エピローグ
「とんでもないな、お前のその精霊の祝福。」
手慣れたように鳥の羽を毟りながら、耳にタコができるほど聞いたセリフを再び口に出すティガロ、もとい、髪を黒く染めたフリスタ。
「そう?」
そう答えつつ、私はテキパキと自分が落とした二羽の大きく鮮やかな赤い鳥の足をおもりを付けた縄で縛り、自分用に買った短剣を使って小川の中でその首を深く切りつけていく。そんなに流れの早くない小川の下流が、瞬く間に鳥の羽のような赤い色に染まっていく。
「威力次第で鉄の扉をこじ開けることも薪に火をつけることも可能で、おまけに遠距離もいけるとか万能すぎるだろ。お前のはさ、俺の知るかぎり精霊の祝福の中でもかなりやばいやつなんだって。獣人が精霊の祝福っていうのもやばいしな。何回も言うようだが、自覚した方がいいぞ、ほんと。」
「今のところこの力を見せたのはロマリアと貴方だけよ。ロマリアはあの一回きりだし、貴方の口はかたいのでしょう?」
「もちろんだとも。この鳥のようにはなりたくないからな!」
羽を毟り終えたティガロが、血をすすいだ裸の鳥を手に近づいてきた。それを目の前の石の上に置いてもらい、今度は私がそれをに燃えている薪を近づけて軽く炙る。焼き目が付かない程度に焼かなくてはいけないのに、初めてやった時に「面倒くさい!」と魔法でやって普通に丸焼き(しかも中身は半生)になってしまったのはいい思い出である。
「もう一羽毟ったら飯にして、後から落とした二羽は血抜きだけしてギルドに出すかー。まあ、干し肉は二羽ありゃ充分だしな。こいつらの羽、硬ってえし。もうちょっと抜きやすくならないもんかねー。」
「美味しいものを食べる時は、それ相応の苦労が必要だって偉い人が言ってたわ。」
そう答えるとティガロは鼻で笑い、次の鳥の処理をするために小川で血抜き中の鳥を引き上げてふたたび羽を毟り始めた。
今、私とティガロは、王都からかなり離れた土地の森の中にいる。ティガロがいうに、あと同じだけ歩けば隣国との境界線に辿り着けるらしい。つまりは、あと60日くらいはティガロと旅を続けることになる。
その間に、もっとこの世界のことを聞いておかないと。
私は炙り終わった首と足先のない鳥の肉を丁寧に大きな葉でくるみ、獲物用に買った大きな袋に入れながらそう考えていた。
ティガロに頼んで、一人旅で必要になるだろう身分証は手に入れた。傭兵ギルドのギルドカードがそれだ。私の傭兵ランクは一番低い、“未”。“未”というのは未熟の未のことで、つまりはランク外ということらしい。仕事は街中仕事しかもらえず、草むしりや荷物運びなどをして実績を積み、試験を経てFランクになると普通の仕事も受けられるようになるという話だ。
とはいえ私は見た目が10才なので、草むしりの仕事すら受けられない。私のギルドカードは、“この少女の身元引受人はティガロですよ。”という役割しか果たさないのだ。まあ、今のところはそれで十分なので問題はないが。
ティガロというのは、私がつけたフリスタに変わる新しい名前だ。フリスタが考えた名前もあったのだが、私がその名前を3歩歩いただけで忘れてしまったので私の案が採用されることになった。
もちろん新しい名前なんて考えてもすぐに忘れてしまうので、私の元居た世界で私が気に入っていた召喚獣の名前そのままである。名前を変えるのと同時に、フリスタは髪を黒く染めた。
私の名前はそのまま“リネッタ”で登録した。私は死んだ事になっているわけでもないし、探されるようなこともないので気が楽だ。混色は目立つとは知っていたが、髪まで染めることは無いだろうとそのままにした。というか、染め粉は黒しかなく、正直なところ黒髪の自分を想像できなかったのでやめた。
ティガロは色々と役に立っている。
私の小規模爆破の魔法や着火の魔法などを、全部ひっくるめて精霊の祝福にするというアイディアも、ティガロからいただいた。
まあ、ティガロは本当に精霊の祝福だと思っているが。
他にも、魔人が使う特殊な力のことを刻印と呼ぶとか、精霊は魔法陣ではなく精霊術を使うらしいとか、道すがら色々と話を聞くことが出来た。
驚いたのは、霊獣化という獣人専用の身体強化の付与のような技(?)があるということだった。その仕組みは解明されておらず、しかも獣人の中にも出来る人と出来ない人がいるらしい。
王都の別邸で、でかくて偉そうなあの獣人の騎士が魔獣を殴り飛ばしていたのは、もしかしたらそれを使っていたのかもしれない。
ティガロは、私が使った身体強化の付与は霊獣化の一種だと思っているようだった。
鳥や獣の捌き方を教えてくれたのもティガロだ。
