2-2 ここはどこ?私は誰?
目覚めると、私は固いベッドの上に横になっていた。
ゆっくりと起き上がって腕を上げて伸びをし、大あくびをする。
ここはどこだろうか、古びてところどころはげてはいるが落ち着いた色合いの壁に、踏みしめられてぺっちゃんこになってはいるがどこか高級感のある絨毯。そして、小さな暖炉まである。
まるで大きなお屋敷……の、廃屋のようだ。廃屋にしては、隙間風とかカビ臭さとかがあまりないが。
まあ、魔素を失いすぎて気を失ってしまったであろうあの場所でないことは確かだろう。
今、体には魔素が満ち満ちていて、とびきり目覚めが良い。窓から差し込む光は眩しく、私は目を細めて窓から空を見た。ああ、神に祝福されている気さえしてくる。最高!
ベッドの上に四つん這いになり、再びあくびをしながらぐいっと身体を伸ばそうとして、ふとその仕草に違和感を感じた私は首を傾げた。さわり、と何かが足に触ったような……?
ベッドから降りて部屋を見回すと、鏡があったので覗きこむ。
ひどくくすんだその鏡の中の私の頭の上には、金髪をかき分けて焦げ茶色の耳が乗っていた。不思議と感覚が繋がっており、ピコピコ自由に動かすことが出来る。
後ろでする衣擦れの音に振り返って自らのお尻を見下ろすと、耳と同色で細くて長い尻尾が埃で汚れたワンピースの下からのぞいており、これもゆらゆらと揺らすことが出来た。
さらに……見た目が幼くなっている。
10才、くらい、だろうか。
私は今年で30を過ぎるはずなのだが、獣のような体の一部や体が若返った?のは、転移による作用だろうか?
若返ったのはともかく、この耳や尾はどこからきたのだろう。
この形と毛質はどこかで見たことがあるような気はするが……わけがわからない。なんで生えた?
鏡に視線を戻し、さらにじっくり自分を観察しながらこの先の新たな研究課題に心を踊らせていると、扉の隙間からこちらを見ている視線と鏡越しに目があった、気がした。
その瞬間、バタバタバタっと複数の足跡が遠ざかっていく。どうやら誰かがこちらを窺っていたようだ。
首をかしげ、半開きになった扉から首を覗かせると、廊下の先に黒いエプロンスカートを着た一人の老女がこちらに向かって歩いてくるところだった。
「**、******、*****。」
部屋に入ってきた白髪交じりの長い栗色の髪をゆるく三つ編みにまとめている老女は、ニコニコしながらそう言って、持ってきていたコップと皿を窓際の小さなテーブルに置いた。
何を言っているのかさっぱり分からないが、老女の手振り身振りに勧められるまま、私はベッドに座る。
「***********?*****************、***、********?*************、**、********?」
かろうじて疑問形が混じっているのはなんとなくわかる、ような?
老女はニコニコしたまま、テーブルの皿を取り私に差し出した。見ると、黒っぽいパンだった。何かが挟まれている。サンドイッチだろうか?私はとりあえず頭を下げ、皿を受け取った。
どれくらい寝ていたのかは分からないが、確かにお腹は減っている。サンドイッチを一口かじると、ボソボソしたかったいパンに、申し訳程度の野菜の干したようなものと、小さいカッチカチの干し肉が挟んであった。
どう頑張っても柔らかくならない干し肉を噛みちぎるのに苦労したが、長い時間をかけて噛み砕き、口の中の水分でほぐしてなんとか飲み下す。
カラカラになった口と喉を、差し出された木のコップに満たされた水で潤し、私は老女に感謝を伝えるために、再び頭を下げた。
さて、言葉が通じないのには困った。
老女はしきりに話しかけてくるが、平原の民の言葉ではない。なまっているとかそういう問題でもなく、他種族――森の民や岩の民の言葉ですらない。
私は独自に文化が発展した孤島にでも転移したのだろうか?まあ、考えられなくもない話だ。
人の体から獣の一部が生えているような姿に驚いていないのも不思議である。私の知る限り、おとぎ話の中以外でこんな姿の民など、世界のどこを探してもいない。亜人ならあるいはいるかもしれないが、知能的にちょっと無理だろう。
とりあえず、言葉が通じていないことを伝えなければならない。老女の発言の合間に、私が申し訳無さそうに「言葉がわからない。」と平原の民の言葉で言うと、ようやく老女は気づいたようだった。そうして微笑み小さく頷くと、「***!」と扉の方を向いて声をかけた。
どうやら、また扉の向こうでこちらの様子をうかがっている誰かがいたようだ。
扉を開けてバツの悪そうな顔で入ってきたのは、なんと、私と同じように獣の耳と尾を生やした10代半ばの少年だった。
大きな狼のような耳が、少年の黒い髪をかき分けて生えている。
ズボンの背後に見えるのは耳と同じ黒色のふさふさした尻尾だ。
……もしやここには、こういう病気が流行っているのだろうか?
