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時間は遡り、入学式直後へ戻る。夢華が体育館を出ようとすると、後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには雛子がいた。雛子の眉はつり上がっていて、機嫌が良くないのが一目瞭然だった。
「えっと……。」
誰だ。夢華の頭の中には雛子のことは
抜け落ちていた。そのため、雛子のことがどこの誰か分からない状態となっていた。
「青山雛子よ!あ!お!や!ま!ひ!な!こ!」
雛子の声に、周囲を歩いていた生徒達が注目する。新入生は心配そうであったり、何事かと野次馬心がはたらいてチラチラと見ていた。一方二年生以上はまたか、と呆れたように苦笑いしていた。
「は、はぁ。それで青山……先輩?が私にどういう用ですか?」
変な先輩に絡まれてしまった。それが夢華の今の正直な感想だった。
「貴女ちょっと可愛いからって調子乗らないでよねっ!」
「は、はぁ……。」
いまいち要領をえない夢華。
「とにかくっ!調子に乗らないこと!分かった!?」
「は、はい……。」
これ以上面倒なことになるのを避けるには、こう言うしかなかった。しかし、どういう意味なのか皆目検討のつかない夢華であった。
「よろしい。じゃ、そういうことで。」
そう言い残し、雛子は去って行った。
「あー、ごめんね、雛ちゃんが迷惑かけちゃったね。」
夢華の背後からやや低い女子生徒の声。夢華が再び振り返ると、一度見たことのある女子生徒であった。
「あ、どうも。あ、さっき入口にいた……。」
入口で新入生に席の案内をしていた上級生だ。夢華はそう思い、会釈する。
「えぇ、案内係をちょっとね……。あの子も悪い子じゃないんだけどね……えっと、私書記の金田由香。よろしくね。」
「あ、えっと白河夢華です。」
「えぇ、知ってるわ。新入生代表の挨拶良かったわ。」
「ありがとうございます。……やっぱ生徒会の人だったんですね。」
「意外かしら?」
「いえ、妥当だなーって思って……。」
夢華が何気なく由香の制服を見ると、あることに気づいた。リボンの色が青色だったのだ。自分がつけているものは、赤色。学年によってこの胸元のリボンの色は変化するようだ。つまり、新入生である自分でもこのリボンの色を見れば少なくとも同級生かどうかは分かるということだ。それは、先ほど通学路でぶつかった綺麗な人が同級生かどうかも知ることが出来るかもしれないということでもある。夢華の気分が高揚する。
「なら良かった。実は成り行きでね。雛ちゃんが生徒会長に立候補した時に副会長して欲しいって言われたんだけど面倒そうだから書記にしたの。」
由香が言う。しかし、夢華の興味はすでに通学路でぶつかった人、つまり姫菜の学年についてに移っていたため聞いていなかった。
恐らく、後で由香の生徒会での役職を聞いても夢華は、分からない。と答えるだろう。
夢華が由香と別れ、自分のクラスに着くと、クラスメイト達に囲まれた。どこの小学校出身なのか、何が好きなのか、この後良かったら遊びに行かないか等。夢華は少し面倒だと思い、適当に答えた。しかし、その態度がかえってクールビューティだ、高嶺の花だと、周囲を余計に盛り上げてしまった。
このクラスにはあの人はいない。クラスを一通り見渡した時、夢華は心底残念であった。
その見た目とそれに合ったクールな対応、そして、新入生代表というカリスマ性。夢華がクラスで人気になっている理由は、もう一つあった。それは、彼女の運動神経だ。小学生の頃、体育の授業では、その部活に入っている生徒よりも活躍していた。体育の教師が試しに夢華を自分が受け持つバスケットボール部に体験入部させると、部員を含め、その場にいる誰よりも機敏に動き、正確無比なシュートを行った。
それから彼女は様々な部活に体験入部をさせられた。させられた、というのは、本人の意思とは関係なく、半ば強引だったからだ。夢華の噂を聞きつけた他の運動部の顧問が、夢華を体験入部させた。そこでも夢華は活躍した。その結果、各部で夢華を奪い合うこととなったが、彼女が助っ人として他校との試合の際のみ部員とする、という特別待遇をすることで事態は収束した。
