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隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
孤児院のリネッタ
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26-3 魔術師と獣人の騎士 2

「……テスター?」


 不審に思い声をかけるが、テスターから反応はない。異形の豚頭(オーク)は今度はギルフォードに視線を向けた。赤黒い炎を宿す瞳と視線が絡んだ瞬間、全身の毛が逆立つような違和感が体を襲い、ギルフォードは反射的に目をそらした。


「よりにもよって魔眼かクソが!」


 珍しく悪態をついてテスターへと駆け寄りその肩を強く揺さぶるが、テスターは小刻みに震えるばかりで全く反応しなかった。


「グ、ググ……ハハハハハハ!」


 突然、異形の豚頭(オーク)が笑い始める。


「ヅギハオマエダアアアアアア!!!」


 傷ついた両足に一切構うことなく、異形の豚頭(オーク)はテスターとギルフォードに襲いかかる。

 動かないテスターを庇いながら戦うことは、さすがのギルフォードでも難しい。ギルフォードは舌打ちをしてテスターを担ぐと、突進を避けた。


「ハハハハハハハハハハ!」


 異形の豚頭(オーク)がそのまま屋敷の門へと走っていく。そこには、テスターが乗ってきた馬車がある。しまった、と思ってももう遅い。馬車の御者台には誰もいないが、中にはヨルモが乗って……いなかった。


「ヨルモ!?」


 あろうことかヨルモは馬車から出て、昨日も腰にさげていた大ぶりのナタを異形の豚頭(オーク)に向けて構えていた。


「お前には無理だ!殺されるぞ!」


 慌てて固まったテスターを芝生に放り、異形の豚頭(オーク)を追って走りながらギルフォードが叫ぶが、ヨルモはじっとその場を動かず異形の豚頭(オーク)を見据えていた。ヨルモは、ハ、ハ、と短い息遣いをしながらナタをしっかりと正眼に構えている。その足に震えは、なかった。


 そして――一本一本の指がヨルモの腕ほどもありそうな異形の豚頭(オーク)の右手がヨルモの頭を捉えようとした瞬間、ヨルモは子供なりの体の小ささを活かし勢い良く体を沈ませると、拳をよけて後ろに回り込み、テスターが穿(うが)った右足の傷へと持っていたナタを押し込んだ。


「グアアアアアアアアア!!!!!」


 異形の豚頭(オーク)が叫び、腕を振り回す。ヨルモはそれをなんとか直撃は避けたが、鋭い爪によってその頬と額には深い切り傷ができていた。ヨルモの押し込んだナタはそれほど深くはなく、すぐに抜けそうだったが、異形の豚頭(オーク)はナタを抜くのも忘れ、血走った目でヨルモを凝視している。その瞳は怒りに染まっていた。


「オマエエエエエエエ!!!!」


 牙を()き出しにし、不揃(ふぞろ)いの牙がずらりと並ぶ大きな口を開け、異形の豚頭(オーク)が威嚇する。しかしヨルモはそれには(ひる)まず、自分の血で汚れた顔を(ぬぐ)うと、再び異形の豚頭(オーク)へと走り出す。


 異形の豚頭(オーク)の噛みつきは避けきれず服の上から脇腹が少し裂けた。続いて頭を潰そうとして掴みかかってきた左腕もなんとか避け、ヨルモは異形の豚頭(オーク)の右足を貫いていたナタの柄を両手でつかみ、さらに体重をかけて深く押し込む。


 痛みに叫ぶ異形の豚頭(オーク)。しかし、ヨルモの健闘もそこまでだった。ヨルモは全体重をかけてナタを押し込んだためにバランスを崩し、異形の豚頭(オーク)がもがくように振るっていた腕をもろに腹部に食らってしまったのだ。一瞬で意識を刈り取られ芝生を跳ねながら転がっていくヨルモに、噛み殺さんと追いすがる異形の豚頭(オーク)

 しかし、その牙がヨルモに追いつくことはなかった。


「死ぬなよヨルモ!」


 ズン、と重い音をたて、異形の豚頭(オーク)の脇腹を膝で蹴り上げたのは、ギルフォードだった。

 肉の塊のような体が、一瞬、浮く。異形の豚頭(オーク)から上がったのは悲鳴ではなく、くぐもった苦悶(くもん)(うめ)きだった。その横顔に、再びギルフォードの右の拳がめり込み、異形の豚頭(オーク)は空中で半回転する。


