それぞれの終わりと ~マニエ
テスターの馬車を見送ったその日の夜。満面の笑顔を浮かべたロマリアに手渡されたそれは、丸めた布きれだった。ロマリアのあんな嬉しそうな顔を久しぶりに見た、と、ロマリアの変化に気づかなかった自責の念に駆られた。まさか、ロマリアが自分に隠れて魔素クリスタルの横流しをしているなんて、思ってもみなかったのだ。
しかし、それと同時にマニエはロマリアの生成師としての成長に驚いていた。
5級の魔素クリスタルを3個同時に生成できるというだけでも、同年齢の生成師見習いと比べればかなり速い。にも関わらず、ロマリアは時間をかければ4級の魔素クリスタルをも生成出来るようになっていたのだ。マニエはテスターと一緒になって空いた口が塞がらなくなってしまった。
自室に戻ったマニエは、ロマリアから受け取ったその布をそっとテーブルに広げる。布に、炭で何かが書いてある。それは、手紙のようで……マニエは思わず息を呑む。
「リネッタ……?」
名が口をついて出る。
――それは、“マニエさんへ”という書き出しからはじまっている、リネッタからの手紙だった。
マニエは、リネッタがオーガスト侯爵によって未だに監禁されているのだと思っていた。だから、ロマリエが頑なにリネッタのことを知らないと言うのも、リネッタを救うための、彼女なりの嘘なのだと思い込んでいた。
しかし、それはマニエの思い違いだったようだ。
手紙には、リネッタが孤児院に迷い込んでしまったのは“とある魔術師”とはぐれてしまったからで、リネッタはもともとその魔術師と旅をしていたこと。そして、最近になって魔術師と再会し、王都から旅立たなくてはならなくなったことなどが簡潔に書かれていた。
そして、マティーナやヨルモといった孤児院の子供たち、そしてヨルモの仕事仲間であるキースにお別れが言えなかったので、「またね。」と伝えてほしいと書かれていた。
「“またね”なのね、リネッタ……。」
自然とマニエの顔に微笑みが浮かぶ。
続いて書かれていたのは、リネッタが売っていた干し花についてだった。
干し花は魔法陣によって作られていたこと、ロマリアにその魔法陣を託したこと、その魔法陣はリネッタと一緒に旅をしていた魔術師のオリジナルだということ、そして、干し花の魔法陣はロマリアの好きに使ってもらってもいいが、特殊な魔法陣なのでできるだけ公にしないでもらいたいことなどが書かれていた。
干し花の売り先としては、獣人騎士団に所属しているギルフォードがまとめて買い付けに来ることや、第三壁の南門付近にあるアリエルというパン屋の看板娘とその友人の3人娘がとても良くしてくれたので、その4人には必ず干し花を用意してあげてほしいということなども書かれてあり、思っていた以上にリネッタが王都の人に馴染んでいた事に、マニエは驚かされた。
そうして手紙を読み進めていくと、最後の最後に書かれていた一文が目に止まった。
――私について口を閉ざしているであろうロマリアを、叱らないでください。
そこでマニエはようやく、納得がいったのだ。
ロマリアは、脅されているわけではなかった。ロマリアは、リネッタと何か大切な約束を交わしたのだ。それは、テスターやマニエにすら話せない、2人の大切な秘密、なのだろう。
マニエは読み終わった手紙をくるくると巻くと、大切に、自らのテーブルの奥へとしまった。
心は、晴れやかだった。リネッタは無事だったのだ。マニエは、それでじゅうぶんだと思った。
「ヴァレーズ・サニティ・ステライト……。」
マニエは、自室の窓際に置いてある座り慣れた椅子に腰掛け、窓枠に手をかけてぽつりとそうつぶやいた。
それは、リネッタが売っていた干し花の魔法陣を作ったという、魔術師の名前だ。
マニエは、そのオリジナルの魔法陣についての扱いを悩んでいた。手紙には“渡した魔法陣は、リネッタが孤児院にお世話になったお礼”とだけ書かれていたが……はたして、それだけの理由で、自らが作った魔法陣を他人に渡せるもの、なのだろうか?マニエにはそれがどうしても理解できなかった。
――魔法陣を創り出す、ということが、どれだけ大変なことか。マニエは知っている。