“奇病”という恐ろしい単語が脳裏をかすめ、私はぞっとした。
もしやここは、奇病の民を隔離する施設、とか?
「*************?」
老女が黒い狼耳の少年に何かを聞くと、黒い狼耳の少年はしぶしぶといった様子でこちらを横目で見て口を開いた。
「======。=======。==================。」
残念ながらこれも知らない言葉だ。
私が首を振り肩をすくめると、黒い狼耳の少年はきょとんとした顔になって老女に向かって首を横に振った。
そうして老女と黒い狼耳の少年は少しの間話していたが、そのうち老女は私と黒い耳の少年をおいて部屋を出て行ってしまった。
しばらくして、会話のない気まずい部屋へと戻ってきた老女は、手に、何か分厚い布のようなものを丸めて縛ったものを持っていた。そして、後ろには、黒い狼耳の少年と同じくらいの年に見える少女を連れていた。この少女には、耳や尾は見当たらない。
何をするのだろうと老女を見ていると、老女は手に持っていた分厚い布を床に広げた。埃を舞い上げ広がったその布には、見覚えのない……魔法陣が描かれていた。
「なにその魔法陣!」
私は言葉が通じないことも忘れてそう叫び、魔法陣に飛びつく。
老女や少年少女が驚いているが、そんなことはどうでもいい。
問題は、私の見たことのない、つまり遺跡にはなかった魔法陣が目の前にあるということだけである。
知っている古代語と、知らない古代語の羅列。魔法陣の中央の形から、太月女神ムルナスを表しているのがわかる。
太月女神の形は、精神に影響を及ぼす魔法陣に使われていることが多いので、この魔法陣もそういう効果があるのだろうか?
魔法陣を凝視しながら、私の頭はぐるぐると回転する。
この4方向に外へと向かって描かれている古代語はよく見る並びだ。それと……ああ、この古代語は、見たことはあるが意味まではわからなかったものだ。見たことのない古代語まである!
よく見れば、この魔法陣は描かれているのではなく、何か太い糸で厚布に丁寧に縫い付けられている。こんな風に魔法陣が縫い付けられた布など見たことがないが、なるほどこれなら持ち運びに便利であり、獣皮紙よりも遥かに安いし手入れもしやすい。ほつれたら縫えばいいのだ。
なんでこんなところに新しい魔法陣があるのだろうか。やはりここは大陸とは隔絶された、魔法陣文化の息づいた孤島なのだろうか?
ああ、獣の耳や尾が生える奇病にかかったとしても、新しい魔法陣が研究できるなら、それも悪くない、かも。
そう思った、そのときだった。
誰かにお尻を押され、四つん這いで魔法陣を凝視していた私は魔法陣の上にうつ伏せに倒れた。
わけも分からずきょとんとしていると、下敷きになった魔法陣から淡い光が溢れ始め、私は魔法陣の光に包まれてしまった。




