ティリアトス家の混乱と
ティリアトス辺境伯爵フルグリットの執務室。
いつもはフルグリットとハールトンくらいしか入る者のいない部屋には、現在、二人のほかに第二夫人であるアイダと長男であるクロード、そしてカトリーヌの護衛として聖王都に赴いた辺境領騎士団の副団長であるロキロトがいた。
飴色の瑪瑙を輪切りにした、艶のある重厚な天板のローテーブル。透かしの入った繊細なレースのテーブルランナーがかかるテーブルを挟み向かい合う革張りのソファには、フルグリットとクロードがそれぞれ座っていた。クロード側のソファの後ろには、ハールトンとロキロトが立っている。
アイダはフルグリットに隣に座らないかと聞かれたが、目を伏せ「本日はこちらに……。」と断ってロキロトの隣に並んだ。
そうして、フルグリットはクロードから精霊についての報告を受けた。ハールトンは、カトリーヌがハールトンの眼の前で精霊の力を受け、髪や目の色が変化したことを報告した。
ロキロトからは、カトリーヌが聖王国を護るはずの聖騎士や兵士に襲われた可能性が高いという報告を受けた。あくまで憶測としてだけれど、カトリーヌが叔父の領地からの帰りに襲ってきた中にいたいち早く自害した手練れも、その可能性があったかもしれない、と。
アイダは、クロードのためにと取り寄せていた国お抱えの錬金術師の薬湯が、もしかしたら悪いものだったかもしれない、とフルグリットに申告するだけに留めた。クロードが、そうさせた。
フルグリットとクロードの間にあるローテーブルの上には、二通の手紙が開いた状態で置いてある。カトリーヌの帰宅したその日に届いていたものだ。
一通は、タウンハウスのスクレからの手紙。なんでも聖王都に魔人が現れて屋敷を破壊し、リネッタを攫っていった、とのことだ。
もう一通は、現聖王からの寵愛を受けている、王太子との呼び声も高いシャーリィ王女から。ひどく丁寧に回りくどく書かれていたが、要約するに、タウンハウスを襲いリネッタを攫った魔人は捕らえたがリネッタの行方はわからないままだったので、賠償金を支払うこと。弁償にはならないが、辺境の地でその魔人を公開処刑する、という内容だった。
報告を全て終えたあと、クロードたちはフルグリットから手紙の内容を聞いて、部屋には重たい沈黙が落ちた。
「……。」
フルグリットはこの国に渦巻く何か恐ろしいものを感じ、自らを奮い立たせなければと思った。
そうしなければ、愛する家族を喪う可能性があるのだ。辺境の地を護る領主として、そして一人の父親として、すぐさま状況を整理し動きを見極めていかなければならない。すでに、後手に回っているのだから。
——まず、精霊については、カトリーヌが拾ってきたリネッタが鍵だった。
獣人であるリネッタと精霊の関係はにわかには信じられないことだが、クロードだけならまだしも、ハールトンまでもがそうだと言う。
それをどこで聞きつけたのかシャーリィ王女がリネッタを欲しがり、同じく魔人もリネッタを欲しがったからこそタウンハウスを襲った、ということだろうか?
あり得ない話のように聞こえるが、クロードやハールトンが言うように本当に精霊を呼び出せるのならば、あの獣人の子どもは誰もが喉から手が出るほど欲しいと考えるだろう。
あり得ないことはそれだけではない。魔法陣で強固に守られている聖王都に魔人が現れるというのも前代未聞である。しかし、スクレの手紙には、シャーリィ王女の相談役であるセシアルからそういう説明を受けた、とあった。
そうしてリネッタは魔人に攫われた、が、シャーリィ王女の手紙によれば、魔人は捕まった。しかしリネッタは行方不明のまま。
リネッタを聖王都に置いて帰る途中だったカトリーヌは、聖王の手のものに襲われた。表向きは賊に襲われたという体で、……実際は獣人を祭り上げて国に反旗を翻そうとしているという罪名で。
もしそれらがすべて繋がっていたとしたら——?