 そうして顔を変形させた異形の豚頭(オーク)が芝生に落ちる直前、首に一筋の青い線がじわりと染み出した。


 異形の豚頭(オーク)が芝生に落ちた瞬間、その青い線に沿ってその頭はごろりと体から離れ、芝生を転がる。異形の豚頭(オーク)は何が起きたのか理解できず、頭はギルフォードに向けてガチガチと歯を噛み鳴らし、体は地面に落ちてもバタバタと暴れていた。


「あー、まだ手足が痺れてるよ、もう。」


 首を切り落としたのは、ギルフォードに追いついてきたテスターだった。頭のなくなった首からはだくだくと青い体液が広がり、芝生を汚していく。


 そのうちに、もがくように動いていた頭や体がぐったりとし、異形の豚頭(オーク)は動かなくなったが、ギルフォードが戦闘態勢を解いたのは、じわりと異形の豚頭(オーク)の体が黒く変色し始めたのを確認してからだった。ギルフォードは安堵のため息を吐いて、テスターを見やる。


「おい。」


 ジト目のギルフォードに、テスターは「ごめんごめん。内緒にしといてね。」と恥ずかしそうに苦笑いした。


豚頭(オーク)が魔眼使うなんて思わじゃないじゃんフツー。それにしても、ヨルモ君に感謝しないとね。あのまま逃してたら、王都民に被害が出てただろうし。間に合うかわからないけど、治癒の――」


 と、テスターはギルフォードの視線から逃げるようにヨルモへと目を向け、そして硬直した。


「……何だ?」


 倒れたまま意識のないヨルモの肩の上に、見慣れない小さな鳥が止まっていたのだ。小鳥はヨルモの顔を覗き込んでいた。それを見たギルフォードはすぐに戦闘態勢になり、テスターは「小鳥だよ?」と首を傾げながらも、とりあえず魔法陣の光に包まれたままの剣を構える。


 ――それは、瞳以外が全て真っ白に染まった小鳥だった。小鳥は拳と剣を構えたギルフォードとテスターの方へと空の色を落とし込んだような色の瞳を向けたが、すぐにヨルモに視線を戻した。

 しばらくぴょんぴょんと小さく跳ねてヨルモの体を移動していた小鳥は最後に頭に止まり、ピピピ、チチチとまるで歌うかのように(さえず)りはじめる。


「なんだろうね、あれ。どうしよ。追い払ってもいいかなあ。」

「……早くしないとヨルモが危ない。」


 小鳥の不可解な行動に2人して困惑していると、歌い終えた小鳥が小さく身震いして、小さな翼を羽ばたかせた。その羽ばたきに呼応するように小鳥から淡い光が溢れて、一瞬でヨルモの体を覆う。


「あれは……。」


 呟いたのはテスターだった。そして同時に2人は、ヨルモは助かる、と確信した。

 テスターもギルフォードも、場所は違うがその淡い光を幾度も見たことがあった。テスターは修行で。ギルフォードは、戦場で。


 それは温かみのある独特な光彩を放つ――治癒の魔法陣の輝きだった。その癒やしの光が今、ヨルモを包み込んでいる。ヨルモの上に止まっている鳥が、ピピピ、と鳴いている。


「精霊の眷属、か……。」


 ぽつりとテスターがつぶやいた。

 グスターブがヨルモから聞き出した、不思議な鼠の話。グスターブは、ロマリアが精霊に愛されている、と言っていたが――


「精霊に愛されていたのは君だったのかもね、ヨルモ。でも、君が助けたかった、あの子は……。」


 続く言葉に、詰まる。

 ぐ、と拳に力を込めて、ヨルモを見つめながらテスターはゆっくりと息を吐いた。



 ――ロマリア・デグ・ホーダレイル。


 デュミアーク公国の子爵家に生まれた、最後の子供。

 ボーダレイル子爵家は、優秀な魔術師を何代にも渡って輩出してきた名家だった。西大陸では、その名を知らない魔術師はいなかった。子爵家でありながらも公主直々に魔術師の家系として認められ、魔術爵という特別な爵位まで与えられていた。


 公国の内外で、魔術爵の血族は特別視された。魔術爵の血縁というだけで、良い待遇で仕事を受けることができた。何代も続く魔術師の血をぜひ我が家にも、と、嫁の貰い手にも事欠かなかった。


