カトリーヌの帰還 2
「まずリネッタについてですが……シャーリィ王女殿下が是非にと請われたため、数日間だけというお約束をしていただき、あちらの屋敷に置いてきました。ですので本来ならば数日ほど遅れてあちらを出発する予定、ではあったのですが……。」
ハールトンがふいに言葉を止め、やや視線を下げる。
「カトリーヌ様を襲った賊らは、姿を現したときからすでに隊列を組んでいたそうです。賊と話をした副騎士団長によれば、襤褸を纏ってはいたものの、中身は間違いなく聖王都に詰めている兵士。さらには統率の取れた動きと垣間見える矜持の高さからして、聖騎士団と兵士の混合部隊である可能性が高いとのことです。聖王都を護る兵が動いているとなれば……タウンハウスの者たちが無事でいるかどうか……いまは、申し上げようがございません。」
「なんてこと……。」
アイダが思わず言葉を漏らす。
タウンハウスに家族がいるハールトンは、視線を少しだけアイダに向け、静かに頷いて見せた。
「副騎士団長が聞いたところによれば、カトリーヌ様は獣人を扇動している容疑をかけられていたそうです。ですが、本当に国の上層部がそう判断したならば、賊の振りなどせずとも良いはず。偶発的な襲撃に見せかけたかったのだとすれば、逆にタウンハウスの者たちは何も知らないままである可能性もありましょう。」
「そうか……。」
クロードは唸るように返事をしてから、ハールトンに続きを促す視線を向けた。
「カトリーヌ様を襲った兵ですが、不意をついて襲ってくるどころかぞろぞろと隊列を組んで現れ、こちらの護衛騎士たちが隊列を組むのをじっと待っていたそうです。
副団長は、あちら側は命令に対して思うところがあるようだった、と言っていました。そしてこちらの護衛騎士に対して、ある意味敬意のようなものも感じた、と。
ですが、その規模は尋常ではなく、騎士の誰もがカトリーヌ様さえ逃がすことができない絶望的な戦いになると覚悟したほどだそうです。」
ハールトンはそこで目を閉じ、一呼吸置いた。
「……カトリーヌ様ですが、最初は震えて、精霊様に救いの祈りをしていらっしゃいました。私はカトリーヌ様に背を向け、外を伺っておりました。
ですが……、そう、私は、何かの——精霊様に対して大変失礼な物言いとなるかもしれませんが——悍ましい気配を感じ、振り返ったのです。そうしたら、そこに、精霊様がおられたのです。
とても小さな紫色の……よく見れば人の型に薄い羽を持っている、精霊様でした。カトリーヌ様は、その精霊様から目を逸らせないような状態で、私が精霊様に気づいたときにはもうこちらの呼びかけにはほとんど反応されませんでした。」
さすがに思うところがあったのか、クロードが眉をひそめる。
「精霊様が、悍ましい……?」
「……はい。護衛騎士たちも、精霊様の気配を感じたときに一瞬魔獣と誤認した、と口々に言っていました。戦いの心得など持たぬ私でさえ、恐ろしく感じてしまうほどの何かだったのです。その精霊様の性質についてはカトリーヌ様から多少お聞きしましたが……私が説明するより、直接お聞きになるのが良いと思います。」
「ああ、そうだな……。」
「話を続けます。……馬車内でカトリーヌ様は精霊様とほんのわずか言葉を交わされました。すると、精霊様がカトリーヌ様と重なるように消え、その直後、カトリーヌ様が光を帯びて、髪の毛のお色が変わったのです。
その時のカトリーヌ様はひどくおつらそうな表情をされていましたが、間を置かずに“外へ出る”と仰られました。本来ならばお止めしたと思うのですが、そのお言葉に込められた……抗えない力のようなものを受け、そのときの私は言われるがまま馬車の扉を開け、カトリーヌ様を外へとお連れしました。
すると、カトリーヌ様が馬車から降り立ったそのとき、世界から音が消えたのです。
カトリーヌ様以外、音を出すことができなくなったようでした。風の音も、地面を踏む音すら消えました。声を出しても、自分を含め誰にも聞こえない状態でした。ロキロトがなにか喋ったようでしたが、息の音すら聞こえませんでした。
それから、突然、武器を持つものは敵味方関係なく、天からの何かしらの力で押さえつけられはじめました。その力は抵抗するほど強くなり、その場にいたものは強制的に跪かされました。最終的には賊の格好をしたものは武器を取り落とし、地面に這いつくばり、そのまま動かなくなりました。……カトリーヌ様が言われるには、死んではいないはずとのことですが、確認はしておりません。
そうしてその場から離れたあとは、我々は立ち寄った町で馬を変えながら夜も馬車を走らせ続けました。カトリーヌ様は襲われた恐怖なのか、帰りの馬車内ではほとんど眠られることなく、怯えて過ごされていました。」
クロードもアイダも、固唾をのんでハールトンの話を聞いていた。
——彼らは、精霊様の怒りに触れたのだ。
クロードは、部屋の片隅のとまり木に静かに止まっている白い小鳥を見る。
どこまでも白い体に澄んだ青い目の、可愛い小鳥。癒やしの精霊様とリネッタは言っていたが、この精霊様もそれだけの能力しかないわけではないと、もう、クロードは知っている。
この純白は穢が一欠片も存在しない証明だ。澄んだ目は人の心を全て見通し、この精霊様の前では何人も犯した罪からは逃れられない。
当然だが、精霊様は人ごときが想像できる範疇の外側にいる存在なのだ。だからこそ、あの幻影の精霊様も、自分たちには想像もつかない力を持っていたのだろう。
小鳥から視線をハールトンに戻し、クロードは「状況は分かった。」と言った。
