2-3 ロマリアの困惑
ロマリアは困惑していた。
原因は、目の前で目を輝かせて魔法陣を見つめている獣人の少女である。
肩にかかるくらいで切りそろえられたゆるい内巻きの淡い金髪に、珍しく髪色とは違う茶色の耳を生やした、10歳くらいのまだ幼い女の子だ。
院長のマニエから、「ヨルモが地下室で見つけてきたという少女に、言葉が通じないのよ。」と相談を受け、以前、倉庫で見つかった意思疎通の魔法陣を引っ張り出してきたのだが――
マニエが魔法陣を縫い付けた厚布を広げた瞬間、獣人の少女は目の色を変えてその魔法陣に飛びつき食い入るように見つめはじめ、それからは会話どころか話しかけても反応しなくなってしまった。
しょうがないので、後ろから軽く突き飛ばして魔法陣の上に押し出し、無理やり魔法陣を発動させて今に至るのだが……
「ねえ、私の言葉、分かる?よね?ちょっと。とりあえず話、聞いて?ねえ。」
これである。
何度目かになる問いかけに、ようやく獣人の少女は気づいたようだ。尾をピンと立てて、キラキラした顔でこちらを見た。耳は相変わらず魔法陣の方を向いている。
「すごい!あなた、この魔法陣が使えるの?すごいわ!!言葉が分かるようになったのはこの魔法陣が発動したから!?」
可憐な顔に見合わない勢いである。鼻息が荒い。
ロマリアは困った顔をして、マニエを見た。
「ふふふ。そう、その魔法陣は、意思の疎通を可能にする魔法陣なの。ねえ、貴女の名前を教えてもらえないかしら?貴女は、どこから来たの?」
ロマリアの視線を受けたマニエはニコニコしながら、そう問いかける。
「私はリネッタ。どこから来たのかは……どう言えばいいのか……。気がついたらどこかの部屋にいて、ちょっと疲れて?いてそこで気を失ってしまって、次に気づいたときにはこの部屋にいたわ。」
リネッタと名乗った少女はそう言って、首を傾げながら「ここはどこなの?なぜ、魔法陣が使えるの?」と続けた。
「そう、リネッタと言うのね、素敵な名前だわ。貴女は、この施設の地下室で気を失っていたのよ。ここにいるヨルモが、そうねえ、昨日のお昼過ぎくらいだったかしら?貴女を見つけたの。どこにも怪我はしてないみたいだし、熱もなかったみたいなのだけれど、揺すっても起きなかったからここまで運んできたのよ。
ここは、西大陸ラフアルドにあるディストニカ王国……暦王であるオルカ様の治める国、と言った方が分かりやすいかしら?その国の王都ゼスタークよ。貴女がどこから来たのかは分からないけれど、この国では獣人差別は禁止されているから、安心するといいわ。」
マニエはなれた手つきで、リネッタと名乗った獣人の少女の頭をなでた。
「魔法陣についてだけれど、あなたたち獣人は生まれつき魔素への適応が低いから、魔法陣を扱うことはとても難しいと言われているの。でも、私たち人は魔素に適応しやすいから、ロマリアのように小さな魔法陣なら扱えるという子が多いのよ。」
丁寧にゆっくりと説明するマニエに、リネッタの表情はじわじわと曇っていく。
魔法陣に対するリネッタの思い入れの強さは、ついさっき会ったばかりのロマリアやヨルモでも分かる。それが、扱えない可能性の方が高いと言われたら。
しかし、そんな3人の思いとは裏腹に、しばらく考えたリネッタは一人でうんうんと頷きはじめ、「なるほどね!」と納得顔をして笑みを見せた。
「さっきは、食事をありがとう。それはそうと私、あなたたちの言葉を覚えたいわ。読み書きができるようになりたい。そうね、王都というくらいなら、図書館はあるのかしら?私、この世界の本をたくさん読みたいわ!!」
なぜかやる気満々である。その反応に、ロマリアとヨルモは顔を見合わせた。
「馬鹿かお前。字なんて覚えてどーすんだよ、貴族や商人の子供じゃあるまいし。大体、本なんて読んでも魔素に適応してねー俺たち獣人は魔術師にはなれねーよ。」
半眼のヨルモがそう言い終わらないうちにマニエの拳骨が見え、ロマリアは思わず目をつむった。間をおかず拳骨の音と、ヨルモの「ぎゃ」という悲鳴が聞こえる。
「いってえ、何すんだよ、本当のことだろばあちゃん!」
「ばあちゃんではありません、人前なんですから、院長と呼びなさいね。それになんですか、字を勉強をしたいという人に向かって馬鹿だなんて。読み書きを覚えるというのは、大切な事だと言っているでしょう?本当は、あなたたちも、他の子達も、みんなに覚えて貰いたいのよ?」
「でもば、あ、あー、じゃなくてインチョウ?俺たちはそんな事よりも仕事をしなきゃなんねーだろ?コイツだって、これからどうすっか知んねーけど、食ってかなきゃなんねーしさ。
それに、院長とかロマリアとかならいーけど、俺たちみたいな、特に孤児の獣人は、読み書き出来ても読み書きが必要な職場にはどうやっても雇ってもらえねーって。」
膨れっつらになりながらのヨルモの反論に、マニエの顔が少し曇る。
……そう。精霊王サシェストに認められた暦王が獣人差別を禁止したと言っても、それからまだ30年と少ししか経っていない。
水面下ではまだまだ獣人は差別され続けているのが現状なのだ。
それに、リネッタに何ができるかは分からないが、人は食べなければ生きてはいけない。
食べるためには働かなくてはならない。
しばらくはこの施設で預かることはできるとしても、ただでさえ獣人というハンデがあるのに、この年で文字を習いながら仕事を探すというのは正直かなり厳しいと思われた。
そもそもこの年では仕事が見つかるかもわからない。
しかし、当の本人であるリネッタは、どこか楽観的な雰囲気をまといつつ、キラキラした眼差しでマニエとヨルモの会話を聞いていたのだった。
そして、おもむろにその眼差しをロマリアに向けると、「ねえ、魔法陣は他にはないの?」と聞いた。




