養子
☆ ☆ ☆
「養子縁組が必要なのか」
「ヨーシエングミ?」
ヒサメとヨーコが、シノノメに理解不能の話をしている。
初めこそ、少しでも大人たちに追いつきたいと頑張って聞いていたが、わからない単語の連発で、飽きてきた。セキヨウは新しく貰ったスケッチブックと色鉛筆で、黙々と絵を描いている。こうなると、やることがなくてシノノメはつまらない。
そんな気配を感じたのだろう。ヨーコがすかさず、シノノメのおでこを弾いた。
「こら、ちゃんと聞いとけ。お前の話だ」
「だって、よくわかんねーよ」
実際、ヒサメとヨーコの会話は英語で、未だに英語の聞き取りができないシノノメは翻訳機に頼っている。だから、余計に分かりにくいのだ。
ヨーコとの会話は不自由しないのに、と心の中で愚痴っておく。本当に声に出すと、もう一回デコピンをくらいそうだ。
「いいから聞いとけ。あとでもう一回、説明する。二回聞きゃあ、わかるだろ。でも私が説明してもわかんなかったら、知らねーからな」
「……ん、わかった。ちゃんと聞く」
二人の言い合いが終わったところで、ヒサメが再度口を開いた。
「まぁ、養子縁組しなくても治療は受けられるけど、今後のことを考えるとね。本社もそう考えてるみたい」
「確かに。今回の治療で終わりじゃないだろうしな」
他国の貧民街から連れてこられたシノノメは孤児の扱いだ。しかも、国籍をもっていない。サイバーハンドの治療を受けるのに、シノノメは社会保障費がおりず、莫大な費用がかかる。明確な保護者がいない今、治療費はアークが支払うが、だったら誰かの養子になり、社会保障を受けられるようにすべきという意見が出たのだ。
今その話を、ヒサメがヨーコに説明していた。
シノノメを連れてきたキシルとヒサメに、最初に話が回ってきたらしい。
「んで、アテは?あるの?」
ヨーコが聞くと、ヒサメは言いにくそうに上目遣いになった。
「ん……だから、今話してんるだ」
え、とヨーコが口をあんぐりと開けた。
「は?アテって……私?なんで?」
「既婚者には頼みづらいでしょ?もう子供もいたりするし。かと言って、まだ結婚してない若い人に扶養者押し付けるのもね。あと、シノ君は超能力者だから、同じ超能力者じゃないとダメだし」
「ちょい待て。私はそうするとどういう位置付けで候補に上がったんだ」
ヒサメの言う「既婚者」「結婚前の若者」が候補に挙がらないなら、該当者はゼロに等しい。
「え、ヨーコは独身貫くのかと。それに三十半ばで扶養者いないから、貯金もあるでしょう?」
明け透けに言うヒサメに、ヨーコはがっくりと首を垂れた。
「貫いてるわけじゃないし。今は相手がいないだけで、前はタイミングが悪かったんだ」
「え?前?ちょっと、初耳だけど!」
まさか話がこうも逸れるとは思ってなかったヨーコは、ちらりとシノノメを見る。
言いつけ通り、ちゃんと話を聞いてるようだ。どこまで理解してるかは不明だし、まだ幼いシノノメに色恋の話が通じるとも思えない。が、ヨーコとしては居た堪れない。この話題を打ち切るためには、標的を変えるのが一番だ。
「わ、私のことより、あんたはどうなの?最初に養子縁組の話が来たのはヒサメだろ。私より若いとは言え、大差ないからな」
「え、あ、私は……」とヒサメは顔を赤らめる。「実は、もうすぐ結婚するんだ……」
え、とヨーコは息を飲む。
「それこそ初耳だけど!」
「うん。まぁ内緒にしてたから。まだ誰とは言えないけど。ヨーコも黙っててね」
ヒサメが弱々しく笑った。
気にはなったが、シノノメがいるからと回避しようとした話題を続けるわけにはいかず、ヨーコは結局何も聞けなかった。
数日考えて、ヨーコは結局シノノメを引き取ることにした。