「カトリーヌの髪色がああなってしまったのだし、父と母に隠しておくのはもう無理だろう。潮時だ。……疲れているのに悪いな、ハールトン。父への報告は明日にして今日はもう休んでくれ。精霊様については僕から父に報告しなければならないことも多いし、父へはカトリーヌに話を聞いたあとに僕と一緒に報告してくれ。報告が遅れることは僕から父に伝えておく。」
「……承知いたしました。ご配慮、感謝いたします。」
「カトリーヌに話を聞くときは、アイダも居てくれ。そのときになったらまた声を掛ける。」
「承知いたしました、クロード様。」
アイダとハールトンは深くお辞儀をして、静かに部屋から出ていった。
部屋はすぐに静かになった。
この屋敷に、聞き耳を立てる使用人はもうほとんどいない。
アイダについていた年配の侍女も、エイラとともに領地へと送り返された。
この屋敷には、もう、クロードとカトリーヌの敵はいないのだ。
しかし。
クロードは自らの椅子に深く座り直し、目を閉じる。
カトリーヌが襲われた。
精霊様がいなければ、カトリーヌは殺されていただろう。いや、カトリーヌだけではない。ハールトンも、使用人たちも、護衛騎士たちも全員殺されていたはずだ。
前回は護衛騎士も死に、侍女やカトリーヌには心にも身体にも消えない傷が残った。襲わせたのはアイダだが、そうさせたのはアイダを洗脳していたこの国だ。
「……。」
どろりとした怒りが湧き上がってくる。
自分ならばまだ、理解できる。
自分が死ねば、領地を次ぐのはアーロンになって、聖王も納得するだろう。
だが、カトリーヌを殺す必要などないはずだ。アーロンがいるのだからこの家を継げるわけでもないし、聖王国から排除したいというなら他国に嫁がせたらいいだけだ。僕には毒でゆるやかな病死を偽装しようとしていたのに、どうしてカトリーヌには圧倒的な暴力が許されたのか。
アイダは言っていた。錬金術師にカトリーヌのことを相談したとき、錬金術師は賊の手配の仕方などの指示書と一緒に“邪魔ならいなくなってもらえばよい”という手紙を寄越し、それに従った、と。
そんな理由で人を殺す判断になるこの国はどうなっている?
命をなんだと思っているんだ?
今回だってめちゃくちゃだ。カトリーヌが獣人を扇動など、できるはずがない。ちょっとでもこの領地の獣人の扱いを見ればすぐにあり得ないと分かるはずだ。
それに、アイダに言われてから調べてみたが、僕達は歴王の血を受け継いでいるわけではない。今の歴王が歴王に指名されてからまだ60年も経っていないし、その間に歴王は子どもをつくっていない。
そう、歴王側が、母の一族の血をわずかに引いている——母に聞いたところ、母の実家の何代も前の娘が王妃になっていた——だけだったのだ。
つまりは、ほとんどただの言いがかりだった。
国の上層部にいる何者かが、この領地を陥れようとしている。
その“何者か”の中に、歴王を恨んでいるこの国の王も含まれている可能性が高いから頭が痛い。
アイダの話を聞けば聞くほど、この国の精霊様に対する認識が歪んでいるのが分かる。
精霊王が、歴王を選ぶ。そこに人が介在する余地などない。今の歴王が精霊王の選定を横取りするなんて、できるわけがないのに。
この国は、精霊様に愛される聖なる国と、自分たちで謳っているだけだったのだ。
二代に渡って歴王を排出したからこその傲慢か、精霊様の御力をまるで我が物のように思っている国。それが、アリダイル聖王国の現状だったのだ。
そんな歪んだ国の王が、歴王になれるはずがない。
そして、だからこそ聖王は、この領地がもつほんの僅かな歴王との関わりさえ、許せないのかもしれない。
「……。」
クロードは腹の底でもだもだとのたうつ感情を鎮めるように大きく息を吸って、吐いた。
そうはいっても。
どんなに居たくないと思っても、このティリアトス辺境伯領がアリダイル聖王国にあるのは、もうどうしようもない事実だった。
だが、大丈夫。まだ、大丈夫だ。
カトリーヌたちは生きて帰ってきたし、タウンハウスにも精霊様に愛されているリネッタがいる。何より、この家には精霊様がいらっしゃる。
自分たちは何もできないわけではない。父と相談して、この状況を乗り越えていくしかない。
そう、クロードは自分の気持ちを奮い立たせた。
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クロードが長考している姿を、後ろから、白い小鳥が青い目で見つめていた。
霊獣その1——元浄化妖精だったその小鳥は、屋敷の中に、もう一匹の元妖精の気配を強く感じていた。アレは……分裂できなくとも、創造主のいない間にまんまと成体に至ったようだった。
アレは、仄暗い喜びを喰む同胞。本来ならば自分たちとは相容れぬ存在だが、この世界で並び立ったときは、不思議と不快ではなかった。
それはきっと、創造主が“そうあれ”と創ったからだろう。
核を得るときも、相反するモノだからこそ、同時だった。
お互いがお互いの存在を成り立たせるものとしてこの世界に認識され、正しく“対”になったのだ。
それぞれが創造主の手を離れ、自我を得た。
共有意識から切り離され、“個”となった。この世界に新たに生まれた種となった、といってもいいだろう。“個となる”とは、そういうことだ。まあ、もともと召喚獣という扱いだったので、共有意識などあってないようなものだったけれど。
とはいえ、やることは変わらない。それぞれの守護主を、それぞれのやり方で護るだけだ。
アレが喜びそうなどろどろの怒りを湛えた守護主に気づかれないよう、やんわりと穏やかに魔法をかけ続けながら、白い小鳥は満足そうに目を細めた。