まあ、教えられたものの、あまりのグロさに私にはさっきやっていたような死んだ鳥の血抜きくらいしかできないが。ティガロいわく、“獲物を狩れるだけで十分”だそうなので、これ以上捌くのを手伝おうという気はない。むしろ血抜きもしたくないのだが、鮮度が落ちると買取価格も落ちるそうなので、血抜きだけは手伝うことにしたのだった。
そんなティガロは、羽を毟った二羽は内臓も抜き、小川で丁寧に洗って、自分で軽く炙って塩を塗り込んでいた。私は血抜きの終わった羽がついたままの鳥を小川から引きずり出し、葉っぱにくるんで縄で縛っていく。まだ多少首から血が漏れてはいるが、これは今日のうちに近くの街の傭兵ギルドに持って行って売るのだ。
ティガロが毛を毟ったものは、一羽はこのまま宿に持ち帰って晩御飯にしてもらい、内臓を取って塩を揉み込んだ二羽は今晩にでも私が精霊の祝福という名の乾燥の魔法で干し肉にする。
残りの、内臓も羽もそのままで血抜きだけした二羽は、ギルドに納品して換金する。
干し肉は天日でしたほうがもちろん美味しいのだが、いい匂いを振りまく肉を鞄から吊り下げながら街道を歩くのはただの自殺行為なので、魔法で妥協するしかないのだ。
私は葉っぱでくるんだ羽つきの鳥をティガロの背負い鞄に紐で縛りつけた。
今日の仕事は傭兵ギルドの掲示板に常時出ているよくある仕事のひとつで、“レッドなんたらとかいう鳥を1羽につき銀貨8枚で無制限に買い取る。”というものだった。
町にある獣人用の安めの宿に素泊まりで一泊銀貨2枚前後なので、この鳥はなかなかの金額だ。警戒心が強く人が近くにいると絶対に木に止まらないしすぐ逃げるが、この鳥は体が大きくて可食部が多い上に、とても美味しい。それが高額買取のが理由だ。
夜、宿に帰って人の女将さんに処理した肉を見せると、女将さんは満面の笑みで迎えてくれた。同じく人の旦那さんも、私の頭を撫でながら、「赤羽鳥なんてよく獲れましたねえ。しかもそっちは塩漬けにするのかい?ギルドに売ればいいお金になるのに、贅沢だねえ。」としきりにティガロに感心していた。
鳥の名前は赤羽鳥というらしい。
宿の料理人の手によって内臓が傷つかないように取り出された赤羽鳥の肉は、自分たちが食べる用だったのでしっかりと血抜きして、小川で長時間冷やしたものだった。臭みのないその肉は厨房で調理され、宿の一階にある食堂兼酒場にはたちまちいい匂いが漂い始めた。
そうして満を持して出されたのは、少しの塩でこんがりと焼かれた、湯気の揺らめく極上のもも肉。
たまらず噛み付けば、肉汁がぽたぽたとしたたり落ちた。
当然だが、小牙豚とは比べるまでもなく柔らかいし、脂が甘い。それなのに程よく噛みごたえもあり、私は夢中で咀嚼する。向かいのティガロも夢中で食べている。
私は、初めて赤羽鳥を食べてからというもの、この鳥を見たら必ず仕留めることにしていた。もちろん、売れるからではない。美味しいからだ。
焼いてよし、煮込んでよし。そして、この鳥は干しても美味い。不思議なことに小牙豚ほど固くならず、私の歯でも問題なく噛めるし、問題なく飲み込めるのだ。
寝る前に片手間で作った赤羽鳥の干し肉は、2、3キロほどあった。これでしばらくは持つだろう。ようやく小牙豚の干し肉を消費したところだったので、宿の一室で布の上に山積みにされた赤羽鳥の干し肉を見た時、私とティガロはなんとも言えない幸福感を感じたのだった。
実は王都を出た当初は、追手が来るかもしれないとの事で、私とティガロは街道から外れた道なき道を歩いていた。そして小さな町に寄ることもしなかった結果、20日目に干し肉が尽きた。
森で小動物を獲る事はできたが、干し肉にするほどの量はなかった。しばらくは何かの実やらキノコやらで食事を賄っていたが、ある時、ティガロが小牙豚を見つけたので、無いよりはマシだろうと干し肉にすることにした。
可食部が5キロほどある小牙豚は2人で食べ切れる量を遥かに超えていたのでありがたかったのだが、これが臭いし硬いしで大変だった。
小牙豚の干し肉は、朝から沸かした湯につけてふやかし続け、昼に出されたふやかしたものを片手に歩きながらずっとがじがじと噛んで、夕方になってようやく食べ終わるというくらい大変だった。
小牙豚の干し肉に懲りた私たちは、それから町にも寄るようになった。
そこで傭兵ギルドに寄って身分証もつくって、ティガロは傭兵ギルドの仕事も受けるようになった。
私は、人前では“娘”としてティガロについてまわることになり、私に「お父さん」と呼ばれたティガロは、最初は複雑そうな顔で「お、おう。」と返事をしていた。
そんな珍しい人と獣人の親子連れだが、立ち寄る町々で噂になることはなかった。私は人前ではフードを被っていたし、ほぼ喋ることはない(というか喋るなと言われていた)。
宿も、町に獣人お断りの宿しかなかったら野宿、そうでなければこうやって獲物を持って獣人の多く泊まる宿を使う。
