第三十二回 六日の縁者
テキーラは観念して、周瑜と目を合わせ、顔の赤さに比例して、徐々に唇を近づけていった。
そして、距離が狭まるのに反比例して、その速度は遅くなっていった。
(まだ心の準備が出来てないのに……ごめんなさい周瑜さん)
「ほら、さっさと、こうするのだ!」
それを見かねた周瑜は、自ら、豪胆にテキーラと唇を合わせた。
「!?」
目を点にするテキーラから唇を離し、ミネリーヌを向いて、
「……これでいいのだ? ミネリーヌ殿」と、尋ねる。
「は、はい……よくわかり、ました……」
ミネリーヌは何か不服があるのか、地団駄混じりにスタスタと足を進め、会場を後にした。
「あの、すみません……」
「何がなのだ?」
「周瑜さんのキスを、奪ってしまって……」
周瑜は首を横に振った後、優しく告げる。
「接吻の一つや二つ、どうて事無いのだ。だって今は、彼氏と彼女の関係だからなのだ」
「はぁ、そうですか」
「ふぁー、楽しかったと言われれば楽しかったけど、疲れたと言われれば疲れたのだ。じゃ、また明日なのだ」
背筋を伸ばしたり、腕を回したりしながら、周瑜も会場を後にした。
「丁度いい所で戻りましたね、周瑜殿」
外に出ると、掃除用具を片付けた直後の三人が待っていた。
「あっれー、あなた達はいつから掃除係になっていたのだ?」
「それはこっちが聞きたいれすよ……はぁ、疲れたれす。早く帰りれしょうよ」
「なのだ。明日も宴会をやるって言ってたのだし」
四人は爪先の方向を揃えて歩みだした。その時、
「いたぞっ、周瑜の姫様だ!」
茂みなり物陰なり、あちこちから、どこかで見た事のある武装した、十数人の男達が現れた。
「おい、こいつらスペッチの部下じゃねえか!?」
「へへへ、そうだ! 周瑜! 貴様を殺して、富を奪ってやるぞ!」
男達は容赦無く、数を持って四人に飛びかかる。
「こんな事もあろうかと……周瑜殿、これを!」
周瑜は、呂蒙が念のため持っていた鏢重剣を受けとり、構える。
「人様の彼女を襲うとは、この下衆どもめ……最低なのだ!」
「アタシの記憶が正しければ、周瑜殿も似たような真似をしたような……ゲフンゲフン、上げるぜ、終戦の鬨を!」
周瑜は幾多の鏢を舞わし、魯粛は眼前の敵に矢を浴びせ、呂蒙は片っ端から盾で殴り、陸遜は的確に火弾を放つ。その結果、無頼の輩はあっという間に地を舐めさせられた。
「お、おのれ……」
「あ、まだ一人生きてたれすね」
「丁度いい、一つ聞きたい事があったんだ。おい手前、どうして周瑜殿を襲おうとしたんだ」
一人の男は、陸遜を見上げ答える。
「さっき言った通りだ! 金が欲しいからだ!」
「はーん……俺の見解だと、帰り際を襲うというその計性と、手前らの頭の悪さとの落差から、『誰かに指図された』ように見えたんですけど」
「確かに、そういう部類の襲撃にしてはやたら人数が多いし、それに金が欲しければ国王を狙えばいいわけだぜ?」
「何度言えばわかる……金が欲しいからっつってんだろうがぁ!」
最後の抵抗として投げられたナイフを、陸遜は爆炎槍で払う。直後、陸遜は彼の顔面へ強烈な蹴りをお見舞いした。
「さて、この件はどう始末しますか、周瑜殿?」
「勿論、上に報告する以外ないのだ! 周公瑾を襲った罰は軽くないのだ!」
*
四日目。その日の始まりは、非常にどんよりとした物となった。
事を周瑜より聞いたテキーラは、彼女と他三人を連れ、スペッチの部屋を訪れた。
「おい何だよ、まだ早朝だぞ。気が早いんじゃないの……」
「スペッチ! 君に聞きたい事がある!」
寝起き早々だろうが、親友だろうが、お構いなしに、テキーラをスペッチを追及する。
「昨日の晩、僕の周瑜が君の兵に襲われたんだ、当人は『単なる私欲』でやったと言うけど……ひょっとしたら君が何か絡んでいるんじゃないかと思ってね。友として、正直に答えて欲しい」
スペッチは言われた通り、正直に答えた。
「いや、全く知らん。昨日は疲れてて早めに寝たから」
「そんな……頼む、ほんの些細な事でも構わないから何か……」
ここで何を思ったか、脇からミネリーヌが割って入る。
「あなた、本当にスペッチの友達? 当人は『知らない』って言ってるし、そもそも『友達』なのにこれ程までに疑うんですか?」
