26-4 エスケープ
オーガスト侯爵の屋敷にある倉庫の中で、私は黙々と革の肩掛け鞄に戦利品(?)を詰め込んでいた。それを、廊下で見張りを頼んだはずのフリスタが困惑した顔で眺めている。
「なあ、お前、ほんとに何者だよ。」
「ただの獣人のオンナノコよ。」
「嘘つけ!こんな“ただの獣人のオンナノコ”がいてたまるか!」
私はばらばらになったいくつかの南京錠と、その余波で多少曲がってしまった分厚い鉄扉を視界に入れないようにしつつ、フリスタに視線を向けた。
「いいじゃない、何者でも。貴方は王都から逃げられるし、私は欲しかった物が手に入れられる。十分でしょう?」
命令したのが侯爵であれダ……ダスタン?であれ、今回の誘拐事件の実行犯はフリスタだ。もしかしたら、勇敢に魔獣に立ち向かい侯爵を助けた!みたいな功績でロマリア誘拐の罪が帳消しになるかもしれないが、あの侯爵の事だし、どうなるかは分からない。
つまり、フリスタは王都にはもう居られない。にも関わらず、何が不満なのかフリスタはまだ食い下がる。
「考えてみりゃ王都から逃げられても、俺は盗人の濡れ衣でお尋ね者になるだろ!」
「大丈夫よ、貴方は魔獣に食べられちゃったんだから。ほら、強い人達が魔獣と戦ってくれてるんだから今のうちに逃げるのよ。死人を追いかけてくる人なんていないとは思うけど、王都から出たあとも追手が心配なら、しばらく一緒に旅をしてもいいわけだし。」
「はあ?」
「私、このあたりの事、なんっにも知らないのよ。地図も持っていないし、王都の外には知り合いもいないの。だから、しばらく一緒に居てくれるのなら私も心強いわ。ね、とりあえずこの国から出たいから、どっか近くの他国まで案内してもらえないかしら。」
「はあぁあ?」
呆れた声をあげて「近くの他国て……ここは国のど真ん中だぞ……」とうんざりした顔になったフリスタをよそに、いくぶん中身が充実した革鞄をポンポンと叩いて、私は立ち上がった。
「さあ早く。表は魔獣がいるから逃げるとしたら裏口ね。」
「なんなんだよほんと。」
フリスタはガサガサと頭をかきむしり、諦めたようなため息の混じった声でぼやいた。
もう、この屋敷に用はない。欲しいものは手に入れたし、それ以上の収穫もあった。あとはさっさとこっそり逃げるだけである。
「王都を出る前に食料が必要ね。」
「そんなん買ってる暇ないだろ。俺、豚の血まみれだし。つか、戦ってる時はそれどころじゃなかったが……これくっせーな、ほんと。あーでも、捨てていくわけにもいかない、か。」
着ていた革鎧を脱ぎながら、フリスタがそれを小脇に抱えた。
「死んだはずの貴方には買い物は無理ね。あと……装備はどうにかするとしても、確かに臭うし、王都から出たらまず貴方を丸洗いにしたいわね。まあ、買い物をするくらいの時間ならまだあるでしょ。もし盗人を探すとしても、魔獣が倒されて、城の兵士が到着して、この屋敷に手が入って、それからよ。貴方は死んでしまっているし、もともと私はこの屋敷にはいないから、犯人は不明ね。ほら、誰も私達を探したりはしないわ。あ、はい、これ。」
屋敷の裏口から出た所で、私は小脇に抱えていた“隠匿”のロングコートをフリスタに差し出した。
「貴方が着るのよ。王都を出たら返してもらうけど。それ抱えながらだとちょっと走りづらいかもしれないけど、“付与魔法”更新したげるから、しばらくは走れるでしょ。」
そう言いつつ、コートを渡しながらそっと手に触れて付与魔法をかけなおす。
「返してもらうって、お前これ侯爵の……ん?エンチャント?」
コートを受け取りながらフリスタが不審な目を向けてくるが、説明が面倒くさいのでここはさらっとスルーする。
「じゃ、走るから。」
私は言うが速いが、自らにも付与魔法をかけて屋敷の裏庭へと駆け出した。
身体強化の付与がかかっている体は軽く、風のように走ることができた。目の前に迫る私の2倍以上あるレンガを積み上げた分厚い塀も、今は飛び越えられる気がした。
練習などしたこともないが、体が自然に動く。体のバネを最大限に使って跳躍して――も、さすがに飛び越えることはできなかったが、塀の上に手をかけることはできた。足で壁を蹴りながら塀の上になんとか登る。
