10-1 物売りという名の王都観光 1
「安らぎの香りの干し花と、干した薬草はいかがですか~。」
別に叫ぶでもなく囁くでもなく、普通の声量でテキトーなセールストークをしつつ、私は第三壁内の大通りを孤児院から南へと向かって歩いていた。
昨日の夜、数日前にヨルモが狩ったあの大きな小牙豚の肉が私にも振る舞われた。好みが分かれそうな癖があり硬い肉だったが、お腹いっぱい食べることが出来たので今日はいつもより遠くまで歩けそうな気がする。
ちなみにいつものかたい干し肉は、アレを干したものだそうだ。
第三壁内の東門から南門へと続く大通りには、商店や宿屋、食堂などがあるようだった。まだ文字は読めないが、看板に刻まれた形でなんとなくどんな店なのか予想ができる。
キースの親の店もこの辺りにあるのだろうか?さすがに活気は屋台通りのほうがあったが、朝ということもあってか人通りは多い。
屋台通りは大通りの両端に屋台が立ち並んでおり、道にもテーブルや椅子などが点在していて馬車が一台通り抜けるだけでもかなり困難そうだったが、屋台のないここは馬車が3台並んで走れそうなくらい広かった。しかし人が自由に歩いているので、人を轢かないようにか、馬車は慎重に進んでいるようだった。
その大通りの端の方を私はゆっくりと歩く。マントはつけているが、フードは下ろしたままだ。
防御膜の魔法は纏っているが、マントの魔法陣は発動させていない。まあ、物売りなのだから、こんな感じでいいだろう。スリはいるとしても、さすがにここで人攫いや通り魔が出ることはない、はずだ。
「安らぎの香りの干し花と、干した薬草はいかがですか~。」
今日は、先日の干し花と昨日干した薬草を10束ずつ小さめのかごに詰めてきていた。この小さなかごは、薬草を摘むのにつかったかごと一緒にマニエからもらったものだった。
薬草は5本をひとまとめにしてあり、干し花も花を中心にして片手に収まる小さなまとまりにしている。
ちなみに干し花には、“安らぎの香り”と宣伝しているように、詠唱魔法でちょっとした仕掛けを施そうと思っていた。
――詠唱魔法の中には、“付与魔法”という大きなくくりがある。
単に身体を強化をするだけではなく、精神的な抵抗力を高めて幻覚魔法への耐性を上げたり、武器に使って炎をまとわせたりすることもできる。吟遊詩人が場を盛り上げるために詩にのせて広範囲にかけたりもするし、魔法の使えない一般人でも使える付与魔法まである。
私が今回、干し花に使うのは、その中でも特にオーソドックスな、消耗品用の付与魔法だ。
これは本来、すぐに壊れる安物の武器などに魔法の効果を付加する時に使われるもので、“対象を構成する魔素を消費することで、魔法の効果を発揮する”という魔法だ。
もともと、人も大地も水も火も全て魔素で構成されている。例えば水を構成している魔素を直接消費して魔法を使うと水そのものが消費されていき、そのうち水は無くなる。水が無くなれば、付与魔法の効果もなくなる。
炎を纏う剣なら、炎を纏わせている間、剣は脆くなり続け、そのうち形を保てなくなり崩れてしまう。
もちろん私の元居た世界では、生きている者にこの魔法を使うことは禁忌中の禁忌とされていて、王族だろうがこの魔法を生き物相手に使ったと知られたら死罪を免れないと言われていた。
私は、この干し花にその付与魔法をかけようと思っているのだ。
チョイスしたのは、安息の魔法だ。
安息の魔法は、睡眠の魔法よりも効果の浅い魔法で、安眠の魔法とも呼ばれている。
不眠を患っている相手や、気落ちして鬱になっている相手にかけて、安らぎをもたらすという効果がある。(なお、鬱状態の人に対して覚醒の魔法を使うと躁状態になるので逆に危険であるとされる。)
ただし魔法をあまり強くかけ過ぎると、干し花自体の魔素があっという間に枯渇してしまうので、できるだけ弱め弱めにかけなければならない。
