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隣世界のリネッタ  作者: 入蔵蔵人
孤児院のリネッタ
59/302

21-2 ちょうどその頃お城では

 カッカッカッと、規則正しいリズムで刻まれるヒールの高いブーツの靴音がすぐそこで止まったかと思うと、執務室の扉が叩かれた。


「失礼します。」


 ディストニカ王国が誇る城詰めの占術師。それらを束ねている占術師長()の部屋に、ノックから返事を待たずに(間髪を容れずに)入ってくるのは、この国の王(歴王オルカ)と彼女だけである。

 (ちなみに、彼女は返事を待つこともあるが、そういう時は決まって部屋には先客がおり、彼女は感情を削ぎ落とした(能面の)ような顔で部屋に入ってくる。)


 そんな秘書であり末の娘である彼女、ロイスが珍しく笑みを浮かべて自分の執務室に入ってくるので、カーディルは薄ら寒い何かが背中を撫でていくのを感じた。


「どうしたんだ?今日は魔術騎士団の見回りではなかったのか?」


 できるだけ平然を装って声をかける。明日は騎士団の見回りに行く、と、彼女は昨夜の夕食の時に言っていた。まだ、正午過ぎである。城にある騎士団の本部は、占術師や魔術師が詰める西棟とは正反対の東棟にある。帰ってくるには少し早過ぎるのではないだろうか。


「はい、見回りには行きました。」


 ふむ、とカーディルは相槌をうって続きをうながす。


 ロイスは静かにカーディルに近づくと「見回りの途中でこんなものを見つけました。」と言って、懐のポケットからハンカチに包まれた小さな何かを取り出して開き、執務机にそっと置いた。


 それは、乾燥させた草花のようだった。見たことがあるようなないようなどこにでも生えていそうな草花で、薬草でないことだけは確かなようだ。


「なんだ?ハーブか何かか?」


 ハーブとは、薬草のような特別な効果は無いものの、香りが強く、肉や魚の臭みを取る効果があるような葉や実、木片のことだ。料理以外でも、燃やすと獣や虫が嫌がる匂いを発するなどの効果をもつものなど多種多様な種類があり、育つ気候も様々なので、香辛料とともにその土地の特産としている領も多い。


「ある意味、近いかもしれません。これは近頃、第三壁の南門付近で売られている、“ポプリ”だそうです。とても良い香りだそうで。魔術騎士団の女性たちが騒いでいたので聞いてみたところ、獣人騎士団の女性たちに勧められて頂いた、と。その後、獣人騎士団にも顔を出したら私にもひとついただけたのです、が。」

「が?」

「どうぞ、思いきり匂いを吸い込んでみてください。最近お疲れではありませんか?これは、心を安らかにする香り、だとか。」

「ふむ?」


 “ポプリ”というと、草花やハーブや香辛料、果物などを惜しげも無く入れ、同じくそれらから抽出したオイルで漬け込み、それを乾燥させて作る高価な室内香である。


 確かに、あらゆる意味で匂いに敏感な獣人騎士団で“ポプリ”が流行っているというのは意外ではあるが、わざわざ報告するほどのものなのだろうか、と(いぶか)しみながらも干し花(ポプリ)を手に取り、鼻に近づけて香りを吸い込んだ瞬間、鼻腔(びくう)から頭に突き刺さるような何かがカーディルを襲った。


「……っ」


 高価な薔薇のオイルを頭からかぶったような強烈で甘美な……脳に直接響くような、香り。その香りは瞬く間に頭の中を侵食し、全身に広がって強制的に力が抜ける。思わず背もたれに体重を預けると、椅子がぎしりと軋んだ。


 静かにロイスがカーディルを見つめているが、その視線も全く気にならないほどの……そう、これは、恍惚?……恍惚感のような何かが体の芯から全身を支配している。


「……、……。……なんだ、これは。」


 背もたれに身を預けたまま体を襲った香りの余韻に浸った後、しばらく目を閉じていたカーディルは唖然としてようやくそれだけをつぶやいた。


「森の草花を干したポプリ、だそうです。」

「馬鹿な……これは一体何なんだ?いや、この香りは……どこかで……?」


 そうだ、遠い昔に一度だけ嗅がされた毒の匂いに、似ている。

 あれは心を壊し、人の言いなりになるようにさせるための毒で、解毒するには長い時間が掛かる厄介なものだった。もしその毒の材料がこの“ポプリ”に使われていたと言われても、カーディルは信じるだろうと思った。


 とはいえ、あのときの記憶はだいぶ曖昧なのだが。


「もちろん、毒ではないそうですよ。毒ならばお父様に嗅がせたりはいたしません。」


 そんなカーディルの思考を読んだように、ロイスがそんなことを言う。


「聞いたところ、依存性もなく、本当に森で摘んだ花と草のようです。獣人騎士団のメンバーの中には、草花(雑草)に詳しい者もいるそうで。まあ、感覚が鋭く毒もすぐ嗅ぎ分けてしまう獣人(ビスタ)の騎士たちがそう言うのですから、間違いはないでしょう。

 ただ、それだけではどう考えても説明がつきません。これを作っているのも売っているのも、年端もいかない獣人(ビスタ)の少女らしいのです、が、ただの子供ではないでしょうね。混色(まぜいろ)だとも聞きましたし、何か特別な事情があるのかもしれません。」

混色(まぜいろ)か。」


 カーディルはふむ、と相槌をうち、干し花(ポプリ)をポイと机に投げ、長いあごひげをなでた。これは、思考中のカーディルの癖で、本人曰く、髭を撫でていると集中できる、とのことだった。


 よくあるハーブなどでは到底勝てない、いや、勝負しようとすること自体がおこがましいような、強烈な効果のある香りの“ポプリ”。考えてみれば、こういう乾燥させて香りを楽しむものは、普通は匂い袋(サシェ)と呼ぶだろう。

 しかし、あえてポプリと言っているのだから、もしかしたら本当に何かに漬け込んでいるのかもしれない。本当に森だけで材料をまかなっているのだろうか。ん?……森?


「いくら獣人(ビスタ)とはいえ、そんな幼い子どもが、森へ材料を採りに行っているのか?」

「はい、そのようです。もちろん確認は必要でしょう。本当に、依存性がないのかも含めて。」


 そのよくわからない物を自分に嗅がせたのか、とカーディルは内心で少し毒づいたが、実際嗅いでみてその異常性を理解したので、口にはもちろん表情にも心中を一切出さなかった。この優秀な秘書(愛娘)は、なぜか(さと)いのである。ちょっとでも表情に出せばたちまち全てを見通されてしまう。

 それはともかく、この干し花(ポプリ)は確かに気にはなる。今は第三壁内だけかもしれないが、すぐに第二壁、第一壁と広まり、最終的には王の手にも渡るようになるかもしれない。それだけの威力は、充分ある。


 そういえばあの心を壊す毒は魔法陣で香りを強化されていたな、と思い出し、カーディルは「一応、詳しく調べておいてくれ。」と、ロイスに指示した。しかし。


「ああ、時間切れが近い、とはこういうことだったんですね。」


 そう、ロイスがポツリとつぶやいた。


「どういう……?――なんだ?」


 ロイスの視線を追うように干し花(ポプリ)に視線を落とすと、先程まできちんと形を保っていた干し花(ポプリ)が、なぜかモロモロと端から崩れはじめているところだった。

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