確かに今は独り身で自由気ままだ。だからアークの社員寮に住んでいて、シノノメの教育係として長い間一緒にいるのだから、養子にしようがしまいが、あまり変わらない気がした。
ヒサメにもう一度話しようと思い、連絡すると、仕事で海外だったため、キシルと会うことになった。キシルにも養子縁組の話は行っていた。
そういえばキシルも独身だな、なんて今更のように思い出した。
ヨーコ、キシル、シノノメ、セキヨウはアークの小会議室を借りた。大人二人で話は進められるが、ヨーコとしては、どんなに小さな事柄でも、自分のことなのだからしっかりと関わらせたいという思いが強い。だから、シノノメを呼んだのだ。
「よぉ、シノ。元気にしてたか?」
キシルはシノノメに会うのは久しぶりのようだった。気さくに挨拶したキシルに対し、シノノメはつんとそっぽを向いた。ヨーコはそのほっぺを摘んで引っ張り、正面に顔を向けさせた。
「い、痛え!」
「人が挨拶してんのに、なんだその態度は!」
「……」
シノノメは赤くなった頰をさすりながら目を逸らした。
「あー、ヨーコさん、いいよ。きっとまだ俺のこと、信用してないんだろ。出会ったときの環境がそうさせてんだろうし。俺やヒサメと会うと、前のこと思い出すのかもしれないし」
「甘いこと言うな、お前も。第一、ヒサメには普通に挨拶してる。何が気に食わないか知らないけど、挨拶もできないようなガキを引き取るのはごめんだ」
「え、ちょ、ヨーコさん!」
話がまとまろうとしている今、まさかの引き受けない宣言にキシルは慌てた。
「安心しろ。一度は引き取る。それでも性根が直らなかったら、その腕もいで、貧民街に送り返すからな。わかったか、シノ」
ヨーコなら、本当にやりそうだとキシルは身慄いした。シノノメは未だに目を逸らしたままだが、ちらりとヨーコを見て頷いた。
「わかったら、挨拶しなさい」
「……こんにちは」
英語だった。
いつの間に、とキシルは感心した。
はたから見ていると、子どもの扱いは雑で、心得もないが、大人と同じように接しているためか、シノノメの心をしっかりと掴んでいるようだ。
単に同じ念力能力者、同郷というだけで紹介したのだが、相性が良かったらしい。キシルは手続きについて話をしながら、ヨーコを紹介して良かったと思った。
「この書類書いたら、あとはアークの事務に出せばいいらしい。指紋、声紋、瞳孔の登録は書類が受理されてからだって。んで、その後に身分証が支給される。そしたら、治療費払えるよ。治療そのものは書類が受理されてからだって」
「思ったより簡単だな」
「事務部が大体やってくれるんだよ。こっちがやるのは、本人が書く必要がある書類の記入くらいだ」
「でもシノは字、書けないぞ」
「大丈夫。養子縁組の場合、養子が字書けないことが多いから、里親が書くことが認められてるので」
言われてヨーコはペンを取り、さらさらと書いていく。書き終わって、ヨーコはシノノメに書類を見せた。当然、シノノメには何が書いてあるかはさっぱりわからない。
「シノ、ここ。ここにお前の名前が書いてある」
ヨーコが指差した欄には二つだった。
いくら字が読めなくても、二種類の言語で書かれていることはわかった。なぜなら二つ書かれた名のうち一つは、字が複雑で他とは全く違ったからだ。
「シノノメ・トキテ」
ヨーコが読んだ。
「今日からこれが、お前の名前だ。この下、これは日本語で書いたときの名前だ。後で書き方を教えるけど、よく見とけ」
そこには、『東雲・鴇天』と書かれていた。
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