24-2 ヨルモと獣人の騎士
すぐに動かなければ、間に合うものも間に合わなくなる。
一晩中孤児院の食堂で待っていたヨルモの頭は、もうそれしか考えられなくなっていた。
もう昼だ。なぜかは分からないが、警備兵が動かないというのなら、自分だけでも向かわなければならない。
――攫われたことを城詰めの魔術師は知っているだろうから、俺が暴れて騒ぎがでかくなれば、否が応でも誰かしらには伝わって、騒ぎを治めに誰かが来るはずだ。例え、俺が大きな怪我をしたとしても、そうなればロマリアは救出される。
ヨルモは、ぐっと拳を握りしめた。痛かろうがどうなろうが、死ななければ問題はない。死ななければいい。
「ちょっと行ってくる。」
低い声で誰にともなくそう言うと、隣に座って何か言いかけたマティーナをおいて、ヨルモは孤児院から飛び出していた。
しかし孤児院を出てすぐ、大通りへと向かう小道の曲がり角で、でかい何かに思い切りぶつかって盛大に尻もちをついてしまう。
「なんで俺を邪魔するんだよ!!!」
ヨルモは八つ当たり気味に荒っぽい声を上げた。なぜ思うようにいかないのか……全ての物事が自分を邪魔しているような気がしていた。
「おうおう、荒れてんなー。」
「うっせーな!俺は急いで――っ」
のんきな返答。ヨルモは睨むようにぶつかった相手を見上げたが、その男のでかさに思わず言葉に詰まる。
しまった、変な奴に喧嘩を売ってしまったか、と、背筋が冷たくなり、一気に頭が覚めた。頭に血が上って喧嘩を売ってしまった。こんなでかい獣人の大男に。言い逃れは出来ない。ぶつかってしまったのはヨルモなのだ。それなのに、邪魔だとかなんとか叫んでしまった……。
「急いでたのか。こりゃすまんな。」
獣人の大男はヨルモの焦りなどこれっぽっちも気にせず、ヨルモをひょいと持ち上げて立たせると、しゃがんで顔を覗きこんだ。
「邪魔して悪かったな。」
「へ?あ、あ、ああ。いえ、俺の方こそすみませんでした。」
「気にするな。俺で良かったな、ぼうず。」
頭を下げるヨルモに、ニカっと笑う獣人の大男。見ればかなり上等な装備にマントまでしている。胸にあるのは狼が剣を抱いた、獣人騎士団の紋章だ。
――獣人騎士団?……獣人の、騎士!?
ヨルモがわずかな期待を胸に「……騎士サマがなんでこんなところにいるん、ですか?もしかして、孤児院に用があるんですか?」と聞くと、獣人の騎士は「ん?ああ、そうだぞ。」と応えた。
全身の毛が逆立つような喜びがヨルモの体を貫く。さっきまでの気分は全部吹き飛んだ。そうしてすぐに、安堵が体を包む。よかった、警備兵は騎士サマを呼んでくれていたのか、だから遅くなったのか、と。
「じゃあ、すぐに来てください!俺、一人で行こうと思っていたんです!」
ヨルモは勢い良く言うが、獣人の騎士は首を傾げた。
「ん?何のことだ??」
「え……ロマリアのことで来たんじゃない、んですか?」
「ロマリヤ?」
違うのか……。ヨルモは獣人の騎士の言葉にがっくりと肩を落としたが、ぐ、と奥歯を噛み締めて騎士を見上げた。役立たずの警備兵などではなく、騎士サマなら、もしかしたらロマリアを助けるのを手伝ってくれるかもしれない。
「俺の仲間が、人攫いに攫われたん、です。」
ヨルモの言葉を受けて、獣人の騎士はぽりぽりと人差し指で頬をかきながら「ほう、それで?」と続きを促す。
「監禁されてる場所がわかったって言ってんのに、警備兵の奴らが動かな……動いてくれないんです。」
「んー、まあ、お前が言うだけじゃあなあ。」
「なんでっ!……ですか……。」
ヨルモが吠える。しかし、獣人の騎士は肩をすくめて一言「そりゃ、お前が子供だからだな。」と答えた。
「子供がどんだけわめいても、……例えそれが本当だとしても、あいつらは動けないんだよ。上からの指示を仰がなきゃいけないんだ。勝手に動いて下手すりゃあ、自分の首が飛ぶんだ。あいつらの管轄は第三壁内で、仕事内容は第三壁内の平穏を守ることだ。人攫いが出たっつうとどうせスラムだろ?スラムじゃ大人の言葉でも、事によっちゃ信じてもらえないからな。」
獣人の大男は、「壁内での誘拐なら別だが――」と付け加えて続ける。
「で、上からの指示で警備兵が動かなければならなくなったとしても、行くとしたら人数を揃えなきゃならないだろ。攫われた子供だけが救えてもその場しのぎにしかならんからな。奴隷商人が逃げればまた同じことをするだろ?朝知らせたとしても、城まで連絡するのに馬を出して、人数揃えたりなんだりしてる間に時間が経って、どんなに早くても人数が揃うのは昼すぎだ。ま、警備兵なら基本的には夕方から夜ってとこだがな。」
「お、俺は、孤児院の子供、です。攫われたのも孤児院の子供で、城詰めの魔術師サマに魔素クリスタルを卸してる立派な仕事をしてる子で、孤児院の子供なんて、スラムにいる子供と変わんねーかも、しんないし、お金持ちじゃ、ないです、けど……それに、警備兵に伝えたのだって――」
「ん?お前、孤児院の子供だったのか?」
ヨルモの言葉を遮り、獣人の騎士は変なところに反応した。
