それぞれの終わりと ~ヨルモ
ヨルモは、仰向けのまま、首を傾げた。
目が覚めたら見覚えのない部屋で寝ていたのだ。
なぜ自分がここにいるのか、全くわからない。
清潔そうな白いシーツが、素肌にくすぐったい。ベッドの脇には小さなテーブルが置かれていて、そこには水差しとタライ、そして綺麗な布が置いてあった。
服も、いつも着てるボロではない。エリのない、見慣れない薄茶色のゆったりとした服だった。ボタンはなく、代わりに紐が付いている。服の裾が長く膝下まであり、なぜかズボンを履いていないので、スカスカして落ち着かない。
若干の居心地の悪さを感じながら上半身を起こして部屋を見回すと、部屋の隅に見慣れた自分のナタが立てかけてあるのが見えた。ナタは綺麗に洗ってあるのかいつも以上にピカピカで、魔獣の血はついていなかった。
「ああ、俺――。」
魔獣の存在を思い出したヨルモは、同時になぜ自分がここで寝ているのかも理解した。
ヨルモが最後に見たのは、ナタが深々と刺さった魔獣の足。そこで気がゆるんでしまい、直後に何かは分からなかったが強い衝撃を受けた。その後の記憶が無いので、そこで自分は気を失ってしまったのだろう。
あれからどうなったのだろうか。まあ、自分が生きているのだから、魔獣は倒されたのだろう。
――ヨルモが、けして降りるなという御者の人の言いつけを破って馬車から降りた時、まず見えたのは、テスターを担いで魔獣の攻撃を避けているギルフォードの後ろ姿だった。
そうして避けたギルフォードの横を通り過ぎ、魔獣は笑いながらまっすぐとこちらに向かってくる。すぐに隠れられればよかったのだが、ヨルモは、ギルフォードが“まずい”というような表情をしたのをはっきりと見てしまった。
どういう状況なのかは分からなかったが、ヨルモはとっさにナタを構えた。迎撃しようなんていう考えはなかった。ただ、魔獣の気を引かなければならないと思ったのだ。
ギルフォードが何かを叫びながら慌てて魔獣の後を追って走ってくるのが見える。
“ここで魔獣を止めていれば、追いついたギルフォード様がどうにかしてくれるだろう。”
そう、思った。
しっかりと両足を地面につけて、少し膝を緩ませる。そして、前を見据える。敵を、見据える。
相手は魔獣だ。いつも相手をしている子豚とは似ても似つかない、恐ろしい豚だ。しかし、相手の攻撃をよく見れば、きっと、避けることが出来る、はずだ。避けたら、次は、攻撃をする。小牙豚だって避けるだけでは倒せない。避けたら、攻撃して、そして、相手の反撃を受ける前に、逃げる。全力で逃げる。
頭のなかで、自分の動きのイメージを反芻する。避ける、攻撃する、逃げる。避ける、攻撃する、逃げる。避ける、攻撃する、逃げる――。じんわりと、手足が温まっていくような感覚が、不思議と心地よかった。
豚の魔獣は四つん這いで駆けてくる。その後には、青い液体がだらだらと線を作っていた。あれは、魔獣の血、だろうか?豚の魔獣は、それでなくとも体中が青い液体まみれだった。きっと体のどこかに、血が止まりきらないほどの深い傷がある、のかも、しれない。
あとは、もう無我夢中だった。
避けて、攻撃して、逃げる。一回目の応酬では、幸運なことに、顔に多少傷ができただけでヨルモは豚の魔獣の足にナタを突き刺すことができた。
ヨルモのナタは魔法武器ではないので、魔獣の皮を貫くことはできない。しかし、魔獣どころか緋毛熊とすら戦ったことのないヨルモがそんなことを知っているはずがなかった。
ヨルモがナタを差し込んだ傷口は、直前にテスターが湾曲した幅広い剣によって貫いた傷口だった。さすがに魔獣といえども、貫かれた傷が自然にすぐ塞がるということはない。だからこそ、欠ける度に研ぎ直され剣のように幅が狭く鋭くなっていたヨルモのナタは魔獣の足を貫くことができたのだった。
目前へと迫った豚の魔獣は、ヨルモの何倍も大きかった。ヨルモは圧倒的な“死”の気配を感じながら必死に戦ったのだ。2回目の応酬で気絶してしまったが、ヨルモは“まあまあ頑張った”と自分を評価した。
ヨルモは生き残った。
ヨルモは生き残ったが――ロマリアやリネッタはどうなったのだろうか。
「……。」
俯いたまま、魔獣のあの凶暴な顔を思い出し、シーツをぎゅっと掴む。
ヨルモですら一撃で気絶させられた。運が悪ければ、その一撃だけで死んでいたかもしれない。
もし少女らがあの魔獣に遭遇していれば、きっと逃げる間もなく殺されてしまうだろう。
「どうか、無事でいてくれ……。」
ヨルモは声に出して、精霊王に祈った。
すると、精霊王が気軽に答えた。
「無事だぞ。」
「っ!?」
びくうっと体を震わせてヨルモが声の方を見ると、部屋の入口にいたのは精霊王、ではなく、ギルフォードだった。
「ギルフォード様!」
「おう、ヨルモ。」
どこか安心できる笑顔を浮かべるギルフォードに、ヨルモは深く息をはいた。そして、深々と頭を下げる。
「ありがとうございました。俺……」
しかし、ギルフォードは「いや。」とヨルモの言葉を止めた。
「礼を言うのは俺らだし、お前がお礼を言わなきゃいけない相手は別にいる。」
「えっ?」