「そ、そうだ! 大体俺がお前の彼女を襲った所で何の利益がある!」
二人の言う事はおおむね筋が通っている、故に、テキーラは二人に圧され、
「ですよね、すみませんでした……」逆に頭を下げてしまった。
「別に謝る事でもねぇよ、えと、テキーラ。むしろ謝るのはこちらだ、すまん、俺の味方がやらかして」
かくて孫呉の四人は、手柄なしでスペッチの部屋を後にした。
「周瑜さん、君がちょっと考えすぎただけじゃないんですか?」
「いんや、あれは絶対裏があるのだ。美周郎の才を見くびっては困るのだ」
「だとしても、今回は溜飲を下げてください。今日は宴、しかも自国の諸侯を大勢集めてのものですから、雰囲気をぶち壊されればひとたまりもありません。昨日キスしてくれたみたいに空気を読んでください」
「うう、煮えきらないのだ。けどわかったのだ」
「じゃあ僕は用事があるから、呼ぶまで大人しくしてください」
テキーラが去ってから、即、三人は周瑜に問いただす。
「周瑜殿、テキーラ殿と接吻したんれすか?」
「以外と強気だな、周瑜殿」
「まさか本気でテキーラ殿の事が……」
「いや、違うのだ! これは仕事の一環なのだ! 何かミネリーヌ殿が『お前ら本当に愛してるのだ? 愛してるなら接吻してみせるのだ』的な事言ってたからなのだ!」と、周瑜は否定する。それを聞いて魯粛は、
「へぇ、人に接吻を強要するとは、随分と無礼れすねミネリーヌ殿。で、それをした後彼女はどうしたんれす?」
「期待はずれでしたって背中で語りながら帰っていったのだ」
「ははん、なるほど……これは黒れすね」
魯粛はもう、何かを察した体であった。
「何を考えたのだ魯粛。つくづくあなたは発想がとち狂ってるのだ」
「外交官としてよく活躍してたから、人の心を読む事はお茶の子さいさいれすよ。
……さて、本題れす。私の読みが正しければ、もしこのままスペッチ、いや、ミネリーヌを野放しにすればろくな事にならないれす。れすからここは奴らに釘を……」
「周瑜様、そろそろお着替えの時間です」と、最高にタイミング悪く、メイド長は言った。
「それと三人は、この辺りの掃除をしてください」
「何でだ! アタシ達は周瑜様の従者って設定だぜ!? ならそこまでついてっても……」
「着替えにそこまで守備はいりませんから。あなた達は成すべき仕事をしてください、いいですね?」
こうして三人は周瑜を奪われ、廊下に取り残された。
「くっそ、あいつもミネリーヌにやられてるんじゃねえのか!?」
「まずいれすよ。もし周瑜殿を一人にすれば、ミネリーヌはそれを必ず突いてくるれす。そしたら奴のやりたい放題れすよ」
魯粛が焦燥に駆られる中、陸遜は冷静に、
「なるほど。なら、これはむしろ絶好の機会ですよ」と、言った。
何故か、と問われると陸遜は、
「周瑜殿が一人になるというこの絶好の機会となれば、きっとミネリーヌは大胆に動くでしょう。それを逆手にとれば、奴の足元は大きく揺らぐはずです」と、返し。二人を大きくうならせた。
「流石だ陸遜! ……ところで、魯粛殿、結局ミネリーヌは何を考えているんだ?」
「ああ、それを言わないと策が成せないれしょうね。わかりれした、簡潔に言うれす……」
*
「よし、完璧なのだ」と、ドレス姿の自分を鏡に写し、周瑜はつぶやく。刹那……
「お疲れ様です、周瑜さん」
ミネリーヌが、テキーラに案内され――『案内させ』が正しいだろうか――、控え室にやって来た。
「今、テキーラさんの案内で挨拶回りをしていました」
「……それにしては、いつもに増してにやにやしてるのだ、ひょっとして、まだ何か考えたりしないのだ?」
「勘が鋭いですね、周瑜さん。では、丁度テキーラさんもいますし、もう一つ質問を……お二人は、本当に本当に愛し合ってるのでしょうか?」
勿論、と、二人は即答する。と、ミネリーヌは「わっ!?」テキーラを周瑜へ押した後、微笑みながら言う。
「なら、ここでしてくださいよ」
「してって、何をですか?」
「カップルらしい事ですよ。いいじゃないですか、ここは『LoveCraft』ですから、してもノーリスクですよ?」
この発言により、二人はその意味を大体さとった。
「ちょっとミネリーヌ殿、それはちょっと節度が足りてないと思うのだ!」