実はこの安息の魔法の干し花は、私の元居た世界でも普通に売っている。安息の魔法は、小さな子どもでも、魔法の才能があれば使うことができるのだ。
私の元居た世界では、大抵の街で今の私のような孤児やスラムの子供達が、安息の干し花を売り歩く姿が見られる。大事な収入源なのだ。
ちなみに付与魔法の効果は、対象の大きさにもよるが、干した草花なら1日、長くて1日半といったところだろうか。その為、私の元居た世界では売れた時に詠唱して魔法を付与するのが普通だった。
ちゃんとその場で付加したことが分かるように口に出して全文詠唱してから渡すことで、ちゃんと付与しましたよ、という証明もしている。
しかし、この世界で売るにあたり、詠唱は不要だ。そもそも、魔法でそういった効果を付与していることすら、魔素を認識できない人々には分からないだろう。
――もしかしたら、識別の魔法陣とかがあって調べられたらバレるかもしれないが、その時はその時である。
まあ、今のところは“この干し花の香りをかげば、安らいだ気持ちになれますよ~”という適当な説明で売り歩くつもりだ。別に売れる必要もないのだから、気楽なものである。
もちろん、安息の効果を試したいという人向けに、試供品も用意してある。朝のうちに、干し花の1束に安息の魔法をすでにかけてあるのだ。
「安らぎの香りの干し花と、干した薬草はいかがですか~。」
――しかし。干し花どころか、薬草すらいっこうに売れる気配がないというのはどういうことだろうか?
私が獣人だからだろうか。それとも、薬草の値段を提示していないからだろうか?ヨルモもキースも、薬草は鉄板だと言っていたのだが……。
「おい、安らぎの、なんだって?」
後ろから唐突に声をかけられ、私はびっくりして慌てて振り返った。
そこには、かなり大柄な獣人が仁王立ちしていた。見上げると、ヨルモよりも大きな黒い狼耳が黒い短髪の中から生えている。視線を下げると、皮革と鈍色に輝く金属を組み合わせたかなりしっかりとした鎧に、マントまでなびかせている。鈍色の金属に覆われた胸元には、剣を抱く狼のような紋章が刻まれている。なんというか……
すごく偉そうな獣人だ。
「安らぎの香りのする干し花です。」
「安らぎの香り?」
偉そうな装備の獣人は、そう言って首をひねった。まあ、それが普通の反応である。花の匂いを嗅ごうとした獣人を手で制して、私は言葉を続けた。
「試供品もありますが、今はお仕事中のようですので、試されるのはやめておいたほうが良いと思います。」
「そんなに強い効果があるのか?そんな花、聞いたこと無いが。」
「私が特別に香りをブレンドしています。安眠の為に使ったり、憂鬱なときにかいでいただくと、気が紛れます。香りの効果は1日程度しかありませんが……。」
「本当かあ?」
かなりジト目で、偉そうな装備の獣人が私を睨む。
「それでしたら、おひとつ差し上げますよ。それで、もし気に入ってくださったら、今度は買ってください。」
私はそう言って、干し花を1つ差し出した。
「はあ?売り物なんだろ?」
偉そうな獣人は口をあんぐり開けて、私の顔と差し出した干し花と交互に見た。
「もちろん売り物ですが、これは試してみなければ分からないものですから。それに、売れずにダメになってしまうよりはマシです。まだ、1本も売れていませんので。」
偉そうな装備の獣人が受け取る直前に、私は詠唱を省略した安息の魔法を干し花にかけた。
「仕事が終わって、ゆっくりしたい時間にどうぞ。寝る前に嗅ぐと、ぐっすり眠れますよ。」
「お、おう。」
偉そうな装備の獣人は、ポリポリと頬をかきながら、まじまじと干し花を見ている。私はにっこりと笑ってお辞儀をすると、「それでは、またどうぞ。」と言って、そそくさとその場を離れた。




