静寂の部屋
*
いつの間にウトウトしていたのだろう。
スマホの着信に桐華は慌てて起き上がる。
リビングのソファーでテレビも電気も付けっぱなしだった。
「……はい」
通話と同時にケータイの向こうからざわめきが流れてくる。
相手が眠らない夜の街にいることが手に取るように分かる。
『もしかして寝てたの?』
含み笑いの声に、桐華はいくらか機嫌を損ねる。
まるでお子様だね、とからかわれた気分。
相手は、昼間と同じ声。
教室では聞いた事のない明るいトーンの声を上げる、三好の声だった。
ちらりと壁の時計を見上げると十二時をいくらか回ったところ。
今からどこかで待ち合わせるのも面倒だった。
「ねえ、今から家に来て。そこから二駅だし、駅からも近いから」
『……いいけど。今から行ったら僕、帰れないけど。もう終電だし』
「そう? あたしの知ったことじゃないわ。今から来なさいよ」
しばらく沈黙が落ちる。
少し強引だったかと思いかけた時、小さくクスリと笑いを零した。
『お姫様の仰せのままに。お姫様の前では、男は全て憐れな下僕ですから』
全く屈していない声音でクスクス笑いながら、三好は道順を尋ねてから通話を切った。
(あいつ……本当に来るつもりかしら?)
なんだかからかわれたような気がする。
実のところ、確信はしていたけれど確証はないから、本当にあの地味な三好があの派手なホストだったのか、桐華はまだ少し不安だった。
それに今の電話だって、道順まで聞いているけれど、『行く』とは確約していない。
何となく、あのチャラい風貌から、からかって約束などすっぽかしそうな気がした。
ピンポン、と玄関のチャイムが鳴った時、桐華は必要以上に心臓が跳ねた。
――まさか、本当に来るなんて。
ゆっくりと玄関に向かう間も緊張して指先が震えていた。
どうして、あんな地味男に会うのに緊張してしまっているのか桐華は自分の気持ちが分からなかったけれど、玄関の鍵を回す時には思わず息を飲み込んでしまった。
ゆっくりと扉を開く。
そこに立っていた彼が、どうも、と軽く手を上げて笑った。
整えた黒髪と、幼く見えるような二重の目。
黒のスーツに白のシャツ。
胸元のシルバーのアクセサリーは昨日とは違う物。
ホストスタイルの三好が艶を含んだ雰囲気のまま、玄関先に佇んでいた。
「こんばんは、お姫様。憐れな下僕は参上いたしましたが?」
小首を傾げてこちらを見下ろす姿。
なんて……
なんて自信に満ちあふれて、そしてわがままな目をしているのだろう。
絶対にお姫様だなんて、下僕だなんて思っていない。
全てのリードは自分が握っているとでも言いそうな、わがままな眼差し。
今も無言で問いかけている。
家に入れるの?
それとも追い返すの?
選択を強いられているのは自分だと、桐華は思い知らされて唇を噛み締めた。
グッと胸を反らせると、大きくドアを開いて三好を睨み上げた。
「入りなさいよ」
「お召しのままに」
ドアの取っ手を握りしめたままの桐華の横を軽い笑みを浮かべたままで三好は気軽に家に入り込んできた。
リビングに入って三好は首を傾げる。
「誰もいないの?」
「誰かいたら入れないわよ」
「そっか、そうだね」
笑みを浮かべて自分の部屋のように当たり前にソファーに座る。
少しだけ迷ってから桐華は冷蔵庫から取り出したアイスコーヒーをグラスに入れてローテーブルに運んだ。
「お姫様自ら運んでいただけるなんて光栄です」
ふざける三好に神経が逆撫でられる。
このまま無意識に手綱を取られたままでいい訳がない。
退屈を紛らわせるために呼んだんだ。
こいつの弱みを握っているのは自分なんだ。
そう強く思い返して、桐華はわざとピタリと寄り添うように三好の隣に腰を下ろす。
柔らかいソファーは沈み込んで予想以上に二人をくっつける。
さっきシャワーを浴びたから短い袖のラフなルームウェアーに着替えてしまっている事を少しだけ後悔する。
緩く稼働するクーラーの音がやけに気になる。
直接肌に触れるスーツの感触が緊張を呼ぶ。
グラスに浮かび始めた水滴が桐華の中の何かを急かしているようだ。
ふわりと隣から香る煙草と香水の混じった香り。
まるで隣にいるのが大人の男の人のような気になって、桐華は体を固くした。
クスッと笑われた。
「な、なに?」
動揺しているのを悟られないようにキツイ口調で問いかける。
距離感ゼロからこちらへと顔を向けた三好がゆっくりと瞬きして桐華を見つめた。
黒目がちの大きな瞳。
上質のオニキスように輝く。
どちらかと言えば色白でキメの細かい肌。
セットしている長めの髪が一房、計算したように頬に掛かる。
息を飲む。
こんなに、綺麗で艶やかな子だったのかと。
急にジンジンと身体中が痺れたように痛む。
それからゆっくりと理解する。
これは心臓が締め付けられている痛みだと。