 ……しかし魔術爵には、誰にも知られてはならない、おぞましい秘密があったのだ。

 それは今、フォアローゼス家がしている(こころ)みの、はるかに先。けして開けてはならない扉を開けた、先。


 そして、“次々に有能な魔術師が生まれる”事を不審に思った隣国の密偵により、その秘密は白日のもとに晒される事となった。


 それは公国を揺るがし、秘密を暴いたはずの隣国をも揺るがす大問題になった。その問題を早期に収束させるために子爵家は即時取り潰しになり、公主は二度と同じような悲劇が生まれないよう“魔術爵”という爵位を永遠に誰にも与えないと宣言した。


 そして禁忌を犯し続けていたホーダレイルの一族は、ほぼ全員が処刑されることとなった。

 処刑を(まぬが)れたのは、遠い他国で雇われていた魔術師と、秘密を知らないまま他の家へと嫁いだ娘、そして、魔術の才能がないという理由だけで屋敷では“産まれていない子供”扱いされ、追い出されるようにひとまとめに孤児院に押し込められていた、幼い子供達だけであった。その、孤児院に入れられていた数人の子供のうちの一人が、ロマリアだった。


 ロマリアは最初、デュミアーク公国の孤児院にいたそうだ。しかし、子爵家の秘密が知れ渡ると、ロマリアは“(けが)らわしい”と(ののし)られ、すぐにその孤児院にはいられなくなった。その後、他国の孤児院を点々としたが、どこでもその噂がついて回り、ロマリアはずっと孤独を抱えて心を閉ざしていた。


 どこの孤児院でも持て余していたロマリアを引き取ったのが、マニエだ。そして、ちょっとした用事で顔を出した第三壁の仕事仲介・斡旋所で、孤児院に生成師になりえそうな子供がいる、と話を受けたのが、テスターだった。テスターは、最初はただ暇つぶしで、ロマリアを調べはじめただけだった。


 ロマリアについて聞きに行った孤児院の応接室で、マニエがロマリアについて話すのをひどく躊躇(ためら)っていたのが、印象に残っている。


 ――子爵家の騒動で処刑を免れた子供のうち、生き残っていたのはロマリアだけだった。


 その子爵家で生まれた子供は、代々、魔法陣が扱えようがそうでなかろうが、体が弱い。だからか、処刑を免れたあとすぐに病気や事故で死ぬ子供もいたそうだ。しかし、それとは別の理由で死を選んだ(・・・)子供が大半だった。


 子供は純粋に、汚いと思ったものは汚いと言う。孤児院という小さな社会、狭すぎる世界で、元子爵家の子供たちは、“もし自分の出生を知られたら”という恐怖と毎日戦い、秘密を知っているであろう周囲の大人にビクビクしていた。

 そのせいで孤児院の中で浮いてしまうことになり、その結果として、図らずもいじめの対象になっていた。その悪循環が、いつでもどこでもついて回った。そしてそれは、孤児院を出たあとも死ぬまで続くのだと、子供たちはなんとなく察していたのだろう。そんな子供たちが生きることに絶望するのは、なんらおかしくはなかった。


 そして、テスターにはロマリアに手を差し伸べたい理由が他にもあった。

 ホーダレイル子爵家は、テスターの曾祖母の生まれた家であったからだ。


 ――ああ、ロマリアだけでも、幸せにしてやりたかった。

 感傷に浸りながら、テスターは屋敷の方へと視線を向けた。


 あの異形の豚頭(オーク)のことだ。ロマリアも、たぶんオーガスト侯爵を逃したという私兵も、生きてはいないだろう。あと、獣人の少女(リネッタ)も。

 屋敷の3階、異形の豚頭(オーク)が飛び降りてきた壁の穴に視線を向ける。あそこに、ロマリアが、いるはずだ。どうなっているかは分からないが、間違いなく、綺麗な死体では、ないだろう。

 テスターは、ゆっくりと、屋敷に入る覚悟を決めた。


 しかし。


「……ター……まー!」


 よく見れば、その穴から、誰かがこちらに大きく手を振っていた。


「……さまー!」


 聞き慣れた、耳に心地良い、声音。


「テスターさまー!」


 それは、まごうことなきロマリアだった。


「……、…………へっ?」


 テスターは口を開けたまま、間抜けな声を漏らしたのだった。

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