25-3 乗り込む 2
「はっはっは、まさかいきなり乗り込んでくるとはな。」
オーガスト侯爵は豪快に笑ったが、テスターはいきなりの事に言葉を返すことができないでいた。
「今は妾に住まわせては居るがな、この屋敷はそもそも隠宅にするつもりで買ったのだ。私は今まで、表立ってこの屋敷に誰かを招いたことはない。にも関わらず、親しくもないフォアローゼス侯爵家の、まして城に篭ってばかりいる城詰めの三男坊が、この屋敷の存在を知っているわけがないだろう?もし、本当に偶然私の馬車を見かけたとしても、ここは第三壁内なのだから私が招かれた側だと思うのが普通だと思うが?」
「……。」
テスターはほぞを噛んだ。この男を相手にするには、もう少し調べてから行動すべきだったのだ、と。
ロマリアを見つけて少しは冷静になれたと思っていたが、碌に調べもせずに乗り込んだのはどう考えても早計だった。
――あいつはなあ。
以前、渋い顔で語りはじめた父の顔が脳裏に浮かぶ。
あれは確か、貴族周りで悪い噂ばかり聞くオーガスト侯爵の事を父に聞いた時のことだった。
「やり手もやり手、以前は高級品だった生の果物が第三壁内でも安価で手に入るようになったのはあいつのお陰で、その功績が認められてあいつは伯爵から侯爵に爵位が上がったんだ。それを知っていて影で成金だと罵る下位貴族と、代替わりによってあいつの有能さを知らない若い貴族が増えたから悪い噂ばかりがついて回るんだろうな。まあ、ウチの息子であるお前もその若い貴族の一員なんだが。」
父はため息混じりにそう言って、屋敷の窓から外に視線を移す。
「あいつは権力に貪欲だった。国王が歴王に指名されたのを期に、この国には戦争がなくなった。歴王がいる国が戦争を起こすわけにもいかないし、歴王がいる国に戦争をしかける国もまずいない。世継ぎ争いも、歴王の寿命が4~500年あることを考えれば、まああと数百年はないだろうな。
つまりこの先、功績を上げるにはあいつみたいに国を潤すようなことをしなければならないわけだ。だが、この国はもともと豊かだろ?気候も安定してるし、飢饉になることもまずない。まあ、なったとしても備蓄があるから、スラムでもない限り領民が餓死なんてことにはならない。
そういう状況下であいつは、先代が病死し爵位を継いですぐに、手付かずの山を含めた領地全てを果樹園にした。農地もほぼ潰してな。理解できないだろう?手付かずの山だけならまだしも、領地全てだ。草原も何も残さず開拓したんだ。当時は俺にも、俺の親父にも理解できなかった。歴王さえも困惑したらしい。
そうしてほうぼうに借金までして途方もない金を使った果樹園は、見事に成功した。あいつが得たのは、使い込んだ金を凌駕する富と、侯爵という権力だったってわけだ。ああ、あと、領民からの信頼だな。
知ってるか?あいつの領地にはな、スラムがないんだ。領民は全員、果樹園で働いているからな。まあその代わり、果物以外の食料や農具やなんかは周囲の領地から買うしかないし、虫害が発生するとかなり苦しいらしいが。王都にすらスラムがあることを考えれば、それは領地経営としては数少ない成功例だと俺は思うぞ。ちょっと極端すぎるがな。事実、歴王もそれを高く評価しているんだ。
ただまああいつは……女好きでな。なんだろうな?権力に貪欲な奴ほど、女好きのような気がするが、その中でもあいつはやばい。金でもなんでも使って、欲しい女をモノにするからな。第三婦人まではきちんとしたところの生娘を貰うのが貴族の通例なのにもかかわらず、あいつの第二夫人は未亡人だったからな。あれは歴王も閉口してたが、まあ、あいつの功績を考えると、公には口出しできなかったようだが。
そういや、先日会合で顔を合わせたんだが、以前の貪欲さが薄れていた気がするな。伯爵だった頃の名残?なのかなんなのか、他の侯爵を目の敵にするところはあったが、それもあまり気にならなくなっていた。覇気がないというか、まあ、良く言えば“丸くなった”ということろか。
これ以上の出世と考えると、あとはもう王族を娶って公爵になるくらいしかないからなあ……。まあ公爵になれたとしても、世継ぎ争いがあるわけでもなし、今のところは義務が増えるだけでいいことなしだ。金も女も手に入れて、あとはもう何もすることがなくなったんじゃないのか?そういや最近、女関係以外の新しい悪い噂を聞かなくなったな。うまくやってるだけかもしれんが。」
テスターはその話を黙って聞いていた。というより、黙って聞かざるを得なかった。
手付かずの山を切り開いて、農地まで潰し領地全てを果樹園にするなど、例え考えついたとしても実行に移すなんて、テスターには決断できないと思った。すでに領地経営に参加している長兄にもできないだろう。
テスターよりも若い年で伯爵家を継いだ当時のオーガスト伯爵は、テスターと同い年ですでに果樹園の事業に着手していた。
家畜豚のように太った目の前の男を窺い見る。正直、そんなすごそうな男には全く見えない。
そんなテスターを、オーガスト侯爵は面白そうに眺めていた。
「そんな警戒するな、と言っても無駄だろうな。お前は、この屋敷にその少女がいると確信しているのだろう?そして、私が今回の誘拐事件の犯人だと。」
「……、はい。」
しぶしぶ頷く。テスターは、今日はただ“ロマリアを無事に返せば大事にはしない”と軽く脅しに来ただけなのだ。その後、何回かの話し合いを経て、ロマリアを取り返すつもりだった。しかしオーガスト侯爵は、それだけでテスターを帰すつもりはなさそうだった。
テスターは大いに困惑していた。
「どう調べたのか、は、まあ聞くまい。どこにでも、誰かは居るものだ。いや、こうなってはわざと攫わせた可能性すらあるか。どうなんだ?」
「……言えません。」
小さい声でテスターが答える。オーガスト侯爵はギシりとソファの背に持たれて鼻で笑った。
「フン、さっきの勢いはどうした。まあ、そうか。そうだろうな、ああいうのは言い捨ててさっさと帰るに限るからな。はっはっは!――ああ、わざと攫わせた、というのはさすがにないか。では、内通者がいるのか?ふむ……?」
「……。」
「ああ。まあ、それはもういい。で、その娘、ロマリアがなぜこの屋敷に居るのか、だが……実はな、この屋敷に住まわせている妾の子が、街を歩いているロマリアを見初めてしまってな。私に何も言わず、私の飼っている傭兵に攫わせてしまったんだ。」
また、ぴくりとテスターの肩が震えた。
……息子が見初めた?
