14-2 マニエの考察
「あら、美味しそうなパンね。」
マニエはそう言って、リネッタに微笑んだ。リネッタがまるごとかじっているのは、孤児院では配ることのできない、柔らかそうなパンだ。
しかし、リネッタはそれに答えず、少し考えこんだかと思うと、おもむろに「マニエ、私、そろそろ文字を習いたいわ。」と言った。
「あら、そうね。リネッタは薬草や干し花を売っているし、貴女に時間があるのなら、教えてあげられると思うけれど……」
そういえば、孤児院に迷い込んだ初日にそんなことを言っていたわね、と思い出しながら隣を歩くリネッタにマニエは笑顔のまま応えた。
それにしても、こんな小さな獣人の少女が、薬草を売りながら、さらに自作の干し花を街で売り歩いてお金を稼いでくるようになるとは。
数日前からお金を納め続けているリネッタに、マニエはどこかしら納得できずにいた。
ロマリアが“仕事仲介・斡旋所ではリネッタに仕事がもらえなかった”と落ち込んでいた時も、この少女は意に介さず魔法陣のことばかり考えていたらしい。言葉も、ほんの少し前までは片言だったのに今では日常会話なら問題なくこなしている。
それが大人ならマニエも理解できるが、リネッタは10才の少女なのである。顔を見ずに話していると、まるで大人と話しているような気にさえなってくるのだ。リネッタなら、文字も問題なくすぐに覚えてしまいそうな気さえしてくる。
「少しずつ干し花も売れるようになったの。お店の中に入ることはできないけれど、こうやってパンも買えるようになったわ。だから、明日は街を歩くのをお休みして、1日中文字の勉強をしても大丈夫だと思うのよ。」
「1日中?」
自室の扉をくぐるなり聞こえてきた言葉に、マニエは目を丸くしてリネッタを見た。
「ええ。それがだめなら、半日でもいいわ。あと半日は、地下の魔法陣を見る時間に充ててもいいと思うのよ。そう、どちらかと言えば、そっちのほうがいいわね。」
そう言いながらリネッタは、信じられないことに銀貨を3枚と銅貨を数枚テーブルの上に並べ始める。
「まあ、たくさん売れたのね……!」
マニエはとりあえず地下の魔法陣のくだりは聞かなかったことにした。
「町の人が、石貨5枚では安すぎると言って、一つ銅貨3枚で買ってくれるようになったの。」
「……町の人、が?」
「ええ。いくらで売ればいいか分からないと言ったら、人の女の人たちが話し合って値段を決めてくれたわ。それで、これからはその値段で売りなさいって。他の人達も、その値段で納得してくれたの。」
「そんなことが、あるの……ね。」
思わず、マニエはそんな言葉を漏らしてしまった。
身分のある獣人だったならまだ分かるが、この薄汚れたワンピースとマントを羽織っただけの、どこから来たかもわからない獣人の少女に対して、売り物を安く買い叩くならまだしも、正確な値段を教えたり定価で買ったりするなどあり得ない話だ、と、マニエは思ってしまったのだ。
そしてその考えは、概ね正しい。
人と獣人の対立は、それこそマニエの遠い祖先の時代から長く続いている。
当時は勢力が拮抗しており、大陸のいたるところでずっと戦争をしていたという。
しかし1000年ほど前、当時の歴王アリダイル率いる占術師と魔術師の集団が、一番大きな獣人の国を潰してその拮抗を崩したのだ。
その後は早かった。獣人の国は次々と滅んでいき、以降、獣人は奴隷として、人に家畜扱いされるようになった。
それに心を傷めていたのが、歴王アリダイルの一番末の孫であり、アリダイルの次に歴王に選ばれたガビル王だった。彼はオルカ王の一代前の歴王である。
ガビル王は“先代の過ちは、血縁である自分の過ちである。過ちは正さなければならない。”と、歴王を継承してから約300年の長い年月をかけて奴隷制を廃止させた。多くの血が流されたが、その願いはなんとか世界中に広まり、表向きではあったがほぼ全ての国で奴隷は開放されることとなった。
その意志を継いだのが、現歴王のオルカ・フルール・ディストニカだった。オルカ王は晩年のガビル王と交流を持ち、奴隷撤廃を成したガビル王が次に取り組んでいた獣人差別撤廃にどの国よりも力を入れていた。
そうしてガビル王が崩御する数日前に、次の歴王に選ばれたのがオルカ王だった。それが40年ほど前である。オルカ王は、歴王に選ばれてすぐに全世界に向けて獣人差別撤廃を宣言した。
前歴王が推し進めていた獣人差別撤廃を新たな歴王が宣言したことで、各国はそれに従うように次々と獣人差別禁止を宣言していき、どこの国でも公に獣人差別をすれば罪に問われることとなったのだ。
しかし、数百年間続いてきた獣人差別は、根深い。奴隷制が廃止になってからおよそ300年。それから獣人差別禁止が決まったのが約40年前。
奴隷制は知らないものの、親やそのまた親の世代が獣人を公然と差別していた時代の人々の為、その子供たちである今の大人はどうしても差別意識が強く残ってしまっている。
獣人差別が薄れていくのは、今の大人達の何世代も後だろうと、マニエは考えていたのだが……
私が知らないうちに確実に時代は進んでいて、獣人差別もじわじわと薄れてきたということなのだろうか。
マニエはそう自問したが、すぐに否定した。
もし獣人への差別が薄れてきたのというのなら、ヨルモやその他の獣人の子供たちの仕事の待遇が悪いことの説明がつかない。
彼らが物を直接売ろうとすれば買い叩かれるし、南門周辺なんて歩けばスリだなんだと侮蔑の視線を受けて追い払われてしまうのだ。例えその時人の友人と一緒に歩いていても、だ。
リネッタが出会った町の人々が、たまたま獣人への差別意識が低い人々だったのだろうか?
それが一番考えられる話ではあるのだが――リネッタは度々、大通りを歩いては干し花を売っているという。毎回、獣人差別をしない客に恵まれているというのも、おかしい話だ。
マニエはまじまじとリネッタの顔を見た。
この少女が、嘘を言っているようには思えない。むしろ、差別を受ければその場ではしれっとしていても、こういう場では全力で怒りだす気がする。
それとも、そういう鬱憤をぐっと我慢しているだけなのだろうか?
ロマリアやヨルモによれば、リネッタが何かを我慢しているようなところは一切ないという。しかし、この少女はただ、心を開いていないだけではないだろうか。
「そうね、きちんと仕事を見つけられて、自分でご飯を買う事もできて、その上時間に余裕まであるというのなら、明日から少しずつ文字を教えてあげるわ。」
そういうと、リネッタはぱあっと表情を明るくした。
「でも、私も忙しい時もあるから……そうね、午前中だけ、とか、午後の数時間だけになるけれどいいかしら?」
「もちろんよ!それ以外の空いた時間は、地下の魔法陣を見せてもらえれば。」
リネッタは、どうやら地下の魔法陣云々を聞かなかったことにはしてくれなさそうである。
「……しょうがないわね、分かったわ。地下の魔法陣保管庫への立ち入りを許可します。でも、持ちだしたりしてはだめよ?」
「や、や、やったー!!!!」
リネッタはいきなり立ち上がってバンザイをしはじめた。本当に嬉しそうな顔で、ぴょんぴょん飛び跳ね始める。
「あらあらまあまあ。」
マニエは歳相応に喜ぶリネッタを微笑ましく思いながら、やはりリネッタは大人ぶって、他の子供達に心を許していないだけなのだろうと思い直したのだった。