「……そう、です。」
「そうか、警備兵の詰め所帰りかと思ったが、孤児院から出てきた所だったのか。誘拐されたのはスラムの子供じゃないなら、警備兵は動くだろ。警備兵で無理なら俺たち騎士団が動くから安心して待ってろ。……で、話は変わるが、孤児院の子供ならリネッタを知ってるな?」
「は?」
騎士から出た名前に、ヨルモはきょとんとしてしまった。
「獣人の子供なんだが。」
「なんで騎士サマがリネッタのことなんて知ってんだ?」
思わず、気をつけていた丁寧な言葉も忘れてしまい、慌てて「ですか?」と付け足す。
「あいつから干し花を買ってんだよ。」
「干し花……」
「知らないのか?まあいい、リネッタを呼んできてくれ。」
「……。」
相手は自分よりも遥かに身分の高い騎士だ。ヨルモはどんなに急いでいたとしても、さすがに断ることは出来ないと思った。
「分かりました、呼んできます。」
ヨルモは急いで孤児院に引き返した。孤児院の入り口でマティーナがこちらを見ていたので、リネッタを知らないか?と聞くが、弱々しい声で「知らない……」としか返ってこなかった。
地下に降り、いつもリネッタが篭っている地下室の扉を開けたが、いない。上か?と思い階段を駆け上がって2階のロマリアの部屋を覗くが、そこにもリネッタはいなかった。
すれ違う他の子供にも話を聞いてみたのだが、誰もリネッタを見ていないという。――外出したのだろうか?いつの間に?
ヨルモが待機していた食堂の窓からは、孤児院の前庭と門がよく見える。いつ警備兵が来ても良いように、ヨルモは窓際の席を陣取って待っていたのだ。しかし、リネッタが出ていくところは見なかった。そもそもリネッタは、孤児院から出るなと言われていたはずなのだが……。
まあ、何にしてもリネッタは孤児院にはいないようだ。それを騎士に伝えるしかないだろう。
「外出中、か……。」
獣人の騎士が、額に手をやってため息をつきながら立ち上がる。
「そりゃ困ったな、今日は干し花を受け取る約束をしていたんだ。しかも、休みは今日だけで、これを逃すと数日はどうやっても動けない。」
「はあ。」
困り顔の騎士に、ヨルモはそう返すしかできない。
「まあ、時間を指定していなかった俺も悪いか。明日の朝、どうにか時間を作って来るから、リネッタに伝えといてくれ。」
「い、いや、俺はこれからロマリアを……」
「さっきも言ったが、警備兵だって準備する時間があんだよ。心配なのは分かるが、ちょっと待てって。」
「充分待ったよ!」
獣人の騎士の言葉に、思わずヨルモが声を荒げた。
「待ったよ!昨日の朝からずっと待ってた!でも、一晩経っても警備兵のやつら、動かないじゃないか!」
「昨日の朝?」
「そうだよ!」
「生成師の見習いが、攫われたんだよな?」
「そうだよ!一昨日いなくなって、でも、昨日の朝探しに行って、見つけたんだ!スラムで魔素クリスタルを作らされてたんだ!それで、警備兵に言ったのに……あいつら……全然聞いてくれねーし……」
「そうか、そりゃ、警備兵が悪いな。」
獣人の騎士はきっぱりとそう言いきった。
「いや、そうか、分かった。警備兵に問題があるようだ。ふむ……だが俺もすぐには動けない。すまない。」
「あ、い、……え?」
深々と頭を下げた獣人の騎士に、ヨルモは目をまんまるにして驚いた。騎士サマが孤児に頭を下げるなんて聞いたこともなかったからだ。
「今すぐにでも救出に向かわなければならないところなんだが、俺一人でどうにか出来るモンかは分からんからな。明日の朝、迎えに来るから、それまで待っていてくれ。」
「明日……。」
「大丈夫だ、俺の見立てでは、その、ロマリヤ?は、奴隷商人が攫ったんじゃあない。ロマリヤが魔素クリスタルを生成し続けている以上、お前が心配しているようなことにはならんはずだ。」
「……なんでそんなことが言えん……言えるん、ですか。」
「なんでもだよ。とにかく、奴隷商人じゃない以上、乱暴されたり殺されたりすることはない、はずだ。よほどの馬鹿じゃない限りはな。」
「……。」
「まあ、攫った奴がよほどの馬鹿という可能性もないわけじゃあないからな、納得しろとは言わん。だが、お前一人で行っても、どうにもならんのは分かってんだろ?だから、ロマリヤを見つけた時に、警備兵に知らせるために一旦帰った。その頭があるんだったら、俺を待て。」
「絶対……絶対来てくれるよな?」
下唇を噛んで、ヨルモは聞いた。獣人の騎士は力強く、頷く。
「俺は、約束は守るためにあると思っているからな。もし万が一俺が来れなくなったとしても、絶対に誰か信用できるやつをよこしてやる。だから、絶対に一人で行くな。」
「……分かった。」
「よし、じゃあ俺は準備があるからもう行くぞ。お前はしっかり休んで、その酷い顔をどうにかしろ。その様子じゃ寝てねえんだろ?そんな呆けた頭じゃ、役にたたんぞ。」
「分かっ、りました……。」
ヨルモは、「よろしくお願いします。」と頭を下げ、足早に去っていく獣人の騎士が見えなくなるまでずっとそうしていた。