宿のカウンターでティガロがフード越しに私の頭を撫でて微笑み、「妻の忘れ形見で……」などと演技しながら交渉しているのは正直笑いを堪えるのが大変だが、肉の土産もあってか値段交渉の成功率は高かった。
肉の土産というのは、今夜私達が持ち込んで料理してもらった肉の余りのことだ。内臓も含めまるごと宿に持ち込む肉は、自分たちが食べるためにそこそこきちんと処理してある、しかも美味しい肉が多い。
そして、赤羽鳥だろうが何だろうが、大抵は私とティガロだけでは食べきれない量がある。
赤羽鳥なら、私はもも肉の半身でお腹がいっぱいだし、ティガロも自分のもも肉と私の残した分のもも肉で満腹だ。
あとは宿の主が他の客に有料で振る舞えば、宿側は私達の多少の宿代を割り引いても十分な儲けになるという寸法なのだ。特に今日のような赤羽鳥なんていう高価な肉は、普通、宿のご飯では絶対に食べられないごちそうであり、多少割高な料理でも飛ぶように売れるのである。
そんなこんなで私達は、2人旅をなかなかに満喫している。
今夜も、宿の一室でまったりと今後の話をしていた。
今のところ探されている感じはしないし、ティガロが仕事をきちんと受けているので路銀に不安もなかった。このままうまく旅が進めば、問題なく隣の国へと入れるだろう。
ちなみにティガロは仕事をこなしすぎて、傭兵ランクがあっという間にCランクになってしまった。
たまに他の傭兵と組んで大きな獣を狩ったりしたときに、「これからもパーティーを組んでくれないか?」と誘われることもあった。その時の、開き直って「子供連れなんでな!」と断っているティガロもなかなかに面白いのはここだけの秘密だ。
ティガロいわく「この国に留まっていてもいいことは無い。固定パーティーを組むにしても、2つ3つ国をまたいでからだな。」だそうだ。まあ、どこで誰と会うかわからないのだから、死んだことになっているのならうっかり会うとしても他国のほうが都合がいいだろう。他人の空似で押し通せるかもしれないこともないかもしれないし。
そんなティガロは元々、他国ではそこそこ名の売れた傭兵だったようだった。「なんでこの国に来たの?」と聞くと、「人に会いに来たんだがな。そこでうっかりあの侯爵に引っかかったのが運の尽きだった。」と苦笑いした。
「で、お前はどうするんだ?」
と聞かれ、宿のベッドに座っていた私は――首を傾げた。
思ってもみない質問だった。
「どうしようかしら。」
「どうしようかしらて。」
考えてみれば、確かにそろそろ考え始めなくてはならない問題だった。
言葉は話せるようになったし、マニエに教えてもらって読み書きもできるようになったが、最終目標だった図書館で本を読むというのはしばらく叶わなくなった。まあ、魔素が見えず、魔素が毒だという間違った知識によって書かれた本なんて読んでもあまり意味はないかもしれないが。
そうなると、次はどんな研究をすればいいのだろう。
守護星壁も歴王の謎も、王都にいなければ分からない。私の知らない魔法陣を探して歩くとしても、珍しい魔法陣が簡単に見れるような場所なんて思い浮かばない。
他に気になることといえば……
「人が魔人化するのに、魔法陣が必要なのよね?一回でいいから、本物の魔人を見てみたいわ。刻印って、どうやって使うのかしら?」
「お前、よりにもよってソレかよ……。」
がくっとティガロが肩を落とす。しかし、私は言葉を続けた。
「いいじゃない、魔人。会って話をしてみたいわ。なんで魔人になろうと思ったのかしら。魔獣になってしまったり、魔獣にもなれずに死んでしまう確率の方が高いんでしょう?」
「知らねえし、興味もないし、頼むからそういうのは俺の居ない所でしてくれ、ほんと。」
「善処するわ。」
「善処……。」
私が無意味ににこりと微笑んで見せると、ティガロは「寝るわ。」と、もそもそとベッドに横になってしまった。
……ティガロと別れた後、か。
私も自分のベッドに潜り込み、目を閉じて考える。
王都で見たあの家畜豚のような魔獣は、最初はその変化に驚いたものの、実のところそんなに怖くは感じなかった。短い詠唱でも余裕で攻撃を防ぐことも出来たし、殴るとか突進だけだったら、きっと無詠唱でもなんとなかっただろう。もしかしたら小規模爆破の魔法だけで倒せていたかもしれない。
それを考えると、目的もない一人旅でもなんとかなる気がしてくるのだ。
不意打ちさえなければ、獣の群れでも対応できる、気がする。まあ、その不意打ちが一番怖いのだけれども。
当面の間のお金は魔素クリスタルを売った分がじゅうにぶんに残っているし、不安が全く無いかと言われるとそうではないが……あれ?人攫いに気をつけていれば問題ないんじゃない、か?
