セシアルとリネッタ 3
「……あれ?……セシアル、様?」
何かを言いかけようとして軽く息を吸い、口を開いて……というところで、きょとんとした顔になって口を閉じてしまったセシアルに、違和感を感じて声を掛ける。
「なあに、リネッタ。」
ふわりと浮かぶ、穏やかで自然な笑み。王女の横で浮かべていたものとは違う、作り物めいたものではないその顔に、内心で冷や汗を垂らしながら、おっと?、と思った。
「どうかされましたか?……今、何か、言いかけませんでしたか?」
「……うーん、ちょっと、何か気になったことがあって聞こうと思ったんだけど……でも、なんだったかな、忘れちゃった。」
セシアルは、ふふっと微笑んで柔らかな表情をこちらに向ける。その落ち着いた表情に、これは何かが起こったに違いない!と、私は直感した。……いや、直感するもなにも、ついさっき私が深く考えもせず反射の魔法なんて使ったからこうなったのだろうけれども。
「セシアル様、大丈夫ですか?」
「何が?」
何が、と言われても。どう説明したものか。
私が今しがた使った反射の魔法は、自分に向けられた魔法を鏡のように反射させるだけの魔法である。攻撃魔法、悪い効果、そして良い効果でさえも、この魔法は反射する。
それだけ聞けば強力そうな魔法だが、“反射”であるので、威力が落ちることはあっても上がることはない。さらに、例えば炎を吹く魔獣にこの魔法を使って炎を反射したとして……相手の魔獣は炎を操るくらいなのだから、当たり前のように火には耐性があり、反射したことに対しては驚くかもしれないが、大した反撃にはならない。魔眼系を得意とする魔獣だって、群れることもあるのに、自分が放つ異常状態に耐性がない魔獣などまずいないだろう。
対人戦闘であってもそうだ。相手が放った魔法よりも多い魔素を消費しながら、相手と同じかそれより弱い状態の魔法なんて反射しても、ただただ魔素の無駄である。効率を考えれば、身体強化で避けるなり、防御壁を出して逸らすなり防ぐなりをしたほうがよい。
つまり、この魔法もいつだったかアーヴィンに“じっとしてもらうため”に使った影縫いの魔法くらい実用的ではなかった。
しかしそれは、元の世界での話で――。
耐性とは、他の魔法よりも魔法抵抗で相殺しやすい属性のことだ。完全に相殺・吸収できる属性は、完全耐性と呼ばれている。
では、この世界の人や獣人、魔人、動植物、そして人里に現れるレベルの魔獣のほとんどに魔法抵抗が皆無である場合はどうか。
答えは、この世界では、魔獣ですら自分が放った攻撃の属性にさえ耐性がない可能性がある、である。断定できないのは、魔獣の巣の深奥とかなら、魔法抵抗が備わっている魔獣がいるかもしれないからだ。
まあ、そんなわけで、私はセシアルが発動させている右目の魔法陣の効果を探るべく、セシアルに対して反射の魔法を使ったのだった。これでセシアルに何かしらが起きれば、セシアルの右目の魔法陣の謎も解けるに違いない、と思って。
もちろん、どれほど強い効果の魔眼でも大丈夫なように、ごくごく弱めに、魔素を抑えめに控えめに、魔法抵抗のない相手なのだからうっかり効きすぎて昏倒とかしないように、細心の注意を払った。詠唱なんてもってのほかだ。一応、セシアルは今のところこの聖王国でかなりの地位にいるし、機嫌を損ねたら、もしかしたらカティに迷惑をかけるかもしれないし。
しかし、睡眠・麻痺・気絶・めまい・混乱・石化・吐き気などなど。発動の起点が目なので、魔眼に似たものだろうと予想していたのだが、この状況は予想外だった。ぽやぽやのセシアルの状態がいまいちわからない。
わかりやすい効果だったらすぐに治せばいいかと高をくくっていたのだが……変になっていることは分かるのだが、なぜだかさっぱりわからない。これは、一体……。
「いま、ご自分がどんな状態か、わかりますか?」
ストレートに聞いてみる。自分が何かをしたのだと言っているようなものだが、セシアルは満足げに頷いた。
「そうだね、いつになく、穏やかで幸せな気分だよ。」
「おだやかでしあわせ。」
「リネッタと話していると心が落ち着くね。」
そんな魔眼ある???
