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隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
孤児院のリネッタ
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25-6 精霊の小石

 静かに鍵が開けられる音がしたので、床に座ったまま振り向くと、見慣れた男が扉の軋む音にビクビクしながら部屋に入ってくるところだった。


「……チッ、お前か。」


 睨むと、ギッシュは怯えたようにびくりと肩を震わせる。


「も、申し訳ありません……どうやらカーナストリア様の雇ったメイドの一人が侯爵様に内通していたらしく、私が坊ちゃんの部屋に行く前に、侯爵様に止められてしまいまして……私にはどうすることも出来ず……。」


 ギッシュの言葉は小さい上に聞こえづらかったが、慣れていたダスタンはしっかりと聞き取ると「チッ、あのクソ親父め……。」と悪態をついた。


 ダスタンの顔には何箇所か殴られた痕がある。もちろん、殴ったのはオーガスト侯爵だ。

 しかも殴られたあと、窓どころかベッドさえない部屋に閉じ込められ、排泄もタライでさせられているのだ。ダスタンは本邸に居た頃ですらこんな扱いは受けたことはなく、たかだか部屋のひとつを覗いただけにしては酷く重い仕置きだった。ギッシュに非がなくとも、ダスタンがそういう態度になってしまうのは仕方のない事だった。


 しかし、ギッシュは眉をへの字に下げ、まるで全てが自分のせいなのだと言わんばかりの申し訳無さそうな顔をしている。その顔に、ダスタンは少しだけ気が紛れた。


 このギッシュという男は、それでなくてもひどく腰が低い。ダスタンが初めてギッシュを紹介された時も、侯爵の血をひいているとはいえ絶対に爵位を次ぐことのない妾の子で、本邸からは追い出され、領地にすら行く事を許されなかったダスタンに対して、深々と頭を下げて「ダスタン様」と呼び、母親の事も「侯爵夫人」と呼んだ。


 本邸では居ないものとして扱われ、屋敷の廊下ですれ違ったとしても頭さえ下げなかった本邸通いの商人しか知らなかったダスタンは、それに(いた)く感動し、以降ギッシュを“自分のお抱えの商人”だといって事あるごとに頼るようになった。


 そのギッシュを最初に父親(オーガスト侯爵)に紹介したのは、ダスタンの母親のカーナストリアだった。カーナは、自分や息子達のために色々としてくれるギッシュへの恩返しのつもりだった。しかし、オーガスト侯爵がギッシュに興味を持つことはなかった。


 当然、ダスタンは気に食わない。カーナが“ダスタンのお抱えの商人(お気に入り)”であるギッシュを勝手にオーガスト侯爵に紹介したこともだったが、なにより、ギッシュに興味を示さなかったオーガスト侯爵に対して、暗い怒りを覚えた。


 ダスタンはギッシュに、自分とカーナの知りうる限りのオーガスト侯爵の情報を教えた。そうしてギッシュは、オーガスト侯爵に気に入られるまでになったのだ。

 しかしギッシュは、オーガスト侯爵に気に入られてからもダスタンの元を訪れ、事あるごとに頼みを聞いてくれた。そんなギッシュが、悲しみを瞳にたたえてダスタンを見つめている。


「坊ちゃんのお気持ち、痛いほど分かります。私といたしましても、日頃から大変よくしていただいているダスタン坊ちゃんが理不尽な理由で侯爵様に虐げられるのは、見るに耐えません……。」

「ふん。僕よりも、親父のほうが権力も有るし、金も持ってるんだ。俺はあいつの……何人居るかすら分からない妾にできた子供(こぶ)だ。立場の違いくらいは分かってる。」

「いえ、そんなことはありません!侯爵様は、ダスタン坊っちゃんを理解しておられない。私はそれが……悲しいのです。」


 ダスタンがいつものように卑屈に返すが、今日のギッシュは珍しく熱のこもった口調で反論した。


 干し花(ポプリ)について熱弁していた時のような表情だった。訝しむダスタンに、ギッシュは、決意の篭った声で、さらに言葉を続ける。


「昨夜、侯爵様が不機嫌でいらっしゃったのは……実は今、侯爵様は窮地(きゅうち)に立たされていらっしゃるからなのです。」

窮地(きゅうち)?親父が?」

「そうです。昨日、あの部屋にいた2人の奴隷のうち、(ヒュマ)の娘は、魔素クリスタルの生成師なのですが……娘を攫ったことを、どうやら城詰めの魔術師に()ぎつかれてしまったようなのです。」

