another side 幽体離脱
ロッソが今いる施設は、カリン達からさほど離れてはいない建物の地下である。
ここは、アークがレジスタンスと指定している超能力者集団の拠点の一つだ。ロッソがそのメンバーの一人だなどと、アークで誰一人気付いていないだろう。
ロッソは普通の人間だ。だから、ロッソの身辺調査は甘かった。アークは、レジスタンスに普通の人間がいることも、その普通の人間が潜入することも想定していなかったのだ。
ロッソのことを知ったら、カリンは怒るだろう。
ロッソはそれだけが、喉に引っかかった魚の骨のように、中々頭から離れない。
裏切ったわけではないから、罪悪感はない。元々、ロッソはレジスタンス側の人間だ。だけれど、アークでカリンと過ごした時間は消えるわけではない。断ち切れない想いに無理やり蓋をするように、ロッソはゴーグルに映る画面を切り替えた。
見えたのは街中の防犯カメラの映像だ。カエラスの能力が無効化されても、ネット回線は生きている。ハッカーとしての腕が買われたロッソには、街中の防犯カメラの映像を盗むことなど、容易かった。
何度か画面を切り替えるが、流石にホテル内の映像はない。破れなくはないが、セキュリティを突破する手間を考えると、そこまでの価値はないと思われた。とりあえず、ホテル近辺のカメラを自動チェックするように、コンピュータにコマンドを打ち込んだ。
「ロッソ」
ずっとディスプレイに見入っていたホランが話しかけて来たので、ロッソはゴーグルの画面を解いた。
薄暗い、地下室。
緩やかに画面透過が行われるが、この明暗差でしばらくホランの顔を認識できなかった。
ぼやけていた輪郭がだんだんと明確になってゆく。
「どうした、ホラン」
「あれ」
ホランが肩越しに後ろを指差す。その方向はアングラとカエラスが座るソファがある。ロッソも肩越しにそちらを見た。腕を組んで座っているアングラの頭が下に向いている。
「あ、アングラ、寝た?」
目の前に座るカエラスは、遠くを視ているため、気付いていない。ホランはゆっくり近付いて、アングラの顔を覗き込んだ。そして、ロッソに頷いてみせる。
「寝たかー。そのヘッドホン、ボスからのってことは、アングラの能力が必要になるって予想してたのかな、あの人」
ロッソはソファに近付きながら呟いた。
ホランがアングラの隣に座ったので、ロッソはカエラスの隣に座るしかない。カエラスが不意にロッソを見た。カエラスは片目を遠視、片目を通常視にすることができる。テレビでドラマを二つ同時に見るような感覚なので、とても疲れるのだそうだが。
多分、隣にロッソが来て、ソファが沈んだからこちらに片目を向けたのだろう。
「アングラさんが、どうかしたんすか?」
「あ、そうか。カエラスは知らないのか。アングラの能力」
「え?アングラさん、普通の人間じゃないんすか?」
超能力者の中には無自覚の者が、僅かだがいる。特に子供ほど無自覚だ。大人に近付くにつれ、この能力は普通ではないと理解するので、遅くともだいたい十代半ばで、自分が超能力者だと気付くのだ。しかし、アングラは三十路を越えた今でも無自覚だ。なぜなら、アングラの能力は寝た時にしか発動しないのだ。
「時間、頼んだぞ」
ホランはカエラスに説明する気はないようだ。ロッソも仕方なく時計を確認する。一人取り残されたカエラスが「えー、何ですか?アングラさんの能力って何ですかー?!」と煩い。
「ちょ……カエラス待って!あとで説明するから」
「えー、酷いです酷いです!あたしだけ知らないの、ズルイっすよー!」
カエラスが隣で弾むので、ソファのスプリングが軋んでロッソまで揺れた。
「うるせーぞ、カエラス嬢」
言われてカエラスはハッとアングラを見た。しかし、アングラは腕を組んで下を向いたまま。寝ている。では、今喋ったのは誰なのか。
「時間がねーんだ。我が儘はよせよ」
声が、アングラより少し高い。喋ったのはホランだ。
だが、喋り方に違和感がある。そもそも、ホランはカエラスのことを「カエラス嬢」とは呼ばない。
「アングラ、とりあえず監視対象がいるところまで飛んでもらっていいかな。状況が少し分かればいい。ここで無理することはないから時間は三十分。よろしく」
「了解」
そういうとホランは目を閉じた。寝てしまったようで、一定のリズムで微かに呼吸音が聞こえる。
「え、どういうことっすか?今喋ったのはホランさんで、でもロッソさんはアングラって呼びましたよね?」
「うん。アングラはちょっと変わった超能力の持ち主なんだ。カエラスは、どんな超能力なら知ってる?」
「遠視、透視、精神感応、瞬間移動、念力とか、かな。複合能力で他にもあるっていうのは聞いたことありますけど、あたしはよく知らないです」
「世間の認識もそんな感じ。アングラのはね、簡単に言っちゃうと幽体離脱だよ」
「え?それって、自分が幽霊になっちゃうやつですか?」
「正確には、魂が体から抜ける。その魂を視認できるとしたら幽霊として見えるってこと」
「じゃあ、アングラさんは今、魂が抜けてるんですか?」
ロッソも正直、魂という認識でいいのかわからない。しかし実際に、アングラは深い眠りにつくと、時々幽体離脱を起こし、霊体となって自由に行動することができる。近くに感応能力者がいたら、アングラの霊体が見えたかもしれない。要は、思念のエネルギー体である。
霊能力者とは、死者の思念を読み取る感応能力者のことだ。古くから、摩訶不思議に分類される出来事は超能力がかかわっている。以前はそれがわからなかったから、神秘だの、異端だのと言われた。
アングラは幽体離脱ができる能力者だ。それ以上でもそれ以下でもない。そして、その力はコントロールできない。深い眠り、つまり脳の活動が低下しているときに起こるのだ。
普通は、超能力を使うと脳の活動は活発化する。その、脳の活動を測定し、超能力の研究を進めている企業の一つがアークだ。だから、アークですらこの能力には気付いていない。また、本人に自覚がないのも、知られていないことを助長している。不思議なことではあるが、霊体のアングラは、自分が霊であることを承知しているのに、である。起きればアングラは霊体での活動を忘れる。
レム睡眠とノンレム睡眠の周期がおよそ九十分であることから、活動限界時間は九十分である。魂がこの時間を超えてもなお、体に戻らない場合は、脳の活動が更に低下し、やがて脳死となる。生命活動維持装置で、少しの間は保つが、それでも長時間、魂が戻らないのは危険だ。だから、時間を気にかけなければならない。
あとは、アングラの魂の媒体となるものが必要である。
アングラの魂は、誰の目にも見えない。今どこで何をしているか、知る人はいない。また、魂と直接会話もできない。なので、アングラの魂は会話するために何かに憑依する必要があるが、何でも憑依できるわけではない。相性のようなものがあるらしく、仲間内ではホランだけが媒体となった。ホランは、低ランクではあるが感応能力者だ。それも関係しているのかもしれない。
そのホランが、薄く目を開けた。
「お、ホラン」
ロッソは、ホランとアングラの区別がつくようになってきた。姿は同じでも、やはり性格が違うし、そうすると表情も何となく違うのだ。
「時間は?」
ホランが聞く。
「三十分で戻るように指示した」
憑依されている間は、ホランの魂は眠っているのだそうだ。だから、憑依されているときに自分が何をして何を言ったのかはわからない。
カリンやトキテに比べると、難儀な能力だな、とロッソはふとそんなことを考えていた。




