24-3 人攫いさんの雇い主 2
扉から入ってきたのは、見覚えのない人の男だった。
「……。」
色白で、金髪で、碧眼。それだけ聞くとなかなかのいい男を想像しそうだが、肉付きがちょっと良すぎて台無しになっている。家畜豚と罵るには肉が足りないが、ふくよかというには肉がつきすぎている、というところだ。人攫いさんよりも若く見える。20台前半くらいか。背は少し低いが、痩せればなかなかいい男になりそうではある。
この男が、人攫いさんの雇い主、なのだろうか。思っていたよりも全然若い。
ぽっちゃり金髪男は最初に私をチラっと見て、すぐに興味を失ったようにロマリアに視線を移した。舐めるように絡む視線に、「う。」と呻いたロマリアが座ったまま少し後ずさる。
「ふーん、お前らがお父様の新しい奴隷?どっちも痩せっぽちだな。片方は家畜だし。おい、挨拶もできないのかよ、僕はお前らの新しいご主人様なんだぞ!」
「あ、ご、ごめんなさい、ロマリア、です……。」
ぺこりと頭を下げるロマリアの隣で、私は困惑顔でぽっちゃり金髪男を見ていた。
私は確信していた。こいつは人攫いさんの雇い主ではない、と。
まあ、さっき“お父様の新しい奴隷”って言ってたし。しかも、発言を聞くに魔素クリスタルやら干し花やらの事は知らなさそうである。こいつは何しにきたのだろうか。残念ながら、助けに来たわけではなさそうだが……。
じろり、とぽっちゃり金髪男が私を睨む。
「……リネッタです。」
と、一応頭を下げておいた。ぽっちゃり金髪男はフンスーと鼻でため息?をはいて「獣の方はしつけもなってない。」とこぼした。
男の視線は私とロマリアから離れて、部屋を見渡す。その視線が一点で止まった。その口がニヤリと歪む。嫌な予感がして振り返ると、それはベッドだった。
う、う、うわあ。
私がドン引きしながら視線を戻すと、ぽっちゃり金髪男はニヤニヤしたまま真っ青な顔のロマリアをじろじろ見ていた。
――ロマリアは、魔素クリスタルを生成する為に連れてこられた。それを、このぽっちゃり金髪男は全く知らないのだとしたら。
や、やばい。これはもしかしなくても、最後の手段を使わなければならない場面なのだろうか。
怖がるロマリアをニヤニヤと眺めている金髪ぽっちゃり男に、私が覚悟を決めるべきなのか迷っていると、部屋の外、開け放たれた扉の向こうから、年配の男の声が聞こえた。
「フリスタ!扉の鍵を閉めていなかったのか!」
屋敷全体に響くような罵声。
その声に誰より先に固まったのは、何故かぽっちゃり金髪男だった。キョロキョロと部屋を見回すが、すぐに苦虫を噛み潰したような顔で諦めたように扉の方へと向く。
ヒョイ、と扉から顔を出したのは、焦った顔の人攫いさんだった。しかし、ぽっちゃり金髪男を見つけると、「…………ダスタン坊ちゃま。」と困った顔で呻く。
「ダスタンだと?フリスタ、そこをどけ!」
「はい。」
廊下からは、はっきりとイラついているのが分かる声。人攫いさん――フリスタという名前らしい――が慌てて道を開けた奥から部屋に入ってきたのは、目つきがぽっちゃり金髪男に似た、焦げ茶の髪の太ったおっさんだった。
どうやらこのおっさんが人攫いさんの雇い主のようだ。ぽっちゃりよりも、やや家畜豚よりのお腹。人攫いさんの雇い主で、なおかつダスタンの父親ということで間違いなさそうである。
「ここで何をしている、ダスタン。」
おっさんが厳しい声音で問う。
「この階には立ち入るなと言ったはずだが?」
「ご、ごめんなさい、お父様。お母様が、メイドが汚らしい獣人を家の中で見かけたらしい、と言っていたので……。」
さっきまでの偉そうな態度はどこへやら、ダスタンは大きな体をぎゅっと縮めて表情を固くしていた。
「お前たちには関係のない事だ。二度とこの階に入るな。この屋敷を追われたくなければな。この部屋で見たものは忘れろ。カーナにも言うんじゃない。いいな?」
