幕間 スクレへの手紙
お屋敷の壁に大穴が開き、言われるがままに近くの聖霊教会へと避難し眠れない夜を過ごした、その翌朝。すでに安全が確認されたとのことで、スクレら使用人たちは朝食を食べる間もなく辺境伯のタウンハウスへと戻された。
スクレはまず被害状況を確認し報告書をまとめる作業から入った。兎にも角にも早急に辺境伯へ報告せねばならない。
報告書をまとめたあとは、軽く食事を済ませ、今度は塞がれつつある穴の隙間から見える荒らされた庭を横目に、応接室の片づけの手伝いをしながら他の使用人からも話を聞く。そうしていたらあっという間に夜になった。
遅めの夕食後、一応全ての業務が終わってから、スクレは魔法陣の灯りにぼんやりと照らされた、ありあわせの板で応急処置された壁をなんとなく眺めていた。
——魔人によって屋敷が襲われ、リネッタが連れ去られた。
魔人の目的が何かは分からないが、リネッタを狙った犯行だったかもしれない……と、セシアル様は言っていた。
たしかに、リネッタの死体はどこにもないし、なんなら血痕すらなかったので攫われたのは事実なのだろう。
しかし、屋敷を襲った魔人は別の魔人らしき相手と、壮絶に言い争いながら戦っていたのを見たというメイドもいた。まあ、リネッタを攫うだけならば、壁をぶち抜いたのは理解できなくもないが、美しく整えられていたあの庭園の茂みを潰し木を折り噴水を破壊する必要などないだろう。
そのあたりは、セシアル様にも我々には伝えられないことがあるのだろう、と納得するしかない。納得していなさそうな噂好きの使用人には、やんわりと「変に詮索すると消されるぞ」と脅しておいたので、口を慎むことだろう。
……リネッタが攫われた事にカトリーヌ様はひどく落ち込まれるだろう。もしかしたら、父も。
しかし、タウンハウスの使用人は全員、“魔人が襲ってきたときにカトリーヌ様がいらっしゃらなくて本当に良かった”と思っていた。魔人に襲われたというのに、被害にあったのは物(奴隷含む)だけだったのだ。相当運が良いといえる。
まあ……もちろん、あのよくわからない自信で満たされた小さな獣人が……あの父が信頼(のような何かの感情)を置く少女が、できるだけ無事でいますようにとも、少しだけ精霊王に祈っているけれども。
家具を運び出してがらんどうになった応接室から出て、使用人専用エリアの自らの部屋に戻るために、灯りの魔法陣が淡く照らす廊下を進む。
領地が遠いこともあり、辺境伯夫妻が聖王都に来るのは王族に呼び出されたときや、年末年始(これも王への挨拶が目的)、あとはよっぽど重要な会議くらいでほとんど使われる事のないこのお屋敷だが、それでも使用人は何十人といて、それをまとめる侍女長や執事長のようなちょっと上の(つまり真夜中でも必要があれば問答無用に呼び出されるような)使用人は住み込みで働くために専用の部屋をいただいている。
スクレも執事長として、以前は父であるハールトンが使っていた執事長用の個室を使っていた。
使用人の部屋の明かりは、主にオイルランプである。
部屋の壁には灯りの魔法陣が彫ってあり、魔法陣が使えるものは小さな魔素クリスタルが支給されるが、スクレは魔法陣は発動できないし、何より、無機質に感じる魔法陣の灯りよりもランプの方が好きだった。
そうして片手にランプを持ち自らの部屋の鍵を開け、扉を開いた瞬間、スクレは――視界の端に何かが揺れたのが見え、声が漏れるすんでのところで息を止めて体を盛大にびくりと跳ねさせるだけに留めた。
スクレは、完璧主義の父親の厳しい教育に静かに感謝した。誰が聞いているかもわからないこんな静かな夜に、無様に悲鳴をあげずにすんだので。
見れば、窓が開け放たれていた。全開である。
「……。」
風が外からゆるく部屋に流れているのか、カーテンが内側へと静かになびき、その風がスクレの髪も揺らした。
スクレは基本、朝起きたあとと夜寝る前だけ窓を開けて空気の入れ替えをしたあとは、窓はすぐ閉めるように心がけている。
例えば仕事中に雨が降り出したときなど、使用人が仕事を放り出して部屋に戻って窓を閉める、などということはできないからだ。
仕事がら、自分がいないときに他の使用人を部屋に入れることもない。自分の執務室も含め、シーツ交換や掃除も自分でやっている。まあこれは父の方針でもあるのだけれど。
窓の他になにか違和感は……と、月明かりにぼんやり照らされる部屋の中をぐるっと見れば、ベッドサイドのミニテーブルの上に、何かが置かれていた。あれは……二つ折りにされた紙、だろうか?その上に、透明な何かが重しのように置いてある、ように見える。
窓から何者かが侵入したのか?ここは2階で、窓の近くには木の一本も生えていないのにどうやって?
