26-3 魔術師と獣人の騎士 1
空気を震わせる大きな爆発音と共に、屋敷の3階の壁が一部崩れて穴が空いた。
カーナストリア夫人やメイド達が悲鳴を上げ、ギルフォードが首をかしげる。
テスターは不審げに屋敷に視線を向けた。
――時は遡り、侯爵の別邸。
どうしてもついて来たいというヨルモを孤児院の前で馬車に乗せ、約束通りロマリアを迎えに来たテスターが屋敷に着くなり見たのは、急いで馬車に乗り込むオーガスト侯爵の姿だった。隣には小さな男の子を連れたドレスを纏った40才後半に見える女性がおり、何人ものメイドがそれを囲んでいる。
「おいおい、なんだありゃ。」
ギルフォードが急いで馬車から降り、オーガスト侯爵の馬車へと走る。
「……なんでしょうね?」
御者台に座っていたグスターブも、テスターに声をかけた。
「僕から逃げる、にしては、ちょっと遅いよね~。あ、君はちょっと待っててね。」
肩をすくめながらこたえたテスターは、今日も緊張でカチコチになっているヨルモにそう声をかけ、ギルフォードを追って馬車を降りて、一悶着起きているオーガスト侯爵の馬車へと向かった。
「一体どうしたの?」
「魔獣が出たらしい。」
「はあ?」
テスターは一気に脱力した。魔獣?こんな所で?
「その場に居合わせた侯爵様の私兵がそう言ったんだそうだ。んで、侯爵様と夫人、メイドも逃げる所だそうだ。」
「あー、ああ。えっと、うん、ソレだけじゃわかんないから、オーガスト様とちょっと話をしよっか。――オーガスト様!お急ぎの所申し訳ありませんが、状況をお聞かせ下さい!」
テスターが馬車に声をかけると、しぶしぶといったふうにオーガスト侯爵が馬車の窓から顔を出した。
「どういう状況か、説明していただけませんか?」
オーガスト侯爵は難しい顔をしながら、「説明と言ってもな……。」と呻いた。
「そろそろテスター殿が到着する頃だろうと、少女の部屋へと入ると、そこにダスタンがいた。精霊に選ばれた、などと言っていたが……はあ、誰に騙されたのか、まさかこんなことになるとは。」
「どういうことですか?」
「ダスタンが、魔獣に化けた、らしいのだ。化ける前に、精霊の小石がどうとか言っていたが、そのあたりは私にはよく分からない。するとダスタンがいきなり闇に包まれ、それを見た私兵が、“魔獣化しようとしているから逃げろ”と。」
「はあ……。で、ロマリアは?」
「部屋の反対側にいたので逃がす事はできなかった。」
「……っ。」
「テスター、それはしょうがない。」
顔を歪めて何か言いかけたテスターを、ギルフォードが止める。テスターが「分かってるけど。」とギルフォードに視線を向けた時、ドン、という爆発音があたりに響いた。
「っ!?」
オーガスト侯爵が屋敷の方へと視線を向ける。
「穴あ?」
ギルフォードが素っ頓狂な声を出した。テスターがオーガスト侯爵の視線をたどって屋敷の方へと見ると、屋敷の3階の壁が一部崩れて大きな穴が空いていた。
「なんだ、あれ。」
その穴から、何かが顔をのぞかせる。それは、紫色の肌をした、凶暴そうな、豚頭だった。そうしてギョロリとこちらを見ると、壁際から体を乗り出し、植木へと飛び降りる。
……バキバキと植木を踏み潰してゆらりと立ち上がったそれは、異形の豚頭だった。
「な、あ、あれが……ダスタン……!?」
「あー、確かにアレは魔獣だねー。しかも、フツーの豚頭じゃない。」
「――ああ、そうだな。」
紫色の皮膚をした、巨大な異形の豚頭。さっきまで戦闘をしていたのか、全身青い液体にまみれ、牙はぬらぬらとてかっている。
「アアアアアアアアアオオガズトオオオオオオオ!!!!」
オーガスト侯爵に向かって異形の豚頭が叫んだ。先程の爆発音に負けず、ビリビリと空気が震える。
ギルフォードが短く息を吸ってオーガストに声をかける。
「侯爵様、お引き止めしてしまい、申し訳ありませんでした。このまま城へとお逃げ下さい。もしここで俺がアレを逃したとしても、アレは第二壁内には入れませんから。」
言うなりマントの留め具を外し手に持った。
その間にテスターは、真っ青になってしまった御者に、「僕の馬車の御者は戦えますから、護衛として使って下さい。」と言葉をかける。
「テスター、お前は騎士団の詰め所に行ってくれ。」
ギルフォードがテスターを見ると、テスターは首を傾げた。
「え、なんで?」
「なんでって……。」
その言葉を遮るように何かがギルフォードの目の前を横切る。
「ほら、知らせは今飛ばしたから。」
それは、鳥の形をした小さな何かだった。
「行き先は魔術師騎士団の本部だけど、まあ、馬車で行くよりは速いと思うよ。」
