プロローグ
「貴公らの勇敢さに感謝する」
魔物討伐隊長は、報酬も約束されない戦いの為に馳せ参じた戦士達に深々と頭を下げた。
正規の兵は既に敗走を始め、街には王も兵士も民も殆どいない。居るのは、統率を失いただただ本能に従って破壊の限りを尽くす魔物達だけだ。
集まった兵士達の戦う理由は様々。故郷をこれ以上魔物の手により辱められるのを防ぐ為。自らの力を示す為。魔物に個人的な恨みを持つ為。ただ、戦いたい為。不純な目的から、賛美されるべき尊い目的まで、本当に様々である。
しかし、目的がどれ程違えど、これから行う事を誰もが同じだ。魔物を討伐する。ただそれだけだ。
「あんた、周りの奴とは雰囲気違うな」
討伐隊の面々が戦地に赴こうと、集会を開いていた家屋から出て行く中、若い冒険者であるローデは集まった面子の中でも一際異色を放つ大柄の男に話しかけた。
フードにより表情は殆ど窺い知れないが、口元には不気味な笑みが張り付いていた。
「騎士でも、冒険者でも、傭兵でも、それこそ無頼のチンピラでもない。あんた、一体何が目的でこんな得にもならない戦いに参加するんだ?」
ローデは剣を手元で弄びながら、大男に問いかける。
彼は真面目な男ではない。このような戦いに参加する理由などあるとは思えない程に。
故、同じく戦う理由などどこにもなさそうな男に一種の共感と、興味が湧いたのだ。それも危うい興味だ。
「そう言うお前さんだって、こんなところで熱心に戦うような奇特な奴には見えねぇなあ」
「まあね。一文にもなりゃしない戦いは、出来れば御免被りたいんだが、ここは俺の故郷だ。色々恩もある。連中の好き勝手にはさせられない」
ローデの言葉を聞き、男は更に口角を上げた。そして、フードで出来た影からその鋭い眼光を覗かせる。その目は、ぞっとするほど力強く、しかし、何も秘めてはいない、空っぽだった。
「いい理由だ」
「で、あんた?」
「けじめを付けに行くのさ」
「けじめ?」
思わぬ回答におうむ返しに聞き返すと、男は口の中で低く、そう、と唸る。
「俺等がやらなきゃなんねぇ事なのさ。誰でもねぇ、俺等本人がな」
「ふーん。じゃあ、俺はあんまし邪魔しないほうがいいな」
「ああ、すっこんでてもらっても構いやしねぇよ」
「俺はローデ」
歩き始めた巨大な背中に、ローデは叫ぶ。
「あんた、名前は?」
「……ジャック」
「似合わねぇ名前」
「いいや、ぴったしさ。俺等にゃ、ぴったしの名前だ」
何かかが焼ける匂い。それに渇いた風に、まとわりつく血の香り。
それは戦場だった。よく見知った、戦場だった。
嘗て魔王と呼ばれた男が居た。
幾千、幾万の悪鬼羅刹を率いて、帝国を作った。この世から憚られた魔物達の国。その頂点に立つ者、それが魔王。その名をネイヴ・ボス。
悪行の限りを尽くし、力の限り侵略し、多くの魔物を率いた最強の魔王。
だが、彼は勇者によって殺された。その命と引き換えに。
勇者と魔王の相打ち。それが既に三年ほど前の事だ。世界は、魔王の悪行の傷が癒えるどころか、今まで以上に傷ついていた。
魔王の死により、抑圧されていた者どもが活動を開始し、統治を失った魔物達は限度なく暴れ始めた。魔王は人々にとって恐怖の対象であったが、それは支配される魔物達にとっても同じだったのだ。彼は国を生み出す程の力を持っていたが、そこには誰一人として味方などいなかったのだ。
勇者を失った人々は、何処からともなく無尽蔵に湧き出す魔物達に徐々に押されていった。時代が荒み、人々の心から余裕がなくなれば、国は散り散りになって、抵抗する力は薄れて行く。そこにまた、魔物が攻めて行くる。その悪循環の連続で、地図上からは次々と国が無くなっていった。
人類統率のシンボル勇者の死亡と、魔物統率のシンボル魔王の消滅は、世界にとって余りにも大きな出来事であったのだ。
しかし、そうであったとしても、希望を捨てる者ばかりではない。
騎士、傭兵、冒険者、様々な者達が、種族、性別、出身、何一つ関係なく集まり、魔物討伐隊を結成するにも至った。彼らは勇者に変わる人々を統率するシンボルになろうとしていた。バラバラになっていた国々も、その流れに便乗する様に徐々に結束を固め始めた。
だが、その様な動きを始めたのは人間だけではない。
「このまま魔物を全て掃除するぞ!」
討伐隊に加わっていた誰かがそう叫ぶ。星だけが見守る中、その声は戦場によく響く。呼応する様に、獣じみた唸り声、飜る剣がそれを切り裂く。
街に入り込んでいたのは、下級の獣型の魔物ばかり。数は多けれど相手に出来ない程ではない。数時間と戦っていると、街からは魔物達の姿は消えていた。
「あらかた片付いたか?」
「ああ、だが……」
弱い。この街は一日として持たずに魔物どもに蹂躙され、敗走を余儀なくされたと言うのに、街の中に居たのは野生動物レベルの雑魚ばかりだ。
「魔物どもは既に違う場所に移動した可能性があるな」
「一度討伐隊を集めよう。街の中心に広場があった筈だ」