「へえ。」

「侯爵様は、それを……坊っちゃんに濡れ衣を被せる事で、ご自分は罪から逃れようとしていらっしゃいます!」

「……な、っ!?」


 どうでもよさそうに聞いていたダスタンは、ギッシュの最後の言葉を聞いた瞬間、怒りで一瞬のうちに頭に血がのぼり顔が熱くなったのを感じた。


「さすがに抗議させていただきましたが……聞き入れてもらえず……。しかし、例え侯爵様の(めい)でも、私には……恩ある坊っちゃんを裏切る事などできませんので、こうして馳せ参じたのでございます。」


 親父が、俺に、罪をなすりつける?

 手に力が入りすぎて、握り込んだ拳が白くなっている。手のひらに爪が食い込むが、気にならなかった。


「クソ……親父……俺をなんだと思ってやがる……!!」


 怒りでブルブルと体が震えている。ギッシュはそれをしっかりとした眼差しで見ていたが、おもむろに懐から何かを取り出すと、それをぎゅっと握った。


「坊っちゃん。このままでは、坊っちゃんは侯爵様に陥れられてしまうでしょう。ですからこれを……。」


 静かに近づいてきたギッシュから直接手渡されたのは、すべての面が正三角形にカットされた、透き通った赤黒い宝石と、加工のされていないゴツゴツとした透明な石だった。


「何だこれは。」

「透明のものは、魔素クリスタルです。」

「これが魔素クリスタル?うちのメイドが使っているものとはだいぶ違うな。」


 透明な魔素クリスタルを灯りにかざしながらつぶやくダスタンに、ギッシュは静かに頷いた。


「そして、もうひとつの石は……精霊の小石です。」

「精霊の、小石?」

「はい。カットが施された宝石にも見えますが、加工は一切しておりません。」


 ダスタンは透き通った赤黒いその石をまじまじと観察した。小指程の大きさの暗い赤色の石だ。面にはまったく欠けがなく、すべすべとした肌触りが心地よい。どこから見ても美しい正三角形で、とても加工していないようには見えなかった。


 ――精霊の小石。


 名前を聞いたことはあったが、ダスタンは実物を見るのはこれが初めてだった。というより、精霊の小石なんて、おとぎ話の中だけに存在するものだと思っていた。あの欲まみれの親父でさえ持っていないのだから、実際に存在しているなんて思ってもいなかったのだ。

 精霊の莫大な力が封じ込められているとも、精霊そのものが石に変じた姿ともいわれている、奇跡の宝石。これを持つものは、大いなる力を得るという。精霊王からこれを授かった者が歴王になるともいわれているが――その精霊の小石が今、自らの手の中にある……?


「本物なのか?」


 ダスタンの疑問は当然だった。


 ダスタンは、ギッシュのことを優秀な男だと思っていたが、所詮(しょせん)は王都に店を持っているだけの一介の商人にすぎない。上には上がいるし、もし精霊の小石のような価値の高いものが市場に出回ったとして、はたしてギッシュがそれを手にできるのかは疑問である。そもそも、いかに侯爵に取り入って稼いでいるからとはいえ、精霊の小石を買えるほどの金もないはずだ。


「これは、私が生まれたアリダイル聖王国から持ってきたものです。アリダイル聖王国は二代に渡り歴王が治めた国ですから、他国とは違い、国民も精霊に愛されているのです。

 この精霊の小石は、精霊王(サシェスト)様の眷属(けんぞく)からいただきました。……精霊は、力を与える者を自ら選びますが、その選定基準は誰にも分かりません。正直、当時はなぜ私に精霊の小石(これ)が授けられたのか、私にも分かりませんでした。しかし、今ならばはっきりと分かります。これは、私から貴方様へ渡さなければならなかったのです。精霊に選ばれたのは、私ではなく、貴方様だったのです。見て下さい、精霊の小石に光が宿り始めています。ああ……」


