24-4 リネッタと商人
「また会ったな、家畜。」
「……。」
「あの時は邪魔が入ったが、今度はそうはいかないからな。」
「……。」
「あの時大人しく金を受け取っておけば、こんなことにはならずに済んだんだ。さあ、私に干し花の製法を教えろ。」
「――ええと。」
誰だっけ、この人。
私は困った顔でその男を見ていた。しっとりとツヤのある黒い髪に、ややつり目ぎみで、薄茶色の瞳。何処かで見たことあるような顔だ。雰囲気的に、ちょっとお近づきになりたくないタイプの人。
干し花の製法が欲しい、ということは、私に声をかけてきた商人のうちの誰かなのだろうが、正直、魔法陣と親しい人たち以外はどうでもいいので、道端の石ころのごとく、それぞれの顔など覚えているはずがない。
さて、どう答えようか。
ロマリアに一番大きい石を渡して、4級の魔素クリスタル生成に挑戦させはじめてから数時間。部屋を訪れた人攫いさんに連れられて、同じ階の、同じく窓のない部屋に入ったらこの商人がいた。ヨルモの様子を確認しようと、廊下を歩きながら召喚獣とリンクすると空が暗くなりつつあったので、時間的には夕方過ぎくらいだろうか。この屋敷の三階には、部屋にも廊下にも窓がないので、時間の感覚がまったくつかめない。
ロマリアと一緒に監禁されていた部屋には、机が1つと椅子が2つ、その他にはベッドが1つあったが、この部屋には机と椅子が一つずつしか置いていなかった。その椅子にふんぞり返るように座っているのが目の前の商人だ。私は机を挟んだ向かい側、部屋のちょうど真ん中あたりに立っていた。
フリスタは扉の前に立っている。無いとは思うが、後ろからいきなり殴りかかられても困るので、自分を囲むように防御壁の魔法を張っておく。
「質問に答えろ。」
そうは言われても。
ずっと黙っていると怒鳴られそうな気がしたので、私は考えが微妙にまとまらないまま口を開いた。
「干し花の材料は、森に生えている草花だけです。それを、知り合い……?の、魔術師に持っていって……えーと、そこで魔術師が魔法陣で、えーと、何かをしていました。なので、私が言えることは……これしかありません。私は、その、出来上がった干し花を、売り歩いていただけです。」
「……魔術師だと?」
「秘密にしないと、あー、ひどい目にあわせると、脅されていました。だから、色々な人……商人の人?に製法を聞かれましたが、誰にも言えませんでした。怖くて。」
かなりしどろもどろだったが、商人は話を聞きながら「魔術師だったのか……。」と難しい顔をしている。いきなり否定してこないあたり、そこそこ信じてくれているのかもしれない。
「で、その魔術師の名前は?」
「えっ。」
「なんだ?知らないわけではないだろう?」
「え、っと……。」
ちょっと気を緩めたところに、思ってもみなかった質問だった。名前、名前?……いきなり聞かれても困る。
「フン、自分のことを心配しているのなら、それは無用だ。さっさと名前を吐けば、ここでの待遇が少しでも良くなるよう、オーガスト様に言ってやらんでもない。」
オーガストって誰だろう、あ、フリスタの雇い主のおっさんの名前だろうか。
……いや、今は名前を考えなくては。思いつかないしめんどくさいので、もう、知り合いの名前にしよう。私の元居た世界の知り合いの名前なら問題ないだろう。それっぽい、ちょっと強そうなあの名前をこの世界の言葉にするとしたら、そう――
「ヴァレーズ・サニティ・ステライト様、です。」
本当はもっと長いのだが、まあこれでいいか。
「聞いたことのない名前だな……。おい、傭兵。お前はどうだ。」
商人が問いかけるが、フリスタは答えなかった。衣擦れの音がしたので、もしかしたら頷くか首を横に振るかしたのかもしれないが。
まあ、私の元居た世界の森の民の名前なんだから、この世界の人々が知っているわけがない。
