邂逅
「久しぶりだね、シノ」
背後からの声。
背中に電気が走ったかのように、トキテは身慄いした。
声で瞬間、誰だかわかったが、思わず振り向いたのは反射だ。
トキテの名前は『シノノメ』だ。しかし、『シノ』の愛称で呼ぶ人の方が、身近に多かった。だけど、トキテのことを『シノ』と呼ぶ人たちは数年前からトキテのもとを去っている。
だから、反射で振り向いた。
いや、振り向いてしまった。
頭は誰だか先に認知したのに、振り返って相手を見てから「まさか」と思った。
「大きくなったなぁ」
感無量、という感じで、目を細めて言う相手は、トキテから見て少し歳を重ねていた。髪に少し白髪が混じっている。だが、その出で立ち、雰囲気は殆ど変わりない。
「なんで……」
ようやく絞り出した言葉がそれだった。
「キシル」
殺風景なビルの屋上。
そこに不釣り合いな、過去を切り取って現れた男。
トキテにはそこだけ色が褪せて見えた。
いや、逆だ。強烈に鮮明。だから、不釣り合いに見える。一瞬遅れて、そう気付いた。
トキテの頭は、混乱どころか、機能を止めてしまったようで、それ以上のことは考えられなかった。
どうしてここいるのだ、と思った時には、キシルが先に口を開いて、結局トキテは何も聞けなかった。
「十年?いや、十三年か。俺にとってはそう長くないつもりだったけどなぁ。お前を見ると、やっぱ時間経ったんだなと思わされるわ」
キシル。
本当に、キシルなのか?
トキテの疑問は口から出ることなく、キシルが一人で話を続ける。
「思い出に浸りたいところだけど、時間がないから、まぁそのまま聞いてくれ。混乱中だろうけどさ」とキシルは微かに笑った。
笑った、が、すぐに表情を引き締める。キシルの眼の光が、鋭くなった気がした。
「セキヨウを手放せ」
「え?」
キシルの口から出た言葉の意味がわからない。
時間がない、とキシルは繰り返した。
「理解してもらおうとは思ってない。が、とりあえず聞け。セキヨウは手放せ。今じゃなくていい。困ったら俺のところに来い」
「どういう意味だ?それにお前のところって……」
どこ?と聞く前にキシルが答えを被せてくる。
「レジスタンス。それ以上は言えない。俺を訪ねるときは、アークのやつらに気付かれないように自分で考えて行動しろ。ただし、お前が本当にセキヨウに困ったら、こっちはいつでも、すぐに行動する」
早口の説明。端的で、決して難解ではないが、トキテには理解し難かった。
セキヨウを手放せ?
セキヨウに困ったら?
一体、どういう意味か。セキヨウの何が問題なのか。
アークのやつらに気付かれないように?
一体どうして?
「悪いな、今はこれ以上のことは言えない。信用できないなら、アークに報告してもらってもいい。こっちは捕まらないから」
まるで、心配するな、と言うようにキシルの表情が和らぐ。
心配なんて、これっぽっちもしてない。そんなことはわかってるだろう。トキテは無性に腹が立ってきた。
「まさか、ロッソを誘拐したのはお前らか?」
ああ、とキシルはあっさり認めた。
「そうすれば、こうしてお前と二人きりで話せると思った。お仲間は返すよ。ホテルから出てった女の子にも悪かったと伝えてくれ」
「……僻地任務も仕組んだのか」
「超能力者の情報をアークに流した。うまく喰いついてくれたよ。あとはシノが任務に就くように手を打った。アークの目のないところで、話がしたかった」
つまり、アークに内通者がいる。キシルはそれを呆気なく吐露したことになるのだが、気にした様子がなかった。見つからない自信があるのか、それとも内通者はすでにトンズラをしたか。とにかく、アークに戻ったら内通者を探すしかない。
そろそろ限界だ、と言ってキシルは視線をビルの下に移した。釣られてトキテもそちらを見る。二人の人物がホテルに入っていった。
「アイツらは、俺がここでこうしてシノと話してることを知らない。俺は細かい指示を出さなかったからな」
「は?」
意味がわからない。
トキテはホテルの方を気にしつつ、キシルを窺う。
「セキヨウに、俺の気配を察知されると面倒だと思った。だから、俺は『シノたちを足止めしろ』としか指示を出していない。指示したきり、連絡も取り合ってない。部下は、本当の目的を知らずに動いてるんだよ。俺の目的は終わった。本拠地に戻ったら指示を解除して、仲間は返す」
それじゃ、とキシルは踵を返す。
待て、と止めようとしたところで、セキヨウのいる部屋に何者かが侵入したのが視界に写った。
トキテたちの狙い通り、シールドを奪いに来たのだ。キシルの言う通り、足止めのために動いているなら、合理的な選択だ。
立ち去るキシル。
セキヨウに迫る危険。
どう考えても、今のトキテにはセキヨウの方が大切だ。
キシルに背を向ける。
ホテルの一室、セキヨウを見た。セキヨウは何かを大事そうに抱えて、侵入者から離れ、窓際へと移動していく。
セキヨウが、窓を開けた。
トキテはさっと手を伸ばした。