「まじかよ……。」
追いついてきたフリスタが、同じように塀に手をかけよじ登りながら「つか、今の動き完全に獣だったぞお前。」とぼやいた。
「なあ、エンチャント?っていうのは、つまり、俺の体に何かしたってことか?」
「そうなるわね。」
「あー、それでアレか。」
遠い目をしたフリスタがコートを羽織り、倉庫から拝借してきたのだろう小さな魔素クリスタルを割った。これで私以外にはフリスタを認識できなくなるはずである。
「さあ、急ぎましょう。」
私はそう言って、軽やかに塀から飛び降りた。
身体強化の付与は、体力と筋力の底上げを主軸に、瞬発力や動体視力など様々な身体能力を上げる付与魔法である。
魔素の研究によって、付与魔法の魔素効率はすでに完璧という域まで達しているが、それでも、効果時間が長いこともあり、身体強化の付与はかなり魔素を食う。
とはいえ戦闘には必要不可欠であり、付与魔法を使う最後衛の魔法使いは身体強化の付与を何より先に覚える。魔法使いの見習いが、初めて戦闘に参加するときは、たいていその位置だ。もしなにかがあっても、最低限身体強化の付与さえ使えれば、一番生存しにくい一番弱い彼らが一番に逃げられるので。
ちなみに私なら、だいたい30分くらい保つ。きちんと詠唱すれば、魔素はごっそり持っていかれるが2時間以上保つこともある。森の民がやればその1.5倍だ。それでも2時間というのは、生物にかけるタイプの付与魔法としては異常に長い時間である。
魔獣と対峙している時に私がフリスタの背に触れてかけた付与魔法は、身体強化の付与の他に、衝撃軽減の付与、おまけに継続回復の魔法で、私の元居た世界では一般的に付与魔法一式と呼ばれるものである。
継続回復の魔法は魔素効率が最も悪く、衝撃軽減の付与と同じく与えられたダメージによっては5分も保たない。
しかし、その効果は絶大だ。
継続回復の魔法は、名前の通り継続的に体力が回復し、自己治癒力も上がって小さな傷や多少の毒がすぐ癒えるようになる魔法だ。しかし、この魔法の真価は、“気絶からの復帰が早くなる”という点である。気絶しなくなるわけではなく、気絶した直後に意識が回復するのだ。
つまり、気絶したとしても、直後には意識が回復して回避なり反撃なりに移行できるようになる。一対一や少人数の場合は、その一瞬だけの気絶が命取りであるのでほぼ使うことはないが、一人の一瞬の隙など全く気にも止めない圧倒的な火力を誇る大型の魔獣やドラゴンなどを討伐する際は、衝撃軽減の付与と合わせて重宝する。
高位の付与魔法専門の魔法使いを雇おうと思うと手間もお金(主に魔素ポーション代)もかかるが、定期的に付与一式をかけ直せる最後衛の魔法使いがいるとソロの傭兵も集まりやすく、討伐を依頼する側が付与魔法魔法使いを用意していることも多い。
そんな付与一式をかけたフリスタの動きは、私が思っていた以上に良かった。そもそも速く動くことに慣れていないと、身体強化の付与をしても自分の動きに戸惑ってタイミングが掴めず、うまく戦うことが出来ないのだ。それなのにフリスタは自由に動く体を駆使して魔獣になったダスタンを翻弄していた。
――まあ、私が両親の研究について魔獣討伐に行った時は、安全圏からただ大きな魔法をぶっ放したり、付与魔法をかけたりしていただけだったので、実際に前衛の経験が豊富な人がフリスタの動きを見たらどう思うかは分からないが。
「まいどー。」
私は屋台通りで獣人の露天商から大量の干し肉やら干し果物やらを買い込んだ。たくさん買ったのでおまけまでしてくれた。フリスタが底なしの胃袋を持っていなければ、これでしばらくは保つはずだ。
フリスタは透明な魔素クリスタルをひとつ持たせて先にジャルカタの店へと向かわせている。あの魔素クリスタルを見せれば、ジャルカタは着替えくらいは用意してくれるだろう。
まあ、食べ物さえあれば、あとはなんとかなるなる。私は屋台通りを後にして、観戦していたヨルモと魔獣の対決に冷や汗をかきつつジャルカタの店へと急いだ。
扉をくぐると、困惑を貼り付けたような顔のジャルカタが待ち構えていた。客は、今日も居ないようだ。
