another side 遠視
「あれれ?」
素っ頓狂な声に、幾人かが振り返る。
どうした、と聞く声音には、さほど心配している様子は感じられない。
「あのう、なんだか視えなくなりましたぁ」
「はぁ?どういうことだよ?」
黒人の男がヘッドホンを外してローテーブルに置いた。二人はローテーブルを挟んで向かいあって、ソファに座っていた。
「んーと、なんだかピントが合わなくてそこだけボヤけるって感じです。急にそうなっちゃいました」
ああ、と黒人は頭を掻いた。
「シールドか。そんなん持ってたのか」
「シールド?ってなんすか、アングラさん」
「シールドっつーのは、そのエリアだけ超能力を無効化する機械だ。軍事用だから、普通は知られてねーけど。まあ、原理はリミッターと同じ」
「へぇ」
「って、よくわかってねぇだろ、カエラス嬢」
「えへへ、ひどいなアングラさん。つまり、あたしの遠視が効かなくなったってことでいいっしょ?」
気の抜けた笑い声で答えたのは、カエラスという少女だ。
背中の中程まで伸びる黒いストレートの髪に、色白の清楚な顔立ち。外見は、控え目に見ても、美人に分類される。しかし、真っ赤なキャップを前後ろ逆にして被り、ダボダボのTシャツにジーンズという服装は、かなりのボーイッシュ系だ。その上、一見して知的な雰囲気を漂わせる、凜とした顔立ちなのに、口を開けば間の抜けた返事しかしない。そのため、仲間内からは『残念な女』とよく言われているが、こざっぱりした性格のカエラスは気にした様子がない。
彼女は超能力者で、遠視ができる。その距離はおよそ五千万キロメートルと、かなりの広範囲だ。しかし、視るだけで音は聞こえない。また、視るものは人物を中心とした空間で、人がいない空間を視ることはできない。たとえば、金庫の中にある秘密文書を盗み見ることはできないのだ。
「んー、どうします?」
カエラスが聞くと黒人の男―――アングラは腕組みをした。
「通信は遮断している。ロッソがこっちにいる限り、あの女は瞬間移動して逃げることはないだろう。厄介な能力は封じてるも同然。焦ってこっちが行動したら、あっちの思う壺だろ」
「でもでも〜、トキテとかいう奴がいるじゃないですかぁ。あいつがなんかごそごそしたあと、あたしの遠視がボヤけちゃいましたよ?」
「ごそごそって……」
カエラスの能力の不便な点は他にもある。
見たい人物を中心とした俯瞰風景であるということ。見たい人物に近づいて視ることはできない。だから、トキテが機械を操作する様子は、遠目にしかわからなかったのだ。
「トキテは念力能力者だろ。お前の遠視が効かなくなったのは機械のせいだ。ほら、だから能力自体は使えるだろ」
「あ、ホントだ」
カエラスは別の方に顔を向ける。
「おいおい、対象から目を離すな」
アングラは言ったが、シールドが張られていては視えないので、ちょっとくらい目を離しても問題はなさそうだ。
それよりも、相手がシールドを張ったことの方が問題だ。
こちらの事がバレたのだろうか。
アングラは後ろを振り返った。
「なぁ、どう思う、ロッソの旦那」
アングラの背後には、いくつものディスプレイが並び、常に機械が稼働しているファンの音が低く聞こえていた。その中央、ディスプレイの明かりに照らされ、ごついゴーグルをかけたロッソがいた。
「勘がいいからなぁ、カリンは。でも大丈夫。向こうはこっちのことを知ってるわけじゃない。むしろ、可能性を考えた結果だよ。超能力者による監視に気付くところは想定内さ。シールド持ってたのは想定外だけど」
逆光で表情は見えない。そもそも、顔の半分をゴーグルが隠しているので表情が読みにくいのもあるが。アングラには何故か、笑っているように見えた。
「余裕だねぇ、旦那」
騙してる罪悪感はないのか。
それを聞くのは意地が悪いだろう。
「そうかな。アングラだって、ほら」とローテーブルに置いたヘッドホンを指差した。「音楽でも聴いてたの?」
「いや、これはボスから渡されただけ。付けとけっていうから、付けてたけど眠くなる音楽が流れてくるだけで何の意味があるんだか……」
「意味無さそう」
カエラスがつまらなそうに言う。
「ねーねーそれよりどうするのー?」
アングラまでロッソを見る。確かに、カリンやトキテのことを知っているロッソが判断を下すのが適切だろう。
「いやいや、ここで頼られても……。そういうのを考えるのは苦手だし。今回の計画だって元々はボスの案でしょう?」
今回の計画、というのは、トキテとセキヨウをこの辺境地に誘き寄せることだ。
アークは元より辺境地での超能力者探索及び保護を行っている。なので敢えて、中国西部でのレジスタンス活動形跡を残し、情報を漏洩させた。この地での調査に、先に名前が挙がったのはトキテではなく、ロッソの方だ。飛行機乗りが一名、必要になる場所だ。だが、碌な資源も施設もない場所であるため、殆どのスタッフは嫌厭する。それを引き受ける物好きはロッソだと、アークでのロッソの評価は冷たいものである。
そして狙い通り、ロッソに先に白羽の矢が立ち、ロッソから「だったら知ってるエージェントと組みたい」とトキテが指名されるように誘導したまでだ。ただ、トキテの方としても、同じように任務を組むパートナーを探していたのは、ロッソとしては出来すぎた話だと少々警戒もしたが。
正直なところ、何も知らないカリンを巻き込んだことは申し訳ないと思っている。しかしロッソも、ボスからの指令で動いているにすぎない。
「誰か、ボスと連絡とれないの?」
ロッソが聞くが、今この場にはアングラとカエラス、それとホランという長髪の男がいるだけだ。ホランは会話に興味がないらしく、参加どころかこちらを向かない。アングラとカエラスも、少し離れたところにいるホランをちらりと見たが、二人とも肩を竦めた。
「ふーん。ま、じゃあ、カエラスはとりあえず監視続けてて。アングラは……」
ロッソが迷いながらアングラを見る。アングラははっきり言ってしまえば馬鹿だ。頭が悪い、というよりは、要領が悪い。下手すると、アングラは指示したことが裏目に出るのだ。
ロッソは言葉を考え、選んだ。
「ボスからの贈り物をゆっくり堪能しなよ」
なんだよそれ、と不満を口にしたが、アングラは素直にヘッドホンを頭に装着した。
そしてソファに体を預けると、腕を組んで目を閉じた。




