23-1 ヨルモとスラム
ロマリアがいなくなってから2日目。
この日ヨルモは、朝から第三壁の北門をくぐってスラムの中に居た。昨日、リネッタに探しに行くなと言っておきながら、自分では探しに来たのである。
隣では、キースがどこか落ち着かない様子でキョロキョロしていた。
キースは(孤児院にいる俺と比べればはるかに)いいとこの坊っちゃんなのだ。スラムになど近寄ったこともないだろう。そんなキースに声をかけるのはどうかと思ったが、ヨルモが信用できる友なんて数えるほどしかおらず、その中でもこの日仕事を受けていなかったのは必死に稼ぐ必要のないこの少年だけだった。
「へー、思ってたより綺麗だね。」
キースは小声でそう言った。
「ココらへんはなー。」
まだ、北門から少し歩いた程度で、やや広めの路地が多い。ある意味スラムの本番はここからである。
キースの見たことも聞いたこともないような物が、ここには山ほどあるだろう。まあ、キースには一生関係ないものだろうが。
もちろんヨルモも、流石にスラムの奥の奥までは入ろうと思ってはいない。
ヨルモの中には、“自分達が探さなくても城詰めの魔術師がなんとかしてくれるだろう”という強い思いがあった。
マニエに聞いた話だが、城詰めの魔術師サマはお貴族サマでもあるらしい。
貴族は鼻持ちならないが、わざわざ小汚い孤児院に見に来るくらいには、ロマリアは気に入られているのだから、攫われたとなったらどうにか取り戻そうとしてくれるはずだ。
ヨルモは、警備兵は信用ならない、と思っている。どういう社会でも、下っ端は善悪関係なく金で動く。過去、ヨルモはそれで痛い目を見たこともあった。
しかし、貴族のお気に入りの娘が攫われたとなれば、警備兵だってちゃんと働くだろう。お貴族サマの不評を買っても、いいことなど何一つないのだから。
ただ、それでもなお、ヨルモは少しでも動いていないと落ち着かなかった。仲間がいなくなったのだ。もう、二度と失いたくないと思っていた、大切な仲間が。
「で、どこから探すんだ?」
「何も考えてねーよ。」
キースの問いかけに、ヨルモは即答した。
「金がねーからここらの住人からの情報は期待できねーしな。まあ、さっき北門にいた兵士と話したら、ちょっと話が聞けたし、あとは足で稼ぐしかねーな。」
「そんなんで見つかるのか?」
「見つけんだよ。」
「まあ、そうなるよねー。僕も心配だし。」
「奥まで入り過ぎると俺達も危ないからな。そこそこで切り上げるぞ。それでも、何かの役には立つだろ。」
「僕達が攫われたら元も子もないもんね。」
頭の後ろで手を組んで応えるキース。
こいつ、人攫いに遭うという事がどういうことなのか分かっているんだろうか?と、ヨルモは訝しんだが、まあ、場を暗くするのもアレなので、あえてキースに突っ込むことはしなかった。
……人攫いに遭う。それはつまり、奴隷になるということだ。
奴隷制度はヨルモの親が生まれるよりずっと昔に廃止されているし、禁止になっている国の方圧倒的に多い。
しかし、禁止になったとはいえ、完全に無くなったわけではない。
それどころか、国によっては禁止とは名ばかりで、黙認されているところもある。
ヨルモが生まれたスラムは、そんな奴隷黙認国の国境に近い小さな寂れた村にあった。
王都のスラムと比べればかなり狭いそのスラムは、奴隷にするために獣人が飼われていた。
大げさに言っているわけではない。その土地を治める貴族が建てたという孤児院は、最低限の知識を与えて奴隷の価値を上げるのが目的だった。貴族に金で雇われた町の警備兵は、スラムから逃げる商品を捕らえるのが主な仕事だった。貴族の寄付で行われていた精霊神殿での炊き出しも、子供を減らさない為だった。
それを知った時の、衝撃。炊き出しをしてくれていたあの優しい神官サマが、実は貴族の仲間だったと知った時の失望と、裏切られたという怒り。
「怖い顔すんなよ。」
というキースの声ではたと我に返り、ヨルモは「ごめん。」と謝った。
最近あまり思い出さず、夢にも出てこなくなっていた怒りがふつふつと湧いてくる。
とはいえ、ヨルモの故郷はすでにない。ヨルモが7、8才の頃、攻めてきた隣国によって占領されたからだ。そこを治めていた貴族がどうなったかは知らないが、スラムの仲間は散り散りになった。兄弟たちももう、生きているかどうかも分からない。
ヨルモは辺りを注意深く見回しながら、獣人の門番が“比較的安全だろう”と言っていた路地の目印を探した。そして、腰に吊るしている鞘に入ったままのナタをひと撫でしてから、キースに「あの路地に入るぞ。」と声をかける。
「いいか、道端で座り込んでたり寝てる奴には何を言われても反応するなよ。まあ、金目の物は持ってきてねーとは思うけど、ぶつかりそうになったら絶対避けろ。もし、俺が人攫いに襲われたら、全力で逃げろよ。お前のほうが足が遅いんだから。いいな?」
その言葉に、キースは眉を寄せてひどく嫌そうな顔をした。
「怖いこと言うのやめろよ。ここは世界一安全なディストニカ王国の王都だろ?」
「王都なのは第二壁の中までだろ。」
「ほんとにやめろよそういうのー。」
軽口を叩きながら、どこか湿気った空気が淀む薄暗い路地に入る。
そんな彼らをじっと見ている一対の目があることに、2人はまだ気づいていない。