「リネッタ。何があった?あの男は……」
「ああ、“フリスタ”よ。フリスタも私も、ちょっと王都にいられなくなっちゃったから、一緒に他国に逃げることになったの。」
「はあ?なんだそりゃ。あいつはな、この王都でも悪名高い貴族の――」
「知ってるわ。オー……なんとか侯爵でしょう?今、その屋敷から逃げてきたところなの。でも大丈夫、ちゃんと逃げるから。……フリスタの着替えはあった?」
「オーなんとか……き、着替え?ああ。」
「そう、ありがとう。あ、でもフリスタは死んだことになってるから、ここで会ったことは秘密にしてね。この店には地図はおいてある?それと、私の着替え、はさすがにないか。食料は持ったし……他には、そう、大きな鞄がほしいわね。フリスタが背負う為の。」
「お、おう。」
「それと、剣をくれ。」
キョロキョロと店内を見回している私に、店の奥からボロボロの革鎧に着替えたフリスタが出てきた。
「どっから出してきたんだよコレ。ホコリまみれじゃねえか。かびくっせえし。」
「あるだけましだろ。」
「剣は持ってるんじゃないの?」
「ああ、俺の剣はな、さっき戦った時にヒビが入ったんだよ。こいつは俺の相棒で、このまま使ってたら確実に折れるし、相棒が折れたら俺の心も折れる。」
「ふふ、何それ。でも、剣が折れたら戦えないわね。2本買っておきましょう。えっと、それと……」
「テントだな。あとは、野宿するからな、火打ち石と、カンテラ、水の魔法陣布、あー、あれば獣避けの香木もだな。」
重そうな木の樽に乱雑に突っ込んであるだけの剣の何本かを、持ったり振ったりしながらフリスタが追加する。
「魔法陣布なんていう高価なモンはここにはねえよ。あとはあるっちゃあある。」
「テントと獣避けのコウボク?だけでいいわ。フリスタ、貴方、水袋は?」
「持ってる。」
「そう、ならテントとコウボク、彼が背負う為の大きな鞄と、剣が2本。あと、地図ね。」
「地図は売ってねえが、まあ、やるよ。」
ジャルカタはそう言って店の奥に入っていく。その後姿を眺めながら、フリスタが口を開いた。
「おい、魔素クリスタルがあっても、魔法陣布がなけりゃ火も起こせないだろ。水袋があっても水がなけりゃ飲めないんだぞ。」
「まかせて。」
「任せてってお前……どんなカラクリか知らんがあんなん森でやったら薪全部吹っ飛んで終わりだぞ。下手したら火の海だ。」
「優しくすれば大丈夫よ。」
「優しく?……そうか、優しさの問題だったのか。なるほどなー……へー。」
フリスタが思考するのを止めたタイミングで、ジャルカタが戻ってきた。
「ホレ、地図があったぞ。古いが、地形なんてそんな変わるもんじゃなし、大丈夫だろう。」
ジャルカタはこれまた埃にまみれている丸めた布を投げた。私はそれを受け取って埃をはらい、肩掛け鞄に入れる。
「全部で代金はいくら?フリスタの服……鎧?も合わせて。」
私が聞くと、ジャルカタは「ツケだツケ。」と肩をすくめてみせた。
「払えるけど?」
首を傾げると、ジャルカタは「また来てくれんだろ?」と、もじゃもじゃのヒゲの奥でにいっと笑う。
「主様にもよろしく伝えておいてくれ。次はできれば、普通のヤツで頼むってな。」
「主?」
「……そうね、伝えておくわ。ありがとう、ジャルカタ。貴方と会えて、本当に良かったと思ってるわ。必ず、利息も合わせて払うわね。……元気で。」
「おい、主ってなんだ主って。」
「おう、待ってんぜ。……おい兄ちゃん、どこまで一緒に行くか知らんが、リネッタに手ぇ出したら承知しねえからな。」
「冗談じゃねーよ!」
ジャルカタの言葉に、フリスタが非常に嫌そうな顔をして声を上げた。なにげに失礼な奴である。いやでも、見た目10才だものね、しょうがないか。
「じゃあ、いきましょうか。」
私は影の薄くなるマントを羽織りフードを被って、こっそり魔法陣を発動させた。
フリスタは大きな鞄に自分の荷物とテントを詰め、腰に3本の剣を差し、さらにその上から隠匿のコートを羽織るというモッコモコ状態で「お、おう……。」と答える。
そうして私達2人は、東門から徒歩で、すでに日が傾きかけてきている王都を後にしたのだった。