夢華は同年代で、自分よりも優れた物を持っている者に会ったことがなかった。それは、容姿にも言え、決して自意識過剰という訳ではなかったが、それなりに自信があった。だから衝撃的だったのだ。自分よりも美しい、そう素直に思える姫菜に会ったことが衝撃的で、何より新鮮であった。
翌日から夢華の元には男子が群がった。話の内容は、昨日と似たり寄ったりなもので夢華は心底退屈であった。
次の放課にはあの人を探してみようか。授業中、密かにそう思う夢華。楽しみがあると、自然と顔が緩む。それを見た一部のクラスメイト達は美しくも愛らしいその姿に心を鷲掴みにされたのだった。
放課になると、夢華が姫菜を探すために動こうとする。しかし、それをクラスメイト達に阻まれた。再びの質問ぜめ。イライラするのを必死に抑えつつ夢華はあしらう。
結局、夢華は姫菜を探しに行くことが出来なかった。放課、一人になれなかったのだ。
「はぁ、最悪……。」
帰宅のため、校門付近まで来た時思わずため息がこぼれる。
校門まで行くと、クラスメイト達が夢華を待ち伏せしていた。夢華の姿を見ると、夢華を囲み、これからどこかへ遊びに行こうと提案していたのだ。
「じゃあねーお姫、ゆりりん。」
「おー、じゃあねー、お姫、みさっち。」
「ばいばい。また明日。みさっち、ゆ、ゆ、ゆり……りん。」
少し前の方で、女子生徒三人組の会話が聞こえる。その中に、夢華は聞き覚えのある声を聞いた。それは探し求めていた姫菜の声にそっくりだったのだ。もしかしたら本人かもしれない。そう思い、前方の三人組を確認しようとするが、クラスメイト達に囲まれていて全く見えなかった。
「ちょっ、ちょっと待って。道開けて。」
夢華がそう言って、周りのクラスメイト達を押し退け前に強引に進んだが、三人組はすでにいなくなっていた。
夢華は、内心苛立ちながらも、急いでいるからまた、明日聞く。と言い道路まで出る。しかし、すでに何人も同じ中学校の制服の学生が多く帰宅しており、その中から姫菜を見つけることは困難だった。
仕方ない、帰ろう。もしかしたらさっきの声も似てるだけかもしれない。そう自分に言い聞かせ、夢華は帰路に着いた。
「えっ……。」
それは目の前にいた。一度見たあの後ろ姿がいたのだ。今回は走っていない。ゆっくりと歩いている。そんな後ろ姿でさえ夢華には美しいと感じれた。
曲がり道、チラッと一瞬横顔が見えた。間違いない、あの人だ。夢華の心は嬉しさでいっぱいだった。探していたあの人を見つけられたということ。そして、自分と通学路を通って通学しているということ。その二つが嬉しくて仕方なかった。もしかしたら一緒に通学出来るかもしれない。少し、少しだけ後をつけてみよう。決してストーカーなんかじゃない。少し遠回りになるが、たまたまその道を通って帰ろうと思っていた。そう、たまたまだ。
「たまたま……うん、偶然。」
「どこ行くんだろ……。」
目の前の女子生徒を見て思わず独り言が漏れる。間違いない、あの人だ。
夢華は、そのままついて行く。一定の距離を保ちながら足音を極力抑え、物陰から物陰を移動して行った。そうしていると、姫菜が急に立ち止まった。
まさか、バレてしまった?そう思い、夢華は必死に言い訳を考えた。しかし、それは杞憂であった。
「ポチー?」
「……ポチ?」
姫菜の飼い犬だろうか。だとしても、なぜこんな道端で呼ぶのだろうか。夢華がそう考えていると、姫菜に近づく一匹の黒猫がいた。
「ポチー。」
「えっ?猫?」
確かに姫菜は、目の前の黒猫のことをポチと呼んだ。しかし、猫でポチとはどういうことだろう。どちらかといえばタマの方がしっくりきそうなものだが……。
「よしよし……えへへ、ポチ可愛いねー。」
「か、可愛い……。」
姫菜は、ポチを可愛いいと言い、夢華はそんな姫菜のことを可愛いと言った。姫菜のそれは、ポチへ向けて言ったもので、夢華のものは思わず出た心の声だった。