23-4 貴族と商人と 1
その男は、長らく忘れていた“自分のモノにしたい”という欲求を自覚して、痺れるような歓喜に満ちていた。
彼はいつでも欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れてきた。
当主の座、金、そして、女。
しかし、男が力をつければつけるほど、比例するかのようになんでもかんでも簡単に手に入るようになってしまった。
どうあがこうが、最終的に金でどうにかされてしまう相手の感情の移り変わりを楽しんでいたのに、今では男が望む望まないに関係なく、相手から擦り寄ってくる始末だ。
そう、男は何かを手に入れることに飽きていた。
“欲しい”と思うことすらなくなってしまっていた。
美食(という名の悪食)を追い求めたり、スリルを求めて(安全が保証されている上での)獣狩りを行ったりして気を紛らわせていたが、それももう特に面白いとは思えなくなっている。
そのうちに男は、惰性でモノを集めるようになっていった。
立場上まずい状態の問題が起きても、特に苦労すること無く握りつぶせるようになった。そんなぬるい世界では、駆け引きやスリルなどは全く感じることができない。
好きだった奴隷遊びでさえ、たまに手に入れても楽しめるのは最初の1回だけで、2回目以降は全く興味を持てなくなっていた。男は、手を付けた奴隷はその後顔を見ることもなく、全て領地に送っていた。
――ああ、こんな気持ちはいつ以来だろうか?
欲しいと思ったものが隠されているという、心躍る展開。
金にモノを言わせて、あの美しい未亡人を他の男から奪った時のような胸の高鳴りが、ここにはある。
とはいえ、久々に欲しいと思ったソレは雇っていた傭兵があっという間に見つけてしまい、すでに手中に落ちていた。
傭兵が優秀なのかどうかはわからないが、なんとも簡単に手に入れてしまったものだ。
警備兵には、男の妾の息子が在籍していた。楽しませてくれるかと思った協会の魔術師も、大金をちらつかせただけで家族や周囲を抑えるまでもなくあっさり落ちたらしい。
幾分拍子抜けしてしまったが、まあ、欲しかったソレは退屈な日々に多少のスパイスを加えてくれるだろう。
なにせ、相手はまだ15、6の少女だというのだ。それが、3級の魔素クリスタルを生成するのだから面白い。しかも、最近大きな顔をしているフォアローゼスの三男のお気に入りらしい。
なぜか3級の魔素クリスタルが生成出来る事をその三男にも秘密にしていたらしく、そのおかげで少女の監視も大したことがなく、協会の魔術師もあっさりと手放した、と雇った傭兵が言っていた。
あとは、生成師の少女が3級の魔素クリスタルを生成できることを知っている者を少しずつ消していけば、すべては闇の中である。
騒ぎが収まった後に、自分の領地で奴隷に落ちていたところを助けたというていで、娘の方に年齢の合いそうな息子のうちのどれかを選ばせ、嫁にする。娘だって我が領地で過ごすうちに贅沢を覚えるだろうし、そうなれば孤児院には戻れまい。自分が嫁ぐ相手を選ぶ立場になれる上、その相手が侯爵に連なる血筋なのだから、“最終的には”満足するはずだ。孤児院には多額の寄付でもしておけばいい。
そのあと、満を持してその少女が3級の魔素クリスタルを生成できることをあの気取ったフォアローゼスが知ったらどんな顔をするのだろうか。実に楽しみである。
――考えにふけっていると、視界の端で待機していた傭兵が、「少し、よろしいでしょうか。」と思考に口を挟んだ。
「なんだ。」と、ぞんざいな口調で了承する。
「少女をより従順にするために、ひとつ、やっておきたいことがあります。」
「ふん、ワシはあの魔素クリスタルが手に入ればなんでもいい。ただし、傷はつけるなよ。あとは全て任せるといったはずだ。」
この流れの雇われ傭兵は、確かにいい仕事をしているが、それ以上の金をたっぷりと渡してあるのだ。ある程度自分の意思でうまくやってもらわなければ困る。
「では、獣人の少女をもう一人、攫ってもよろしいでしょうか。」
「獣人?」
「今回、魔素クリスタルを捌いていたのは、獣人の少女でした。その少女の周囲を調べた結果、孤児院にほぼ篭っているという生成師の少女をつきとめることができました。獣人の少女と彼女は“姉妹”と呼ばれるほどの仲で、獣人の少女をうまく使えば、生成師の少女も今以上に必死に魔素クリスタルを生成するようになると思われます。」
獣人の子供、か。
ふと、まだ若い頃に遊んだ奴隷の記憶が僅かに蘇った。あの時は、そう、奴隷商の勧めで気まぐれに買ったのだ。獣人など、とは思ったが……あの反抗的な目は、なかなか良かったな。
「どんな子供だ?」
「え?……あ、はい、10才前後の少女です。」
「毛色は?」
「金髪に、焦げ茶の耳の混色です。尾はマントに覆われていてあまり見えませんでしたが、他の獣人の類に漏れず、耳と同色だと思います。」
「ふむ。」
男はでっぷりとした顎をなでて、ニィと口の端を歪めた。
「では、その獣人の子供も別邸に連れて行け。」
「え?……別邸に……獣人の、孤児をですか?」
傭兵がぽかんとした顔になる。貴族が、獣人――しかも物乞いのような汚い子供――を、別邸とはいえ自らの敷地内に入れるというのはありえない、とでも思っているのだろう。
もちろん、普段ならば見向きもしない。汚らしい獣人が屋敷の敷地に入ろうものなら、子供であろうが私兵が叩き出すだろう。
傭兵はわけがわからない、という顔を一瞬だけして、またすぐに表情を引き締めた。
「いいから連れてこい。生成師の娘と同じく手は出すな。命令だ。」
「承知いたしました。」
「そうだな、生成師の娘と一緒に連れてこい。もし反抗的な事を言っているのならば、直々にこの私が話をしてやってもいいしな。」
生成師の娘は、今は魔素クリスタルを生成しているようだが、この先従わなくなれば、まあ、それ以外の使い道をすればいい。少女の一人や二人、黙らせることなどいくらでもできる。男はそう思っていた。もう、モノは手に入れているのだから、あとは、他の誰にもそれが渡らなければなんでもよかった。
生成師の少女に価値があるのは、生成師でいる間だけである。魔素クリスタルが生成できなければ、そこらへんの道にころがっている小石と大差ない。まあ、生成師として生きたくないというのならば、息子の嫁にはできないが、顔はいいらしいので妾の子にでもやれば喜ぶだろう。
「それでは、すぐにそのようにします。」
傭兵はそういうと、頭を下げて部屋を出て行った。




