27-1 最後の犠牲者
その店は、第三壁の北門からスラムの中央通りをしばらく歩き、それから路地に入って何回か曲がったところにあった。
小さく、汚く、暗く、臭い。まともなつまみどころか、まともな酒すらも置いていないような、酒場。
「くそったれめ……。」
酒をぐびりと一口飲み下し、男は「ぶはっ。」と一気にアルコール臭くなった息を吐いた。
「くっそ。」
毒づく。
いつもなら、仕事終わりの仲間と共に行きつけの飯屋で楽しく飲んでいるはずの時間帯だろう。
しかし彼は、もう二度とあそこへ帰ることはできない。
ただただアルコールを強くしただけの酒を、つまみもなく、胃に落としていく。
そうして酒を飲み干すと、ふらりと立ち上がって、男は酒場から出た。
――彼は、怠惰な兄と一緒くたにされたくないというだけの理由で、第三壁で警備兵の仕事に就いていた。
屋敷に籠もっているばかりの兄とは違い、彼には友人もでき、隊長や副隊長に叱られながらも、それなりに楽しい日々を送っていたのだ。
しかし、それは唐突に壊された。
それは、彼が獣人の孤児を警備兵の詰め所から追い返した数日後のことだった。
その日彼は、兄を喪い、職を失い、友を失い、そして居場所を失った。
もう王都にいることすら、できなくなった。
獣人への差別思想があるとかなんとかで、数日後には母ともども、父親の領地に送られることになっている。
「くそったれ……。」
今日、何回目かになるその言葉を吐きながらふらふらとスラムの路地を歩いているその男の前に、俺は、立ちふさがった。
「お前は……。」
その言葉に、俺はいつものように腰を低くして、それから眉をへの字にして「この度は、どうもご愁傷様でした。」と頭を下げる。
「何か用か。」
ぶっきらぼうに吐き捨てた男に、俺は「旅立たれる貴方に差し上げたいものがございます。」と、ポケットから取り出したそれらを手のひらの上に乗せて、見せた。
「なんだ?宝石か?今さらそんなもんあったって――。」
男は手を伸ばして俺の手を払いのけようとしたが、慣れない強い酒をあおったためか微妙に目の焦点があわず、自分の足にひっかかって「おっとと。」と前につんのめった。
「どうぞ。私からの、最後の贈り物です。」
そう、最期のね。
俺は男の伸ばした手を掴み、引き寄せた。そして、手に持っていたそれらを、緩みきったアルコール臭い口にねじ込んだ。
「ぐっ!?……う!?」
目を白黒させて抵抗する男の頭と顎を押さえて無理やり口を閉じさせると、パキり、と何かが割れる音がはっきりと聞こえた。
「あ、ああ、があああ……。」
がくん、と男がその場に膝をつく。
「あ、あ?ま、ま、て、な、に、を……。」
その場に倒れ伏して、男がガクガクと震えながら言葉を絞り出しているが、答える必要はないだろう。なに、結果はすぐに分かる。
苦しげに呻く男を残し、俺は鼻歌まじりにその場を後にした。
仕事は終わった。あとは、まあ、勢いでなんとかなるだろう。あの侯爵は、思っていたよりも人情が厚いようだから。
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第三壁内に魔獣が現れたという噂が王都を揺るがし続ける中、スラムの奥で奇怪な死体が発見された。
体の半分が家畜豚のような肉の塊で、もう片方は人の、男。
服装や持ち物から、数日前から行方不明になっていた、カーナストリア・アースターの息子のディットン・アースターだった。
その兄ダスタン・アースターは、国の保護対象である見習い生成師を攫った上、それを咎めた父親であるオーガスト侯爵を殺そうとして豚頭の魔獣と化し、侯爵の私兵一人を殺害、その後、居合わせた魔術師テスター・リーリア・フォアローゼスと赤狼騎士団団長ギルフォード・ロロアによって討伐された。
ダスタンの件で調べを進めていた王都の審問官たちは、オーガスト侯爵の別邸で働いていたメイドや、ダスタンお抱えの商人の証言を元に、“兄に協力していたディットンが、職を失い、王都からも追放されることになり、自暴自棄になって兄と同じく豚頭の核で魔人化を試したが、魔獣にすらなれずそのまま死んだ。”という結論を出した。
ダスタンやディットンに魔獣の核を渡した人物の存在が問題視されたが、豚頭の核は珍しいが王都で手に入らないものでもなく、被害者であるオーガスト侯爵が“身内の恥”と大事にする事を嫌ったため、別邸の宝物庫荒らしの件と共に、あやふやなままになった。
それからしばらくは王都はダスタンの噂で持ちきりだったが、オーガスト侯爵が王都を去り、ダスタンが暴れたという屋敷も更地になり、その噂もゆるゆると消えていくことになる。
こうして、ダスタン・アースターとディットン・アースターによる見習い生成師の誘拐、及び、魔獣化によるオーガスト侯爵の殺害未遂事件は、幕を閉じたのである。