「……全て憶測で、なにひとつ確証はないが。」
フルグリットは、重たい空気の中、そう前置きをした。
「シャーリィ王女殿下はすでにリネッタを手に入れていると考えたほうがいい。そして、リネッタが本当にお前たちの言うような力を持っているのなら、聖王側がリネッタの存在を知っている我々を排除したいと考えている可能性も十分にあり得る。
魔人の処刑については、そうだな……。聖王都に魔人が現れた今、この国はどこも安全ではなくなったといえる。シャーリィ王女がこの地に実体の精霊が存在すると知っているのだとすれば、この地で魔人を処刑したいと考えるのは自然だろう。つまり、今のところリネッタは聖王都を守れない状態にあるのかもしれん。
魔人の処刑は表向きはリネッタを失ったことへの保証とのことだが、たしかに第二王子による魔人の処刑は見世物にはなるだろうが、日にちも近く場所も指定されていてこちらへの配慮もない上に、この地で行うメリットは無いに等しい。これで“良かれと思って”と本気で考えているのならば、国境を護る辺境伯爵領としては、シャーリィ王女を王太子にと押している聖王都の貴族共々、頭の作りを疑うが……まあ、シャーリィ王女殿下からの牽制……リネッタのことは諦めろという圧力と考えたほうが自然だな。
で?魔人の処刑が今日から数えて14日後だと?……第二王子や王族を護る聖杯騎士団は手紙と同時に聖王都を発ちでもしたのか?しかも、魔獣の森も近いヒュランドルで処刑など……いやにこちらの手間がかかることをしてくる……なにかもっと深い裏があるのか……?」
最後は小さなぼやきで言葉を締めくくる。
その言葉を受けて、クロードがまっすぐにフルグリットに視線を向けた。
「……父上、ヒュランドルには領主代理として、僕に行かせてください。」
「ううむ……。」
フルグリットは難しい顔をして唸った。
罠の可能性が高いのだ。そこで、みすみす息子を喪うなどしたくはない。
だが、精霊に守られているのならば、話は変わってくる。フルグリットが行くほうが危険だろう。辺境伯としては、息子を向かわせた方が良い。しかし親としては、向かわせて危険な目に遭わせたくないという気持ちが強い。その狭間から出た声だった。
「父上にもしものことがあれば、この領地は立ち行かなくなります。僕には癒しの精霊様がついてくださっているし、もし僕の居ない間に家に何かあっても、カティには幻影の精霊様がいらっしゃいます。」
「……だが、リネッタの存在をシャーリィ王女殿下に漏らした者がいる可能性が高い今、精霊様がいらっしゃるとはいえ、単独行動させるわけには……。」
「お父様。おそらく、リネッタのことを漏らしたのは領地の者ではありません……。」
突然部屋に聞こえてきた声に、全員が扉の方へ顔を向ける。
そこには、髪色が戻らないままのカトリーヌがやや俯いたまま、立っていた。
「カティ!もう動いて大丈夫なのか?」
フルグリットが声を掛けると、カトリーヌは小さく頷く。
「お父様、お兄様……わたくし、みんなに隠していたことがあるの……。」
「カティ?」
クロードが声をかけても、カトリーヌは俯いたままだった。
そしてしばらくの沈黙ののち、意を決したように口を開く。
「わたくし……リネッタのこと、あの襲撃の前から……リネッタに出会って救ってもらう前から、知っていたの……。」
その言葉に、部屋の中にいた誰もが息を呑んだ。
__________
ティリアトス家の人々がそんな話をしていたのが、数日前。
移動時はきっちり魅了してお人形のように連れてきていた少女4人とともに、隠匿の隠れ家を転々としながら気ままにティリアトス辺境伯家に向かっていたリネッタは、辺境伯の屋敷まであと数日馬車で進めばつくだろうというところまで戻ってきていた。
隠匿との旅はかなり快適で、気楽だ。しかし、その日いつものように夕食の買い出しを待っていたリネッタのもとに戻ってきたのは、食材は買っているもののひどく暗い顔をした隠匿だった。