幼い頃から天才と謳われた有能な占術師でさえ、途方もない時間とお金をかけ、失敗を何万と繰り返し、寝る間を惜しんで研究したとしても、新しい魔法陣が完成する可能性は極めて低い。万が一、奇跡的に魔法陣を発動させることができたとしても、消費する魔素クリスタルがその効果に見合わないことのほうが圧倒的に多く、実用化は夢のまた夢である。
現在、流通している魔法陣の大半が、初代歴王が精霊王から授かったものだといえば、それがどれだけ難しいことか、孤児院の年少組の子らにでも理解るだろう。
もちろん、歴王が授かったものの他にも新しい魔法陣はいくつか実用化されてはいるが、それらは主に代々の歴王が数百年かけた苦心の末に完成させたものであり、普通の占術師や魔術師が新しい魔法陣を創り出した例は稀の稀であった。
新たな魔法陣を創り出すというのは、全ての魔術師の夢なのだ。
そう、マニエの弟も、その底なしの夢に沈んだ魔法陣研究者の一人だった。
弟は、親兄弟の中で一番仲の良かったマニエにすら、何の研究をしているのか教えてはくれなかった。
「成功したら、まず最初に教えるから!」
目の下に隈を作った笑顔でそう言う弟に、マニエは「楽しみにしているわ。」と微笑む事しかできなかった。しかしマニエは、最後まで弟が何を研究していたのか知ることはできなかった。
それは、オルカ王が歴王に選ばれるより少し前。
王都から離れて暮らしていたマニエがその事件を知ったのは、王都から使いの者が訪ねて来た時だった。
“研究所ごと消滅”
それは衝撃的な内容だった。王都からほんの少し離れた所にあった弟の研究所が、ある日突然、消えたというのだ。
消滅した原因は不明、弟の行方も不明、との事で、至急王城まで来るように、とのことだった。
マニエは、あの日のことを今でもはっきりと覚えている。
見慣れた研究所が建っていたその場所には、本当に何ひとつ残ってはいなかった。地下室分の深さに四角く掘られたような剥き出しの土だけが、ここに以前、何かが存在していたということだけを伝えていた。城での聴聞も、何も聞いていなかったマニエには答えようがなく、結局、魔法陣の研究中に起きた不慮の事故として処理された。
その後も、マニエには涙を流す暇などない日々がしばらく続く。
マニエは、自分が住んでいた家を売り払い、弟が住んでいた屋敷を引き取った。家財はほぼ売り、孤児院を開くことにした。地下に保管されていた魔法陣は、半強制的に国に買い上げられそうになったが、どうにか“形見”として危険なもの以外は残してもらえることになった。
がらんとした屋敷の庭の、もう水も出ない噴水に腰掛けた時、マニエはようやく泣いたのだった。
あれから数十年が経ったが、新たな魔法陣が作り出されたという話は聞かない。つまり、ロマリアに託された干し花の魔法陣は、まだ、世間には出ていない、かもしれないということだ。
その価値は、正直、魔術師ではないマニエには計り知れなかった。
言いようのない不安が、むくむくと胸の内から顔をのぞかせる。
ロマリアは来年、第二壁内にあるテスターの屋敷へと移り住み、本格的に国の生成師として働くことが決まった。あの魔法陣がどうなるかは分からないが、ロマリアには、あの魔法陣の価値をきちんと認識させなければならないだろう。
そうとなれば、すぐにロマリアと話さなければならない。
マニエはゆっくりと立ち上がり、静かに自室を後にした。
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マニエの弟
現在行方どころか生死も不明の、マニエの弟。王都の近くに研究所を持っていたが、40年くらい前、忽然と研究所ごと消えた。魔法陣研究者で、何かの魔法陣を長年研究していた。
マニエ
魔法陣研究者だった弟の屋敷を引き取って孤児院をしはじめたのはもう何十年も前の話。魔法陣の知識はないが、魔術師の知識はある。誰にでも分け隔てなく優しく接するため、王都での彼女の評判はいい。テスターの事を幼い頃から知っている。どこからか調達してくる黒いパンはモッサモサのパッサパサで一瞬にして唾液を枯らすので、水に浸して食べるのがよい。




