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「じゃあ、行ってきまーす。」
「はーい、行ってらっしゃい!お昼ご飯用意しておくからね。」
夏休みが終わり、始業式の日となった。最近夜更かし気味であった姫菜は起きれるか心配だったが、ポチが乗り移り、文字どおり自身の頬を、叩き起こして事なきを得た。
「まだヒリヒリする……。」
両手で両頬をさすりながら姫菜が呟いた。
起きない方が悪いよ、全く。むしろ感謝して欲しいくらいだよ。
「もっと優しい起こし方あったでしょぅ!?」
知らなーい。
そうこうしているうちに校門まで辿り着いた。今までならただただ憂鬱なだけであった学生生活。しかし、百合や夢華、それにポチがいる。そう思うと幾分か気持ちも晴れた。
「おはよー!」
「黒木さん、おはよう!」
「おはよう、みんな。」
クラスメイト達と自然と挨拶が出来る。それに伴い笑みも出る。
「お姫おはよう!」
百合の声がした。この学校に入学して初めて出来た友達だ。
姫菜は全力の笑みで返す。どことなく物足りない気がした。もう一人誰かがこのニックネームを呼んでいた気がする。しかし、それは一瞬でなくなった為、気のせいだろうと思った。
姫菜が自分の席に座ろうとすると、すでに先客がいた。夢華だ。
「おはよう、ひーちゃん。」
愛おしげに姫菜の机を撫でながら姫菜を見つめる夢華。
「う、うん。おはようゆ、ゆめきゅん。」
姫菜は、彼女の奇行に慣れたと言え、唐突に行われるものについては以前慣れなかった。
挨拶を済ませると、夢華はスッと席を姫菜に譲った。姫菜が席に座ると、夢華は後ろから彼女に抱きついた。
「っ!?し、白河さんっ!?」
慌てる姫菜。周りからは女子のキャーキャーという黄色い声と、男子のおぉ、という短い感嘆の声。
「もう、ゆめきゅんでしょ?……それでなに?」
周りの反応など気にしている様子のない夢華。
「あ、あの、その、なんで抱きしめてるのかなーって……あはは。」
「だってそうしないとひーちゃんを守れないでしょ?」
「……え?」
姫菜が聞き返すと同時にチャイムが鳴った。
「じゃあまた来るね。」
夢華は姫菜の耳元で囁く。夢華は姫菜を離し、自身の教室へ戻って行った。
ゾワッとした感覚。その声に、鳥肌が立った。久しぶりの感覚。ポチが亡くなる前に味わった事のある感覚だ。姫菜は、僅かばかり、胸にモヤモヤした感情を抱いた。
「それでは生徒会長の挨拶です。」
時は進み、始業式。体育館に全校生徒が集まっていた。
生徒会長である雛子が壇上へ上がる。辺りからは笑い声やがんばれ、という茶々が入る。それらに対し、一瞬眉を潜めるが、雛子はグッと堪え挨拶を始めた。
生徒会も代が変わる時期が迫っていた。雛子の話はそれについても触れていた。要は自分の後に続く生徒会長も自分と同様にしっかり者でカリスマ性のある必要がという内容だ。しっかり者でカリスマ性があるという件で一笑いあり、雛子が声を荒げたこと以外特に変わったことなく始業式は終了した。
始業式が終わり、帰宅の時となった。皆思い思いに話をしてざわついている。
「お姫ー帰ろー。」
百合が姫菜に駆け寄る。
「うん、帰……。」
「ひーちゃんっ!」
姫菜の声をかき消す夢華の声が廊下から姫菜へ向けられた。その声で、教室内は一瞬にして静まり返った。
「っ!?ゆ、ゆめきゅん?」
「一緒に帰ろ?ね?」
小走りで姫菜に駆け寄る夢華。息は上がっていないが、額から少し汗が見える。恐らく走ってきたのだろう。
「う、うん。じゃあ、ゆりりんと三人で帰ろっか。」
「三人……?」
姫菜の言葉を聴き、百合の方を見る夢華。
「ヒッ!?わ、私はやっぱいいや。新聞部に顔出して来る。」
夢華と目が合った百合はそう言うと、スクールバックを背負い、一目散に駆け出した。
ね、ねぇこの子大丈夫?なんか様子変だけど……。
「う、うん……。」
「じゃ、ひーちゃん行こっか?あ、そうだ、また私の家来る?それともひーちゃんの家行って良い?」
夢華はそう言うと、姫菜にずいっと詰め寄る。
「え、えっと……。」
「二人きりになれればどっちでも良いや。帰りながら考えよ?」
そう言うと、夢華は姫菜の腕を掴み、文字どおり引きずりながら教室を出た。
「ちょ、痛いっ。痛いよ!」
「……ご、ごめん。」
姫菜の声に、夢華はハッと我に帰る。
引きずられること数十m。下駄箱まで来て姫菜はようやく解放された。腕がヒリヒリし、思わず摩ってしまう。
「い、痛かった?ごめんね。冷やさないと……えっと水か氷……。」
夢華はそう言いキョロキョロと辺りを見渡す。
「いや、大丈夫だよ。えっと、じゃあ帰ろっか!」
少し怖くなった姫菜は一歩下がり言う。
「ひ、ひーちゃん?」
「さ、さぁ帰ろ!」
姫菜は下駄箱から靴を取り出す。その声と腕は微かに震えていた。
ひ、姫菜?大丈夫?なんか凄い心臓バクバク言ってるけど……。
「だ、大丈夫。」
「ひーちゃん?」
「ほら早く行こっ?ね?」
あまり刺激しない方が良い。なるべく夢華の願望を聞きつつ距離を一定に保とう。姫菜はそう考え、行動した。
