19-2 リネッタの平穏な1日
私は、朝からジャルカタの店を訪れていた。
昨日の夜のうちに詠唱魔法で新たに生成していた魔素クリスタルを売るためと、今までの売上を受け取るためだ。
ついでに、受け取った売上でできるだけ丈夫そうな革の肩掛けカバンと、財布用に小さな革袋も買う。これでもう、財布代わりのワンピースのポケットとはさようならだ。パン屋で貰った布袋は古くなってはいるが、土などの汚れがついた薬草や草花を摘んだものを入れるために残しておく。
小さな革袋には金貨が収まりきらず肩掛けカバンにも金貨を入れることになったが、容量の魔法をかければ問題なく革袋におさまるだろう。肩掛けカバンにも容量の魔法をかければ、布袋もあるし、相当量の荷物が入るようになる。
ちなみに、容量の魔法をかけた鞄の中に容量の魔法をかけた財布や布袋を入れることもできる。そのため、やろうと思えば、鞄の中に大量に鞄を入れることもできるし、鞄の中に鞄を入れてその中に鞄を入れることもできる。
しかし、便利そうだがその実、全ての鞄に定期的に魔素を供給しなければならないので管理が難しく、鞄を詰めすぎて最終的に欲しいものがどこにあるのかわからなくなってしまう事も多い。
その為、私の元いた世界では、多くても鞄の中に財布やポーチが2~3個入っている程度の人が圧倒的に多かった。例外といえば、魔法使いを数人従えた商人の旅団くらいだ。
ジャルカタと適当に日常会話を交わしていると、「最近、人攫いが増えてきたらしい。お前も気をつけろよ。」と言われた。私はこくりと頷き、フードを深くかぶり直す。
そろそろ次の目的地に行かなければならない。
そうしてジャルカタの店をあとにした私は、足早に第三壁内へと戻り、そこからあらためて東の森へと向かった。
スラムを抜けて行ったほうがどっちかといえば早いのだが、近道よりも安全を選んだのだ。いくら防御膜の魔法で身を守っているとしても、襲われない方がいいに決まっている。
通い慣れた大通りの端をいつも通り歩いていると、見慣れないしっかりとした作りの2頭引きの馬車を見つけた。その馬車に気づいた他の馬車は道を開け、何事かと人々は視線を向けている。
車輪も全て黒く塗りつぶしてあるのが印象的なその馬車の側面には、花をモチーフにしたような豪華な紋章と、魔法陣を象ったような紋章が半々に描かれていた。偉い魔術師でも中に入っているのだろうか?
特に、馬車の前で転ける子供も、疲れからか追突してしまう他の馬車も現れることなく、他の馬車が道の脇に寄って出来た道を、黒塗りの馬車はパカラパカラと優雅に進んでいった。
私は第三壁の東門をくぐり、森へと続く外壁門へと向かって歩く。数キロの道程を経て、森の中の薬草畑についた。
「おー、まだある。すごいなー魔法陣。」
私は思わずそうつぶやいて、自らが地面に掘った数個の魔法陣を見下ろした。
これは、前回薬草を摘みに来た時に、小牙豚らしき足跡の獣に薬草を荒らされていたので、試しにと薬草を囲むように地面に掘った魔法陣郡の一部だ。
薬草が生えている範囲はそこそこ広いので、ひとつの魔法陣で覆うのはなかなか困難だった。そこで、第二壁や第三壁に彫られていた魔法陣を応用して、地面に点々と魔法陣を掘って、筒状の防御壁を作り出したのだ。初めて発動した時に、防御壁がギロチンのように高いところの枝を切り落とした時はちょっとびっくりしたが、何回かの失敗を経て、壁が私の胸までの高さしかない今の形で落ち着いた。
これなら、小牙豚のような獣は侵入できないはずだ。ただし、地面から筒状に空に伸びているだけなので、筒の下を掘られて潜り込まれたり、もちろん地下からの侵入は防げないし、飛べる鳥や虫、他にも高くジャンプできるような獣は壁を乗り越えて入ってきてしまう。改良の余地はまだまだたくさんあったが、他の獣は小牙豚のように地面をボコボコに耕すような事はしないと思ったので、これで妥協したのだった。
もちろん、雨や他の獣に踏まれるなどして魔法陣が消えれば、壁も消える。しかし、この防御壁は一つの魔法陣で構成しているわけではないので、いくつかある中の3つだけでも生き残っていれば、最悪、直線で囲まれている少しの薬草は守れる。
それに、正直、干し花だけで充分稼げている今は薬草を摘む必要もないので、多少荒れても全く問題なかった。
私は適当に伸びた薬草を摘みながら、一緒に干し花用の草花も摘む。今日もこちらがメインだ。
そういえば昨日、干し花のレシピを聞いてきた商人らしき男が、「干し花の材料を特定した」といっていたが、青い花は必ず入れるようにしているので見た感じは同じように見えるが、実は、材料となる草は毎回違う、と思う。
“草花”というジャンルに、私は全く興味がないのだ。
そんな私に、雑草の多少の違いなんて分かるはずがない。なので、なんとなく“青い花とまるい葉っぱとギザギザした大きな葉っぱを入れる”というふうに、毎回、適当に草花を摘んでいた。青い花も、実は時々種類が違っているかもしれない。
今回も、まるい葉っぱと、多少大きさのまばらなギザギザの葉っぱ、そして必須である青い花を大量に摘み、その場で乾燥させてから布袋に詰め込んでいく。なれたもので、あっという間に作業は終了した。
「こんなもんかな。」
一息つき、肩掛けカバンから取り出した水袋を取り出して、予め詠唱魔法で少し冷やしてから、ひとくちふたくちと飲む。遠くから、昼を知らせる鐘の音が聞こえた。
ジャルカタから聞いたのだが、水袋にはかなり高価なものも在るらしい。というか、それはもう袋ではなく筒のようなもので、まんま、水筒という名だと教えてもらった。なんと水筒には、冷やしたり温めたりする専用の魔法陣が描かれているという。
魔法陣を使うということは、つまり冷やすためだけに魔素クリスタルを消費するということだろうか。贅沢を通り越して、ちょっと馬鹿馬鹿しい気もする。
それに比べて、詠唱魔法の便利さといったらないだろう。魔素クリスタルなんていうかさばるものもいらないし、慣れれば無詠唱で魔法陣とほぼ同じ効果が得られるのだ。
私は森から出る方向に進みながら、あらためて詠唱魔法の便利さ・手軽さに唸っていた。
詠唱魔法の詠唱は、魔法陣そのものだ。魔法陣が表しているものを、言葉にしただけだ。しかもその詠唱は、本人の能力によっては省略することもできる。
私の元居た世界では当たり前すぎて何をいまさら状態だが、この世界の住人からすれば、詠唱魔法はこの世界の法則から外れすぎてもう反則の域と言っても過言ではないだろう。
まあ、体内の魔素量が多ければ詠唱魔法が使えるはずなので、きちんと教えればこの世界でも詠唱魔法が広まるかもしれないが、そんな面倒くさいことは正直したくはなかった。私は私のやりたいことでいっぱいいっぱいなのだ。
森を出て、街へと向かう。
今日はこのまま孤児院に戻って、少しゆっくりしてから地下に篭もる予定だ。
それにしても、雨が降らないなあと思いながら空を眺めていると、ふと視線を感じた気がして、私はなんとはなしに振り返った。
――誰もいない。
まあ、そうだろう。そもそも私には、気配とか殺気とかそういった類のものにはひどく鈍いのだ。気のせいだろう。
私は特に気にせず、孤児院に戻った。