「手は出していない。さすがに誘拐して強姦、となるとな。息子は今、屋敷の部屋に放り込んで反省させている。」
うんうんと頷いて、オーガスト侯爵は続ける。
「聞けば、ロマリアは国に魔素クリスタルを卸している生成師の見習いだというじゃないか。監視の兵も叩きのめしたとか。正直、それを知った時は焦ったが、手をだす前に息子を止めることが出来たのは幸運だっだ。あとは、なんとか穏便に済ませたいと思っていたのだよ。
そこに君が颯爽と登場したわけだ、私にとっては渡りに船というやつだな、ははは。まあ、だから引き止めた事については、謝意こそあれど悪意はない。」
オーガスト侯爵はそこで前のめりになり、両手を顎の前で組んだ。
「ロマリアは返そう。フォアローゼス侯爵家の縁者ならばなおさらだ。お互い、この件を大事にしたくないと考えているのなら、この件は、ヴァンドリア家がフォアローゼス家に“借り”を作った、ということで収めてもらえないだろうか。公にすることは出来ないが、念書も作ろう。」
――“借り”、か。
テスターは考える。ロマリアを攫われたのは腹立たしいが、手を出されたわけではない(らしい)し、オーガスト侯爵の知らない所で息子が勝手にやったのだとしたら、それだけで侯爵家に貸しを作れるというのは儲けである。……本当にオーガスト侯爵が攫ったのではないとしたら、の話だが。
今日、テスターがギルフォードを連れてこの屋敷に来るなんて、オーガスト侯爵には寝耳に水だったはずだ。正直、こんなに話がスムーズに進む事がまず怪しい。というか怪しさしかない。
しかし、せっかくロマリアを無事に返してくれるというのだから、下手に疑って関係を悪くするのも悪手だと思った。こういうとき、同じ侯爵である父ならどうするのだろうか……テスターには分からなかった。分からなかったので父には後で正解を聞くとして、テスターはここは手を取るべきだと判断した。
「わかりました。では、そのようにします。」
テスターが答えると、あからさまにホッとしたような顔をして、オーガスト侯爵は「礼を言う。」と言った。
「それでは、馬鹿息子には私からキツく言って、母親と弟ともども領地に送ろう。二度と王都の石畳を踏めぬようにする。処分はそれで許してもらえるだろうか?」
かなり軽い処分だったが、テスターには「分かりました。」としか言えなかった。
相手は、第何婦人かもわからない妾の子供とはいえ曲がりなりにも侯爵家の息子であり、今回の事件を秘密裏に終わらせようと思うと、テスターにそれ以上を求めることなどできるはずもなかった。
「念書の件もあるからな、今すぐにロマリアを連れて帰らせるわけにはいかない。明日、この屋敷に引き取りに来てもらいたい。孤児院の院長には、君から話をつけておいてくれると助かる。」
「……分かりました。」
と、そこでテスターは重要な事を思い出した。獣人の少女である。
「そういえば、ロマリアと一緒に、獣人の少女も攫われたらしいのですが……?」
「うん?」
オーガスト侯爵はきょとんとして首をひねる。そこに動揺のようなものは一切感じられなかった。
「知らんな。あとで息子に聞いてみよう。」
「分かりました。よろしくお願いします。」
テスターは深々と頭を下げる。この男は、今の自分の手には負えない。テスターはしっかりとそれを理解した。
そして、ロマリアとリネッタを攫う指示を出したのはこの男だと確信した。精霊王の視野で、ロマリアと同じ部屋にいる獣人の少女を確認していなければ、テスターはきっと、侯爵の息子が本当に犯人なのだと信じただろう。
ああ、でも――リネッタの方は返してもらえないかもしれないな。
テスターはなんとなくそう思った。




