10-2 団長さんの一日
その日、ディストニカ王国唯一の、ほぼ獣人だけで構成されている赤狼騎士団の団長であるギルフォードは、自身の習慣となっている第三壁内の見回りをしていた。
これは、仕事ではない。第二壁内とは違い、第三壁内は騎士団員ではなく、国の警備兵の管轄なのだ。
しかし、どんなに優れた王や臣下がいる国でも闇は必ず存在するもので、それは歴王が治めているこの国の王都でさえ例外ではなく、第三壁の北門付近はスラム化が進んでおり、外壁まで広がっている。
スラムでは餓死する(主に獣人の)子供も見られ、人・獣人問わず人攫いも横行している。警備兵が金を握らされ軽犯罪を見逃しているケースも、表沙汰になっていないだけで、残念ながらあるだろう。
たまには、騎士団長であり獣人でもある自分が王都の第三壁内や外壁内を歩くことで、警備兵と他国から流れてきた傭兵との諍いを収めたり、犯罪を未然に防いだりすることが出来ると信じて、ギルフォードは数日に1回、こうやって第三壁内や外壁内をぐるっとまわることにしていた。
とはいえ、かなり大柄で、しかも騎士団の紋章が刻まれた甲冑とマントをがっちり着込んだギルフォードは、どこにいようが立っているだけで目立つ。何日かに1度現れて、なぜか気軽に話しかけてくる獣人の騎士団長の姿は、いつしか第三壁内の名物になっていた。
いかに獣人差別が根強く残っているといっても、ギルフォードはこの国の王によって直々に騎士団長に任命された――つまり歴王に認められた獣人だ。しかも、誰に対してもできるだけ平等に対応するように心がけていたので、獣人騎士団についてはともかく彼自身の評判は良く、普段は人しか入らないような店でも、彼ならば問題なく買い物をすることができたし、逆に、ギルフォードに買ってもらえて箔がついたと喜ばれることも多かった。
そんな散歩を楽しむ彼の目にふと止まったのが、かごいっぱいに草のようなものを入れて歩いている混色の獣人の少女だった。
薄汚れたマントを羽織り、ワンピースを着ただけの少女。耳を澄ますと、どうやら物売りのようだった。
それにしても声が小さい。売る気があるのか疑うほどだ。かごの中を覗くと、薬草らしき葉の束と、見たこともない枯れたような花と葉が詰まっていた。
「おい、安らぎの、なんだって?」
そう声をかけると、少女は耳を立てて素早く振り返った。なかなかの反応速度である。
「……、安らぎの香りのする干し花です。」
「安らぎの香り?」
どういう意味だろうか。花の香りなんて全く興味がないので、こういうのは全く分からない。
話を聞いてみると、どうやらこの少女が独自に花や葉を集め、安らげる香りをつくりだしているらしい。しかも、なかなかに強い効果があるようだ。しかし、こんな小さな子供に、そんなことができるのだろうか?
ギルフォードが怪しむと、少女は特に食い下がることもなく、干し花だとかいうそれを1つ差し出してきた。
面食らったまま干し花を受け取ったギルフォードだったが、手渡された瞬間、手元に何か違和感を感じた気がして、眉をひそめる。しかし、少女はそれに気づかなかったようだ。
その後、少女はあっという間に自分の前から人混みへと消えていってしまった。一体なんだったのだろうか。手元に残った干し花に視線を落として、ギルフォードは首をひねったのだった。
それから、各門の門番に声をかけてあいさつをしたり、傭兵ギルドに顔を出してみたり、まだ日が高いのに商店の目の前で騒いでいる酔っぱらいの対処をしたりして、その日の見回りは終わりにした。
その頃には、干し花のことなどすっかり忘れ、ギルフォードは第二壁内にある騎士団の詰め所に戻ってきていた。
今日の夜番は、副団長の班だったか。と思い出しながら騎士団の紋章の縫い込まれたなかなかに重いマントを外し、マントの裏に干し花が挿してあったことを思い出したギルフォードは、ふとした思いつきで、副団長らにその干し花の効果を試してみることにした。
安らぎの香りの説明をすると、なぜか「そんなよく分からないものをもらってこないでください!」と怒られたが、まあ、いつものことである。
「とりあえず、仮眠の時間の前にでも試してみろ。」
それだけ言って、ギルフォードはさっさと自宅への帰路についた。長居すると、副団長のお小言が始まって帰れなくなるのだ。
今日もよく王都を見回れたと思う。次の休みは外壁内を散歩しよう。
ギルフォードは魔法の明かりが一晩中灯る第二壁内を、ゆったりとした速度で歩いて帰るのだった。




