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SHADE  作者: 真木 雫
16/45

子供たちの名前

 ☆ ☆ ☆


 夜はとにかく冷えた。

 熱はどんどん上空へと放出されていく。

 この時ばかりはキシルも、衣食住の中の『住』が人々の生活の中で、如何(いか)に大切なものなのかを思い知ったのだ。自然の中で生きていくことは、とても辛い。

 キシルは瓦礫の間から出していた顔を引っ込めた。瓦礫は絶妙なバランスで組み合い、不思議と崩れる様子は見られない。

 凄いね、と日本語で話しかける。

「地面掘ると少しあったかいんだね」

「ここらへん、他にも人いる。その人がやってるのを真似した」

 多分、地熱だろうと思ったが、キシル自身、地熱でここまで温かくなるとは思っていなかったので驚いていた。日本は温泉が有名だから、地下に温水が溜まっているのかもしれない、と勝手な想像をした。

 キシル達は、子供達の説得とコミュニケーションに時間を使い過ぎ、夕暮れになってしまった。駄目元で、一緒に一晩明かさないかと少年に尋ねたら、(ねぐら)まで連れて来てもらった、という訳だ。

 時刻にすれば午後七時過ぎだが、すっかり日が落ち、辺りは闇に包まれた。キシルがもつ電燈がなければ、何も見えない。だからだろう。少年の夜は早く、気付けば子供二人はお互いを抱き合うようにして寝ていた。

「さっむ!」

 外の調査に行っていたヒサメが戻って来た。

「静かに。もう寝てるから」

「ああ、だね。ここらの人で、乞食(こじき)みたいな人達はもう寝てるっぽい」

「人、いたの?」

 昼間は少年を探し回った。その時は人の気配など感じなかったが。

「夜になって、賭け事やら違法輸入の販売やらで廃ビルに人が集まってたよ。廃墟(こんなところ)でもそんな物資と金があるのかって驚いた。でもまぁ、夜の大人の悪い集会って感じ」

「まさか、行って来たの?」

 キシルが顔を(しか)める。ヒサメは「覗いただけ」と平然と答えた。

「さぁ私たちも寝よう。あ、これ、半分土の中?」

 少年はヒサメとキシルの分の寝床を作ってくれていた。下半身を掘った穴に入れるだけの寝床だ。少年と子供は一つの穴におさまっている。

「意外とあったかいんだ。ビックリしたよ」

「へぇ。ホントだ、あったかい」

 ヒサメもそう言って、長い足を穴の中におさめた。


 翌朝、日が出ると子供たちはすぐに起きた。

 少年は水を探してくると出掛けた。

「ミカサに手を出すなよ」

 少年がミカサと呼ぶのはもう一人の子供だ。

 朝の明るい光の中で見ても、顔から何から黒ずんでいる。伸び放題の髪の毛の合間から、顔がチラリと見える程度だ。

 以前、少年が言っていた、この子供を狙ってくる、とはどういうことなのだろう。

「大丈夫だよ。それより水汲み、手伝おうか?」

「いい。余所(よそ)者がくると面倒。水は貴重なんだ」

 確かに、水が採れる場所をおいそれと他人に教えるはずがなかった。現に、キシルは自分の分の水は持っている。それを言わないのは、他人の分がないからだ。

 少年の姿が瓦礫の向こうに消える。するとすぐに、ヒサメが「ねぇ」と話しかけてきた。

「ミカサって、ファミリーネームよね」

「そうだね。俺ら、ミカサ氏とミカサ女史って呼んでたし」

 少年と子供を拾ったという医者夫婦の話だ。

「じゃあ、この子のファーストネームを知らないと、呼びにくいね」

「うーん……」

 それはキシルも考えていたことだった。

 どうやら、この子供に名前はないらしい。

 少年にも名前がない。キシルは当然、最初に名を聞いたが、少年の返答は「忘れた」だった。

 しばらく名を呼ぶ者がいなかった。だから忘れた。少年はそれを、何でもないことのように言ったのだ。

 ミカサ氏はとりあえずボウイと呼んでいたらしい。キシルは、日本に調査に来る前に、ミカサ氏とメールでやり取りをしていた。そのメールの中で確かに『ボウイ』と書いていた。メールを読んだ時はてっきり『少年』という意味で捉えていたが、呼び名だったのだ。

「名前、付けてやらないと、だな」

「日本人名?」

「ヒサメは何か知ってる?」

「日系でも日本語知らないって言ったでしょ。それに、わざわざ日本人名にすることもないよ。あの子、要するにミカサ氏が拾った孤児でしょ。施設に入ってない孤児にしちゃ、随分しっかりしてるけど。あまり日本人であることに(こだわ)りはないんじゃないかな」

「そうかもね。こっちの子の名前も考えなきゃだし」

 そう言ってキシルが見たのは、先程からスケッチブックを広げて見ている子供だった。

 キシルもヒサメも、スケッチブックを持っているのを不思議に思いつつ、勝手にミカサ氏の遺品だと考えていた。

 中の数ページは、ハッとするほど美しい風景が細部まで描かれている。各地を旅したミカサ氏もしくはミカサ女史が趣味で描いたものだろう。

 残念ながら、今は書くための筆もペンもないので、白いページに新しく絵が描かれることはない。

 その過去の絵の中でも、ある場所の夕焼けを描いた、荘厳(そうごん)な西陽が照らす古い建物の絵を、子供は好んで見ていた。

「夕日……」

 キシルがポツリと言った。

「日本語で何て言う?」

 ヒサメに聞いた訳ではない。翻訳機能付きの眼鏡に聞いたのだが、今は外していることに気付いて辺りを探すと、ヒサメが手渡してくれた。

「あれ、なんで?」

「夜、寝てるときに落としたのはそっちでしょう。掛けながら寝るなんて。瓦礫の隙間とか、穴とかに落ちたら拾えないよ?」

「ああ……、サンキュ」

 改めて眼鏡をかける。度は入っていない。見た目は普通の眼鏡だ。ただ、先セル、つまり眼鏡の耳にかける部分が少し(ふく)らみを持つ。その部分に、超小型のコンピュータが内蔵されている。片方にはスピーカとマイクも入っているから、音声認識が可能なのだ。

