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小話15(桃源郷)

「殿下、マルシェはまだ営業しておいでかしら?」


許嫁(いいなづけ)どのが唐突に問いかけてくる。今この場で、その質問が果たして必要なのだろうか。しかしながら、笑顔での接客は基本中の基本だ。


「当店まもなく閉店となりますが、いかがなさいましたか? お求め忘れがおありでしょうか?……と、まぁ、店員であれば尋ねるとして……。はぁ、そろそろ転職してもよいと思うのだが、私はいつまでスーパー勤めなのだろうな、許嫁(いいなづけ)殿」


要件を問いつつ溜め息混じりに軽く愚痴(ぐち)ってみた。


「わたくし、美味しいお勧めの果実を教えていただきたくて」


スルーだな、スルー。私という存在を見事なまでのスルー。『殿下』と語りかけておきながら、私のことは完全無視。スーパー店員の言葉部分にだけ答えている……って、おぉー! 胸の前で手指を組んで、これはまさしくお願いポーズではなかろうか。優しい丸みを想像させる胸の膨らみがよりきゅっと中心に寄って強調され……うん、自分は彼女の手を見ているだけで、断じて胸の膨らみに見入ってなどいない……。そう、断じてそんなことは……。


「殿下?」





「桃……白桃だな、白桃。特に、清水白桃(しみずはくとう)を好む。岡山県で生産が盛んだ。落ちたら危ない(ゆえ)、ちゃんとロープを(つか)んでおけ」


ふと脳裏に登場した果物、清水白桃。彼女の胸を眺めていて思い浮かんだのでは……断じてない……はず。


「清水白桃……殿下はよくお召し上がりに?」


「あぁ、好物だからな。ほのかに匂い立つ白桃のふんわりとした甘い香り、全体は優しいクリーム色でありながら所々薄い桃色や濃い桃色が散らばり、また熟れた白桃は親指で押せば程よい弾力で沈む柔らかさ。口にいれて舌で押せば滑らかに溶けていく。あの産毛(うぶげ)(あふ)れる柔肌(やわはだ)のような表面に指で力を入れると、まるで指の跡が、素肌に唇を押し付けて吸い上げた時のように朱に染まる熟れた果実、お前にそっくりであろう? 許嫁殿」


上品な甘さでみずみずしい。顔を耳まで羞恥(しゅうち)で染めて、瞳に涙をじわりと溜めて。


「くわい……」


「それは……縁起の良い、正月料理向けの食品ですね。ハロウィーンが済めばクリスマス食材と正月食材が当店にも並ぶかと思いますので今しばらくお待ちを。……で、許嫁(いいなづけ)殿は私が怖いのか?」


「く・わ・い、と申し上げたのです」


潤んだ瞳のまま、(まゆ)を寄せ、少し(にら)むように見上げてくる。怒ったような顔もなかなかにそそる。こちらの言葉をきちんと聞き取った上でのわざとではない言い間違(まちが)いらしい。「くわい」は「怖い」ではなかったようだ。愛する彼女の言葉、さすがに2度も聞けばイントネーションで彼女の言いたかった単語が分かる。


「好みの果実の説明をしただけで卑猥(ひわい)と言われるのは不服なのだが」


「勝手にわたくしに重ねたりなどなさるからです」


不満たらたらなのだろう。視線を外し、頬をぷくっと膨らましてむくれている。瑞々(みずみず)しい熟れた清水白桃。彼女の濃い桃色の頬にそっと手を添える。しっとりとした、柔らかで温かい肌。


「清水白桃の入荷はありますの?」


「時季が既に外れておる(ゆえ)、買い付けるにしても次はまた来年であろうな」


「そうなのですね。残念ですわ。品揃え豊富なマルシェでも今は置いていないのですね」


しゅんとしている。つんと触れられた後のおじぎ草のようだ。


「そもそも私は店など持っていないのだがな」


「マルシェと言ってくださる?」


「……マルシェ。この遣り取りは今、本当に必要か?」


熟れた果実、ぷくりとした唇。食べたい。


「先日スコーンを自分で焼いてみたのです。次はスコーンに合うジャムを自分で作りたかったのですわ。そうしてまたスコーンを焼いて、ジャムを添えて……殿下とお茶を楽しみたいと思いましたの」


「ジャムか。白桃よりも黄桃の方が加工向きとは言われるが、まあ白桃でも作れるだろう……が、そのまま(しょく)せば良いのでは? こんな風に」


熟れた果実の甘い香りに誘われて、ぷくりとした唇に吸い寄せられる1羽の雄鳥。


「…………………………ん……」


唇をゆっくりと離す。周りの空気が揺らめいて(きら)めいて感じるような鼻腔(びくう)に心地よい芳醇(ほうじゅん)色香(いろか)(ほほ)の色付きに対し、首元の鎖骨辺りの白さが(まぶ)しく見え、雄鳥がその白を(ついば)む。


「痛っ!…………あ……」


血を求めるドラキュラはこんな気分だろうか。血だけでは満足出来なくなりそうだと思いながら、付いたばかりの鬱血痕(うっけつこん)を見詰めた。


「……時と馬鈴薯(ばれいしょ)をお考えくださいませ」


()しいな、許嫁殿。れい、が余計だ。」


「なにも……こんな、割り箸の上でなさらなくても」


「箸を割って粉ふきいもでも食べるのか?」


「いつの間に調理を……」


つい最近、やっと彼女との両想いを確認できた。

それまでは長きに(わた)り自分の片想いだった。彼女の気持ちが私に向いたことに私の側近は未だ気付いていないらしい。恐怖や不安によるドキドキを恋愛によるそれと勘違いして恋に落ちるという吊り橋効果を狙って、視察と称した吊り橋デートが計画された。折角(せっかく)の彼女と出掛けられる機会であるので無駄にはしない。有り難くその企てに乗っかり、今に至る。


「吊り橋の上では人は恋に落ちやすいらしい」


「谷底に落ちるのではなくて?」


「お前がより一層、私に()かれるらしい」


「断定ではなく推測ですの?」


「断定してよいのか?」


「断定でよろしいですわ」


ふんわり微笑む熟れた果実の甘い香りに誘われて、雄鳥は再び唇を落とした。


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