 ギッシュがうっとりとダスタンの持つ赤黒い石を見つめながら話す。ダスタンは抱いた怒りの感情がだんだんと違うものになっていくことに気づかないまま、熱に浮かされたように、仄暗(ほのぐら)く光を宿した精霊の小石と呼ばれたそれに視線を落とした。


「坊っちゃん。それを、肌身離さず持っていて下さい。それは、持つものに、力をもたらします。」

「分かった……。」

「そして明日、貴方様はその精霊の小石の力を使い、囚われの少女を助けるのです。明日、城詰めの魔術師が、騎士を伴い屋敷に来ます。侯爵様との話し合いの為ですが、そこで貴方があの少女を助け出し、城詰めの魔術師と騎士の前で、侯爵様の悪事を(あば)くのです!」

「僕が……親父の悪事を、暴く……?」

「そうです!そうしなければ貴方様は、侯爵様の手によって……領地に戻される前に……。」

 ギッシュは目を伏せてその先を言わなかったが、ダスタンにはすぐに分かった。親父は自分を、口封じのために殺すつもりなのだと。そしてその事実を、危険を犯してまで、ギッシュは知らせてくれたのだ。ダスタンはギッシュに深く感謝するとともに、絶対に父親の思い通りにはさせないと決意した。


「成功すれば、侯爵様は王都から領地へと送還され、家督を譲ることを余儀なくされるでしょう。そうすれば、このお屋敷は正式にカーナ様のものになるはずです。

 本当は、“精霊に選ばれし者”である坊っちゃんを貶めようとした侯爵様には、罰を受けていただきたかったのですが……。」

「精霊に選ばれし者……。」


 ダスタンがぼそりとつぶやく。その瞳は暗く、精霊の小石と呼ばれた赤黒い石と同じ色を宿しはじめている。その表情にギッシュは満足げに頷き、さらに熱を帯びた声を上げた。


「そうです!坊っちゃんは、精霊に選ばれし者。精霊に愛され生まれた尊きお方です。その尊き坊っちゃんを、ただ、父親だからといって虐げ、罵り、閉じ込め、あわよくば己の罪をなすりつけ殺そうとするとは……。侯爵様とはいえ、精霊に選ばれし貴方様から見れば、平民と変わらないただの(ヒュマ)であるはずなのに――ああ!」


 ギッシュが何かに気づいたように上ずった声を上げた。


「も、もしや、侯爵様は、坊っちゃんが選ばれし者だと知っていて、それを妬み、この屋敷に閉じ込めていたのでは……?さすがに侯爵様ともあろうお方が、選ばれし坊っちゃんの力に気づかないわけがありませんから……ああ、なんという……侯爵様は、坊っちゃんを、選ばれし者だと知っていて、殺そうと……まさか、坊っちゃんを殺せば、精霊の力を我が物にできるとでも……!?」

「……。」


 ダスタンは、酔いしれたようなギッシュの声には、もう反応しなかった。赤黒い光を宿した瞳の中では、父親への憎悪の炎だけが渦を巻いて、胸の中では苦しいほどに怒りが燃えさかっているばかりだった。

 親父は、精霊に選ばれた自分を妬んで、殺そうとした。なるほど、あの親父のやりそうな事だ。


「坊ちゃま……いえ、“精霊に選ばれし者”ダスタン様。私が、精霊の小石の力の使い方をお教えいたします。明日の朝、貴方様は、城詰めの魔術師と騎士の目の前で悪の根源である侯爵を討ち取り(・・・・)、この狭い屋敷の中から栄光の表舞台へと羽ばたくのです――そう、“精霊に選ばれし者”として。」


 ギッシュがゆっくりとそう耳打ちすると、ダスタンは静かに、狂気に満ちた笑みを浮かべたのだった。

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