「夕日」

 改めて言葉を出すと、耳に小さく日本語が流れた。四件見つかりました、という機械音声のあとに「ユウヒ」「ユウヤケ」「ニシビ」「セキヨウ」と聞こえた。すらすら流れる日本語に、キシルは最後の単語を覚えるだけで精一杯だった。初めの三つなど、一秒後には忘れてしまった。

「セキヨウだって。どう?この子の名前」

「それ、日本語合ってるの?それに、名前にするのが変な単語だったらどうするの?」

「じゃあ、英語にする。ドゥンとか」

「それは夕日じゃなくて夜明け……まぁ、いっか」

 とりあえず、少年(ボウイ)が戻って来てから聞こう、という話になった。

 ヒサメは何の疑問もなく、ボウイと言ったが、キシルは何となく、違和感があった。ボウイという名前は実際にないわけじゃないのだが。

 早く、名前を付けてあげたい。そう思うが、この無口な子供と違い、自分の意思や主張をはっきり言う少年には、自分で考えさせてやりたいとも思った。


 ………


 瓦礫の影では、水を汲みに行ったはずの少年が様子を見ていた。

 今まで、何度かあの子を狙った大人がやって来た。何故かはわからない。ミカサは何も教えてくれなかった。だけど、守らなきゃと、それだけははっきりしていた。

 あの二人組みが、あの子を(さら)うつもりなら、自分がいなくなったこの(すき)を狙うと思ったのだ。しかし、異国の言葉で何か話すだけで、動く気配はなかった。

 君に会いに来たんだ。

 キシルと名乗った男は、そう言った。

 その視線の先にあるのはミカサの子ではなく、自分だった。それが何故だが、胸の奥が(ざわ)めくような、落ち着かない心地になった。

 心を落ち着けるためにも、警戒心は緩めなかった。

 そう言いつつも、ミカサの子を狙っているのかも。

 そう考えもしたのだが。

 隠れ家にしている瓦礫の(あなぐら)で、あの大人たちは自分の気配に気付く事なく談笑しているように見えた。

 本当に、俺に会いに来たのか。

 少年は未だに信じられない、心の(わだかま)りを残しながら、本当に水を汲みに行った。


「名前?」

 水を入れた、穴が空いて汚れたボトルを両手に抱えて戻ると、突然そんな事を言われた。

「そう。やっぱり不便だと思うんだ。それで少し考えたんだけど、この子の名前、セキヨウってどう?」

 キシルが嬉しそうに言った。ネーミングに満足しているようだ。

「セキヨウ?何て意味?」

 聞くとキシルはあれ?と首を傾げた。

「日本語のはすだけど……」

 メジャーじゃないんじゃない?と(かたわ)らのヒサメが言う。

「検索かけると、第一候補はユウヒでしょ。セキヨウは最後の候補。もしかしたら、古語とかかもよ」

「夕日って意味?」

 大人達との会話はワンテンポ遅れる。どうやら、機械の翻訳を通しているらしい。

「そうそう。どうかな?」

 瓦礫の街の夕方は、その瞬間だけ綺麗で、ここが貧民街(スラム)だということを忘れさせてくれた。

 そんな刹那(せつな)の時を切り取った呼び名。

 (まぶた)の裏に、何もかもを優しい朱色で包む、大きな太陽が見えた。

 セキヨウ。

 素直にいい名だと思えた。

「うん、いいと思う」

 そしてセキヨウの方を見た。自分のことだとわかっているのかどうか。キョトンとした顔でセキヨウはこちらをみた。

「お前の名前、セキヨウだってさ。これからセキヨウって呼ぶから。いいな」

 頷き返すこともしないが、セキヨウには伝わった気がした。

 よし、とキシルが手を合わせる。

「次は君の番だけど、何か好きな物や言葉はある?」

「す、き……?」

 思いもよらない質問だった。

 考えた事もない。その日を生きるので精一杯だった。貧民街(スラム)はそう言う場所だ。腕を無くしたときも無感動に、死ぬのかな、と漠然と思っただけ。

 感情というものが欠如している、と言ってもいい。

 だから、わからないと首を振った。

 あ、じゃあ、とキシルは嬉しそうに言う。

「俺たちで考えても良い?」

「何でも良い。……そうだな……。覚えやすいやつが良い。もう、忘れないように」

 セキヨウを見ながら、そう答えた。

 かつては名前があったはずだった。しかし名前で呼ばれるよりも、「お前」や「おい」などと呼ばれ、(ののし)られることが大半だった。

 その、暴力的な大人たちが支配する地獄から逃げ出してしまえば、名前はおろか、少年を呼ぶ者がいなかった。ミカサ夫妻に会うまでは。

 ボウイと呼ばれたが、異国の言葉はやはり違和感を感じた。

 キシルは何やらブツブツと呟いている。異国の言葉だったが、あるところでピタリと止まると、少年の方を振り向いた。

「シノノメってどう?」

 日本語だというが、少年にはわからない言葉だった。

「えっとね、セキヨウと対になる言葉がいいかなって。明け方の明るくなる空を指す言葉らしい」

 そしてキシルは目を細めて少年を見た。

「この名のごとく、君の明日が明るくなるように」


 ☆ ☆ ☆

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