「いいじゃないですか友達ですもの。ははん、さては二人ともそこまで仲良くないんですか?」
その不遜さ、即行叩ききってやる。と、周瑜は一時思ったが、ミネリーヌの飄々さから裏に何かある事を察し――実際、部屋の外にはスペッチとその部下が待ち構えていた――取り止め、行動不能の状況に陥ってしまう。
「ご、ごめんなさい周瑜さん……僕が、変な意地を張ったばかりに、こんな事に巻き込んでしまって」
「ううん、大丈夫。意地の張り所はここで終わりなのだ」
「へ?」と、テキーラが疑問符を浮かべた瞬間、部屋にのそのそと、スペッチがやって来る。
「ちょっ、スペッチ! 防備はどうしたんですか!?」
「見ての通り、もう終わりだぜ」
続いて、魯粛、呂蒙、陸遜が、揃って無傷でやってきた。
「あなた達、一体どうやってあの包囲を!」
「『あなたの彼女はテキーラに恋している』と、いったら通してくれたんですよ」
「やたら二人の愛し具合を探っていたのは、自分の付け入る所を探している事に等しいれすし、他の女の邪魔をしたがるのも、愛情表現の一つれすよ……
ミネリーヌ殿、あなたは『自分の彼氏を裏切る』という、最低な事をしてるんれすよ! その自覚はあるんれすか!」
人一倍お人好し、故に人一倍悪人には厳しい魯粛は、すこぶる憤怒し、ミネリーヌを稲妻の如く叱責する。
直後、何故かスペッチは頭を床につける。
「おい、お前は謝る必要は無いんだぜ……たぶん、被害者だろ?」
「いや、俺は加害者だ! すまない……実は俺、スペッチじゃないんだ!」
「え、じゃあ本物のスペッチは……」
「はい、私です……」と、ミネリーヌは申し訳なざげに言うと共に、己の情報ウィンドウを見せる。
名前:スペッチ・オノドレ
性別:女
「なんで、こんな嘘をついたんですか……?」
「女の子だって言ったら馴染まれないと思ったから……後でさらっと言えばいいかなとも思ってた、けどだんだんと仲良くなっていく内に、だんだんと、何て言うかその、恋心が芽生えて来て、心境が複雑になってきて……」
「って事はまさか、今までの嫌がらせは……」
「ある日、テキーラさんに彼女がいるのかどうか気になって、『そういや俺、姫っていうか何て言うか……彼女が出来たんだけど、お前はどうだ?』って言って様子を探ってみたら『うん』って返されて、本当かどうか調べるために傭兵団を雇って『一国の長』を偽って来てみたら、本当に彼女がいて……嫉妬して」
スペッチは頭を下げ、こう叫んだ。
「本当にごめんなさいテキーラさん! 今までずっと騙して、迷惑かけて!」
テキーラは、どう言葉を返せばいいのかわからず、ただ狼狽えた。そこへ呂蒙が、機転を利かせて彼に声をかける。
「ところで、給料の件なんだが……いくら払ってくれるんだ?」
「えっ、ここで言うタイミングですか!?」
突拍子もない発言により困惑するテキーラ。さらに周瑜も、
「ああ、危うく忘れる所だったのだ。ボクの分はちょっぴり多めにして欲しいのだ、なんせ数日前からずっと彼女役をやってたからなのだ」
「え、彼女役……」と、スペッチは頭を上げ、目を点にして言った。
「あ、ああ……はい、すみません。実は僕も、とんでもない嘘ついてましたね……そうです、彼女なんていませんでした」
テキーラは流れで、スペッチに謝る。その傍ら、「ほら傭兵さん頭をあげて、一旦外で冷やしましょう」四人は傭兵と共に退室する。
そして、部屋に二人っきりになった後、スペッチは照れ臭そうに言う。
「なら、今新たに出来ませんか?」
「はい、構いません」
*
その後、宴会にてテキーラは、各諸侯に向けてスペッチと共に寄り添う事を宣言し、祝賀ムードを作り上げた。
そして五日目、テキーラは孫呉の四人に報酬を渡すと共に、
「ありがとう、君達のお陰で五日分以上の彼女を得られた。僕達は、それを心より感謝します」と、告げ、スペッチと共に、彼女達を見送るのだった。
「で、どうだったれすか、数日間のお姫様生活は?」
「楽しかったけど疲れたのだ。やっぱ美周郎は戦場に居てこそ輝くのだ」
「流石だぜ周瑜殿は、やっぱそうでなくちゃ」
「けどテキーラ殿はそこそこ魅力的だったのだ、食おうと思えば普通に食えたのだ」
「その気があったんですか……至極いらない情報ですね。周瑜殿」
【第三十二回 完】