魔人。人が魔法陣を使って生まれ変わるという、魔獣ではない新しい何か。ティガロと別れた後、本当にそれらを探すのも楽しいかもしれない。
私はゆっくりとまどろみながら、そんなふうに思ったのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!
これにて、隣世界のリネッタ 第一章 孤児院のリネッタ 終わりです!
第一章は、これから始まるリネッタの長い旅のプロローグ的なものと考えていました。
そのため読者様とリネッタの知識の共有をメインに考えて書き進めてきました。
魔素や魔法陣、詠唱魔法の基礎知識(?)、人の魔人化、リネッタの世界と魔法陣の世界の違い、詠唱魔法の万能性と魔法陣の可能性など、ちょっと詰め込みすぎて、目標にしていた20万字をかなり超えてしまいましたが……
ごちゃっとなりやすい登場人物の名前を出来るだけ少なくしたのも、
読者のみなさんにわかりやすくするためです!!!嘘ですが!!!!!
9割がたは、僕自身が登場人物が多いと混乱してしまうからという理由ですごめんなさい。
第二章は、隣の国の入り口から始まる予定ですが未定です。
残念ながら、ディストニカ王国の包囲網がリネッタを捕らえることはできませんでしたね。
第二章の話の流れはぼんやりとは考えているのですが、
実はだいぶ前からパソコンが壊れて(壊されて?)いたので、先に修理をせねばなりません。
ですので、第二章は4月から投稿し始めたいと思います。
だいぶ先ですね、ごめんなさい。
それまでに頑張って書いて、1週間に1回ではなく、
2回から3回くらい更新できるようにたくさん書き溜めておきたいと思います。
(3月24日時点で、無理そうですごめんなさい!!!)
本当に、今まで読んでいただいてありがとうございました。
読んでいただけるだけでも嬉しいのに、
ブクマや評価や感想まで頂いた日にはもう変な笑い声が出るくらい嬉しかったです。
4月までの間は、仕事の合間に第二章を書き進めながら、
「改行が少なすぎて読みづらい」という指摘を頂いたので、
そのあたりをちょちょっと修正したりしていきたいと思います。
それでは、来年度からも、どうぞよろしくお願いいたします。
お元気で!!!!!!
入蔵蔵人
以下、登場人物紹介です。
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ティガロ(フリスタ)
王都に来たのが運の尽き、金につられてオーガスト侯爵に雇われてしまった不運の魔剣士。腕は良いが仕事運はあまりない、というのは本人の談。結局、オーガスト侯爵のあとにリネッタに(無償で)雇われる形になり、やはり仕事運はあまりないようである。愛剣は高名な鍛冶師が打った一本物の剣であり、かなり大事にしているようだ。
リネッタ
本作の主人公、アラサーの引きこもり研究者。遺跡(?)で見つけた魔法陣を10年かけて補完し、発動させたら、海を隔てた隣世界ラフアルドに転移した。そこでは、神の代わりに精霊が信仰され、詠唱魔法という概念がなく、魔素は体に毒だと思われていた。それまで魔法陣を研究していたリネッタは大喜びでその世界で魔法陣の研究をすることにした。本人は、将来的には転移魔法を完成させて元の世界に戻るつもりでいる。転移した時に、見た目が10歳ほどになり、金髪に焦げ茶の猫耳と焦げ茶の尻尾がはえたが、本人は多少不便だなと思っているくらいで、大して問題にはしていない。




