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彼女が再び目を覚ますと、見慣れた部屋の寝慣れた布団の上であった。ただ一つ違うとすれば、自身の身体が今までよりも小さくなっているということだ。
「そっか……やっぱ私の力じゃこれが限界だったか。」
見た目小学校低学年の幼い少女がポツリと呟く。身体を起こすと、ポタリと水滴がこぼれた。それが自身の瞳から出たものだと気づくのにそれほど時間は有さなかった。
真亀みさ。それが彼女の名前だ。今まで友達からはみさっちというニックネームで呼ばれていたが、彼女達とはもう会えないだろう。
姫菜達からみさに関する記憶は消えたのだ。
彼女は人間でない。さらに言えば、現存するどの生き物とも違う存在だ。
この世界では自身のことを女神と呼ぶようだ。神秘的な力を持つ人間ではないもの。しかし、正確な正体が何なのかは彼女自身にも分からない。ただ分かることは、最初に目が覚めた時、二人の少女に助けられ、友達になったことだ。彼女達は忘れているだろうが、みさにとってはかけがえのない思い出だ。
「一からやり直しか……。……よし、力も戻ったし、今度は噂のキャンパスライフでも楽しもうかな。」
みさがそう言うと、彼女の身体はみるみる大きく成長し、7、8歳くらいの少女の姿から20代前半の女性の姿になった。服も年相応のものへと同時に変化した。
「その前に最後に一回お姫見に行こっかな。」
みさは玄関を出た。
真亀みさ。人間ではない彼女が人間として生活し、人間として死ねる日が来るのはまだ先のことだろう。
「あっつー……。」
ジリジリと照りつける太陽がみさを容赦なく照らす。
みさは、目の前の自販機に立ち止まった。誰も見ていないことを確認すると、右手を軽く握る。それを開くと小銭が手のひらに乗っていた。
このような力を使い、彼女は今まで生きてきた。その他にも、記憶、記録を改竄し、あたかも生きているごく普通の日本人の女子中学生を演じてきたのだ。
自販機に小銭を入れると、みさはうーん、と小さく唸った。何を飲もうか。果汁の入ったジュースや、有名メーカーの炭酸飲料、烏龍茶、清涼飲料水。
「まぁ、無難なので。」
清涼飲料水のボタンを押すみさ。
早速キャップを開け、その場で飲むと、キンキンに冷えており、あっという間に飲み干してしまった。
「さて、もう行こうかな。」
隣に設置されているゴミ箱に空になったペットボトルを捨てると、みさは再び歩き出そうとした。しかし、その場で立ち止まった。その視線の先には、百合がいたのだ。
ドクンと心臓が跳ねる。人間ではないみさにとって、それが心臓なのかは分からないが、みさの身体の中で激しく動いている。
大丈夫、この子の記憶はもうない。それに今の姿は以前の物じゃない。大丈夫バレない。
みさは怖かったのだ。彼女が自在に金を生み出せることを知られることが。彼女が見た目を自在に操れることを知られることが。彼女が人間でないことを知られることが。
友達だったものに軽蔑されることをひどく恐れた。
「あ、あの……ど、どうも。」
少し警戒したように百合がみさに言う。
みさは知らないうちに百合をジッと見てしまっていたようだ。何も言わずに見つめられ、しびれを切らした百合が声をかけたのだった。
「えっ、あ、ど、どうも。」
まさか声をかけられるとは思っていなかったみさは慌てる。
軽く会釈をし、百合がその場を後にした。
その場に残されたみさ。ばれなくて良かったという気持ちと、以前のように友達として接して欲しかったという気持ちがみさを襲った。
「ま、まぁ、いいや。どうせここから出て行くし……。不審者として通報されなければいいや。」
自分に言い聞かせるように独り言を呟くみさ。再び歩き出した。
見慣れた街も、背が伸びると、少し違って見えた。
もっと姫菜達と思い出を作っておけば良かったのだろうか。しかし、こうなってしまった以上、彼女達の中に自分の存在がない以上、思い出を作っていては傷つくのは自分だ。だからこれで良かった。みさは何度も脳内で必死に自身に言い聞かせた。
もう一度彼女に会いたい。こんなことになるなら思い切って自分の気持ちを伝えてしまえば良かった。気持ちが通じれば幸せな気持ちでこの場から去れる。拒絶されればされたでその時は落ち込むだろうが、諦めれるだろう。
みさはため息をついた。
それは突然のことだった。みさの目の前に、今一番会いたくて、それでいて一番会いたくない者が現れたのだった。彼女は同じクラスの友人と歩いていた。もしかしたらその横には自分もいたかもしれない。みさの脳内にそんなことが過ぎった。
「ひーちゃん、そんなに楽しみ?」
「え、えへへ、やっぱり友達の家ってワクワクするなーって……。」
二人は談笑しながら真っ直ぐこちらへ向かって来る。
みさはその場で立ち止まってしまった。百合と会った先ほどのように、ジッと見つめてしまったが、二人はそんなみさに気づくことなく通り過ぎて行った。
「……お姫……笑ってた。」
ポツリと呟く。振り返ると、笑顔で夢華と話す姫菜の横顔が見えた。
そんな彼女の顔を見ると、自分のやったことは間違いではなかったのだと思えた。姫菜の中にいるポチの気配をしっかりと確認すると、みさは再び歩を進めた。
不意に視界が歪み、涙が零れ落ちないように空を見ると、雲一つない夏の青空が広がっていた。
「よーし、最後に思い出の場所巡ろっと。」
その日を最後に、真亀みさの姿を見たものはおろか、彼女のことを口にする者もいなかった。




