計画の始まりは性急に
セシアルは途方に暮れていた。
確かに掴んでいたと思っていたものたちが枯葉のごとく崩れていて、掌を見たときにはもう僅かな粉しか残っていなかったからだ。……掴んだときは、青々とした若葉だったはずだったのにも関わらず。
——リネッタが逃げた事を知ったのが、今朝のことだ。
ソファで目覚めた瞬間は、久しく“寝る”という行為をしていなかったということもあり多少の混乱もあった。
リネッタと話していたはずなのだが、途中から記憶が定かではない。その時の事を考えると思考に靄がかかったようになり、ぼんやりと……楽しくリネッタと何かの話をしていたような気がする、かもしれない、程度の事しか思い出すことが出来なかった。
ひと晩意識がなかったのだと気が付き慌てて城内を見て回ってみたが、驚くべきことにセシアルだけではなく、城内にいた魔人を含む全ての者の、昨晩の記憶が無いらしい。みな口々に「いつの間にか眠っていた」と言う。廊下を歩いていた者はその場に伏して寝ていたし、門番でさえその場に座り込み眠りこけていたそうだ。当たり前だが、城内は騒然としていた。
わけもわからないまま情報を求めてアヴィエントのところへ行ったが、分かったのはリネッタが正体不明の何かであり、自分たちの理解の範疇を遥かに超えたものであること。……つまり何も分からない、ということだけ。
そして、今。
怪訝な顔の部下から届いたのは、ティリアトス辺境伯令嬢の襲撃に失敗したという報告だった。
失敗した理由は不明。
カトリーヌの馬車一行を襲う予定だった部隊との連絡が現地で途絶えたため、部下が現場を見に行ったところ、その場に残っていたのは賊の恰好をしたまま地面に転がっている聖騎士たちだけだったという。ティリアトス辺境伯の馬車は残っておらず、交戦の跡すら無かったらしい。
頬を叩いても目を覚まさなかった聖騎士たちは現地の精霊教会で保護され、浄化の魔法陣でようやく目を覚ましたらしいが、皆が口を揃えて「カトリーヌが乗った馬車からカトリーヌの姿をした精霊が現れて、そこからの記憶がない」と証言しているという。さらには、転がっている間に見た悪夢によって心に深い傷を負ったものも多く、しばらく使い物にならない者が出てくる可能性が高いとのことだった。
言っている事は分かるのだが、理解は……まあまあ追いつかない。
魔人によっては人だったころの習慣が抜けず、隠匿のように夜はベッドの中で休む魔人もいるが、普段眠ることなどない魔人たちも昨晩は完全に寝て――つまり、強制的に意識を落とされていたということだ。
ありえない。精霊の祝福や刻印が一切効かず?戦闘面では魔人の中でも五本の指に入るだろうアヴィエントより強く?……さらには、離れたところにいる相手でも誰かの体を使うことで完全に無効化できる?
なんだその化け物は。
セシアルは冷たい何かが背中を這うのを感じてぞっとした。自分は何を城に引き入れてしまったんだ、と。
一歩間違えば、十数年かけてきた計画が頓挫するところだったのだ。いや、現在進行形で頓挫しようとしている可能性すらあるだろう。
先程の報告で、リネッタが他人に何かしらの力を貸し与える祝福を持っている可能性も出てきた。隠匿が一緒にいるせいでこれからリネッタを探すのは無理だろうが、新たに何かが起こる前の対策は……急務である。
カトリーヌ自身が何かしらの祝福を得ていて聖騎士団を返り討ちにした可能性もなくはない。が、規模は違えどやっていることが“大は小を兼ねる”ような感じでリネッタと大差ないので、裏でリネッタが糸を引いていると思った方がいいだろう。リネッタ並みの化け物が他に居なければ、だが。
リネッタを所有しているのはティリアトス辺境伯だが、中立派で無害そうなあの辺境伯が何かしでかそうとしているとは思えない。リネッタの背後には別の誰かがいる可能性もある、か。
セシアルは深い深いため息をゆっくりと吐き出した。頭が痛い。
カトリーヌが領地に帰ったとなれば、愛娘が聖騎士団に襲われた事は確実にティリアトス辺境伯に伝わる。……そこに、隠匿を連れたリネッタが加われば、どうなる?
聖王への抗議ならまだいいが、反乱など起こされたらたまったものではない。不殺を掲げている隠匿も、リネッタの願いとあらば積極的ではないにしろ動く可能性もある。
現状、不確定要素しかないが、ぼやっとしているとまた何かが起こる気がする。全てが悪い方向に動くという想定で、今すぐにでも手を打つのだ。
急だが、隠匿が使えないとわかれば、以前の計画のままでコマを進めてしまえばいい。
抗議だろうが反乱だろうが、ティリアトス辺境伯やリネッタが何かを仕出かす前に辺境伯領を通り過ぎ、連合王国に入ってしまえば辺境伯軍は追ってはこれない。
ほとんど隠匿待ちのような状態であらかじめ各国には親書を送ってあり、あとは出発するだけだった。早馬を出せば、多少入国が急ぎ足になっても嫌な顔をされるだろうが気にする事もない。
どの国でも入国審査も無ければ、各国で歓迎会どころか王族との顔合わせすらない。他国の街道で獣人が歩いていたとしても問題にはしないと宣言しているし、目的地まではただ本当に通り過ぎるのを放っておいてくれればいいのだから。
問題はリネッタと隠匿だが、アヴィエントを使って意識を逸らしておく必要があるだろう。アヴィエントはああ言ったが、リネッタはともかく隠匿は見過ごせない、はずだ。
それこそティアトスのあの魔獣の巣近くの街で公開処刑をすると大々的に宣伝すれば、辺境伯はこちらの動きに合わせて警戒するしかなく、どちらの行動も制限できるかもしれない。
「ただで殺してやるつもりはないけどね……アヴィエント……。」
セシアルは、ひどく低い声で呟いた。
処刑の場に立ち会えないのは残念だが、……王太子を狙っている第二王子あたりに声を掛ければ、拍が付くと喜んで引き受けるだろう。
辺境伯領はもちろん連合王国側も多大な被害を被るだろうが、知った事ではない。アヴィエントと繋がっているという隠匿がどうなるかは気になるところではあるが、まあ、“どうにか“なってみてからのお楽しみだ。
最終的には計画が無事に遂行され、この国が亡くなるのなら、なんでもよかった。