「……、はい。」
ダスタンは肩を落としたまま短く返事をし、チラリとロマリアに視線を向けてから、部屋を出ていった。これでひとまずは助かった、のだろうか。
ダスタンが出ていたのを確認して、静かに扉を閉めたのはフリスタだった。
「まったく。カーナにも釘を刺さなければならん。何のためにこの屋敷に住まわせてやっていると思ってるんだ。」
ブツブツと文句を言いながら、おっさんはじろりとロマリアを見た。
「お前がロマリアか。」
「は、はい。」
恐る恐るロマリアが応えると、途端におっさんは表情を緩めた。
「お前が魔素クリスタルを生成している間はまともな食事も与えるし、必要ならば読み書きも覚えさせてやろう。」
「えっ……?」
思わぬ言葉に、目を瞬かせるロマリア。
「大人しく言うことを聞いていれば、それ以外の……そうだな、趣味の時間も設けてやろう。孤児院では働き詰めだったそうだが、お前はもう金の心配をすることもないのだからな。」
「え、あの……え……?」
「安心しなさい、ここはこの王都の貴族の中でも特に力のあるヴァンドリア侯爵家の屋敷だ。まだ本邸には連れて行くことは出来ないが、お前の頑張り次第ではそちらで生活することもできるようになるだろう。今はこの部屋から外に出すことはできないが、本邸に移る頃には、自由に王都を歩けるようにもなる。食事の作法も教えてやろう。だたし――」
と、そこで一旦言葉を区切り、おっさんは目を細めた。
「お前が役立たずなら、奴隷商に売り払う。そこの獣人共々な。」
「……っ……」
ロマリアが喉の奥で小さな悲鳴を上げた。しかし、おっさんは気にした様子もない。
「役立たずはいらない。魔素クリスタルを生成できないそこの獣人には、これから、この屋敷で働いてもらう。お前と会う機会はないが、命の保証はしてやろう。もちろん、お前が与えられた仕事をきちんとこなしている間だけだ。
そういえば、まだ魔素クリスタルを生成できていないらしいな?私はどちらかと言えば気が長いほうだが、お前がいつまでも失敗作を作り続けるのなら、当分の間、その罰はこの獣人に負わせることにする。分かったか?お前が、この獣人の命を握っているということだ。」
「……、……っ。」
ロマリアが、唇を噛んで下を向く。上げて落とす作戦だったようだ。
精神的に安定しないと魔素クリスタルの生成は失敗すると伝えたのに、フリスタはそれを雇い主に伝えていなかったのだろうか。見た感じ、ロマリアは恐怖と罪悪感に苛まれてガッタガタである。これでは出来るものも出来ない。
しかし、さすがにここは私が口出しできる雰囲気ではない。相手は(自称だが)貴族である。私の元居た世界のように、平民は許可があるまで貴族に話しかけてはならない、みたいな決まりがあるかもしれない。なんというんだったか、越権行為?だとかいう名前のあれだ、たしか。
まあ、そもそも私は誘拐された身であるので、それ以前の問題か。あとでしっかりロマリアをフォローしておこう。私は心のなかでロマリアに謝った。助け舟を出せなくてごめん、と。
「フン。自分が置かれている状況を、よく考えることだな。ちゃんと働けば悪いようにはしないと言っているんだ。もちろん、最初に言ったように、教育も受けさせてやる。」
いつまでたっても下を向いているロマリアにそう吐き捨てて、おっさんは今度は私に視線を向けた。
「……。」
「……。」
そのじっとりとした視線に、ぞわ、と寒気を感じる。おっさんはなぜか満足したように口を歪めて笑うと、踵を返して扉を開け、そのまま部屋から出ていってしまった。
え、何、私に何か用ですか!?私は鳥肌が収まらない自分の腕をさすりながら、慌てておっさんを追いかけて部屋を出て行くフリスタの背中を見送った。