「リネッタ……。」
ぱたん、と隠れ家の扉を閉めた隠匿は、ひどく焦ったような声でリネッタを呼んだ。
移動以外では自我が戻っている状態の少女たちは、隠匿にもリネッタにも我関せずで、4人で楽しそうにおしゃべりしている。
「ヒュランドルで、アーヴィンが処刑されると、耳にしました。数日前に、聖王の紋章を掲げたシャーリィ王女と第二王子が率いる一団がこの町を通り過ぎていったとのことで……。」
「えっ?」
耳をピンと立てて、リネッタは目を丸くした。
ヒュランドル……はいつだったか聞いたことがある町の名前だが、どこだっただろうか……?で、そこでアーヴィンが処刑?一体いつ捕まったのかもわからないが……それが本当だとしたら、一大事である。
隠匿にとっても、そして、リネッタにとっても。
「そもそも、魔人を処刑なんて……できるのかしら?暴れたりするでしょうし。」
「なんでも、聖王家に伝わる特別な聖剣はただの人でも魔人を貫くことができ、体を貫かれた魔人はたちまち人に戻って死ぬのだ、と。」
「体を貫いたら人に戻って死ぬ???」
話によれば、魔人は魔核さえ残っていれば、時間はかかるが体が壊れても再生されるらしい。しかし、魔核が壊れたら死ぬ。
その話をきいたとき、じゃあ魔人から魔核だけを抜き取ったらどうなるんだ?とも思ったが、眼前でその話をする魔人で実験するのはさすがに躊躇われたのでまだしていなかった。
しかし、体を貫いただけで……しかも人に戻って死ぬ、というのはどういうことだろうか?
「でもそれが本当なら、カティの家に行く前に、そっちに行ったほうがいいわね。」
「……よろしいので?」
「間に合うかはわからないけれど、まあ、アーヴィンにはいろいろとお世話になったのだし。」
「……ありがとうございます。」
「そこの4人、ちょっとこっちに来て。ここからすぐ出ないといけなくなったわ。晩御飯は自分で食べたいでしょうから、寝る前に一回“起きて”もらうわね。」
リネッタがおしゃべりに夢中の4人に声を掛けると、4人はそれぞれ明るい返事をし、リネッタの前に行儀よく並び、ひとりひとり大人しく魅了を受ける。途端に部屋の中は静まりかえり、少女4人は人形のようになって立ったまま指示待ちの状態になった。
——それを、隠匿が、なんとも言えない顔で眺めていた。
恐ろしくて、口を挟めないでいた、ともいう。
隠匿のお世話係だった彼女たち4人は、リネッタによる洗脳のような何かを完全に受け入れているのだ。
今まで運動らしい運動をしたことがなかったこの4人の少女たちは、徒歩での旅も座面すらない木の板だけの硬い荷馬車も耐えることができなかった。旅を始めてすぐに音を上げた4人にリネッタが提案したのが、魅了によってリネッタの傀儡になることで“移動時間を無意識で過ごす”というものだった。
リネッタいわく「双方に得があってWin-Win♪」とのことだが……。
常識的に考えてあり得ない提案のはずのそれを、彼女たちは何の疑問も持たずに了承した。二つ返事で。危機感など、どこにも存在していないかのように。
だから彼女たちは、この度の間中ずっと、“目が覚めたら休憩時間”だったり、“気がついたらご飯の時間”だったりしている。今のところ、彼女たちには本当の意味で楽しい時間帯しか存在していない。移動時の足の痛みや体のだるさなどは全てリネッタが“治して”いるらしい。
傍目から見ていると恐怖でしかなかったが、本人たちがそれで納得しているのだから、と、隠匿はぐっと腹に力を入れて、悍ましさを耐えた。もちろん提案を受けるほうもおかしいが、そもそもその提案が出せるリネッタの感性のほうが、ある意味人を人と思わない違和感が強かった。
隠匿にしてみれば、リネッタがやっていることは少女たちの記憶を消しいいように使っていた解体屋と何ら変わらなかった。
表記ゆれがあるかも知れませんが、のちのち直すのでご容赦くださいませ。
これにて四章終わりです。
いつものキャラクター紹介はのちほど……。