腰の剣を抜きながらテスターが笑った。その顔に、ギルフォードが渋い顔で返す。
その間にもオーガスト侯爵を乗せた馬車は出発し、それを追って異形の豚頭が走り出す。
「マデエエエエエ!!!!!」
「チッ」
ギルフォードが大地を蹴って異形の豚頭へと駆けた。その差は一瞬で埋まり、ギルフォードは手に持っていたマントを異形の豚頭の顔へと被せると、右の拳で異形の豚頭の左顎を凄まじい勢いで殴り飛ばす。
通常の剣程度では傷つかないはずのその体が派手に横に吹っ飛んで芝生を跳ね、近くに設えてあった噴水へと突っ込み、ようやく止まった。
「グ、グアア……」
顔のマントを右手で剥ぎ取りながらよろよろと起き上がる異形の豚頭を、ギルフォードは右手をプラプラさせながら見ていた。
「なりたてだからか、意外に柔いな。」
「そんなこと言うの、ギルフォンくらいだけどね。」
煌々と魔法陣の光を宿した剣を手に、ローブを脱いだテスターが歩いてきた。シックなダークブラウンの皮鎧には、フォアローゼスの紋章が焼き付けられている。
「そんなこたないぞ。肉弾戦は獣人騎士団の基本だからな。そもそもコレが出来なきゃ、騎士団には入れねえ。」
「それは知ってるけどー、あ、えっ……じゃああの副団長サンも戦う時は殴る蹴る、ってこと……?」
「いや、あいつはどちらかというと指示するほうが向いてっから自分で殴ることはあまりない。殴れねえわけじゃないけどな。」
「あー、うーん……そっかあ、たしかにそれっぽいかも。」
軽口を交わしながらも、テスターはパキパキと魔素クリスタルをいくつも割っている。大きさ的には、4級といったところだろうか。
「実戦はひっさしぶりだけど、まあ、全部発動させればなんとかなるよね。」
2人の間には隙しかないようだったが、異形の豚頭はグルルと唸りながらも、そんな2人を見ているだけだった。それほど、さっきの左顎を撃ち抜くような拳が強烈だったのだ。
「全部ってお前……」
呆れるギルフォードをおいて、今度はテスターが仕掛けた。
ギルフォードに勝るとも劣らないスピードで異形の豚頭に肉薄する。異形の豚頭が慌てて距離を開けようとするが、テスターの方が何倍も早かった。
ズパン、と逃げようとしていた異形の豚頭の左足首が飛んだ。遅れて、異形の豚頭が苦悶の叫びをあげ、地面には青い血しぶきが飛び散る。それでも異形の豚頭は両手も使いテスターから逃げようと這うように逃げた。しかし、視線の先にギルフォードを捉え、慌てて方向転換して屋敷へと向かう。
「逃さないって。」
テスターが冷たくつぶやき、手に持った剣を振りかぶって投げた。それは吸い込まれるように異形の豚頭の右足を居抜き、地面に磔る。
「必中っていいよねー。」
絶叫する異形の豚頭に、にんまりと笑ったのはテスターだった。異形の豚頭は絶叫しながらテスターの剣を自分で引き抜き、その場に捨てる。
「ぐ、グガガ……ゆ、ゆる、グ、さ、ナ……」
右足からも左足からもドクドクと青い体液を流しながら、異形の豚頭が2人を見る。瞳には、赤黒い炎が揺らめいていた。
「ふん、何をどうしてそうなったかは知らないけど、恨むんなら、君に魔獣の核を渡したやつにしなよ。」
テスターが、異形の豚頭に歩み寄りながら、声をかけた。
「グルルル……」
「誰かに、宝石みたいなもの、渡されただろ?豚頭の核ってどんなんだったっけかな……覚えてないけど、なんか、きれいな石。精霊の小石って言って渡されたらしいけど?」
「セイ、デイ、ゴイギ……ボグ、バデ……」
「君は騙されたんだ、ダスタン。君は精霊に選ばれたワケじゃない。騙されたんだよ。」
「グ、グ……」
瞳に宿した炎を揺らめかせ、異形の豚頭が怯んだように唸る。
「君は討伐するしかないけど、君をそんなふうにした奴を道連れにはしてあげられるよ?名前を教えてよ。君を騙して、魔獣にした奴の、名前。」
ギルフォードは、いつでも動けるよう構えながら、テスターの言葉をじっと聞いていた。テスターは優秀だが、詰めが甘いのだ。異形の豚頭は話を聞いているような格好をしてはいるが、あれはもう正真正銘の魔獣であり、人ではない。人の行動理念や思考に似た受け答えはするが、実際は何を考えているかは誰にもわからないのだ。人だと思って相手をすると、痛い目にあう。
テスターを見据えているあの赤黒く揺らめく瞳は、まだ何か起死回生の一手を持っている目だ。魔獣は、魔人に似た刻印を持つこともある。
ギルフォードは気を引き締める。と、その時、ずっと異形の豚頭に話しかけていたテスターの言葉が、不意に、止まった。