ギルフォードはゆっくりとヨルモに歩み寄る。
「お前があそこで魔獣を食い止めていなければ、確実に王都民に犠牲者が出ただろう。お前の行動は立派だった。感謝する。」
「え、あ、いや、その……あの時は、なな、なんか、夢中で……!それに俺、途中で気を失って、しまって!」
「あれだけ動ければ十分だろう。お前は王都民を守った。お前の体力が回復し次第、オルカ王が直々に感謝を伝えたいとのことだ。」
「……へっ?……え、え?……お、オルカ様!?えええええっ!?」
「まあ、それだけの事をしたってことだな。自覚はないかもしれんが。
もちろん、あの時お前が逃げたとしても、誰もお前を責めなかっただろう。俺も逃げてくれると思ってたし、なぜ逃げないんだって逆に焦ったぐらいだ。相手は魔獣で、お前は子供だ。しかし、お前は逃げなかった。それどころか、十分な時間を稼いだ。」
「……で、でも、その、俺、汚い、孤児、だし……その……オルカ様に、なんて……。」
「この国では孤児なんてことは関係無い。知ってるだろ?もちろん、種族も関係ない。俺も生まれは孤児だったし、傭兵もやっていたが、今では騎士団の団長だ。」
「そうなん、ですか……。」
「俺はな、もともとは傭兵で、たまたま貴族の雇われ護衛になったんだ。それが、縁あって城に仕えていた獣人の兵士を纏めることになった。それが獣人騎士団の始まりだ。だから、獣人騎士団は完全に実力主義だし、生まれがどうかなんてどうでもいい。騎士団のメンバーの中には他国のスパイだった奴もいたが、オルカ王は普通に話しかけてくださるぞ。」
ギルフォードは、ふんすと鼻から息をはいて、「それはそうと、テスターが話したがってたぞ。」と付け加えた。
「えっ?テスター様も、ですか?」
「なんでも、ねずみの話をよく聞きたいんだと。ああ、で、さっき言った、お前が礼を言わなきゃならない相手ってのとねずみが関係がある、らしい。」
「ねずみ……どういうことですか?」
「魔術師の領分の話だから、俺には分からない。直接聞け。」
ギルフォードは「魔術師の考えることはよく分からん。」と小さく肩をすくめた。
「分かりました。」
ヨルモは困惑しながらも、頷いた。ギルフォードは満足そうに頷くと、次の話題に入る。
「ああ、あとな、お前さえ良ければ、なんだが、獣人騎士団初の見習い騎士になってみないか?」
「……えっ?」
ヨルモの耳がピンと立った。
「お前みたいな子供が、魔獣相手に立ち向かうなんてことは稀だ。無謀すぎる。だが、ただの無謀にしては、お前の動きはよかった。鍛えれば、伸びるだろう。実力主義の獣人騎士団にはそういった制度はないんだが、まあ、試験的にな、そういうのがあってもいいんじゃないかと思ってな。」
「そ、そんな、俺なんか……。」
「他にやりたい事があるなら、強制はしない。しかし、自分を卑下して断るなら、孤児と獣人以外の理由を言え。もちろん騎士になるための修行は厳しい。そういうのが嫌ならまあ、しょうがないが。」
「……。」
「返事は待つ。考えておけよ。」
「あ……は、はい。」
「じゃあな、いい返事を期待している。」
ギルフォードはそう言うと、にかっと笑ってから部屋を出て行った。
部屋が再び静かになる。
「……騎士、見習い。」
しばらくしてじわじわと実感がわいてくると、ヨルモはボソリと言葉をこぼした。
「俺が、騎士見習い……?」
信じられない思いだった。見習いとはいえ、あの、獣人騎士団に、入団できる……?
ディストニカ王国の王都を守るという獣人騎士団の噂は、ヨルモの生まれたスラムにも届いていた。獣人でありながら歴王に認められた、戦士の中の戦士。彼らは魔法陣もなしに魔獣を倒すという。
その、獣人騎士団の中に、俺が?……と、そこまで考えた時。ふと顔がにやけている事に気づき、まわりに誰もいないのにも関わらずヨルモはキリッとした顔を作った。
しかし、すぐにふにゃりと顔が緩む。
それから暫くの間ヨルモの頬は緩みっぱなしになり、それは孤児院に戻ってリネッタが結局見つからなかったと聞くまで続いたのだった。
あけましておめでとうございます!
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ヨルモ
とある国のとある領主(本文表記無し)の治めるスラムで、奴隷として売られるために育てられていた。貴族や兵士に強い反感を覚える反面、ディストニカ王国の獣人騎士団や、自由に仕事を選び生きている獣人の傭兵に強い憧れを持っている。兄弟が何人か居るが、離れ離れになってしまっていて、生死は不明。今後、ギルフォードの元で騎士になる修行をしていくことになる。
赤狼騎士団 団長 ギルフォード・ロロア
ディストニカ王国の王都ゼスタークを守護する魔術騎士団と双璧をなす獣人騎士団“赤狼騎士団”の団長。しかし、獣人騎士団の女性陣に弱く、特に副団長にはあまり頭が上がらない。休日は第三壁内や外壁内を見回りをしている。完全に散歩。元々は孤児で、孤児院を出てからは傭兵をしていた。とある貴族(本文記載無し)に雇われたのをきっかけに、腕っぷしを認められて城で雇われる事になった。