――ヴァレーズ・サニティ・ステライト先生は、閉鎖的な森の民であるはずなのに森を出て、様々な平原の民の国に赴いて魔法研究に多大な貢献をし、さらには後進の為の魔法学校を立ち上げた偉大な魔法使いで、何を隠そう私の初恋の相手(497才)である。
名前をステライトまで出したのは、同名の人や獣人がいるかもしれない、と考えてのことである。名前が被ったとしても、第三節まで一字一句同じ名前の人はいないだろう。
ちなみに、森の民の名前は歳を重ねるごとに増えるので、ヴァレーズ先生の名前は第九節まである。もちろん私は全節暗記している。
「フン、もぐりの魔術師か?何にせよ、オーガスト様に相談しなくてはならないようだな。傭兵、頼むぞ。」
「……はい。」
フリスタがやや低い声で答えた。
「チッ、小娘が手に入ったと聞いたが、ぬか喜びだったな。家畜、お前にもう用はない。せいぜい可愛がってもらうんだな。」
商人はふんぞり返ったまま、シッシッと手をひらひらと降る。思っていたよりもあっさりと返してくれるらしい。つまり、全面的に信じてくれた、ということか。ちょろい。
そういえば、干し花は魔法陣で作られている、と言い出したのは、後ろで突っ立っているであろうフリスタが言い出した事だったし、もしかしたら先に何か話していたのかもしれない。
私は拍子抜けする思いで、商人のいた部屋から出た。
「なんか、魔術師の名前以外、すんごい作り話っぽかったんだが……。」
廊下を歩きながら、ポツリとフリスタがつぶやく。
「作り話だもの。」
私があっさり答えると、フリスタは深い溜め息を吐いて「調子狂うわー。」とこぼした。
まあ、製法を誰が聞いた所で、あの商人にも、お貴族サマにも、城詰めの魔術師や占術師にさえ干し花は作ることは出来ないのだ。ああ言う他にない。
子供であり獣人であるからこそできる、“誰かが後ろにいる”という言い訳は、たぶんこれからもしばらくはお世話になるだろう。
ふと、そのたびに、ヴァレーズ先生の名前を使うのも良いかもしれない、と私は思った。できるだけ信用させるために、話に一貫性を持たせるのはいいことである。
そう、透明な魔素クリスタルを生成しているのもヴァレーズ先生。干し花の魔法陣を作ったのもヴァレーズ先生。あ、なんか全部乗り切れる気がしてきた。
あとは、ロマリアの魔素クリスタルが完成するのを待って、こんなお屋敷とはサヨナラである。
ロマリアに4級の魔素クリスタル生成を勧めたのは、魔素クリスタルを横流ししていたとはいえ、4級の魔素クリスタルが作れるようになったロマリアを城詰めの魔術師が邪険にすることはないだろう、という目論見があるからだった。
まあ、城詰めの魔術師にはきちんと規定数魔素クリスタルを卸していたし、たかだが魔素クリスタルの横流し程度で目くじらを立てるようなこともないだろうが。
「今夜はもう呼び出しは無いはずだ。」
フリスタは、ロマリアの部屋の前で振り返るとそう言った。
「お友達も、真面目に仕事し始めてくれたみたいだし、助かったよ。ほんと。」
「別に、人攫いさんの為じゃないわ。」
「そうなんだろうけどな。」
「気にしないで。私には、私の考えがあるのよ。」
そう言って、私は自分で扉の鍵を開ける。
「この後、飯が来るはずだが、ここのメイドは獣人が嫌いらしいから、お友達が受け取るようにしてくれ。」
「わかったわ。ありがとう。」
私がそう言って部屋に入ると、フリスタは何故か苦い顔のまま扉を閉め、鍵をして去っていった。
部屋の中では、ロマリアが汗をにじませて魔素クリスタル生成に集中している。私が入ってきたのにも気づいていないようだったので、私はロマリアの周囲の魔素の流れを眺めながら、魔素クリスタルの生成が一段落するのを待つことにした。