スクレは——誰かに見られているわけでもないが——努めて無表情をキープし、できるだけ何事も無かったように部屋に入って、静かに扉を閉めた。これからは窓の鍵も締めるべきだろうか、と思いながら扉の鍵をかける。
そうして長い長い息を吐いてから振り返り、出来るだけ動揺が表に出ないようにゆっくりとテーブルに近づき、ランプを置くと、歪な丸い透明なガラスのような重しを避け、二つ折りにされた紙を手にとった。
「……。」
それは手紙だった。
まず最初に、手紙の終わりに書かれた名前を確認して、一気に脱力する。
女性らしい、細くやや丸みを帯びた線で書かれたその名前は、嘘か本当か“リネッタ”と記されていた。
およそ10歳児が書いたとは思えない熟れた文字だったので、代筆かもしれないが。
しかも、読んでみればその内容はどれも信じがたいものばかりだ。
最後の最後に“私の事は何も知らないふりをした方が良いと思います。”と書いてあったのには、じゃあ何も知らないままでいさせてくれよ!とスクレは心から思った。なんの嫌がらせだろうか、と、右手の人差し指と中指で眉間のやや下を揉む。
スクレはそっと窓に近寄り、外を確認せず閉めて、鍵もかけた。カーテンも閉じた。それからランプのカバーを外し、手紙に火をつけ、しばらく使っていない暖炉に放りこむ。
「……。」
ベッドに腰かけて、じわじわと燃える手紙を見つめる。
明日の朝にでも燃えかすはさっさと掃除して、手紙の存在などなかったことにしてしまうつもりだ。
——手紙には、セシアル様が魔人である、と書いてあった。
錬金術師も魔人で、ほかにもこの王都には人に対して悪感情の強い魔人が入り込んでいる可能性が高いから気をつけて、と。
あり得ない話だ。セシアル様は、王女様の相談役だ。魔人が、城に入れるはずがない。
そもそも、魔人は聖王都にすら入ることができないはずなのだ。
どの国でも、王都のような主要の地には魔獣や魔人が入ることが出来ないように、魔法陣が敷かれている。当たり前だ。魔人は魔獣よりも強いのに、一見、人と同じに見えると聞く。判別できなければ、その国はあっという間に魔人の手に落ちてしまうだろう。
王が住まう城はさらに厳しい。魔人どころか、人の子ども1人……犬や猫のような小動物すら入れないだろう。
それにもかかわらず、セシアル様や錬金術師が、魔人……?他にもいるかもしれない?
聖王都を闊歩しているから気をつける?そもそも、どうやって?
「いや意味分かんないってぇ……。」
両手で顔を覆ったスクレからこぼれたのは、そんな台詞だった。
本来ならば、問答無用で否定するだろう。
そんなわけがない。ありえない。笑えない冗談だし、本気で言っているならくだらない。陰謀論だ、と。
しかしそこで、あの厳格な父親の、謎の信頼がじわじわ効いてくる。
実際、聖王都に入れないはずの魔人に、屋敷が襲撃されたし……。
いやでも、手紙が偽物で、そもそもリネッタを騙った者かもしれない。
だがそんなことをする理由が全くわからないのも事実だ。
そもそも、すべて事実だったとして、それをスクレが誰かに相談などできない。
たかだか使用人でしかないスクレにできることなど、何一つない。
誰か信用のおける者にこの情報を伝えたとしても、一笑に付されるか、通報されるか、はたまた頭がおかしくなったと職を無くすか……その全てか。まあ、誰も信じはしないだろう。
そしてもしそれがセシアル様の耳に届けば、セシアル様が魔人だろうがなかろうが、スクレはこの世界から消されることになる。つまり、スクレの心にしまっておくしかないのだ。一番最悪なのは、それが正しいかどうかもわからないことだが。
こんな重たい謎を抱えるだけ抱えさせて、リネッタ(もしくはリネッタを騙る何者か)は一体何がしたいのだろうか。
「ぅ゙ぅ……。」
スクレは、ひどく情けない声で呻いた。
そんなスクレを置いて、夜は更けていく。
ぼちぼち生きて、ぼちぼち書いています。
更新遅くて大変申し訳なく……