「さっきはごめんね?腕、痛くない?」
「うん、大丈夫だよ。」
二人は歩き出してから何度も同じ会話を繰り返している。
二人とも少し落ち着いたみたいだね。良かった。
ポチが安堵しながら言う。
「あ、公園……。」
目の前に見えた公園を見て、姫菜が思わず呟いた。
思えばこの公園で姫乃に助けてもらってからポチとの奇妙な生活が始まったのだ。もしかしたら何か知っているかもしれない。
「公園行きたいの?」
「へ?あ、いやそのー……あはは。」
肯定も否定もしない。
「久しぶりにブランコでも漕ぐ?」
ふふっ、と微笑みながら夢華が言う。そんな彼女の姿を見て、姫菜は改めて夢華が美人だと再認識し、ドキッとしてしまった。先ほどまでの恐怖心が嘘のようだった。
二人が公園に向かうと、すでに先客がいた。小学生が何人かと、二人が知る人物がいた。
「……神崎姫乃。」
普段の声からは想像つかない低く冷たい声が夢華の口から出た。
二人の目の前に、楽しげに小学生とサッカーボールを使い遊んでいる姫乃の姿が映った。
「あ、黒木さん!え、白河さんじゃん、久しぶりっ!」
二人に気づいた姫乃が姫菜達に笑顔を向けた。
「姫乃姉ちゃんの友達?」
姫菜達に気づいた小学生がぞろぞろと二人に近づく。
「うん、そう……。」
「ごめんね、私は違うの。」
姫菜の言葉を遮る夢華。その顔は微笑んでいるが、目が笑っていない。
「……ふーん、まぁ良いや。二人ともどうしたの?良かったらこの子達と遊ぶ?」
姫乃が二人に提案する。子供達もキラキラした目で姫菜達を見つめる。
姫乃は制服の下にジャージのズボンを履いていた。運動する気満々とまではいかないが、それなりに運動するつもりなのだろうという格好だった。
「良いよ、やろうよ。」
夢華が言う。言い終わると、軽い準備運動を始めた。
「黒木さんはどうする?」
「ひーちゃんは運動苦手なの。だから私が行く。ひーちゃん、私の活躍見ててね?」
姫菜の代わりに夢華が姫乃の質問に答える。
「……黒木さん?黒木さんはどうしたい?」
姫乃は姫菜に微笑みながら再度質問をする。
「聞こえなかったの?ひーちゃんは……。」
「貴女には聞いてない。黙ってて。」
姫菜に話す時とは打って変わり真顔で冷たい声になる。
険悪な雰囲気に、子供達が姫菜の後ろに隠れてしまう。その身体は少し震えていた。
「わ、私は……その、良いや。」
夢華と姫乃、どちらとも目を合わせられない姫菜が言った。二人が怖かったのだ。
子供達も姫菜同様、夢華と姫乃が怖くなり、とても遊ぶという雰囲気ではなくなった。その為、二人が対決するという形となった。
「姫乃姉ちゃん急に怖くなっちゃった……。」
「怖い……。」
睨み合う二人に子供達が怖がる。
「え、えっと、向こうのベンチに行こっか。」
姫菜は子供達を連れ、近くにある木陰のベンチに向かう。姫菜自身も少しでも離れたかったのだった。
姫菜達が少し離れた場所に向かうと、夢華が口を開いた。
「貴女ひーちゃんの何なの?」
「貴女こそ黒木さんと馴れ馴れし過ぎない?この前貴女の愚痴言ってたよ?」
ニヤニヤと挑発するような笑みの姫乃。
「っ!?そんな嘘信じると思ってるの?」
ドキンと心臓が跳ねる。
「貴女も薄々気づいてるんじゃないの?黒木さんに避けられてること。」
「うるさいっ!」
「……じゃあさ、こうしない?私が今からこのボール蹴って貴女がそれを獲るの。それで私がボールを守り切れれば私の勝ち。貴女がボールを獲れれば貴女の勝ち。」
「で?勝ったらどうなの?」
「至極簡単なこと。勝った方はそのまま黒木さんと友達でいれる。負けたら黒木さんと縁を切る。どう?貴女も私のこと邪魔に思ってるなら願っても無いことじゃない?」
姫乃はボールを蹴り上げリフティングを始める。
「良いよ、金輪際ひーちゃんと話せなくさせてあげる。」
一瞬でトップスピードになる夢華。制服のスカートが捲れ上がるのなど気にしていなかった。
一瞬で決着がつく。夢華はそう思っていた。小学生の頃、運動において、彼女は誰にも負けたことがなかった。それがたとえその部活に所属している先輩であろうが、圧倒的な力の差を見せつけて勝っていた。だからこそ、それは慢心ではなく、確固たる根拠の下の自信であった。
「ほい、残念。」
その自信が一瞬にして崩れ去った。
夢華には、何が起きたのか全く分からなかった。ただ自分がいつの間にか尻餅をついており、姫乃が目の前ではなく、後ろにいた。
「……え?」
「まだやる?」
「あ、当たり前でしょ?」
動揺が隠せない。普段ならこんな短時間の運動で息切れすることはない。それが、今は心臓がうるさいほど鼓動を打ち、口で息をしている。
その後、何度挑戦しても夢華はボールに触れることは疎か、姫乃がどう回避しているのかすら分からなかった。
「も、もう一回……。」
何度も転び、肩で息をし、制服が泥だらけの夢華。
「別に良いけど飽きてきちゃったな……。」
一方の姫乃は制服に汚れ一つなく、涼しげな顔をしている。
「っ!この!」
駆け出す夢華。
「ふ、二人ともっ!」
二人を止めた声。姫菜の物だった。正確には、姫菜の身体を使ったポチの声だった。




