く景色を瞼の裏に見ながら、その晩わたくしは眠るのでした。