私は首を傾げながら、うーんと唸った。
穏やかな気持ち……たしかに今のセシアルは、安息の魔法を強めにかけたときのような感じではある。
「セシアル様、本当に心当たりないですか?……魔人とは関係ない、私が右目に見ている魔法陣のこと。」
「……ああ、そのことか。僕の右目には、精霊の祝福が宿っているから、それじゃないかな。」
「えっ?」
くすくす。セシアルは心底おかしそうに笑った。
「だってリネッタ。君は僕に、右目の魔法陣に心当たりはないかなんて、聞かなかったじゃないか。」
「……ああ……たしかに?」
私は首を傾げた。たしかに魔法陣がありますとは言ったが、セシアルにはわからないだろうと決めつけて特になにか聞くことはしなかったように思う。なるほど、精霊の祝福か……。
「聞いても良ければ、その精霊の祝福がどういった効果なのか教えてもらえませんか?」
「もちろん。リネッタのためならなんでも教えてあげるよ。僕の右目にはね、魅了という精霊の祝福が宿っているんだ。」
みりょう。
――魅了!?
「ち、……魅了かあ……。」
私は思わず気の抜けた声を出してしまった。
たしかに魅了も、有名な魔眼のひとつだった。
魅了は、元いた世界では、上半身?――いや、上半分?がたくさんの小さな魔眼が付いたもごもごの肉塊で、下半身がかなり巨大な蔓植物の魔獣である【八方美人】が使ってくると有名な異常状態だった。
魔眼が備わった疑似餌の肉塊は、魅了にかけられた対象によって魅力的な相手や弱そうな生物などに見え、ふらふら近づいたが最後、下半身の蔓植物に美味しく食べられてしまうしかないという恐怖の魔獣である。
その魔獣の何がやばいって、魔素溜まりから世界に現れた瞬間から、肉塊に備え付けられた魔眼が常に発動し続けていることだ。チラとでも魔眼を見てしまえば、魔法抵抗で相殺できなければ魅了に囚われてしまうのだから。
……なんにせよ、そんな恐ろしい異常状態がセシアルにかかってしまったわけだ。
まあこの感じだとそこまで強力ではなく、かけられた相手に好意を持つくらいの魅了なのだろう。それは魅了といって良いかすらも怪しい効果ではあるけれど。
「どうやら、うっかりその魅了が、セシアル様にかかってしまったようなんです。」
「へえ、そうなんだ。すごいね、リネッタの精霊の祝福は。」
「うーん……。」
私は曖昧に微笑んだ。精霊の祝福ではないので。そして、話を変える。
「セシアル様は、精霊の祝福を持っているのに魔人になったんですね。」
「持ってたから、魔人になったんだよ。」
セシアルは静かに、憂いを帯びた目を伏せた。
「ねえリネッタ。君は魔人に興味があるようだけど、魔人のことはどこまで知っているの?」
「……以前お話した通り、そこまで詳しくはないです。」
「じゃあ、僕はいますごく機嫌が良いから、原初の魔人であるこの僕が、魔人のことを教えてあげようか。」
セシアルはそう言って視線を上げると、私の目を見て微笑んだ。
……セシアルの機嫌が良いのは、魅了という異常状態のせいなのだが……まあ。……まあ。
私は向かいのソファに深く座りなおして、セシアルの言葉を待つことにした。魔人が語る魔人の話に、興味がないわけがないのだ。1から10まで、いや、詳細な感じで100まで聞きたい。是が非でも聞き出したい。
「どこから話そうか。」
「最初の最初からお願いします。」
私は大真面目に、話を聞く態勢になった。
作中では出せませんでしたが、戦闘では殆ど役に立たない反射の魔法ですが、実は根強いファンがいます。
込める魔素が少なければ発動しても反射せず貫通し、多ければそのままの威力で反射できるという仕組みを利用して、魔法で光るだけのボールを作って打ち合うシャイニングボールという競技があるからです。
リネッタは引きこもって研究に没頭するタイプだったのでスポーツ全般に興味がなく、そういう競技があることしか知りませんが、ラケット風の杖でボールを打ち、ときには打ったふりをしてラケットを貫通させ、背後の仲間が反射の魔法にさらに魔法を重ね掛けしてスピードを乗せたスマッシュを打ったりするなどの駆け引きもあり、わりと人気のスポーツとなっています。