討伐隊長の命令通り、討伐隊は街の中央にある広場に集まった。何処も魔物は獣型ばかりで、怪我をした者も少なかった。
「ジャックのおっさんがいないな」
「どうした?」
キョロキョロと辺りを見渡すローデの様子を心配に思った討伐隊長が近付いてきた。
「いや、一人いないんだ。大柄のフード被ったおっさんだよ。目立つから居ればわかる筈だけど」
「心配だな。何処かで隠れていた魔物にでもやられたか? ……あるいは既に状況を把握して、他の街へ移動したか……よし、我々もここから移動して――!!」
指示を出そうとしたその時だった。二本の火柱が石畳みを突き破って、畝りながら討伐隊を薙ぎ払った。
「皆、大丈夫か!!」
何とか生き残った者達が、悪い予感に顔を強張らせ、火柱が奔ってきた方向に目をやった。
そこには細身の人型の魔物と、後ろには大小様々な魔物が列をなしていた。
「少々様子を見ていれば、勝手に集まってくれて、気が効くなお前達」
先頭に立つ人型の魔物が、馬鹿にしたような口調でそう言う。明らかに今まで戦ってきた魔物よりも高位の存在。
一撃の魔法で、既に討伐隊で動ける者は三分の一ほどになってしまっていた。
それでも彼らは、震えながらも各々の得物を健気にも構える。その姿に嘲笑を隠すこともない。
「足掻くな、人間。新たな魔王であるこのエジューに敵うわけがない。無駄な事をしなければ、命ぐらいは助けてやる。どうせ居ても居なくても変わらんのだからな」
「ふざけんじゃね!」
エジューの言葉に激昂したローデが飛び出した。
怒りに身をまかせる事で、恐怖に支配されるのを何とか阻止しようとしたのが、結果は同じだ。半ばヤケクソの特攻をしても、エジューの魔法により焼き払われるだけだ。
「勇敢さと無謀さの違いがわからんようだな。死ね」
再び腕を振るうと、一本の火柱が地面を割りながら奔る。
ローデは、熱と光で思わず目を瞑ってしまった。情けない。心の中で、自分にそう痰を吐いた。
「無謀? いいじゃねぇか。臆病になっちまうよりかあ、ずっとマシだ」
ローデが目を開けた時には、目の前には火の壁ではなく、大きな背中の壁が立って居た。
「ジャック……あんた……」
「言ったはずだぜ。すっこんでな。けじめは俺等が付ける」
エジューは酷く驚いていた。
それは突如として現れた男が、自らの魔術を片腕だけで打ち破ったからではない。その声に、立ち振る舞いに、既視感を覚えざるを得なかったからだ。
しかし、あり得ない。あり得るはずがないのだ。そんな事は、ない。
「そうだ。あり得ないのだ。そんな馬鹿げた事があってなるものか」
「何がありえねぇってんだ。俺等に聞かせちゃくれねえか?」
「そんな事があってなるものかあ!!」
エジューは両腕を思いっきりジャックに向かって突きつける。そこから龍にも似た炎が飛び出しジャックを包んだ。
最大火力の魔術により、一瞬で空気は焼け付く程に熱され、ローデは息をするのも辛かった。その様な魔術を直撃したジャックは当然生きている様には思えない。だが、
「私が新たな魔王だ! 私だけが、魔王なのだ!」
エジューは攻撃を止めない。自らの魔力全てを吐き出さん勢いで、魔術を使い続ける。そこで立っていたもらっては困るからだ。完璧に、跡形もなく、焼却されていなければならないのだ。
火の勢いは更に増す。荒れ狂う火の奔流に巻き込まれない為にも、討伐隊はその場から離れ始めた。
「ああ……安心しな」
声が聞こえた。酷く低いその声は、どこか楽しげで、それでいていつだってどこか悲しげだ。
エジューはその声にも顔にも覚えがあった。
火の勢いでフードが外れてしまったせいで、スキンヘッドが露わになっている。
その頭皮に刻まれた剣の様なタトゥーは、嘗て魔王と呼ばれた男。ネイヴ・ボスがしていた物と同じだった。
「魔王なんてのは、もうこの世にはいねぇよ。俺等もてめぇも含めてな」
「なぜ、ボス。貴方が生きて――」
放たれた拳は、エジューの身体を粉微塵にし、後ろで待機していた魔物達も貫いた。
余りにも一瞬の出来事に討伐隊の面々は、それが高度な魔術か何かであると頭の中で自然に辻褄を合わせた。討伐隊の中に、高位の魔術師が参加してくれていたのだと。
纏わり付いた火を振り払うと、ジャックは再びフードを被る。討伐隊の面々は、一瞬の事と火の勢いによりジャックの正体には気づいていない。
「ジャック、あんた……まさか……」
ローデ、一人を除いては。
フードが作った影より覗くその眼光が、最初の家屋で見たものとは全く別のものに思えた。
「俺等はただの無頼のろくでなしさ。いつだってそうだった。今も昔も、変わらずにな」
顔には相変わらず笑みが張り付いていた。狂った様な、空っぽの笑みが。
何も言えなかった。聞きたい事は山程あったのに、何一つとして口にする事が出来なかった。
じっと、ふらつきながら消えて行く無頼漢の背中を見つめる事しか、ローデには許されていないかの様に。