21-1 はじまりはこの日
☆
一人の少女が孤児院から出てくる。その表情はいつもどおり、暗い。
肩を落として歩く様は、トボトボという擬音がどこからか聞こえてくるのではないかと思うほどだ。
僕があの少女を見守るようになってから数年が経った。
最近、同じ孤児院の少女に勧められて始めた協会との取引を“やってはいけないこと”だという認識はあるようだったが、それでも少女は取引を継続的に行っている。
それが孤児院のやり方なのかはわからないが、今まで稼いだお金を全て孤児院に入れていたのだ。それまでろくに買い物などをしたことはなかった少女が、降って湧いたお金に手を出してしまったのは、しょうがない、とは思う。
しかし、未だに後ろめたいのか、そのお金で少女が何かを買ったりする様子はない。取引場所である第三壁の北門周辺への往復の途中には屋台通りがあるので、買い食いくらいはしてもいいとは思うのだが。
――あんな顔をするのなら、取引を止めればいいだろうに。
そう、心のなかで独りごちる。
まあ上からは何も言われていないので、僕はこれから先もずっと見守りという名の監視を続けるだけだ。僕たちの存在は、少女に知られてはならないのだから。
今日も、少女は暗い表情のままスラムの方へと歩いて行く。
僕はそれをそっと追いかける。
今日は取引の日だ。協会といつもの場所で落ち合うのだろう。
いつものように北門の手前で路地に入り、奥へと進んでいく。第三壁内では人攫いはない、とはいえ、本来なら、子供はできるだけ近づかないようにするべき場所だ。取引場所をここに指定した協会は一体何を考えているのだろうか。
しかしその日、いつも先に待ち合わせの場所に到着している協会の魔術師の姿はなかった。
少女が困ったような顔でキョロキョロと辺りを見回している。
待ち合わせの時間を間違えたのだろうか?いや、しかし、前回も前々回も、取引はこの時間帯だったはずだ。協会側に何か問題が起ったのだろうか。
少女は黙ったまま、薄暗いその待ち合わせ場所でじっと下を向いている。どうやら魔術師を待つことにしたようだ。
「おにーさん、こんなところで何してるのん?」
「――っ!?」
突然後ろから話しかけられ、僕は慌てて振り返った。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃなあい?」
そこに居たのは、スラムの路地に居るような娼婦の格好をした女だった。しかし、僕の直感が、この女はそういう類ではないと告げている。監視対象の少女を見ながら考え事をしていたといっても、全く気配を感じさせずに僕の後ろに立つなんてあり得ない話だ。
そんな僕の予想通り、女は僕の返事を待たずに、どこから取り出したのか両手にダガーを持って襲いかかってきた。パキ、という音が聞こえたかと思うと女のダガーが僅かに輝く。
――魔法武器!?
こんなところで勘弁してくれよ、と思いながらも、僕は監視対象の少女を巻き込まないように少し離れた別の路地に飛び込んだ。
★
路地に消えていく仲間を視界の端に捉えながら、俺は辺りを素早く見回してから所在なさ気に下を向いていた少女に近づいた。
「――やあ。」
「ど、どなたですか?」
一応、警戒されないように笑顔を浮かべているつもりなのだが、少女は怯えた眼差しでこちらを見た。
「協会の魔術師の都合が悪くなったんだ。取引の場所を変えるから、ついてきてほしい。」
俺がそう言うと、少女はすぐに安堵したような表情になった。
正直、自分でも怪しさ大爆発だと思うんだが、聞いた通りこの娘は人を疑うということを知らないようだ。いい意味でも、悪い意味でも。
「北門を出てスラムに入る。スラムは危ないから、これを羽織ってくれ。周りから隠れられる。」
そう言ってフード付きのロングコートを差し出すと、少女は疑うこと無くそれを羽織りフードを被った。俺はポケットから魔素クリスタルを取り出して、コートの魔法陣を発動させる。
「裾を引きずるなよ。」
そう言って、俺は少女を連れて路地を出た。
雇い主から借りたかなり上等なこのロングコートは、ダボッとしたシルエットでしかも裾が長く、この少女が羽織ると幼さが強調される。
――とはいえ、上等なのはこのコート自体ではなく、表地と裏地の間にこっそりと挟まれている認識阻害の魔法陣だ。そこら辺に転がっている影が薄くなるだけのまがい物とは違い、これはほぼ完全に存在を消してくれる。
もちろん表に出回るようなシロモノではなく、俺も雇い主が持っている事を知ってかなり驚いた。第二壁内に持ち込むにも持ち出すにも国の許可が必要な特殊装備だそうで、第三壁内の別宅にずっと保管してあったそうだ。
そう。これは魔人の刻印の中でも特殊な、あの隠匿の刻印の模倣魔法陣である。この認識阻害の魔法陣を暴けるのは、それこそ王都の第三壁にある南門や、第二壁のそれぞれの門に設置してあるようなでかい魔法陣くらいだろう。
ただし、この認識阻害の魔法陣には例外がひとつだけある。
それは、魔法陣が発動した時に対象を認識している相手は阻害対象から外れる、という事だ。これはオリジナルの隠匿の刻印でも同じらしいが、魔人が使った隠遁の刻印は“目の前で掻き消えた”という噂もあり、実際どうなのかはわからない。
まあ、国が数年に一度討伐隊を組んで向かっても倒せない事のほうが多いという魔人と対峙して生き残っている時点で怪しいとは思うが。
俺は少女を先頭にして、何事も無く北門をくぐってスラムに出た。国が、最低限だが手を入れている北門周辺には路地は一切ないが、スラムの奥に行けば行くほど路地は増える。そのうちの一本に入り、さらにいくつかの角を曲がって奥へと進む。
そうして少女の手を引いてひとつの小屋の前に着き、後ろを振り返ると、不安そうな瞳の少女と目があった。
ようやく、何かがおかしいと思い始めたのかもしれない。しかし、もう遅い。
「まあ、悪いようにはしねーだろうからさ。ちゃんと仕事してくれれば。」
そう言って、俺は身をこわばらせた少女の襟首を掴んで、無理やり扉の中に連れ込んだ。
 




