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カーテンから漏れる太陽の光。その光が目にチラチラと当たり、姫菜は目を覚ました。時計を見ると、7時ごろであった。
「朝……。」
寝ぼけ眼の姫菜がベッドから起き上がる。
「んー……。」
声にならない唸り声を上げ、姫菜が身体を伸ばし、首を回す。ポキポキと背中と首の骨が鳴るのが分かった。身体に悪いと分かっていても、一度習慣になってしまっては、骨を鳴らすのは止められない。
凄い音……。身体に悪そう。
ポチの思わず漏らした言葉。
「うん、身体に悪いって分かってても止めれないんだよね。」
ポチが自身の身体に宿ってから数週間が過ぎた。夏休みもいよいよあと数日という最近になってようやく身体がポチの運動量について来れるようになった。そのため身体中を痛めつけていた筋肉痛もなくなったし、以前ほど疲労感はなくなっていた。
おっと、改めておはよう、姫菜。
朝だからか、眠そうな声のポチ。小さく低いトーンの声であった。
「おはよう。」
自身の中にいるポチと朝の挨拶を交わすと、リビングまで歩き始めた。
リビングに着くと、既に父は出勤し、母は朝食の準備を済ませて姫菜を待っていた。姫菜が席に着くと、母はいただきます、と言い朝食のトーストに齧り始めた。姫菜も同様に、いただきます、と言うとトーストを食べだした。
もうすぐで夏休みが終わる。学生なら誰しも憂鬱な気分になるだろう。姫菜も例外ではなく、自然とため息溢れた。
最近ため息多いね。
「まぁね。」
ポチの声に反応する姫菜。その直後しまった、と後悔した。
「え?何か言った?」
トーストを食べていた母が尋ねる。
「あ、いや何でもないよ、独り言。」
少し焦りつつも対処する。何度か行われたことにより、多少は慣れてきた。
朝食を済ませると、姫菜はパジャマからジャージに着替えた。
「じゃあ、行ってきます。」
笑顔で玄関から駆け出す。ここ連日出歩いていたことにより、姫菜の肌は少し黒くなっていた。そんな彼女を笑顔で母が送り出す。
姫菜は、ポチとの約束で、朝のランニングが日課になっていた。
一日一回、朝の三十分のランニング、そして、夕方に一時間自由に行動させることで、ポチの機嫌は良くなった。その代わり、姫菜の身体には無数の擦り傷が後を絶たなかった。不幸中の幸いと言うべきか、顔には傷一つ作ってこなかった。
じゃあ、身体借りるね。
脳内の声とともにフワリと身体が浮くような感覚。ポチと姫菜が入れ替わった。姫菜には、未だに慣れない感覚であった。
「よーしっ!今日も目一杯楽しむぞー!」
ほどほどにお願いね……。
ポチには聞いてはもらえないだろうが、一応言っておく。
意気揚々と駆け出すポチ。すっかり姫菜の身体を使いこなせるようになり、今では民家の塀によじ登り上を歩くことも出来るようになった。もちろん姫菜に注意されて以来していない。しかし、以前の姫菜の身体では出来なかったような俊敏な、それこそ猫のような動きもある程度可能になったのだった。
今までの彼女を知っている者達は、今の彼女の状態を見たら目を疑うだろう。キャッチボールすらまともに出来ず、持久走にいたっては他の生徒の歩く速度の方が速いのではないかという調子だった彼女が、意気揚々と走り込んでいるのだ。それも息を切らさずにだ。
「あっ!黒木さん!」
「……ほ?」
声をかけられたポチが振り返る。自分が今、黒木姫菜として動いていることを忘れていた為、ワンテンポ遅れてしまった。
誰だろうか。ポチは初めて見る少女であった。
「凄いアグレッシブだね、何か良いことあったの?」
ポチの目の前にいる少女が続ける。
変わって!学校の先輩だよ。
姫菜の声を聞き、ポチは言われた通り姫菜に身体を返す。その声は焦っているように感じられた。
「おっとっと……。」
元に戻る時、どうしても身体が不安定になり、たとえ立ち止まっていてもふらついてしまう。
「だ、大丈夫?」
「は、はい、すみません、多分立ちくらみだと思います。」
姫菜は、あははと笑って誤魔化す。特に目の前の少女には、今の自分の状態を知られてはいけなかった。その為、姫菜の心臓は緊張と不安で張り裂けてしまいそうだった。
とにかく誤魔化さなければならない。姫菜はゴクリと唾を飲んだ。




